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069.音節

 これまでの学習を通じて、個々の音素(単独での子音・母音)を発音記号によって正しく発音できるようになり、さらに英語特有の音声学的現象について代表的なものをさらったことで、かなり英語的(「英語っぽい」ではない)な発音のあり方が見えてきたと思う。

 ここまでの内容について十分理解し、練習されたのであれば、英語の発音についての基礎はほぼできた状態にある。ここから先の内容は、ある意味発展的なものとなる要素も含まれているので、このまま続けて読み進めていただいてもいいし、文法について早く学びたいとうずうずしている人は、いったん、ここから先の発音関連をとばしてしまい、文法の章に進まれても結構である。折を見て、また発音について「一層の上達」を求めて、この先の内容を読んでいただくだけでもよいと思う。(この先もずっととばしたままでは、ちょっと困るが)


 さて、ここでは「音節」というものについて述べる。それほど難しい事柄ではないのだが、あらゆる英単語の音節を正しく把握している日本人はまずいないと言っていいほどだ。知識的にルールとして音節の切れ方を理解している人なら上級学習者の中にそこそこいるだろうが、かといって、その理解通りに単語の音節を守って綺麗に発音しているかは別問題とも言える。

 音節については何かを暗記することもないし、そういう知識で捉えるべきことがらではない。単語1つ1つを覚える際に、最初の段階から音節を守った正しい発音で覚えればよいだけのことだ。そして、単語の音節についてはどんな辞書にも必ずそれが表記されている
 ここから先の発音についての章を「とばして読んでもいい」と冒頭で述べたのは、そういう意味であり、正しく辞書を引き、そこに書かれている情報を「(代表的な)和訳」だけしか見ないのではなく、音節も含めてきちんと発音を確認する学習方法をとってさえいれば、特にここであらたに覚えるべきことはありませんよ、ということである。

 それではいったい誰のために音節の解説をするのか?
 それは、より正確で、より英語的な発音に対するこだわりと上達意欲を持つ人のためであり、目をつぶって聞いていると日本人の英語だと誰にもわからないくらい綺麗な英語の音を求める人のためである。
 別の項目の中でも述べたが、英語学習者は日本語訛りを恥じる必要はない。しかし、そこで言う「日本語訛り」とは「英語話者に対して、音声を通じて問題なく、素直に意味が伝わる程度の発音」であり、聞き手がいちいち、話者の発音を自分なりの発音で復唱してから意味を理解するといった手間をかけさせないものでなければならない。「訛った発音」というと悪く聞こえるが、それは決して「間違った発音」という意味ではないのだ。別のところでも言ったことだが「ある音を出し、ない音を出さない」のが通じる発音の条件であり、それを行ってもまだ、訛りは残る。そういう訛りなら問題ないのだ。

 簡単な例を1つ。もしこの例題を難なくクリアできる人なら、本当にこの音節の単元は飛ばしてかまわない。

 mother

 この単語を「音節に区切って」読んでみていただこう。「赤(あか)」という言葉なら「あ・か」となるように、mother をゆっくり目に、音の単位ごとに軽くとめるような要領で発音する。

 さて、もし mothermoth-er [ mʌ́ð-ər ] と読めた人は大合格。 発音記号に示された個々の音素は正しく発音したが、mo-therという切れ目により読んでしまった人は「訛っている」が、とりあえず合格。「ま・ざ・あ」と3音節で読んだ人、あるいは、mo- の母音、th の発音、-er の曖昧母音などのどれかがいい加減だった人は、発音についてはまだ学習・訓練が足りないということになる。

limit
method
habit
honest
woman

これらも同じ。日本語のカタカナ読みやローマ字から完全に脱却していない人は、これらを
li-mit
me-thod
ha-bit
ho-nest
wo-man
と読んでしまう。それでも通じるんですよ!でも、「それじゃ満足できない。どう読めば、これらの単語を本物の英語ネイティブのようなリズムで読めるのか、そこまで自分のものにしたい!」という人は、この音節の項を読んでいただこう。

正しくは次のような音節となっている
lim-it
meth-od
hab-it
hon-est
wom-an
 すなわち、最初の音節の短母音を発音する際、それに後ろからくっついている子音までを一気に発音し、そこで瞬間の合間があってから、後ろの音節を発音する、というのが「本当の本物」の英語の発音だ。(日本人でこの発音がきちんとできている人に出会うと「お!この人はすごい!」と正直感じる。目をつぶって聞いていると日本人だと気づかない。)

 何度も言うが、「アメリカ人のように発音したい」と思う必要などない。アメリカ英語なんて、そこまで熱を上げて憧れるほどの対象ではない(笑)。でもまあ、たとえば「英会話のチャットルームで、日本人だと信じてもらえないくらいの発音上手」を目指すことに罪があるとも言わない。
 英会話のチャットルームにも非常に綺麗な英語の発音をする日本人がそれなりにいる。しかし、それでも「英語の上手な日本人」ということは、相手が自己紹介しなくてもわかる。どこでそれを感じるかというと、ここであげた例などについて、日本人特有の音節単位を使って発音しているからだ。

 英単語の読み(発音)はカタカナで絶対に書けないと何度も繰り替しえてきたが、音節について深く学んで見ると、それが一層実感できるだろう。上記の例における第1音節だけをカタカナで書けないことはすぐわかる。まして、第1音節と第2音節をわけた状態でカタカナ書きなどした日には、「リム・イット」、「メス・オッド」、「ハブ・イット」、「オン・エスト」、「ウム・アン」になってしまい、ますます原音からかけ離れてしまう。

 英語の音節を正しく実現できるためには、「音素を単独で正しく発音できる」ことが大前提だ。あとに母音をつけないで子音1つだけを単独で正しく発音できなければ音節などとても気にしている段階にはない。

 ここまで読み進めた方はおそらくすでに個々の発音記号について十分な練習をされてきたことと思う。だからこそ、より一層の上達へ向けての意欲を強くお持ちなのであろう。かなり前置きで長く引っ張ってしまったが、いよいよ、ここから音節の分け方について解説することにしよう。

 まずは「音節」というものの基本的な考え方から確認する。

 「音節」とは、単語についての「聞こえ」の単位であり、音楽的な言い方をすれば、その単語が「何拍」で発音されるかを意味する。もっとも強く耳に入ってくる音は母音であるため、音節は母音が要となってそれを構成する。
 日本語なら、仮名で書いたとき「仮名文字の数だけ」音節があり、仮名そのものが音節単位を表しているので、実に簡単だ。俳句や短歌で「5,7,5、、、」と誰でも正しく音節を数えている。
 しかし英語は日本語のように「子音+母音」の規則的繰り返しになっておらず、子音が複数続いて発音されることもあるし、母音のあとに子音がついて音節となることもある。では、英単語における音節はどのようにしてできているのだろうか:

(1)第1音節の子音は第1音節の母音に属する。
 これは当たり前のことだ。単語の冒頭の子音だけがポツンと切り離されて、単独に音節を構成するなんてことは、世界中のどの言語でもありえない。

(2)原則として単語の音節数は、それに含まれる母音の数と一致する。
 「原則として」といったのは、例外(音節を作る子音)があるからだ。例外についてはあとで詳しく述べる。

(3)アクセントのある短母音については、その直後の子音までを1つの音節に含む。
 本項目冒頭にある例題でしくじった人はこの原則を知らなかったということ。英語における音(発音)の単位というのは母音を核として、その前後に子音がついた「子音+母音+子音」が基本構成なのである。つまり子音はそばの母音に吸着して発音される。母音にアクセントがある(母音が強く発音される)と、母音は前後の子音を強力に吸着してしまう。ただし後ろの子音まで吸着するのは短母音だけ

(4)単語の中で子音が連続しているときは、1つの子音が前の母音に吸着し、残る子音が後ろの母音に吸着する。つまり子音同士には吸着力がなく、簡単にひきさかれてしまう。
chil-dren
fan-cy
sum-mer

 summer の「 m 」は発音では1回だが、音節としては2つのを別々の音節につける。つまり非常にゆっくりと summer を読めば、まずsum-と唇と固く閉じたところまでを一気に発音し、そこから母音を読もうとすればいやでも「 m 」音からはじめることとなるからだ。

(5)アクセントのない短母音は、後ろの子音を吸着する(音声学的な)力がなく、その母音で音節が終わる。
a-bove
re-ceive
e-lect
ma-chine

 これは第2音節の母音にアクセントがあるため、その吸着力に子音が優先的にくっついてしまうからだ。

(6)母音にアクセントがあっても、長母音(2重母音を含む)の場合は後ろの子音を吸着しない。
fe-ver
mu-sic
au-thor
fa-mous
mo-ment
cli-mate
cow-ard
toi-let

 長母音、2重母音は、それを発音するのに十分な時間がかけられているため、更に次の子音まで吸着するだけの余力がないという感じ。音節は聞こえの単位であり、山のようなもの。だから山を乗り越えたあとには谷が来る。長い母音を発音し終わる瞬間がその谷のような状態になっているため、次の子音までまたがる力をもう持たないのである。
 実際、実験的に上記の例について、第1音節の長母音・二重母音に次の子音までつけて発音してみようとすれば、どんなに読みにくいかが実感できる。
 上の例の中で「coward」に注意。カタカナ的に「カ・ワード」と思わないように。発音記号を見ればわかるが、子音 [ w ] はどこにもない。cowardの「cow」というスペルが [ kau ] にあたり、ow のスペルが [ au ] 2重母音である。文字は w という子音でも読みは母音なのだ。(あえてこの単語をカタカナで書けば「カウ・アード」の方が幾分原音に近いとさえ言える)

(7)合成語は、構成要素ごとの音節がくずれることなく、それぞれの構成要素単語の音節はそのまま保たれる。
room-mate
light-house

 これも考えてみれば当然のことであり、単語というもとからある独立性が合成語になったことで崩されてしまうと、どの単語とどの単語が結びついたのかさえ聞き取りにくくなってしまう。

(8)接頭辞、接尾辞も合成語の発音に順じる。
 これは(3)の「アクセントのある母音が後ろの子音まで吸着する」ことと反するものだが、(7)の発想と同様に、接頭辞や接尾辞も(単語までは独立性が強くないが)意味の単位としての性質を持っており、それだけ音声的にも独立する傾向があるということだ。

build-ing
un-friend-ly

 building の中には「-ld-」という2つの子音が連続する箇所があるが、これが左右に分裂せず、「-ing」の部分を独立させるため、build-ing となり、これを buil-ding とはしない。 unfriendly についても、「アクセントのない第1母音」が単独とならず、否定の意味の接頭辞 un- が独立音節を作り、語尾の -ly は副詞語尾の接尾辞として独立する。

