発 音

発音を学ぶ重要性

 正しい発音の習得は英語におけるすべての技能の重要な基本です。発音習得についての基本的な考え方をまず固めることにしましょう。

 なおこの第2章の内容は電子書籍「英語総合技能訓練法」の第2巻に収録されていますが、電子書籍では、さらに詳細な解説となっているほか、実践リスニング練習問題も11種含まれています。

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発音について

articulation  まず最初に英語学習における発音習得の重要性について認識を改めることにしましょう。英語という技能を身につけようとするとき、自分の話す英語が相手に通じるということは文法理解や語彙力に優先する最重要課題です。どんなに文法知識があり多くの単語を知っているとしても、その読み方が音として相手に伝わらず、相手の音声が言葉として 認識できなければまったく実用性があるとはいえません。

 発音の重要さは一見直接英語話者とのコミュニケーションを目的としていないかに見える受験英語での文法問題や長文読解などの能力とも大きく関係します。限られた時間の中で常に効率的、効果的な学習法を求めているのであれば、なおさら発音という基礎を固めることがその目的にかなったものとなるのです。

 英語は言語であり、音声こそがその実体であるという当然の認識にまず立ってください。文字は音声を記録するための手段としてずっとあとから開発されたものです。書かれた英文を読んで正しく理解できるためには、文章を「一旦音声化する」というステップを経なければなりません。そしてそれは英語本来の発音によってなされなければ大なり小なり、文意をどこか汲み取りきれない読み方になりがちです。なぜなら、文字に書き表して同じ英文であっても、「どのように読むか」によって様々な意味を表せるからです。つまり適切に前後関係を踏まえた上で、1つの英文がどういう趣旨で書かれているかを理解すると、その「意味に応じた読み方」というものがなされることになります。それは単語単位で発音記号に従って音声化するだけでよいというものではありません。

 英語の発音には「どういう音を出すか」と「どのようにしてその音を出すか」の2つの側面があります。
 加えて英語の音声に慣れない日本人学習者としては、英語特有の音の変化についても学び練習する必要があります。
 「どういう音を出すか」については英語に含まれる母音や子音といった1単位の音の出し方を気持ちを白紙にして学んでいただきます。「気持ちを白紙にして」というのは発音上達の上で非常に大切な心構えです。どんなに「日本語に似た音」であっても外国語である以上、厳密には1つとして完全に共通の音はなく、英語に含まれる音素(母音、子音)の1つ1つを白紙から音の出し方を習おうとする姿勢を持ってください。それによって美しく世界のどの国の英語話者にもストレスなく理解してもらえる流暢な英語が身につきます。

 発音の上達は話す能力の向上だけでなく、そのまま聞き取りの力に直結します。加えて書かれた英文を意味に応じた適切な読み方でスムーズに読めることによって、読解力の飛躍的な向上にもつながるのです。「長文読解の力を伸ばしたければ発音を学びなさい」といわれると一見あまり関係のないアドバイスだと思う人もいるかも知れませんが、実はこのアドバイスこそ最も的を射た、適切で効果的・親切なアドバイスと言えるのです。

hear  自分の発音を鍛えることでリスニングの能力が自然と伸びます。学力には包含関係というものがあることを第1章の中でお話しました。発音について言いますと「自分の出せる音はすべて聞き取れる」というのがポイントで、出せる音のレパートリーを広げることがそのまま聞き取れる音を増やすことになるのです。ただし「聞き取る」というのは単に音を聞き取ることだけによるのではなく、音声として与えられた「情報を理解する」能力です。従いまして「聞き分けられる音の種類」を多く持ちつつ、文法的な理解力や単語の力も備わっていないと「音としては聞き取れるけど意味がわからない」ということにもなります。それでも「音が聞き分けられる」ということが前提ですから、順序としては「自分の出せる音の種類を増やす→聞き分けられる音の種類が増える→文法や語彙で情報理解裏付ける」ということになります。

 洋画などで英語字幕を見てみるとそれほど難しい表現を言っていないのに字幕なしで音声だけに頼って映画を見ると何を言っているのか理解できないということがあるでしょう。それは英語話者が「日本人のイメージ通りの音で話してくれない」からです。もっと正確に言うと「英語本来の音で日本人側がイメージしていない」ため、実はよく知っている単語や文章を口にしているのに、それを言ったと気づかないままになってしまうわけです。映画の登場人物は日本人の発音の癖に合わせたカタカナ英語でしゃべってくれませんからね。

4 skills

 「発音」は「話す、聞き取る、読む、書く」というすべての技能を支える最も重要な基本です。技能全体の達成度を大きく左右する「英語能力の骨格」です。本サイトでも第1章の「英語学習全般について」という基本姿勢の次に第2章として「発音」があるのも学習・訓練の順序としてこれをまずしっかり学んでいただくことこそが、今後の文法や語彙の習得をスムーズにするからに他なりません。