 (7)(8)については、「意味の単位を読んでいる」ということが優先されるということ。単語であっても、さらに小さな意味の単位が感じられる場合は、「意味を伝える発音」という原点に立って、それを明確にする発音がなされるということである。


 以上が音節の切れ目についてのルールである。(あえて「ルール」という言葉を使うが、もちろん「人が決めたから従う」という規則ではない。自然現象としてのルールであり、英語話者が自然に英単語を読めば、ついこうなるという傾向性をまとめたもの、という意味である。)

 日本人が英単語の音節に十分馴染み、それを自らの実感として間違いなく実現(発音)できるようになるためには、日ごろから辞書でしっかりと音節を確認し、「ゆっくりとした発音」で丁寧に、1つ1つの単語の読みを習得する必要がある。ともすると流暢な英語=早口と勘違いしている学習者がいるが、「ゆっくり、はっきりと読む」ことの方が実は難しい。ゆっくり丁寧に英文を読ませたときの方が、ずっと発音の上手下手が見えてくるのだ。「英語っぽい」発音で、流暢ぶっている人の発音は、本当に英語の音声を知るものの耳には粗雑に聞こえるだけであり、単なるごまかしに過ぎない。そしてどんなに早口でごまかしても、英語話者や英語の音声に対する耳ができているものからすれば、不自然な訛りは消えておらず、かえって発音の上達を阻害しているとすら言える。

 本当の意味での「流暢」とは、全体を均一のペースで「ゆっくり、綺麗に」読めることであり、「一部駆け足、すぐ転んで、また全力疾走」の繰り返しによる早口は、流暢の対極にあると知るべきである。

 音節の知識がどうしても必要となる場面もある:

 それはたとえば長い単語で、1行に書ききれないとき、単語をハイフンで切って、残りを次の行に回して書くことがあるが、そのときの切れ目は音節によらなければならない。(単語分割の表記はできれば避けたいものであり、特に最後の1音節だけを切り取って次の行にまわすのは文章の意味の汲み取りにも支障を来たすことがあるので、行ってはならない。数行に渡って見直し、表現を変えて文の長さを調節するか、それがだめなら書ききれない単語全体を次の行にまわしてしまうのがよい。)

 あと自分が作った曲に英語の歌詞を乗せて歌いたいとき、音符ごとに単語の音節をやはりハイフンで切って当てていくこととなる。音節がわかっていないと1拍の音符に単語をどう当てればいいかがわからない。 英語の歌は言うまでもなく正しく音符割がされているので、音節を理屈で覚えるより、洋楽に親しむ(自分で歌う)ことにより、自然と正しい音節感覚も身についてくるといえる。できれば歌詞カードだけを見て覚えるのではなく、音符に歌詞が書かれた状態のものを見ると、正しい音節の区切りも合わせて目にすることとなり、音符そのものが読めなくても英語の勉強として十分価値的だ。

 もっと高度になると、英語の詩の朗読をするのもいい。特に韻を踏んだ英語のリズムを味わえるような作品がお勧め。日本語の俳句や短歌とはまた違うが、英語の詩にも様々な音声的パターンを踏まえた形式があり、行ごとの音節数が定められていたり、アクセントの「強、弱」のパターンが故意に基礎的にそろえてあったりもする。英文学の世界になってくるので、英語も少し古いものであったり(有名なシェークスピアは生没が「1564-1616」)するが、そんな中にすら

Tiger, tiger, burning bright

のように平易な英語によるものがある。(上記は「強弱、強弱、強弱、強」で1行。いかにもリズミカルなことが誰にも理解できる)

 初級者にも簡単になじめる音声教材としては「Jazz Chant」というものがあり、これなど子供向けにも使われる(というか本来子供向けだ。)本サイトのトップページの amazon.co.jp のバナー(検索できる)で「jazz chant」をキーワードにすれば手ごろな教材がずらりと現れる。独習によし、学校教材にも向いている。難しい理屈抜きに正しい英語のリズムに親しむことができ、心地よいリズムに乗せて楽に英語の文章が覚えられる。興味のある方は一度試してみていただきたい。



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070.音節子音

 「音節」というのは、その単語に含まれる「母音の数」だけある。これが原則、というかそれ以上に鉄則と呼んでもいいと思う。私が音節からイメージするのは、数珠繋ぎにつながったソーセージの姿だ(笑)。ふくらんだ部分の核として母音があり、それを音の単位として複数の音節がつながって単語になっている。音節の切れ目を表すハイフンがちょうどソーセージのつなぎ目部分というイメージがある。

 アクセントのある母音は、その音が明確に発音され、二重母音や長母音などのきわだった特徴を示すこともあるが、音節にアクセントがないと、そこに含まれる母音は不明確な音になり、曖昧母音へと変化する場合が多い。曖昧母音にとどまらず、さらに「音の谷間」となると母音そのものが、ほとんど(あるいは完全に)脱落してしまうことさえある。

 しかし、母音が脱落したあとも、その音節に比較的「聞こえの強い」子音があるときは、そのまま音節としての聞こえを保つことができる。そのような性質を持った子音を「音節子音」という。これはあくまで「もともとそこに曖昧母音があった」ものであり、子音音節に曖昧母音を含ませて発音することも決して間違いではない。

 また、ある音節に母音をしっかり発音するか、曖昧母音にするか、子音音節にまでしてしまうかについては、個人差もあり、1つの単語について何通りかの発音が許容の範囲内とされることもある。

mountain

 この単語はスペルから見てもわかるとおり、音節ごとに、わざと非常に強くはっきりと読もうとすれば、
[ máun ] - [ téin ]
と読みたくなるつづりをしている。しかし第1音節にアクセントがあるため、第2音節の母音は「いい加減」に発音されることとなり、[ei] の二重母音が [i] という短母音に変化する(第1ステップ)。

 次いで、第1音節と第2音節の強弱の差がもっと極端になってくると、第2音節の母音が [ ə ] の曖昧母音になる(第2ステップ)。

 さらに第1、第2音節の強弱が極端になれば、ついには第2音節の母音が消滅(聞こえなくなる)して [-tn] という子音だけの音節となってしまう(第3ステップ)。

[ máun-tin ] [ máun-tən ] [ máun-tn ]

 上記、第1,2,3ステップの [ -tin ] [ -tən ] [ tn ] という発音はいずれも実際に用いられており、すべてが正しい発音と認められている。ただ辞書によってこれらすべての発音を表記しているかどうかは一定でないようだ。

 mountain の第2音節 [ -tn ] では、 [ n ] 音が聞こえの強い有声音であることから、母音脱落後も、それを音節として支えているということである。

 他に(曖昧母音までが脱落して)子音だけで音節を構成している例をみてみよう。
lit-tle [ lítl ]
med-al [ médl ]
peo-ple [ píːpl ]
pen-cil [ pénsl ]
sud-den [ sʌ́dn ]
but-ton [ bʌ́tn ]
lis-ten [ lísn ]
sea-son [ síːzn ]

 また単語だけでなく「can go [ kn góu ] 」のように文章中に、前後の単語でアクセントの強弱が極端となり、母音が脱落するケースもある。母音が脱落するということは、そこにアクセントがないということであり、それはすなわち、その部分に意味的な重要性が少ないということでもある。あるいは、「聞こえの弱さ」を前後関係から容易に補って意味を汲み取れる部分であるといえる。

 辞書によっては、 [ ə ] が脱落したり、しなかったりする音節について、 [ ə ] をイタリック体で表現しているものもある ( [ ə ]) 。イタリック体の曖昧母音は、それを発音してもいいし、まったく発音せず音節子音として発音してもよい、という意味だ。(あるいは [ (ə) ] というふうに曖昧母音を括弧に入れて表記する辞書もあるが、意味は同じ。)

 よく注意してみると、日本語にも「音節子音」と類似した現象があることに気づく。

  1. 「~です」 desu の「す(su)」を多くの人は「」と子音だけで発音している。
  2. 「まったくその通り」の「まったく」でも「く」の母音がかすれた音になっていたり脱落していたりする。
  3. 「失敗(しっぱい)」の中の「し」も声帯の振動なく発音されており、[shp-pai]となっている。

 このように日本人も無意識のうちに、あちこちで母音消失(かすれ母音)を起こした発音を用いている。外国人がローマ字に忠実に日本語を読むと、どこか訛って聞こえるのは、日本人なら発音しない母音まで律儀に有声音として発音することがその理由だったりもする。

 日本人が英語を発音する際、この日本語における発音習慣をそのまま英語の中にまで引っ張り込んでいる例もあるのだ。当然、その箇所には「日本語訛り」が感じ取られる。これは英単語をついカタカナ読みする悪い習慣が背景にあることは言うまでもないのだが、かなり英語の上手な人でさえ、知らずのうちにこれをやっている例がある。

Chicago(地名:シカゴ)

 喉に手を当てて、この Chicago をゆっくり目に発音してみよう。
[ ʃiː-kɑ́ː-gou ] という3音節だから、それぞれの音節には母音があり、そこで声帯の振動を手に感じるはずなのだが、日本人がこれを読むと「sh-ka-go」というふうに第1音節の母音を(英語では脱落しないのに)発音していないことがほとんどだ。
 Chicago を正しく英語として発音するためには、第1音節の母音もちゃんと発音しなければならず、喉に当てた手に振動をしっかり感じるまで Chi- の部分で母音をきちんと出す必要がある。意識的に「シーカーゴウ」と「Chi-」の部分を長めに発音することで母音の有声音がきちんと出せるようになる。

 日本人が普通に「シカゴ」というリズムと英語の「Chicago」とをよく聞き比べてほしい。
Chicagoの発音



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071.音節についての余談(外国人の日本語発音が訛る理由)

 これは英語の学習からは少し外れた話題となるが、日本語と英語の音声を客観的に比較することから学ぶものも多い。立場を変えて考えてみることから、自分の英語が英語ネイティブにどう聞こえているかの予測もつくというものだ。

 たとえばアメリカ人が片言の日本語を話したら、日本人はその発音からすぐに「日本人ではない」と気づく。
 「こんにちは」をローマ字で教え、konnichiwa と書いてあげても、アメリカ人の多くはそれを「カニチワ」と発音する。英単語を日本人がカタカナ読みするように、日本語を英語風に発音してしまうのだ。

 「こんにちは」は5音節である。ゆっくり読めば「ko-n-ni-chi-wa」であり、日本語特有の現象として「」という子音が1音節を作っている。日本語の音節単位は「子音+母音」であるのに対して、英語では「母音が前後の子音を吸着する」ため、英語話者は「こんにちは」を「kon-i-chi-wa」としてしまうわけだ。「こ」の母音もアメリカ英語なら「hot」の「o」であり、日本人には「」に聞こえる。