 どうか今「文法につまずいている」人も、語彙力の伸び悩みを感じている人も、今の目の前の直接の悩みを根本から解決するために本当に必要な技能として「発音」をおろそかにしないようにしてください。本サイトを通じて発音の訓練を一通り積んだとき、文法も理解しやすく単語も覚えやすくなっていることにきっと気づくでしょう。

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本サイトで学ぶ内容

 英語の技能を「Speaking, Listening, Reading, Writing」の4つに便宜的に大別し、特に最初の2つ「Speaking, Listening」の観点を中心に英語の発音について学びます。すでに述べました通り、発音の習得は英語のすべての技能と関わっており、そのすべてを根本から支える重要な基礎ですので、どれか1つの技能だけを伸ばすというような学習方法はありませんし、そのような解説の仕方はしませんが、「自らの口から英語本来の音声を発する」という狭い意味において「Speaking」という章立てとしたいと思います。

 広い意味での「話す能力」についてはすべての章の内容が関係してきますので、随所でまたお話をします。

 この第2章「発音」では、日本人学習者に特化した角度から英語の発音の習得方法について最も基礎的な事柄から相当高度な内容まで網羅します。初心者の方ならば、まずは「通じる英語」を話せるようになる必要がありますが、本書の解説の目的はそれに留まらず、英語話者との電話応対にも困らず目をつぶって聞いていて日本人と気づかれないほどの自然な発音を目指します。具体的には次のような学習順序となります:

  1. 英語に含まれる母音や子音すべての音の出し方
  2. 単語やフレーズ、文章といった長い単位での発音要領
  3. 音と意味が感覚の中で一致するための訓練
  4. 英単語のスペルと発音の関連性について
  5. 日本語の発音体系との比較

 知識・教養としては英語を専門とする大学で1年かけて習う英語音声学の内容をすべて含みます。もし本書の読者の方でこれから英文科などに進学される方は大学での英語音声学の授業内容がすべて復習と感じられることでしょう。

 もちろん、発音は「技能」ですから頭で理解し覚えることに留まってはいけません。英語を教える立場にある方は、色々な音声学用語を知識としても備えている必要がありますが、一般の学習者の皆様は用語にこだわる必要はありません。あくまでも知識・理解を整理する助けとして用語に接していただけば十分です。最も重要なのは各項目の中で解説される「実際の音の出し方」についての訓練を積むことです。

 1は母音、子音を表す発音記号をすべて学んでいただきます。「発音記号」というのは正しくは IPA(International Phonetic Alphabet/ 国際音標アルファベット)といい、英語以外のあらゆる言語も含めて実際のスペルとは別に「音そのもの」を表すために考案された「アルファベットに似た特殊記号」のことです。なじみやすいように基本的には通常のアルファベットにも使われている文字も含まれていますが、英語でさえアルファベットでその実際の音を完全に表しきることができないため、多くの特殊な文字が追加されています。

 当然そういう特殊な文字は普通のキーボードからはタイピングできませんので特殊フォントを文書に埋め込む形でお伝えします。皆様も日ごろの英語学習で発音記号をワープロ文書などに用いたいと思うことがあるかと思いますが、「ipa charcter picker(http://rishida.net/scripts/pickers/ipa/)」というサイトでオンラインにてすべてのIPAをタイプすることができます。このサイトは英語以外の言語に用いられる記号も含まれていますので、そのすべてが必要なわけではないでしょうが、このような便利なツールもあることを知っておいてください。本サイトでもこのサイトを使って発音記号をタイピングしています。

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発音記号の学習で成績は上がるか

 英語の成績が伸び悩んでいる人からの相談で「発音記号をまずすべて習得してください」とアドバイスしても「発音記号を書けという試験問題はないから」という理由で受け入れてもらえないことがあります。学校の試験や入試問題にも発音に関する出題はありますが、「配点が低い」からと優先事項ではないと考えられ、なかなか発音の習得に手を出そうとしない学習者が多いのも事実です。実はそういう「発音記号を学ばない」ことこそが大きな遠回りであり、学習の効率を著しく下げているということになかなか気づいてもらえません。

 発音を学ぼうとしない人の意見としては「長文を音読できただけでは意味がない。和訳できなければ点数が取れない」というものもあります。しかしそれは逆なのです。「意味が分かっているからこそ音読できる」のであり、適切な発音で英文が読めることによってより正確でスピーディに長文も理解できるようになるのです。

 まったく発音記号などを学んだことがなく発音に問題意識のない人が、たとえば400語から500語の英語長文に取り組んだとしましょう。たとえ「発音に問題意識がない」人であっても「自分なりのカタカナ読み」により英文を黙読しているのです。そういう読み方は、(黙読であっても)音声から意味のイメージがまったく伝わってこない、ごつごつしたブツ切れの読み方で黙読しており、意味的な区切りも視覚的にも把握できず、多くの時間をかけてようやく通読した結果、内容がほとんど把握できない結果となります。

reading

 一方、発音の基本を固めている人は、初見から英文を「意味に応じた適切な読み方」によって黙読し、意味を正確・スピーディに把握しながら通読します。

 結果として比較すると発音の基本が固まっている人は、そうでない人の4倍以上の速度で同じ分量の英文を「より正確に」読みこなせるのです。通常、高校の英語試験というのは平均的学力の生徒が試験時間一杯で最後まで問題を読める程度の量を目安にしています。そういう試験では発音を鍛えている学習者は50分の試験時間のうち最初の20分で全問解答してしまえます。あまりに多くの時間が余って「もしかして問題用紙の裏面にもまだ問題が書かれているのかな?」と思ってしまほどの時間的余裕を持つでしょう。

 直接の配点が少ないといわれる「発音問題」は「読めれば正解」できてしまうので完全なボーナス問題となります。「発音問題が苦手」という悩みが理解できないほどに感じることでしょう。「発音問題が苦手」と悩む人はなぜ発音記号を学ぼうとしないのでしょうか。まるでスペルから何らかの法則性にって「読めなくても正解が導き出せる」と思い込んでいるかのように「やるべきこと」をひたすら避け続けているのですから。

 英単語のスペルと読み方には一定の関連性はありますが、単純な規則で把握しきれるほど簡単ではなく、ほとんど「無関係」とさえ言えるほどです。ある有名な言葉に「ドイツ語は書かれている通りに読む。フランス語は書かれている通りに読まない。英語は『書かれていない通り』に読む」というものがあります。それほど英語のスペルからはその読み方を正しく推測することが困難な場合が多いのです。

 発音記号を学ぶ必要性を否定する意見の中には「英語のアルファベットはそもそも『表音文字』だ。発音記号などを学ぼうとするのは、最初から平仮名で書かれている日本語にさらに振り仮名をつけようとするようなものだ」というものさえありますが、これがいかに英語の実体を無視した声であるかお分かりかと思います。書かれている通りに読めば済むのであれば誰も苦労しません。

 英語に用いられているアルファベットがもともと「表音文字」としての方針であったことは事実です。古い英語になるほど「書かれているまま」読めば済む傾向が強くなります。それが長い歴史の中で多くの外来語を取り込み、外国語でのスペルをそのまま取り込んでみたり、音声的な大きな変化の時期を経たりした結果、現代の英語ではスペルと実際の読み方が大きくかけ離れてしまう場合が増えてしまったのです。

 それでも英語話者たちは日常的に多くの英単語に接する中で「ある程度のスペルと読み方の対応」を感覚的に身につけています。これについてはまた別項目の中で解説したいと思います。

 このように英語ではスペルと読み方が一致しないことが非常に多いため、その読みについては独自の「読み仮名」である発音記号を通じてでないと正確なところが分からないのです。英語ネイティブ用の辞書にも、スペルの他に「読み方」を示す記号が必ずついています。それは皆さんが習うIPAとまた違う種類のものであったりもしますが、それについても別項目の中で少し取り上げてご説明します。

 少なくとも日本人学習者にとって英語の発音記号を学ぶことは極めて重要な基礎であり、英語上達における前提とさえ言えます。学校の試験成績にも実は直結していますし、高度に英語の実技を運用したいと考えている方にとって「発音」は極めて重要な課題であることは言うまでもないでしょう。

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「発音」と「話す能力」

speech

 いくら発音がよくても、話題がなければ何も話せません。英語がなかなか上達しないと悩む人の中には「発音記号もちゃんと学んだし、文法も、単語もそれなりにがんばって覚えてきたのに、どうも話すのが苦手」という方がいます。

 発音を学んだからといって「話題」まで付録でついてくるわけではありません。電話対応にしても、接客にしてもそれぞれの場面でよく用いられる表現というものがありますから、自分が置かれた状況の中で必要になる表現を蓄えるとよいでしょう。「言いたいこと」がないと話す能力はなかなか伸びません。それは穴の開いた樽に沢山の水が入っている場合とほとんど水が入っていない場合の違いのようなもので、「自らを表現したい欲求」に満ちていれば樽の穴から勢いよく水が飛び出しますが、「言いたいことがない」場合は水も出てきません。