 外国人(特に英語話者)に日本語の発音を教えるためには「ん」が音節となることをまず伝え、その発音の練習が必要となる。「こんにちは」を5音節のリズムで読むことに、英語話者は結構苦労するものなのだ。

 日本語で「促音」と呼ばれるもの(小さな「っ」を使う音)があるが、これも英語にはない。
 「やっぱり」は「やぱーり」になり、「鳥取(とっとり)」は「ととーり」になってしまう。
 日本語の促音とは、実際には「無音の音節」であり、直前の音節を発音したら、続く子音を発音する口の構えだけ作って(その子音を破裂させず)、「1音節分の時間」を無音で過ごすのである。つまり
「やっぱり」 yap-(無音)-pa-ri (4音節) <第1音節の[p]は無破裂>
「とっとり」 tot-(無音)-to-ri (4音節) <第1音節の[p]は無破裂>
「はっきり」 hak-(無音)-ki-ri (4音節) <第1音節の[k]は無破裂>

と私たちは発音している。英語に「無音の音節」はないため、yappari というスペルを見ても、そこに見える母音は3つだけであるため、英語話者ならこれを3音節でしか発音しない。yappari というスペルからは、いかにも「-pa-」にアクセントがあるように見えてしまうため、それが一層の英語訛りを生み出す。

 ちなみに英語のアクセントは「ボリューム・アクセント」あるいは「ストレス・アクセント」といって、音節ごとの音量の大小によって区別される。それに対して日本語は「ピッチ・アクセント」といって、音の高低が問題となる。たとえば、ピアノで同じ鍵盤を3回たたいても、強さを変えれば、英語のアクセントが表現できる。一方、日本語のアクセントは、同じ強さで「ドレド」と「レ」を混ぜることで、そこにアクセントを置くことになる。

 このサイトは外国人に日本語を教えることを解説するものではないので、この話はこのへんにしておくが、外国人が日本語の発音で苦労するところや間違えやすいところを知ると、立場を逆にして我々日本人が英語の発音で注意すべきポイントもよりはっきりと見えてきたりする。(これは文法についても言えることで、外国人に日本語文法の説明をしてみると、英語と日本語の論理構造などがどのように違っているかを再認識できる。また、その言語のネイティブだからといって、母国語についてしっかりした説明がそう簡単にできるものではないことにも気づき、過度の「ネイティブ信仰(英語ネイティブに聞けば英語のことはわかる。英語について英語ネイティブの言うことは正しい)」がいかに意味のないことかも理解できるだろう。



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072.かぶせ音素について

 これまでアクセントという一般的な呼称で「単語の強く発音する部分」を呼んできたが、ここではもう少し専門的に正しい用語を用いることとする。もちろん、学習者の皆様は、用語にしばられることなく、むしろ内容自体を学んでいただきたい。

 英語の発音を小さな単位にくだいていくと、子音母音という個別の「音素」になり、それらの音の出し方については、一連の発音記号解説の中で述べてきた。この「音素」という発音上の最小単位であるが、「どんな音」というだけではなく、「どんなふうに発音する」かという側面まで含めて考えることができる。
 この「どんなふうに」という要素が「かぶせ音素」と呼ばれるものであり、同じ音素であっても、弱めに発音した場合と強く発音した場合とを分けて考えることができる。
 つまり「ものの形」に「色」という要素を加えるようなものである。同じ形をしたものであっても、色が違えばまた別のものとしての扱いを受けるように、言葉においても、「文字表記上はまったく同じ」単語や文章が、かぶせ音素の違いにより違う意味を表現することになる。

 言語の実態は音声であると冒頭に述べたが、であるとするならば、「かぶせ音素」の違いもまた「意味の違い」をもたらす重要な要素といえる。
 また「発音にも文法がある」という意味の言葉を前で述べた。話者の意図・心理が音声によって表現されるわけであり、文字に書き表した限りではまったく同じに見える英文であっても、それを「どう読むか」で意味が大きく違うことも多い。発音を軽視し、テキストの字面だけを通じて文法を捉えてきた学習者は、もっとも肝心な「話者の心理」を度外視して、そこに並んでいる英単語の語順や構文だけで意味を操ろうとする。それでは生身の人間の言葉には永遠に手が届かない。

 もちろん、文語体(書き言葉)として、あくまでも字面の違いを通じて、意味の差異をはっきりと訴えなければならないこともあり、直接音声を読み手に届けられない文字だけを通じてコミュニケーションを図ろうとするときには、語順や構文のみを通じて自分の意図を表現する手法にも長けていなければならない。しかし、そのような場合においてすら、書かれた文章は「(黙読といえども)読み上げられてはじめて意味を発する」ということを忘れてはならない。

 さらに日常的な会話となれば、あえて難解でもってまわって難しい言い回しを使うより、「音声」という明確な手がかりを活用して、自分の意図を相手に伝えることができる。現実の会話においては、音声、表情、しぐさなどあらゆる要素が「文章の一部」とすらいえるのである。 ここで学ぶ「かぶせ音素」は特に口頭での会話を正しく理解する上で必要不可欠な理解であり、自らが英語を話し能動的に使いこなすためにも極めて重要なものといえる。英語を実用的な技能としたいと願望する学習者にとっては、非常に重要な課題を与えるものである。

 「かぶせ音素」には「強勢(ストレス)」と「抑揚(イントネーション)」の2つがある。

1、 「強勢(stress)」とは、単語の中のどこ、あるいは文章の中のどの単語を強く発音するかのことである。すなわちさらに細かく「語強勢」と「文強勢」にわけて解説される。

2、「抑揚(intonation)」とは、文章全体を通じてのメロディのようなものであり、「強勢」が音の強弱に関するものであるのに対して「抑揚」は音の高低について扱うものである。

 以下の項目では、順次、かぶせ音素の「強勢」と「抑揚」について、さらに細かく分けた内容を解説していく。


073.語強勢(1)(基礎編)
074.語強勢(2)(複合語)

075.文強勢(1)(基本パターン)
076.文強勢(2)(その他)
077.文強勢(3)(弱形と強形)
078.文強勢(4)(発音と文法)
079.文強勢(5)(英語のリズム)

080.抑揚(1)(ピッチ)
081.抑揚(2)(連接)
082.抑揚(3)(下降、上昇、水平)



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073.語強勢(1)---基礎編

 単語には音節があり、音節が母音を中心に発音されることはすでに述べた。単語が複数の音節から成り立つ場合は、その語に含まれる母音について発音の強さが異なる。つまり特に強く発音される母音を含む音節と、それより弱く発音される母音を含む音節があるということになる。

 単語の発音については、まず「最も強く発音する母音」を意識することが大切であるが、3音節以上の長い単語になってくると、音節ごとに発音される強さの順位が異なることとなり、「第1、第2、第3」までの強勢として、発音の強さの順位を区別するようになってくる。
 極めて厳密に言うとすれば、音節の数だけ強勢の順位があるとも言えるが、一般的な人間の聴感上、現実に存在するすべての音節ごとの強勢の違いを表記しても意味がない。そのため、発音表記としては、第1から第3までの強勢と無強勢の音節の4種類を表記するに留めるのが実用性に寄与する分析と言えるだろう。

 3音節以上の英単語について、辞書では第1、第2強勢の2つまでを記してあるのが普通だ。アクセント符号のついていない母音は強勢がないということ。

 単語の発音だけを考えるなら、第1、第2アクセント(と無強勢)が区別できれば十分であるが、文章全体として考えると、そこに含まれている単語ごとの意味の重要性の順位が、もう少し複雑になってくるため、音声的にも、もう1段階の強勢の順位を加えた方が便利なこともある。
 強勢を現す符号としては、日本人の英語学習者がもっとも普通に目にするのは、「右上がりアクセント(例: [ ʌ́ ] ) 」と「左上がりアクセント(例: [ ʌ̀ ] )」の2種類。右上がりが第1アクセントで最も強い強勢を表し、左上がりが第2アクセントで、第1よりも弱めながらも、そこにアクセントがあることがはっきりと聞き取れるものだ。
 この項目の中では、発音記号としては、上記の符号を用いるが、
 単語のスペルの中でアクセントを表すときは、
 第1アクセントを「赤字+音節の後ろに(')」、
 第2アクセントを「音節の後ろに(')のみ」、
 第3アクセントを母音にアンダーラインをつけて表現することとする。
 これは理屈として暗記するのではなく、意味としてどういう場合に強勢がくるものなのかを感覚として理解してほしい。

[ whait haus ] という発音記号で表記できる単語について、意味の違いが次のような強勢の差となって現れる。

1, whi'te hou'se (白い家)
2, Whi'te House (ホワイトハウス<固有名詞>)
3, Whi'te house (ホワイト宅; ホワイト氏の家)
4, whi'te hou'se (<黒ではなく>白い家)

強勢についての原則的な考え方

(1) 具体的に何かを表す名詞というのは、文章の骨格的な存在であり、特に初めて文章に登場するとき(新情報)は、その言葉を明確に相手に伝える必要性が高いため、そこに強勢が置かれることとなる。
(2)それに対して、名詞を修飾する形容詞は、補助的な意味を添えているだけであり、句の中心核となる名詞に比べると意味の重要性が大きく異なる(小さくなる)。

 上記(1)(2)が最も典型的にあてはまっているのが、1の例「白い家」である。「house(家)」は意味の中心となる語であり、はっきりとした強勢が置かれるが、white は、言うなれば「ついでに添えておく」程度の意味の強さしか持っていない。だから4つの white の中では最も弱い強勢となっている。

 2の「ホワイトハウス(大統領官邸)」は、単語2つで1語扱いとなるものであり「White House」で固有名詞だ。間にスペースがあるが、それも含めて単語のスペルのようなものと考える。要するに1つの名詞がそこにあるだけ、と感じ取られているため、強勢は前の音節だけにある。

 名詞の強勢が前の音節にあるということは、概ね英語の語彙全般について言えることで、同じスペルで名詞と動詞を兼ねている語などは「名前動後」というキーワードで強勢を覚える人も多い。ただしもちろん例外もあるので万能のルールとまでは言えないが、それを原則としておいて、例外に注意を払うという覚え方は適切だと思う。
 たとえば次のような語については、そのルールが当てはまる:

contest
increase
object
protest
record

 さて、3についてだが、White が人名(固有名詞)で、house は普通名詞。句全体としての意味を考えると「家」であることより「住民、所有者」である「White氏」の方に重きが置かれるため、White に第1強勢がある。そして「house」の方は、名詞なので軽めではあるが、第2強勢となる。
  2では1つめの語(White) のみに強勢があり、2つめの語(House) は第3強勢という、さらに軽い強勢となっている。そのことにより聞く側は、1つの名詞を耳にしたという印象が強くなる。しかし3は、「名詞+名詞」という組み合わせながら、あくまでも2語である。そのことが両方の単語に強勢を与える。2語それぞれに強勢がある語を聞けば、聴感上も「2つの単語を聞いた」という印象となるわけである。