 日本語でも言えないことは英語でもやっぱり言えないのです。何かの話題について日ごろから問題意識を持ち、自分自身の意見を整理しておく習慣をつけることでスピーキングの力も伸びてきます。日本人だからといって日本語の作文やスピーチが誰でも得意なわけではないように、英語という言語を学んだだけでは「英語で話す話題や意見」が沸いてくるわけではないのです。発音、文法、語彙などを学習するとき常に例文を通じて学び、本を読むとき、映画を見るとき、常に「あ、この言い回しは使える」と敏感に感じて、「いつかこの表現を使ってやろう」と思ってください。また何らかの例文を習ったときはいつでも「どういう場面ならこの文が使えるだろうか」と実際に使う場面をできるだけ生き生きと想像するようにしましょう。

 「話すのが苦手」という悩みがあり、発音の練習をして文法を学び、単語も沢山覚えてはみたけれどそれでもどうしても話すことに対する苦手意識がぬぐえないという人もいます。この場合、問題は語学力にあるのではなく、外向性や自己表現意欲などもっとメンタルなところに起因すると考えられます。まず日本語でどのような言語活動を日ごろ行っているかを振り返ってみましょう。日本語は「言葉に出さずに通じ合う」文化を持っているため、意識的に心がけていないと言葉による表現能力はなかなか高まりません。これは決して文学的な才能などを指しているのではなく、もっと具体的で、説明文や描写文のような表現力が大切になります。簡単に言えば「人に何かをわかりやすく伝える能力」です。こういうコミュニケーションの基礎能力は日本語を使う中でも当然養うことができますので、英語学習を離れた日常生活の中でも問題意識を持ってください。

 「説明が上手」になるためのコツは「質問が上手」になることです。たとえばインターネットの質疑掲示板などで何か疑問を投稿するとしましょう。質問の仕方が上手な場合は、回答者もより的確な返事がしやすくなりますが、そうでないと回答する前に色々逆に尋ねて確認しなければなりません。

 たとえば「コンピュータの調子が悪いです。どうしたらいいですか?」という質問には回答者もどう答えていいか分かりません。どういう機種のコンピュータで、スペックはどうであり、何をしたらどういう反応があったのかなど、こちらの問題点が的確に伝わるように必要な情報を盛り込んで質問するべきなのはお分かりですね。

 英語に関する質問でも「単語の力を伸ばすにはどうしたらいいですか?」のような漠然とした質問をよく見かけます。質問者本人にしてみると、これだけで自分の聞きたいことはすべて述べたつもりになっているのかも知れませんが、現在の学年や単語力の目安、これまで何をしてきてその結果がどうだったのかなどの背景、目標としている語彙数など回答者がより的を絞って答えられるような情報を盛り込むべきでしょう。そういう「言葉に対する配慮」のような基本姿勢が「話す能力」の出発点なのです。言い方を換えれば「聞き手の気持ちを察しながら話す」配慮とも言えます。

 スピーチにしても文章を書き表す場合にしても、常に念頭に置かなければならない注意点がいくつかあります:

  1. 誰が聴衆(あるいは読者)なのか
  2. 聴衆全体に対して期待できる話題に関する予備知識はどの程度か
  3. 聴衆は自分の話題に対してもともと積極的な耳を持っているのか
  4. 使う言葉の中にどの程度の用語を交えるのが適切か

 同じ話題を語るにしても、その話題に深く関わる人々を前に話をする場合と、まったく専門外の人ばかりを対象に語る場合では、使うべき用語・語彙の選択も変わってきますし、聴衆がすでに積極的に特定の話題に対して耳を傾けている場合は、すばやく本論に入った方が、話が冗漫にならずにすみます。一方、専門的話題についてまったく予備知識を持たない人に話をする場合、聴衆にとってなじみのある話題から目的の専門性へと無理なく誘導する前振りが必要でしょう。語彙も噛み砕いて平易なものにしなければ理解してもらえません。

 英語で何かを語るときでもそういう姿勢はまったく同じであり、話の展開の計画性や工夫によって「息の長い、聴衆を飽きさせない話」にもなれば「退屈で冗漫で聞いているのが苦痛な時間」を与えてしまうことにもなります。(こういう工夫・計画・配慮は授業の展開についても極めて重要なことがらです。)

 話す能力を伸ばすには、まず日ごろからまとまった量の文章を書く習慣をつけましょう。そのとき「まず文を口にして、それを音声的に吟味してから書き留める」という順序を守ります。そうすることで読み手にとって自然で流れのよい、よどみない文章が書けるようになります。初見ですらすらと読める文章になっていることが大切で、何度も読み返してやっと文意が理解できる文章は読み手に不要なストレスを与えます。

 加えていきなりペンを走らせる(キーボードをタイプする)のではなく、あらかじめ話の要点、順序を箇条書きにしてどういう計画に沿って話を展開していくのかのイメージをつかんでください。