 以上の解説は「暗記」してはならない。知識として覚えるだけでは何の意味もない。そのような強勢の使われ方を聞いたとき、そういう意味を感じとり、自分自身がそういう意味を言い表したいとき、そのような強勢により発音したくなるという感覚・習慣を身につけてはじめて意味を持つ。まずは代表的サンプルを繰り返し練習して、無意識につかいこなせるようになっていただきたい。

 4は、字面的には1とまったく同じであるが、話者の意図(言いたいこと)が違ってくると、その意味の違いが音声に現れる例である。さきほどの1は、たとえば単に「丘の上に白い家があります」と普通に述べた言い方であり、特にどこかを強調しようという意図がない。それに対して4は、「いつくかある家の中でも「白い」という特徴で区別されるあの家」という意味をこめた場合であり、「white」が形容詞であっても、1に比べると情報的重要性が増していることが理解できると思う。
  そして名詞 house は1と同様、句の核として第1強勢が置かれつつ、形容詞 white にも比較的強い強勢(第2強勢)」が置かれているということだ。通常の形容詞にしては強い強勢であることが、その箇所を強調している意図を伝える

 以上について、「意味と音声」がどう連動しているか、話者の心理がどのように強勢をもたらすかという原則を理解すればよい。英単語、英文を発音するときは、機械的に読み上げるのではなく、自らがその単語や英文を発する必要にかられて音声にした話者そのものの気持ちになることが、重要である。典型的な例を通じて、自分自身が何を言いたいとき、どう発音するべきなのかという要領を習得してほしい。頭で覚えるのではなく、「思わずそう読みたくなる」ようになるまで練習することが大切なのだ。文章を読み上げるとき、上記のような強勢のコントロールができれば、非常に意味の伝わりやすい英語を話せるようになる。
 英語学習者の多くが目指す「流暢な英語」とは、アメリカ訛りを真似た早口の英語ではなく、このようなポイントを押さえた「意味と音声が自然に連動する英語」であり、話者の意図(心理)が音声のスピード・強勢・抑揚などと表裏一体となって適切にコントロールされるものであり、そのようにして英語を話すとき、英語は「テキストの例文を暗誦しただけのもの」ではなくなり、あなた自身の言葉となる。あなたは日本人のまま、英語のセミ・ネイティブに一歩近づいたと言えるのである。それが「意味伝達の力が強い英語」すなわち本当の意味での「流暢な英語」なのである。

 強勢の原則をふりかえってみよう:

  1. 重要な情報は、強く、はっきり、ゆっくりと発音される。その中心が名詞である。
  2. 見かけ上2語から成り立っていても、全体で1個の名詞という扱いを受ける場合は前の音節だけに強勢がある。(そのように発音することで、2語全体を1語の名詞扱いしているという意味が明確になる)
  3. 補足情報(修飾語)は、特にそれを強調する必要がない限り強勢が置かれないが、他の語との対照など、単なる添え言葉以上の意味を持たせているときは、核となる名詞ほどではないが、それに次いだ強勢が置かれることとなる。(本来不自然な強勢であることが、強調の意図を伝える)

 これらの原則を読み、「なるほど、そりゃそうだな」と納得いくようなら問題ない。あなたは発音の要領について、英語話者と同じ感覚によって強勢のコントロールができる状態にある。少しでもまだ腑に落ちないところがある場合は、上記 white house の4つの例についての読みわけをじっくり読み直し、その要領を自分の感覚に取り込めるまで練習してほしい。



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074.語強勢(2)---複合語

 前の項で扱った「white house」の理解をそのまま次のような例にあてはめて考えることができる。以下にあげる例は「複合名詞」と呼ばれるもので、すべて1語の名詞扱いとなる。従ってその意味ではアクセントが常に最初の音節にある。

 2語に分けた発音(後ろの単語に強勢を置く発音)をあえてすると、意味が違ってしまうことに注意。中には「意味をなさなくなる」例すらある。

  1. 形容詞+名詞
    blackboard [ blǽkbɔːrd ]  黒板 / black board [ blæ̀k bɔ́ːrd ]  黒い板  
    blackbird [ blǽkbəːrd ]  (鳥の名称) / black bird [ blæ̀k bə́ːrd ]  黒い鳥
    (※)blackbirdとは「つぐみ」や「むくどり」の一種の名称
    greenhouse [ gríːnhaus ]  温室 / green house [ grìːn háus ]  緑色の家  
    darkroom [ dɑ́ːkrùːm ]  暗室 / dark room [ dɑ̀ːk rúːm ]  暗い部屋  
    shorthand [ ʃɔ́ːrthæ̀nd ]  速記 / short hand [ ʃɔ̀ːrt hǽnd ]  短い手  

  2. 動詞+名詞
    flashlight [ flǽʃlàit ]  閃光 / flash light [ flæ̀ʃ láit ]  光を一瞬放つ
    playhouse [ pléihàus ]  おもちゃの家 / play house [ plèi háus ]  ままごとをする
    passport [ pǽspɔ̀ːrt ]  旅券 / pass a port [ pæ̀s ə pɔ́ːrt ]  港を通過する

  3. 名詞+動詞
    daybreak [ déibrèik ]  夜明け / the day breaks [ ðə dèi bréiks ]  夜が明ける
    earthquake [ ə́ːrθkwèik ]  地震  / the earth quakes [ ði ə̀ːrθ kwéiks ]  大地が揺れる

  4. 動詞+副詞
    cookout [ kúkàut ]  野外調理する食事 / cook out [ kùk áut ]  野外で調理する
    lookout [ lúkàut ]  見張り / look out [ lùk áut ]  気をつける
    makeup [ méikəp ]  化粧 / make up [ mèik ʌ́p ]  化粧する
    takeout [ téikàut ]  持ち帰り / take out [ tèik áut ]  持って帰る

  5. 名詞+名詞
    armchair [ ɑ́ːrmtʃɛ̀ər ]  肘掛付の椅子
    baseball [ béisbɔ̀ːl ]  野球
    classroom [ klǽsrùːm ]  教室
    handbag [ hǽndbæ̀g ]  ハンドバッグ
    drugstore [ drʌ́gstɔ̀ːr ]  ドラッグストア
    bookstore [ búkstɔ̀ːr ]  書店
    notebook [ nóutbùk ]  帳面
    department store [ dipɑ́ːrtmənt stɔ̀ːr ]  デパート
    tennis ball [ ténisbɔ̀ːl ]  テニスボール
    tennis court [ téniskɔ̀ːrt ]  テニスコート
    night club [ náitklʌ̀b ]  ナイトクラブ
    police station [ pəlíːs stèiʃən ]  警察署
    wrist watch [ rístwɑ̀tʃ ]  腕時計
    seat belt [ síːtbèlt ]  シートベルト
    wedding cake [ wédiŋkèik ]  ウェディングケーキ

    後ろの名詞を第1強勢とすると意味が不自然になる例
    smoking room [ smóukiŋ rùːm ]  喫煙室
    [ smòukiŋ rúːm ] で「煙を出している部屋」という意味
     
    driving school [ dráiviŋ skùːl ]  運転教習所
    [ dràiviŋ skúːl ] では「車を運転している学校」!?
     
    dancing school [ dánsiŋ skùːl ]  ダンス学校・教室
    [ dànsiŋ skúːl ] では「踊っている教室」!?
     
    sleeping car [ slíːpiŋ cɑ̀ːr ]  寝台車
    [ slìːpiŋ cɑ́ːr ] では「眠っている車」!?

  6. 1語としてまだ確立しきれていない2語単語や、1語につづってしまうと読みにくくなるものなど、ハイフンでつないで表記するもの
    looker-on [ lùkər-ɔ́n ]  見物人
    passer-by [ pæ̀sər-bái ]  通行人
    brother-in-law [ brʌ̀ðərinlɔ́ː ]  義理の兄(弟)
    brother-in-lawの「 in 」に第3アクセントがある

  7. それとは逆にもともと2語から成る複合語だったという意識さえ失われているもの
    breakfast [ brékfəst ]  朝食
    cupboard [ kʌ́bɔːrd ]  食器棚

 この項目で扱った内容は多くの文法書でも解説されているが、「文法事項」としてアクセントの位置を扱うと、どうしても「決まりごと」して受け止める学習者が多い。意味(言いたいこと)に応じて、その心理を反映する現象としてアクセントの位置が決まってくるという「音声学的現象」と捉えるのが正しい。(また私は音声的要素も含めて「文法」と広く捉えている)
 上記の例などについて「読み方(強勢の位置)を変えると、自ら意味が違って聞こえて(感じて)しまう」ようになることが、この項目を学習する目標・意義である。

 ここで強勢を意味に応じて正しく置く感覚を身につけると、実は長い単語(特に接頭辞、接尾辞を含む)についても、その単語の構成要素の意味から、自然とどこにアクセントを置くべきかが理解、納得できるようになる。英語ネイティブが初めて目にする英単語でも、おおむね正しく読み、意味を理解するのと同じ状態になることができる。



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075.文強勢(1)---基本パターン

 これまで学んだ「個々の音素の正確な発音(発音記号)」、「語強勢」の知識・理解を基礎として、いよいよ文章全体における強勢のあり方について見ていくことにする。

 様々な品詞の語が連なって1つの英文を構成しているが、聞き手に情報として明確に伝える必要性のある語ほど、そこに強勢が置かれることとなるのは自然なこととして納得がいくだろう。英語の品詞について詳しくは「文法」編を参照していただくこととして、ここでは詳しく述べない。(品詞の理解は重要な前提となるので、それがあやふやな人はまず英語の品詞について学習しておいていただきたい。)

 「聞き手に情報として明確に伝える必要性のある語」とは、「内容語」と呼ばれるグループであり、具体的にいうと「名詞、動詞、形容詞、副詞」である。その他の品詞でも下位分類として情報的価値のある品詞があり、「代名詞の中の『指示代名詞』」、「疑問詞(代名詞、形容詞、副詞の場合がある)」、「数詞(名詞または形容詞として機能する)」は、内容語に含まれる。
 上記以外の語と「機能語」と呼ばれるもの(前置詞、接続詞、助動詞など)は、内容語に比べて強勢が軽くなる。