 このように「話す能力」は発音、文法力、語彙力だけがそろえば備わるものではなく、その上に更なる努力を要するということを忘れないでください。

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通じる発音の条件とは

 どんなに発音がよくて文法知識があり、語彙が豊富でも自分の考えや意見を持たず話題性に乏しい人は会話が苦手なものです。これは日本語でも同じですね。しかし、外交的な性格で事項表現意欲は満々でも、発音が通じなければコミュニケーションは成立しません。この「通じる発音」というのが人それぞれによってまた捉え方がまちまちのようです。ここで発音がいいとか悪いとかいうことについて少し掘り下げて考えてみましょう。

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 第一章で述べました通り、英語はイギリス、アメリカの他多くの国で公用語あるいは第2公用語として用いられており、それぞれの国ごとの発音上の特色があります。同じアメリカ英語にしても西部と東部では異なった特徴があるほか、他の地域でも独特の訛りを持っています。これは日本という小さな国の中でさえ各種方言があり、時には互いに通じ合うことさえ困難な発音上の差異があることを考えれば想像に難くないでしょう。

 日本では様々な方言があってもいわゆる「標準語」は日本中どこでも通じます。同様にアメリカ国内では中西部の英語が標準とされていますし、他の国でもそれぞれに標準とされる発音があります。アメリカ英語とイギリス英語では発音の他、文法や単語の使い方、スペルなどにも若干の相違がありますが、そういう違いがあっても互いに通じ合うことにはそれほどの困難は感じられていません。どちらの英語が正しいというわけではなく「それぞれに違った英語」として受け入れあっているわけです。それが「英語」である限りは英語話者がどの国、地方の出身者であっても理解に大きな困難は生じません。問題となるのは「極めて一部の地域の人にしか理解されない英語」や「外国語として学ばれ、すでに英語ではない発音がなされる」場合です。私たち日本人学習者としては、アメリカ英語でもイギリス英語でも、各自の好みや環境、目的、現在・将来の会話の相手の分布などによってどちらの英語を中心に習得するかを決めればよいと思いますが、いずれにしてもその発音は「英語」である必要があります。

 日本語を学び始めたばかりの外国人が強い外国語訛りの日本語を話したとき、私たちはどの程度の訛りであればそれを理解し、どういう発音だともはや理解できなくなるでしょうか。また確かに日本人の発音ではなく、外国人の話す日本語だと誰にでも分かるけれど、会話するうちに相手が外国人であることさえ意識しなくなるほどスムーズな会話ができる発音とはどういうものでしょう。

 子供のころから日本に長く滞在していたとか、両親のいずれかが日本人で日常的に日本語を使う機会が非常に多いなどの場合は、バイリンガルとして英語も日本語も同等の流暢さと自然な発音で話せるようになることがあります。そこまで極端ではなく、あくまでも「習った日本語」であり、少し話すのを聞いただけでそれが日本人の発音ではないとすぐ分かるけれどもその外国語訛りがまったく苦にならず、日本人同士で会話しているときと変わりないスムーズなコミュニケーションが可能なレベルもありますね。そのような発音はその人の母国語の発音の影響をわずかに残しつつも、日本語本来の発音について十分習熟しているものです。

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 さらにその一歩手前、あまり発音が上手だとは言えないけれども意味の把握は十分可能な発音もあります。日本人で英語を学んだ人でも多くはこのレベルに達しています。実用性から言えば「これでも十分」と言えるのですが、本書では当然もっと上を目指していただきます。このレベルの発音というのは、聞き手が相手の言葉を「音声からそのままストレートに意味を理解している」のではなく、「本当は何が言いたいのか」を想像しながら耳を傾け、相手の「不適切な発音」を一旦自分の頭の中で「本来の発音」に変換して言い直し、その言い直した発音に耳を傾けてやっと理解しているものです。

 それが短い時間の会話なら特に大きな問題は生じません。少なくとも日本人というのは外国人が日本語を話すことを期待していませんから、強い訛りであっても「日本語を学んでくれた」という感謝と尊敬の念を持って、根気よく頭の中での音声変換を続けるかも知れません。

 しかし、そういう頭の中での音声変換を一旦経てから理解される発音というのは聞き手に強いストレスを与えます。特にこのレベルの発音技術で早口で話されますと、頭の中の音声変換がついていけなくなり、そうなるともう通じなくなります。話し手としては自分の発音の問題点に気づいておらず、強い訛りながらもスピーディに話せることが「流暢さ」であると思い込んでいるわけです。発音に問題意識を持たず「これまで十分通じてきた」という経験をもって「自分の発音は十分実用に耐えるから、あえてこれ以上の上達を目指す必要はない」という考え方の人は、相手に与えている強いストレスに気づいていません。さらに早口が流暢さであるという大きな勘違いをしています。英語が流暢であるというのは決して早口で英語を話すことではありません。

 考えてみてください。日本人が子供に昔話を聞かせるように、ゆっくりとした口調で話していても、それは自然で流暢な日本語です。たとえどんなに極端にゆっくり話しても日本語ネイティブらしい自然な発音であり続けます。

 「私は昨日、母とデパートに辞書を買いに行きました」

 この日本語の文章を10秒以上かけてゆっくりと読んでみてください。こんな短い文章を10秒以上かけて読んでもあなたの発音は日本語ネイティブのものであり、自然で流暢なのです。とてもゆっくり読もうとするとき、おそらくは:

 「わたしは、、、、ははと、、、、でぱーとに、、、じしょを、、、かいに、、、いきました」

 というような意味の区切りを特にはっきりと開けて、同時にそれぞれのフレーズの中でも一定のペースを保って、全体的にゆっくりと発音したのではないでしょうか。

 「ゆっくり」だからといって、次のように発音されると非常に意味の聞き取りにくい読み方になります:

 「ワ、、、タ、、、シ、、、、ワ、、、ハ、、、、ハ、、、ト、、、」

 このような読み方は、たとえゆっくりであっても聞き手は「聞き取りやすい」とは感じず、むしろ一定の長さまでの音を耳にしてから、あらためて自分の頭の中で「私は、、母と、、」のように言い直しを行うことでやっと意味が把握できるようになるものです。

 意味の伝わりやすい発音というのは、母音や子音という音が正確であるだけでなく、一定の意味の区切りの単位をある程度まとまって発音し、次の意味の区切りに移る前に十分な間を置いてあげる読み方です。そしてこれは英語の読み方においてもまったく同じことが言えます。

 発音の上達を目指す人は、どうか早口を避けてください。むしろ「ゆっくりはっきり丁寧に」を心がけ、「音そのものをきちんと正しく出す」ことからはじめてください。最初から早口で練習すると母音や子音1つ1つの音が荒削りになり、改善すべき発音上の問題点に気づきにくくなります。日本語ネイティブが読む日本語の文は、どんなにゆっくり読んでも「いかにも日本人が読んだ文」だという印象を与え続けるように、英語を話すときも、特に最初の段階では努めてゆっくりはっきりと、英語ネイティブがわざとゆっくり話しているように発音することで、本当の流暢さが身につきます。ゆっくりの発音の方がごまかしが利かない分、細かいところまで完成度の高い発音が身につくのです。スピードを上げるのはいつでもできます。音が不完全な英語のまま早口で話されることが、聞き手にとっていかに大きなストレスを与えているかを考えましょう。話している本人だけが「自分は英語が流暢だ」と思い込んでいても、聞き手はその言葉の意味の大半を聞き取れずにいるのでは何の意味もありません。

 では、ゆっくりはっきり発音しているつもりなのにどうしても通じないという発音はどこに問題があるのでしょうか。英語話者と会話してみたけど、なぜか自分の発音が通じなかったという経験をお持ちの方もきっといらっしゃることでしょう。

 通じない発音にありがちな傾向性としては:

  1. 英単語を「英語の発音」によってではなく、「カタカナで書き表した発音」で読んでいる。その結果、そこにある音を出しておらず、ない音を沢山混ぜた発音となり、英語話者の耳には伝えたい単語とかけ離れた音に聞こえているため通じない。
  2. 母音や子音は通じる範囲内の音が出せているのに、強く読むべき箇所、弱く読むべき箇所が違っているため、意味が正しく伝わっていない。
  3. 意味の区切りが不自然なため、聞き手が理解するに時間がかかり過ぎている。これは「弁慶がナギナタを持って」というのを「弁慶がな、ギナタを持って」というようなものであり、本来切るべきところと、まとめて読むべきところの適切な判断ができていないときに起こります。

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 上記3点について、もう少し詳しくお話しましょう。個別の問題についてはこの後の発音記号解説などで学んでいただきますが、発音上達に向けての目安となる指針を持つ上での参考となればと思います。

 発音上達を最も妨げる大きな要素は「耳から入ってくる英語の音を勝手に日本語の音に置き換えて聞いてしまい、自分が発音するときもカタカナ読みで済ませてしまう」というものです。これは極めて重大な悪癖であり、まずはここから脱却しないと上達は望めません。特に「自分の今の発音でも会話ができている」と思い込み、相手にどれほどのストレスを与えているかに気づいていないとこの悪癖から抜け出す必要性を感じないため重症となります。