 「内容語」というのは品詞名ではない。ある種の品詞をその特徴・用途によって1つのグループにした名称であり、その語自体が意味・内容を持つものであり、単独でも文章構造上の単位として成り立つ。だからこそ情報的価値が高いということであり、逆に、情報的価値が高いから、そのような特質を持つとも言える。

 「機能語」というのは、それ自身に意味・内容があるというより、他の語と結びつくことによってはじめて文法的価値を発揮するものである。

 もし、内容語だけを列記されたとしても、それを見るものは、想像で語と語の関係を考え、意味の通った文章を導き出すことができるだろう。(ブロークンな英語でも通じるのは、聞き手にこの想像力があるからだ。)しかし機能語だけが並べられていたら、何も意味の通った文章は浮かび上がってこない。

 英語話者の現実の会話では、上記のような傾向から「内容語」が特に耳につき、「機能語」が聞き取りにくかったりする。実際、英語ネイティブ本人も、機能語をつぶさに「音として」聞き取っているわけでなく、内容語と内容語の関連性から、「そこにあるべき機能語」を、時に想像で、時に先回りして予測しながら聞いている。これは多くの英文に触れるなかで、自然と身につく技能・感覚である。「話す能力(特に強勢を正しく操る技能)」も「聞き取りの能力」も、音声だけに依存して伸びるものではなく、基礎文法の力と相互的に身につくものである。また文字媒体を通じて英文を理解したり、書いたりする力も、文法知識のみによるものではなく、音声学的な理解と訓練があって高度な技能となりうる。

 さて、ここまで発音と文法がいずれも重要であり、互いに密接な関係を持って英語の能力を伸ばす基礎となることを述べたが、実例を見てみれば、それほど難しいことを言っているわけではないことが理解できるだろう。

She is an English teacher.

 この英文だけをポツンと「見せられた」ら、その意味を1つにしぼって解釈することは無理である。なぜなら、この英文を「どう読めばいいのか」の手がかりがないため、「意味に応じた読み方」ができず、それはすなわちこの英文の意味を汲み取れないこととなる。
 いかなる英文も文脈なしに現れることはない。それがたとえ物語の1ページ目、第1行目の文章であっても、「伏せられた文脈」がある。まして、一定の量の文章を経過したのち現れる文は、それまでの流れの中から、意味的な必然性を持っていることが多い。上記、英文は、読み方によって次のように意味が変わる。

 1の「英語の先生」という意味では、English が「英語」という名詞。「English teacher」が「英語教師」という2語単語(複合語)という扱いを受けるため、English に第1強勢が置かれる。
 2では、English が「イギリスの」という形容詞であり、teacher を補足説明する修飾語に過ぎず、teacher に第1強勢が置かれ、English は第2強勢となる。
 このことがすぐに理解できなかった人は、「074.複合語」の項目を復習していただく必要がある。

 1、2、いずれの英文でも主語の「She」は第3強勢が置かれる。人称代名詞というのは、「すでに登場した名詞を受けて」用いられる「名詞の繰り返しを避ける語」であるため、聞き手にはそれが何であるかが当然理解されている。だから、そこを特に強く訴える必要がないため、強勢も弱いものとなるわけである。

 では、まったく同じ要領で次の英文を意味に応じた強勢の置き方で読んでみよう:

She is a woman doctor.
1、「彼女は女医である」の意味で 
2、「彼女は婦人科の医師である」の意味で

ヒント:
1、「女医」とは「女性の医者」。「女性の」は形容詞的。
2、「婦人科医」とは複合語。男性にも婦人科医はいる。

答え:上記「She is an English teacher.」の1,2と同じ。

 ここまでを振り返り、強勢の原則1をまとめると: 

  1. 形容詞+名詞」では「名詞」に強勢。「名詞+名詞」では前の名詞の独立性が高く、複合語扱いされると前の名詞に強勢があり、前の名詞が形容詞的に用いられている場合は「形容詞+名詞」に順ずるとなる。

     それでは他の例も見ていこう。
  2. 「動詞+名詞(他動詞+目的語)」=2,1
    spend money
    take care
    make haste
    speak English
  3. 「動詞+形容詞(自動詞+補語)」=2,1
    get dark
    feel happy
    smell good
    look young
  4. 「動詞+副詞」=2,1
    go away
    work hard
    speak fluently
    become tired

 いずれも動詞よりも、それに続く名詞や形容詞、副詞の方が強い強勢を置かれるのが基本形。動詞も内容語であり、情報的価値が高いため第2強勢が置かれる。

 これまで述べてきた「原則」をあえて破った強勢がなされる場合は、常に「特別な理由」がある。そのほとんどは「対照的」となる別の言葉を意識している。

She can speak English very well.

 これを原則通りに読めば、Englishwell がほぼ同じ第1強勢(well の方がわずかに強い)となり、speak は第2強勢、She は第3強勢という順序であるが、その原則をあえて破ることによって次のような意味を訴えることができる。

1、English だけを第1強勢=「他の言語ではなく」英語を、という意味。
2、speak を第1強勢=「書くことはできないが」話すことはできる、という意味など。
3、She を第1強勢=「彼ではなく」彼女の方が、という意味。

 これらの意味は一例であり、必ずしもこのままの意味となるわけではないが、原則以外の強勢の置き方がなされているということは、そこになんらかの特別な根拠があるということだ。それを理解するためには、まず「原則通りの強勢の置き方」に十分習熟する必要がある。

 何よりも大事なことは、英文を常に「意味を感じながら音読する」こと。文字を読み上げるのではなく、「意味を音にして発する」という気持ちで英文を読むことである。それによって英語が「自分の言葉」として発せられる。例文などを通じて英語を学習する際にも、その英文の話者(筆者)の心理を汲み取り、話者(筆者)に「なりかわり」、その英文を読み上げるようにすることが、あらゆる音声学的現象を自らの感覚の一部として取り込む方向へ導いてくれる。

 



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076.文強勢(2)---その他

 文中における強勢の順位が、単語の情報的重要性と密接に関わっていることをすでに述べた。
 ここではその原則がどう生かされているかを個別の例文を通じて確認してみることにしよう。例文は平凡な文脈の中で登場する文章とし、特殊な意図による変則的な強調がなされていないとして、読み方を考えてみていただこう。
 それぞれの英文についてまずは後に続く解説を読まず、自分なりに強制の順位を意識して発音してみること。その後、解説を読み、自分の判断と比較してみる。

(1) This bridge is longer than that one.

(2) Give me one orange and three apples.

(3) Her mother is a famous pianist.

(4) Her mother is a famous pianist, isn't she?

(5) I can sing better than she can.

(6) What are you doing?/Who did it?/Where does he live?

(7) Is that the man who knows my cousin?

(8) (He may not go, but) you may go.

(9) Your book is on the desk, not under the desk.


リズムと口調による強勢の違い

1、リズムによる強勢移動

 「上がったものは落ちる。落ちたところからは上がる」というのがリズムとしては読みやすい。そのため、単語としての強勢が文中で移動してしまうことがある。

Japanese [ dʒæ̀(ː)pəníːz ]
the Japanese language [ ðə dʒǽ(ː)pənìːz lǽŋgwìdʒ ]

 単語として「Japanese」を発音すれば「-nese」の音節が第1強勢で、第1音節 Ja-はそれに次ぐ第2強勢である。しかし、「the Japanese language」とつながって発音されるときは、「language」の第1音節に強勢があるため、「弱-強-弱-強-弱」=「the Japanese language」というリズムにより、Ja-に第1強勢が移動する。

 He went overseas for his overseas job.
 同じ「overseas」が2回出てくるが、最初の「overseas」は本来の強勢で発音(後ろが強い)されるのに対して、「overseas job」では、文末の名詞 jobに強い強勢があるため、その直前の -seasの強勢が弱まり、その代わりover-の強勢が強まる。これもリズムによる強勢変化である。


2、口調の違いによる強勢の差

 まったく同じ英文であっても、くだけた会話の中、やや改まった言葉づかいではっきり物を伝えたいとき、演説などでさらに語気にメリハリをつけた口調となるときなど、場合によって文章の「区切り」や「強勢」が異なる。

I'll meet you at the information desk in the lobby of the hotel.

この英文を「くだけた会話」の口調から3段階にわけ、演説調までの変化を示すと次のようになる。

(1) I'll meet you at the information desk in the lobby of the hotel.
(2) I'll meet you at the information desk ┃in the lobby of the hotel.
(3) I'll meet you ┃at the information desk ┃in the lobby of the hotel.
(赤太文字=第1強勢、青太文字=第2強勢、下線=第3強勢、「┃」=読みの区切り)

 言葉をより明確に伝えようとするほど、文章中での区切りが増える。これは聞き手がゆとりをもって「情報を処理する」時間を与えようとする話者の心理によるものだ。やむくもにぶつ切りにすればいいというものではなく、あくまでもフレーズ単位で軽いポーズが置かれるようになる。
 くだけた会話の中では、多くの場合、1つの文章で特に強い強勢を与える単語は1つだけであるが、改まった口調になるにつれ、第2強勢だった言葉もより強調され第1強制へと変化していく。同様に、第3強勢だった言葉も第2強勢へと、より強い読み方がなされるようになる。

 かなり前の項目で出した「Jack and his siter Jill」を思い出してほしい。
 くだけた会話の中で、速めに読み流されると、「Jack, Jill」にしか第1強勢がなく、全体としては第2強勢のsisterを加えた「3つの山」というリズムで発音されるが、もし、このフレーズが、たとえば「デパートの呼び出しアナウンス」で読み上げられたとしたら、1つ1つの単語がより明確に発音されるようになり、強勢の配分も変化する。

 このように同じ英文であっても、状況・用途に応じた口調があり、それを踏まえて適切に強勢の配置や順位を決めなければならない。それが不適切だと、公式の場なのに「友達口調」に聞こえたり(誤解による流暢な英語を使う人がやりやすい失敗)、気楽な友人同士の会話で事務的な口調に聞こえたりすることなる。(後者は「英語が未熟」として善意に解釈されやすいが、前者はなまじ流暢な英語である分、その口調が「本位」と誤解され、痛い失敗となる可能性が高い。だから常々「等身大の英語」を使うように薦めているのだ。)



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077.文強勢(3)---弱形と強形

 同じ単語であっても、強勢を受けた場合の発音と受けない場合の発音が異なるものがある。
 強勢を受けたときの発音を「強形(strong form)」、強勢を受けないときの弱い発音を「弱形(weak form)」と呼ぶ。 強形では、母音の発音が明確で、長母音や二重母音がはっきりと発音されるのに対して、弱形では母音が曖昧化されたり音の一部が脱落(省略)されることがある。