 また本サイトでは EnglishCentral との連携によるオンラインスクールを開講しており、ビデオのセリフを自分でも発音し、音声解析による発音の評価を受けられるシステムがあります。その際、「どういう点に留意して発音すればよりよい評価になるか」を知るポイントとなります。
 EnglishCentralのビデオの音声解析発音評価システムをちょっと体験してみてください。右のサムネイルをクリックすると別ウインドウに動画が現れますので、「見る、学ぶ、話す」の順番で進めてみましょう。(なおこの機能を使うにはマイク [ マイク付ヘッドセットが使いやすいでしょう ] が必要です。)

 英語と日本語は別言語ですので、基本的に母音も子音も「完全に共通の音はまったくない」という認識を持ってください。日本語の音で置き換えてもほとんど支障のないものも確かにありますが、pen の語尾の「 n 」の音が日本語の「ん」だと思い込んでいたり、実は大きく違う音を「置き換えても構わない」と間違って思い込んでいることもままあります。ですから「気持ちを白 紙にして」すべての音素(母音、子音)を1つ1つ、習得しようとする構えで臨んでいただきたいと思います。

 日本語は声の高い・低いによって意味をコントロールするタイプの言語です。それに対して英語は声の強弱も重ねて用います。どちらも広い意味での「アクセント」というのですが、日本語は「高低アクセント(Pitch Accent)」、英語は「強弱アクセント(Stress Access)」という違いがあり、単語のどこを強く読むかで意味まで大きく違ってくることがよくあります。極端なことを言いますと、発音が多少間違っていてアクセントが正しい場合と、発音は合っているがアクセントが違う場合で、通じやすいのは前者なのです。それほど英語のアクセントは意味の伝達に重要な役割を果たします。

 切るべきところを区切り、つなげるべきところをつなげて読むのは「母は、昨日、デパートに、買物に」というようなまとまりごとの間に時間的切れ目を置くということで、これにより聞き手は「それまでに耳に入ってきた情報を整理して次の情報に耳を傾ける準備が整う」ため、ストレスなく自然に意味を把握し続けることができます。

 ここまで述べたことは概論であり、このあと徐々に個別の解説に入っていきますので、まだ理解が多少漠然とした状態であっても心配はいりません。そのまま読み進めてください。

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音の単位

 母国語の発音習慣から抜け出すというのは案外難しいことです。日本人は日常的に「母音」と「子音」を感覚的に区別していません。日本人にとって「1つの音」は平仮名やカタカナで書き表したときの「1文字」という感覚があり、だからこそ「逆さ言葉」で「しんぶんし」の逆も「しんぶんし」と考えられているのです。

 すでに母音と子音というものを知識としても感覚としても明確に区別できている人はそれでよいのですが、中学生などにその区別を聞かれたとき「『あいうえお』が母音だ」では納得のいく説明とはならないでしょう。音声というのは目で見たり手で触れたりできないものなので、なかなか説明の難しいところがあります。

 そこでここでは「母音」と「子音」の感覚的な識別ができるようになるために、音声波形を用いて、簡単な日本語の単語がどういう音で構成されているのかを見てみることにしましょう。

 「すし」というたった2文字の単語を「逆から発音」したらどうなると思いますか?いわゆる「逆さ言葉」的な発想からですと「しす」ですよね?では、「すし」という音声を録音し、逆再生したらどう聞こえるでしょうか?あるいはどういう音声を逆再生したら「すし」となって聞こえてくるのでしょうか。

 まず上のプレイヤーで、普通に「すし」と発音した音声を聞いてみてください。その音声を波形表示したのが下の図です。

sushi

よく見ると4つのふくらみが並んでいるのがわかりますね?左から右へと時間が経過していますので、「すし」という言葉に含まれる / s-u-ʃ-i / という4つの音が連続的に現れているわけです。( / ʃ /というSを縦に引き伸ばしたような記号はローマ字の sh の音に相当します。)

 日本語では「す-し」という2文字で表記されていても、音としては「子音-母音-子音-母音」という4つが出されていることが視覚的に確認されます。

 それでは機械的にこの「すし」の発音を逆再生させてみましょう。はたして「しす」と聞こえるのでしょうか。上のプレイヤーで、さきほどの「すし」の音声を逆再生したものを聞いてみてください。

sushi-reversed

 いかがですか?どう聞いても「しす」とは聞こえませんね。これは最初に確認した「4つの 音」が逆に再生されたため、左の図のように「すし」を構成する / s-u-ʃ-i / の音が後ろから 順番に聞こえてくるからです。つまり / iʃus / という音の並びとなって再生されているわけ です。これが音声学的な本当の「逆さ言葉」なのです。

 このように音声を考えるとき「かな表記」では表現できないことが分かります。この「すし」という、仮名で表記してたった2文字の短い言葉でさえ、母音と子音を個別に認識していないと逆の発音は想像がつかないものなのです。