 物事の順序から言うと、たとえば不定冠詞 a の発音は本来 [ ei ] であるのだが、文中で用いられる場合、意味的な重要性を持たないことが圧倒的に多く、文強勢の考え方からは a が無強勢 [ ə ] として発音される。中学最初の段階で英語を学ぶものは、文中における不定冠詞の発音で無強勢の場合を先に習うため、それが不定冠詞 a 本来の読み方だと思い込んでしまう。ただしくは [ ei ] が不定冠詞 a 本来の(単語として独立した)発音であり、それが強勢のないとき弱形化(母音の曖昧化)したのが [ ə ] の発音である。

 さらにいうと、語形としての歴史があり、「 a 」より先に「 an 」があった。すなわち「 an 」という祖先がまずあって、そこから意味・発音が弱まった形での「 a 」と、逆に意味・発音がさらに強まった「 one 」に進化したものに分かれる。( one [ wʌ́n ] は、an の発音がさらに強化し、語頭に子音 [ w ] が加わっている。
 「 a 」について「子音の前では、a だが、母音の前は an を用いる」ということをルールのように暗記している人がいるが、語の歴史からいって、それは厳密に正しい表現とはいえない。より正確に言うなら、an が弱形化して a になったものであり、単語のつながりとして母音衝突が起きるときは、その弱形化に歯止めがかかるということだ。 an は次の母音と『音の連結』を起こし、安定した発音となるので、それをあえて母音衝突させる発音にしてまで弱形化する理由がないわけである。

 定冠詞 the にしても同様。単語としての本来の発音は、 [ ðíː ] であり、そこから [ ðí ] [ ðə ] と段階的に弱形化して文中に現れる。「母音の前では [ ðí ] 、子音の前では [ ðə ] と発音する」と「決まりごと」のように暗記している人が圧倒的に多いと思われるが、それをルールではなく「音声学的な現象」として把握するのがもっとも正しい。
 文中において強勢が置かれない the は自然と弱形化するが、「母音衝突」が起きるときは、その弱形化に歯止めがかかり、強形の母音が短音化するにとどまる。( [ iː ] [ i ] )そして母音衝突がない場合は更に弱形化が進み、 [ iː ] [ i ] (短音化)→ [ ə ] (曖昧化)というプロセスをたどるということだ。

 さて「弱形化」という現象は、言うまでもなく文中で強勢を受けない語について発生する。ということは文中で常に第1、第2強勢を受ける内容語は弱形を持たないということでもある。たとえば具体的な人名や地名(固有名詞)は、それが文中に代名詞にならず現れているということ自体が、その語の情報的重要性を背景としており、従って固有名詞が文中で弱形発音で現れるという場面自体が存在しない。(既知の情報として固有名詞の重要性が軽くなれば、まず代名詞に置き換わり、その代名詞が弱形で発音される。)

 それでは以下に主な弱形発音について見てみることにする。それぞれの例文は特殊な文脈ではなく、もっとも普通にものを述べるときの意味として考えた場合のものである。

<> 
冠詞強形弱形例文
a [ éi ] [ ə ] This is a book.
an [ ǽn ] [ ən ] This is an apple.
the [ ðíː ] [ ðí ] [ ðə ] Your book is on the desk.
 
助動詞強形 弱形例文
can [ kǽn ] [ kən ] [ kn ] I can speak English.
do [ dúː ] [ du ] [ də ] What do you have?
have [ hǽv ] [ həv ] [ əv ] [ v ] I have(I've) seen it.
 
前置詞強形 弱形例文
of [ ɔ́v ] [ əv ] [ v ] I'd like a cup of coffee.
to [ túː ] [ tu ] [ tə ] He went to Tokyo.
 
接続詞強形 弱形例文
and [ ǽnd ] [ ənd ] [ ən ] [ n ] bread and butter
 
人称代名詞 強形 弱形例文
you [ júː ] [ ju ] [ jə ] You met him on his way home.
him [ hím ] [ im ] [ əm ] You met him on his way home.
his [ híz ] [ iz ] [ əz ] You met him on his way home.
her [ hə́r ] [ ər ] I met her yesterday.
them [ ðém ] [ ðəm ] [ əm ] I'll see them tomorrow.
 
be動詞強形 弱形例文
am [ ǽm ] [ əm ] [ m ] I am(I'm) hungry.
are [ ɑ́ːr ] [ ɑːr ] [ r ] I hope you are(you're) fine.
was [ wɑ́z ] [ wəz ] I was a student.

thatについては、文中での品詞によって弱形があるものとないものがある
常に情報的重要性の高い「指示代名詞」や「副詞(「あれほど」の意味)」などではいつでも一定以上の強勢が置かれることとなるが、関係詞接続詞として用いられる場合は弱形化する

that [ ðǽt ] [ ðət ]

通常「弱形」で発音されるのが普通である語が、あえて強形発音されるのは、常に文脈的な強調がある場合であり、従ってそこには必ず強勢がある。次の例文の「太赤字」は強形発音される。

(1) "The" should be used instead of "a".
 「the/a/an」は「語そのもの」の発音としては [ ðíː] [ éi ] [ ǽn ] である。単独に語として引用されるときは、「文に組み込まれた状態」ではないので、本来の強形発音で読まれる。

(2) I am talking about A dog, not THE dog.
(私が今話しているのは、一般的な犬についてであり、特定の犬のことを話しているのではない)

(3) That is a cat, not my cat.
(それはよその(どこにでもいる一般的な)猫であり、私の飼い猫ではない)

(4) I was watching TV, not now.
(私はテレビを「見ていた」のであって、「今見ている」のではない)

 文脈的に対比がある場合、「あっちではなく、こっち」というふうにその箇所が強調され、強勢が置かれ、発音も強形となる。

(5) You know what I am.
(6) What is it made of?

 5,6では、am, of にも第2強勢があるが、これは文末だから。英語では文末を明確に発音する傾向がある。

(7) I can't speak French.
(8) There aren't any books in the box.

 否定というのは一種の強調である。そのため、肯定文では強勢のない助動詞や、be動詞にも強勢が発生する。

(9) You can drive a car, can't you?
(10) You are Mr.Smith, aren't you?

 付加疑問の中に使われたときは、助動詞やbe動詞にも第2強勢が発生する。

(11) He's explaining it to us.

 これは文章としてのリズムの関係から第2強勢が発生した例。
 ちなみに前置詞「to」の発音は弱形のときでも、母音の前では 、子音の前では となる。これはthe/anなどが母音衝突の際に強めの発音となるのと同じ原理。



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078.文強勢(4)---発音と文法

 文章の流れの中で、話者と聞き手がすでに共有知識(shared knowlege)として持っている情報は、旧情報であり、これには第1強勢が来ない。人称代名詞(I, you, he/she/it,など)に通常強勢が置かれない理由である。人称代名詞とは、「すでに話題に登場した名詞の繰り返しを避けて用いる代名詞」なので、具体的な名詞そのものに比べれば、2度目以降の登場であり、話者と聞き手が互いに何のことかをわかっている。

 新情報としてもっとも典型と言えるのは、質問に対する答えの核となる部分である。相手はそれを知らないから尋ねているのであり、その質問に対する答えの文章の中で「これだけは決して省けない語」がもっとも相手の求めている回答である。すなわちその部分が新情報としてもっとも重要な意味を持ち、強勢が置かれて発音される。

A: What is your name?
B: (My name is) Jack.

A: Whose name is Jack?
B: My name (is Jack).

 これを踏まえて考えると、たとえ質問に答えた形ではない文章であっても、強勢が置かれる位置により、どう意味合いが変わるかが理解できる。つまり通常発せられる「質問に対して答えているわけではない文章」も、話者自らの中で仮想の質問が用意され、それに答えているともいえる。話者が自らの中で用意する質問の形式が変われば、それに対する回答文の強勢も同じく変化する。

 日本人英語学習者は、ともすると文字媒体だけを中心に英語を学ぶ傾向が強く、そのため、意味(自分のいいたいこと)の変化を常に字面の変化だけで表現しようとする。ある英文の強勢を変えるだけでも十分対応できる場合が非常に多いということを覚えておくと、平易な英文1つを実に多様に使いこなせるようになる。
 その練習として、日ごろから1つの英文について、自分で様々な文脈を設定したり、1つの英文に含まれる色々な語に対して意識的に強勢を与え、どう意味を変化させられるかを吟味するとよい。少なくとも、ある英文が(読み方の違いに関わりなく)常に同じ意味しか表さないと考えてはならない。

Bill broke that window.

  1. ビルがあの窓を割った。(特に強調のない最も普通の言い方)
  2. あの窓を割ったのは(ジョンではなく)ビルだ。 → Bill broke that window.
  3. ビルが壊したのは、(ドアではなく)あの窓だ。 → Bill broke that window.
  4. ビルが割ったのは(こっちの窓ではなく)あの窓だ。 → Bill broke that window.
  5. ビルはあの窓を(修理したんじゃなく)壊してしまったのだ。 → Bill broke that window.

 この英文を特別な文脈なしにごく普通に読み上げた場合の強勢をまず観察する。次にそのときとは違う強勢によってわざと同じ英文を読み、それがどのように違った意味を表すのかも考えてみる。それにより、様々な意味の違いをこの1つの英文で(読み方を変化させることにより)表し切れるということに気づくのである。

 英語の表現力の豊富さというのは、確かに語彙や構文の知識も重要だが、それ以上に音(発音)と意味との密接な関連性についての感覚を磨き、自分自身が発音する英語そのものに「意味をこめる」という発想により英語を使えることがすべてに優先して重要なことである。
 たとえ語彙や構文の知識が豊富でも、「それに優先する」と今述べた「音声による意味の変化のコントロール」が未熟だったり、間違っていれば、自分の意図する意味が相手には伝わらない結果をもたらす。折角の知識が十分に活用されないこととなるのだ。
 だから常に「音読」にこだわろう。音に意味を感じ、意味を音で伝えるという「言語の実態」から決して離れないように英語を学習することが本道であり、最短の近道である。

 よく「長文の学習法」、「単語の学習法」、「聞き取りの学習法」など、英語について技能ごとにまるで別々の学習法があって、ある技能を伸ばすには、それ専用の学習法を取らなければならないような考え方をする人がいるが、それはまるで「その学習法により別の技能を伸ばさない」ようにしているかにすら見える。
 そうは言いつつ、このサイトでも「もくじ」自体は「発音、聞き取り、文法、、」などと便宜上、項目をわけてはいる。しかし私の念頭にあるのは、常に「英語の4領域(話す、聞く、書く、読む)」について総合的に向上させることであり、発音解説の中でも文法に触れるし、文法解説の中でも、発音に言及する。語彙、文法、発音、聞き取りなどのすべては個別に存在するのではなく、「まったく同じ1つのもの」を様々な角度から見た姿の差に過ぎない。

 発音が苦手な人は文法学習にも問題がある。聞き取りが苦手な人は自らが正しく発音できておらず、やはり文法の理解も浅い。文法がわかっていないという人は発音もできていないのである。

 これまでの「発音記号」、「語強勢」、「文強勢」などの音声を主眼にした解説を通じただけでも「英文を正しく読める」ということが発音だけに依存しないことがよくおわかりいただけたことと思う。英文を正しく読めるためには「文法知識も必要」なのである。そしてその理解は文法事項を学ぶとき、「発音の重要性を念頭に置かなければ文法も理解できない」ということに通じる。

 さて、英文のやり取りが常に音声を媒体にできるわけではなく、それが書物などであれば、話者は書き手として、文字だけを頼りに自らの意図を読み手に伝えなければならない。文字表記の範囲内でも、書き手は英文に音声イメージをできるだけ与えようと様々な工夫を凝らす。句読点というものも、読者に対して視覚的に「交通標識」のように機能し、一時停止や、迂回のサインを送り、読み手がどうその英文を読めばいいかの手がかりとなる(詳細は別の項目で述べる)が、それだけで話者がイメージする音声を読み手に完璧に伝えることは困難である。

 音楽においても楽譜には、音符の他、様々な記号を駆使して、作曲家の意図したとおりの演奏を再現できるように工夫するが、それとて指揮者の解釈によって結果は異なるほどだ。

 英文の表記には正書法(正式な文書表現の決まり)として、大文字・小文字の使い分けや、すべての句読点(日本語にない句読点も多い)の用法、その他の記号(アンダーラインなど)について標準的仕様が定められている。これらは普通に英文を書いただけでは伝え切れない要素を少しでも話者の意図に忠実に伝達しようとする工夫であり、人為的なルールとして統一されたものが用意されている。
 カジュアルな文章であれば、正書法にこだわらず、視覚的印象を通じて自分の意図をわかりやすく伝える工夫を自由にして構わないが、あくまでも読み手が自然にそれを理解できる範囲内であるべきだろう。一般的によく用いられるのは、文中の単語すべてを大文字で書くことで強調を表し、その箇所を「大きな声」で読む雰囲気を出すというもの。これなどは直感的に分かりやすい。また正書法にはない「?」や「!」を重ねたり組み合わせて使う「??」、「!!」、「?!」も非公式な文体ではよく見られる。ただし「!!!!!!!」などと、あまりやりすぎると幼稚な印象を与える。

 いずれにしても、記号的な要素により文の読み方の変化を伝えるだけでは、書き手の意図が正確に伝わらないこともままあり、あらたまった文章になるほど、正書法から逸脱した記号の濫用は許されなくなってくる。あくまでも語順や限られた句読点の用法により、意味の違いを表現することとなる。

 先の例文「Bill broke that window.」について言うと、

  1. ビルがあの窓を割った。
  2. あの窓を割ったのは(ジョンではなく)ビルだ。
  3. ビルが壊したのは、(ドアではなく)あの窓だ。
  4. ビルが割ったのは(こっちの窓ではなく)あの窓だ。
  5. ビルはあの窓を(修理したんじゃなく)壊してしまったのだ。

 これらの意味の差異を言い回しそのものを変えることにより、確実に伝える書き方を考えることとなる。もとの英文は普通に読めば1の意味と解釈されるが、2以下の意味であることを明確にするには、例えば次のように表現できる。

  1. It is/was Bill that broke that window.
  2. It was not the door but that window that Bill broke.
  3. It was that window, not this one, that Bill broke.
  4. Bill did not fix that window, but broke it.

 日本人英語学習者の多くは、学校でテキストに書かれた英文を通じて英語を学ぶわけだが、その際、ともすると(というか現実には非常に多くの場合)上記のような語順の変化によってしか意味の差を表現できないものだと思い込みがちである。英語話者にしてみれば、「 Bill broke that window. 」という1つの英文の読み方を変えて意味の違いを表現した方が遥かに簡単で、日常的な使用頻度もずっと高いのだが、そういう「本来より平易な表現」をとばして、書き言葉中心の指導のみに終始してしまう傾向があり、そのことが発音軽視の誤った学習姿勢につながっているともいえる。

 現場の指導者は、まず「Bill broke that window.」の強勢の変化だけで意味がどう変わるかを指導し、それから音声を頼りにできない文章を通じて意味を違いを表現する方法を教えるべきだと思う。

 ちなみに、たとえ(悪い意味での)学校英語で英語表現を覚えたため、「教科書の英文からとってきたような表現」を会話で使ったとしても、英語ネイティブがそれを責めることはまったくない。なにしろ、それはそれでまったく正しい英語であり、話した言葉をそのまま文字表記してしっかりした文章になるなら、それは英語ネイティブから見ても素晴らしいことなのだ。非常に理知的で落ち着いた言葉づかいをしているという印象を与える。少なくとも外国人が習って覚えた英語なのだ。それを「場面にそぐわない堅苦しい英語だ」と責めたり揶揄するものはいない。教科書や英文解釈の参考書で暗誦した例文を使って英会話することはまったく悪くない。仮に「時代がかった表現」や「堅苦し過ぎる表現」であることで、恥ずかしい失敗をするとしても、それでいいのだ。そういう失敗を通じて場面や状況に応じた表現の違いを「実体験を通じて」学んでいけばよい。誰しも実践を通じてのみ外国語の上達ができる。最初から完璧になれる人などいないのである。
 あくまでもできる範囲で学ぶべきことを学び、できる訓練は積みつつも、その時点における自らの実力相応の「等身大の英語」を使えばよい。そして経験を通じて新たに気づいたことを学習にフィードバックさせ、次回の経験に生かすことで、徐々に上達していく。



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079.文強勢(5)---英語のリズム

 日本人のブロークン・イングリッシュをジョークめいて「これでも通じる」と紹介する有名な例文がある。

 「お父さんとお母さんが、浅草へ行きました」----これを文法などそっちのけでこんなふうに英訳(?)している。
 「ファーザー、マーザー、アサクサ、ゴー」
(正しくは My father and mother went to Asakusa. であることは言うまでもない)

 うーむ、、、確かに通じるだろう。過去形wentであるべきところが、goのままでも、文脈から「昨日の話」をしていると聞き手が分かれば、この程度の間違いは世界的に見ればまったく珍しくない。語順にしてもでたらめに近いが、「部品(単語)を並べて、あとは聞き手の想像にゆだねる」というのがブロークン・イングリッシュの王道(!?)である。この例をここで紹介するのは、決して文法軽視のブロークン・イングリッシュを勧める意図ではない。
 fatherとmotherを上記の中で「ファーザー」、「マーザー」と同じく長母音で語呂よく読んでいるが、これはもちろん、 father [ fɑ́ːðər ] , mother [ mʌ́ðər ] であり、本来の英語では、father のみ長母音で mother は短母音だ。

このブロークン・イングリッシュは英語の発音もおぼつかない日本人ならこんなふうに言ってしまうだろうという一例であり、その中には「日本語特有の語呂のよさ」、すなわちリズムがある。

 英語にも英語のリズムというものがある。それはこれまで解説してきた個々の音声学的現象の上に立脚した英語話者が本来もっているリズムであり、日本語話者の発想や発音習慣をそのまま持ち込むわけにはいかない。上記の例がそれを物語っている。

 英語のリズムは通常、強弱の強勢を中心として音の高さ( pitch )などの要素が加わり、それが繰り返されることで作り出されている。英語話者にとって読みやすい、読んでいて心地よい、思わずそう読みたくなるリズムというものがあるわけだ。

 日本語には「五七調」という古来から非常に馴染みのあるリズムがあり、俳句や短歌、あるいは定型詩の多くにそれが生かされているが、英語にも韻文などは、かなり厳格なリズムの規定の中で文章が書かれており、そこに見られるリズムは英語の音声に習熟しない日本人から見れば、特に読みやすいとか、なめらかだとかは感じられないかも知れないが、英語の音声に馴染んだ者にとっては、日本人が五七調に感じるような快適さを与えている。

 先に紹介した
Tiger, tiger, burning bright.
は「強弱」を1単位として、それが4回繰り返されている。(ただし最後の4回目だけは「弱」の音節がなく、「無音の1拍」となっている。)「強弱」の2音節を1単位とすることを「強弱格(trochee)」といい、4回の繰り返して1行を構成することを「4歩格( tetrameter )」という。だから「強弱格が4つ」で行を構成している詩のスタイルを「強弱四歩格( trochaic tetrameter)」という。

 上記「 Tiger, tiger...」の詩は、William Blake(1757-1827)という詩人の作品だが、その全編については、こちらのサイトにて和英対訳で紹介されている。英語の韻文詩というと非常に難しそうに聞こえるが、この詩は平易な英語で、日本人に親しみやすいリズムで書かれているので、「日本語の俳句や短歌」のような感覚が「英語の詩の中にもある」ことを理解するためのよい教材となると思う。

 英語の詩のリズムとしては、この他にも多くのバリエーションがあり、それらの詳細については大学の英文科などで学習されるが、興味・関心のある方は大手書店で「英語の詩」に関する書籍を参照されるとよいだろう。

 さて、話は何も「韻文(規則的に音を配列した文章)」に限ったことではなく、通常の会話の中で口にされる英文についても、英語に特徴的なリズムがあり、それによって文に含まれる語の強勢が影響を受けることも少なくない。

 「067.その他の現象(1)」で例として出した「 Jack and Jill / Jack and his sister Jill 」について、記憶されているだろうか。ここでは、別の例を出して、同じ考え方があてはまっていることを確認しよう。
1, Men need money.
2, The men needsome money.
3, The menwill needmoney.
4, The menwill needsome money.
5, The men will be needing  some money. 