 これはずっと昔にテレビでみたのですが、どこかの外国の人で非常に変わった特技を持った人がいまして、その人は何かの歌を「音声学的に逆に歌える」という技を持っていました。普通にその人が肉声で歌うのを聞いていても一体何の歌を歌っているのか聞いている人にはまったく分からないのですが、その歌を録音し、機械的に逆再生してみるとちゃんと原曲のメロディに乗せた歌詞が歌われているのが分かるという離れ業でした。歌詞のないメロディだけを鼻歌か何かで逆にくちずさむことは楽譜が読める人なら可能です。

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実際、1枚の楽譜を1人のピアニストが普通に演奏し、もう1人が同じ楽譜を上下逆にしたものを演奏し、それがちゃんとした音楽に聞こえるという非常に不思議な曲もあります。有名なモーツアルト(一説には作曲者不明)が作ったといわれる楽譜が、左下の図です。これを演奏した様子を「回文的逆行可能なカノン」というサイトで聞くことができますので興味のある方はお試しください。他にもバッハなど有名な作曲家が同様の試みをし ているようです。 (なお左の挿絵は「フラクタル音楽」マーチンガードナー著/丸善」という書物からの引用とのことです)

 さて少々話が横道にそれましたが、日本語の仮名で1文字として表記される音であっても、「 あいうえお」以外はすべて「子音と母音」の組み合わせに対して1つの文字が当てられているということが理解できましたでしょうか。

 ということは、英単語の発音をカタカナによって書き表そうとしてもそこには常に「余分な母 音」が割り込む可能性があるということです。英語は基本的に母音と子音を個別に文字化します し、日本語と違って子音だけが(間に母音を挟まず)連続することも非常に多くありますし、単語の末尾が子音で終わることもごく普通に見られます。そういう「子音だけ」の音をどう工夫しても日本語の仮名では書き表せないわけです。

 英語の発音そのものについての学習ではまだないのですが、理解を深めるためにもう1つ日本語で別の例も見ていただきましょう。

 さきほど「すし」を逆に読んでも「しす」でないことを目と耳で確認しましたね。ですから「しんぶんし」は逆に書けば「しんぶんし」であっても、逆に発音すると / ʃimbunʃi / の逆として / iʃnubmiʃ / となります、これを発音したら「いしゅぬぶみしゅ」みたいに聞こえるでしょうね。とても「しんぶんし」を逆に発音したとはイメージできません。

 ところで「音声学的な見地から見ても逆さ言葉になっている地名」があることをご存知ですか?  三重県にある「津」という1文字の市でさえ、音としては / tsu / ですから逆に発音したら / ust / であり逆さ言葉になっていません。それがなんと「赤坂(あかさか)」は逆に発音してもやっぱり「あかさか」なんです。仮名を逆読みしたら「かさかあ」なのに、音の並びを反転するとちゃんと「あかさか」に聞こえるんですよ。

 ではまず上のプレイヤーで、普通に「あかさか」と発音した音声から確認してみて ください。特に何の変哲もない日本語の発音です。この「赤坂」という語はローマ字で書いて見 ても「AKASAKA」ですね。ローマ字のまま逆読みしてみてください。ほら、やっぱり「AKASAKA」 の並びになっていますね。

 では次に「あかさか」を逆再生したらどう聞こえるかも確認しましょう。逆再生では、言葉としてはちょっと不自然に聞こえますが、これは普通に「あかさか」と言ったときの抑揚まで反転されるためと、「声の出し始めと出し終わり」の切れ方が違って聞こえるせいです。それでもなんとか「あかさか」と聞き取れると思います。

 母音と子音という、仮名表記になれた日本人にとって感覚的にすぐには実感できない音。「か」という1文字ですら実は K という子音と A という母音の「連続的な発音」の結果、「か」というまとまりになって聞こえているのだという音声学的な事実。これらは言葉だけで説明しようとすると、どうしても抽象的になってしまいます。現場の指導者の皆様は、本書の例のように「具体的で目に見えて確認できる」手法を用いて学習者の根本理解を導いてあげてください。昔なら高価なオープンリールなど特殊な機材がなければ無理だった実験も、今ではノートパソコン1台を教室に持ち込めば即座に実演可能です。録音した音声をその場で逆再生して聞くことのできるソフトウェアもネットで探せば無料のものがみつかります。

 さて、日本語の仮名が、「音の単位」ではないことがもう十分お分かりいただけたことと思います。

 音としての最小単位は「母音」や「子音」という「音素」なのです。その音素ごとに対応させた文字が「発音記号」です。だから、発音記号を1つ1つしっかり習得することで、英語に用いられる音から学ぶことができるというわけです。


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