上記1~5を連続して発音

 1と5とでは、語数が3と7とかなり違うが、英語話者が自然なスピードでこれらの文章を読み上げると、ほぼ同じ時間で読まれることとなる。その時間の中で共通したリズムが用いられ、語数は違っても、そのリズムに全体をあてはめて読まれるわけである。
 なぜそういうことになるかといえば、強勢の置かれない部分は、弱く速く読まれるが、語数の少ない最初の方の英文は、強勢のない音節が入らない分だけ「間をとって」やや引き伸ばし加減に発音されるからだ。

 上記5つの英文の練習要領としては次のようにしてみるとよい:
1、ゆっくり、ゆったりとしたテンポで「トーン、トーン、トーン」と手で机を叩く。
2、そのリズムに合わせて、1の英文を読んでみる。
3、以下、それと同じリズムを保ちながら、手が「トン」と机を叩くときに赤字の単語を読むようにタイミングを取る。

 日本語では、文に含まれる音節数(早い話が仮名で書いた文字数)と、その文を読み上げる時間が、ほぼ比例するが、英文を読むときは、スピードの緩急が発生する。強勢を与え、ゆっくり、はっきり(間をとって)読む部分もあれば、強勢なしで、素早く読み流すような箇所もある。後者の部分は発音もあまりはっきりせず、それが「短縮形」を生む。

 英語では文強勢がほぼ等間隔に現れ(これを「強勢拍リズム,stress-timed rhythm,という)るのに対して、日本語では、音節がほぼ等間隔に現れる(これを「音節拍リズム,syllable-timed rhythm,という)。このリズムの取り方の違いに十分慣れ、そのリズムによって英文を読めるように訓練することで、非常に自然な口調となり、なおかつ、英語本来のリズムで自らが発音できるということは、自然なスピードの英語の聞き取りにも絶大な効果を発揮する。英語の聞き取りが苦手という人は漏れなく、自分自身の中の日本語リズムにあわせて英語を聞こうとしており、感覚的なテンポがかみあわないため、聞き取りに困難を感じているのである。

 日本人が英語を話す際にも、長年しみついた日本語特有のリズムに乗せて英文を読んでしまう傾向が当然あり、それが強い日本語訛りを感じさせる。音素(発音記号単位の個々の音)さえしっかり正確に出せていれば、そういう日本語訛りがあっても、通じる英語となるが、より自然に、聞く側に心理的ストレスを与えないような話し方ができるためには、これまで述べた「様々な音声学的現象」に加え、「英語特有のリズム」に合致した読み方ができることが必要となる。

 今「聞く側に心理的ストレスを与えないような話し方」という言葉を使ったが、これがどういう意味かお分かりいただけるだろうか。立場を逆にして、外国人が訛りの強い、しかし発音自体は明瞭で、言葉の「読み」も間違っていない日本語を話したとき、それを聞く日本人は、半ば無意識にでも、一旦耳から入った音(相手の言葉)を自分の中で復唱してから意味を取っている。これを強いられることが頻繁になるほど、聞き手は心理的ストレスを強く感じるようになる。
 初学者が、十分に英語のリズムに乗って話ができないことは何の罪もなく、仕方ないことである。相手は聞くことに心理的ストレスを感じつつも、外国人の英語であることを割り引いて、特に気を悪くしたりはしないだろう。

 英語の発音(話す・聞き取るの両面)の上達において、英語のリズムの大切さは理解していただけたことと思う。それはもちろん、学習者が正しい理解を元にしっかりと練習・訓練を積んで、英語のリズムを身につけることを目指していただくための解説であるが、逆説的な話もしておこう。

 しばしば「等身大の英語」を使うことをお勧めしてきたが、発音についてもそれは言える。あなたが、生まれて初めて海外旅行することになったとして、あらかじめ現地で使う予定のある表現をしっかりと練習したとしよう。音素も綺麗に発音できる。音の連結や脱落などもマスターし、手本となる英語ネイティブの音声テープを繰り返し真似て、自然なリズムとスピードで、それらの英文が言えるようになったとしよう。しかし、あくまでもぺらぺらと言えるのは、限られた出来合いの例文だけだ。語彙や構文の知識もまだまだだとしよう。

 それでも、いざ覚えておいた表現を使う場面になれば、あなたの「流暢な英語」に接した英語ネイティブは恐らく、あなたが英語全般についてさぞかし流暢であると思い込むかも知れない。そして、あなたがまだ例文集で覚えていない、予期せぬ言い回しで返事してきたり、話しかけてきたりする。あるいは、あなたのちょっとした「いい間違い」に対して、同国人なみに感情を反応させ、怒らせてしまうこともあり得る。 だからといって発音の訓練をするなとは言っていないが、方便のテクニックとして「わざと下手に英語をしゃべる」というのも時にはありだということを知っておこう。あなたの英語の発音が明らかな外国人(それでも通じる範囲内であることが前提だが)であるほど、相手はあなたに高度な語彙や表現力を期待してこない。向こうがあなたに話すときも、それなりのスピードを用い、使う単語にも神経を使ってくれるだろう。いい間違いも「まだ英語がわかっていないから」と善意に解釈され角も立ちにくい。

 私がまだ大学生だった頃のこと、アメリカから留学してきた女性がいた。初対面の印象で彼女の日本語の技能の高さが周囲の日本人学生たちに強く印象づけられた。発音も聞く側にほとんどストレスを与えない自然なものを身につけていた。
 ある日、教室内がちょっと騒がしかった。彼女は立ち上がり、周囲を見渡しながら「うるさい!静かにしなさい」と流暢な日本語で言った。正しい発音、正しい文法であるが、彼女の日本語が自然であったが故に、周囲の学生は「日本人が同じ言い回しを使ったとき」と同じ反応をした。つまり多少なりとも気分を害し引いてしまったのだ。騒がしい教室で周囲の学生に注意を与える行為は正しいことだ。しかし同じ場面で日本人が同じ注意を与えるとしたら、「もっと言い方があった」と思われる。そして、もし彼女がカタコトの日本語しかまだ話せないと周囲が知っていたら、事情はまた違っていたことだろう。

 別の例を。もしあなたが日本の街角で外国人に日本語で道を尋ねられたとして、その人がカタコトの場合と自然な発音による流暢な日本語を使ってきた場合とでは、つい対応も変わるのではないだろうか。カタコトの日本語しか話せない相手なら、目的地が近くなら多少手間でも無難に連れていってあげようと、一層の親切心を起こすことがあっても、日本人と遜色ないほど流暢な日本語を使う相手だと、日本人相手に口頭で道案内する気分となり、あえて平易な言葉を選んで話すこともしないだろう。

 英語を自然に話せるということは、いい意味では、外国人扱いされず、同等に見てもらえるわけだが、それは同時に英語ネイティブ並みに色々な表現の機微を使い分けられることを暗黙のうちに要求されることとなる。発音がぎこちない外国人なら、場面に合わないフォーマル度の英文を口にしても周囲は「言いたいことを汲み取る」姿勢を持つが、自然な発音による失言は、ストレートに反感を買うこととなる。

 つまり「等身大の英語」とは、知識と技能のバランスの取れた英語ということだ。それが不要な失敗をカバーしてくれ、自力で処理できる範囲内の言葉で相手も対応してくれやすい。

 くれぐれも誤解なきように言うが、だからと言って「英語の上達をするな」というのでは毛頭ない。限られた例文暗誦だけでも、しっかりと発音練習することは大切である。それが積み重ねの1歩1歩となるのだから。そしてそれを目指してこれまで様々な解説を述べてきた。
 何も無理してまでわざと下手に英語を話せとは言わない。それに、こと日本人の英語学習者に関していうと、多くの場合は、知識先行型で、難しい英文は読んで解釈できるが、発音を通じてのコミュニケーションはまだ苦手だという順序だから、発音の訓練が知識を追いかける形になっている場合が多い。そのようなときは、大いに発音を磨き、英文解釈の能力に会話の能力が追いつくようにがんばるべきだ。

 ありがちな誤解としては、俗語表現や俗語的発音を習得することが英語の上達だと履き違えることである。これは学校英語に対する反発から、文法学習や語彙習得に挫折した者がことさらに強調することだったりする。留学経験者の一部にもそういう傾向があるが、これらは間違ったネイティブ信仰を背景としていると考えられる。

 さて話が長くそれてしまったので、これについてはこの辺でやめておこう。本サイトの趣旨・目的は、あくまでも英語の総合的上達にあることはいまさら繰り返すまでもない。知識、技能、そして見識まで含めて、正しい学習ベクトルをもってさらに勉強と訓練を進めていくことにする。



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080.抑揚(1)---ピッチ

 発音記号1つ1つによって表される「音素」に加え、「強勢」という「かぶせ音素」が重ねられることで様々な意味の変化を生むことが理解されたと思う。「かぶせ音素」には強勢だけでなく、「抑揚」という要素も重要である。

 つまり音声としての英文が話しての意図をつぶさに表現するためには、

  1. どんな音を発音するのか。(個々の発音記号についての正しい発音)
  2. どの部分をどんな強さで読むのか。(語強勢文強勢
  3. どの部分をどんな高さで読むのか。(ピッチ
  4. どこに区切りをおいて、どんな緩急でその文を読むのか(連接
     が総合的に駆使されるということである。

 抑揚(intonation)には音の「高さ(pitch)」と「連接(区切り方)」の2つの要素がある。すなわち
1、どの部分をどれくらいの高さの声で読み
2、どこにどれくらいの時間による切れ目を置くか
 が合わさって話者のこまやかな心理が音声になって現れる。(日常的には、「抑揚」という言葉は「音の上下」だけを指して使われることが多いが、音声学的な「抑揚」は、「ピッチ、連接」の両方を含めていう。)

 このように抑揚とは、ただ単に文章の末尾を「上げ調子」で読むか、「下げ調子」で読むかというだけの区別ではない。ピッチの変化は文中にも現れるし、それに加えて「どこで(どれくらいの間をあけて)区切るか」も話者の心理・意図を反映し、文章の意味を左右する重要な要素である。
 抑揚についての解説内容の多くは、ごく当たり前に聞こえることも含まれているが、英語話者らしい音声のコントロール方法(というか習慣)を客観的に学ぶことで、話者の心理がどのように音声に現れるのかを客観的に考察し、ちょっとした読み方の違いで、同じ英文でも意味(話者の気持ち)にどんな差があるのかを知ることは、「文法を心理学的な観点から学ぶ」上で必要不可欠な姿勢である。
 また一部の抑揚については、日本語の言語習慣と違ったものもあり、そのパターンを学ばないものには、意味の違いが聞いただけではつかみきれない場合すらある。とにかく初心に帰って、抑揚について一通りは学んでいただきたい。

 さて、抑揚の1つめの要素である「ピッチ(pitch)」とは「声の高さ」である。強勢は「声の大きさ」だが、ピッチは音程の上下のことである。多くの場合、「高い音」は大きく発音されやすいが、ピッチと強勢は必ずしも一致するわけではない
 日本語のアクセントは抑揚アクセントなので、強勢によるアクセントと音程によるアクセントを切り離して使いこなすのが苦手な人も多い。だから中にはかなりの練習を要する例も出てくる。

 ピッチの種類として実際の会話に現れ、聞き手がその違いを明確に意識できるのは、概ね4段階程度だ。現実にはもっと細やかな音程差があっても、4段階にわけて考えておけば十分と言える。

(1) /4/ 特に高い(extra high)
(2) /3/ 高い(high)
(3) /2/ 中くらい(normal)
(4) /1/ 低い(low)

 このうち4の「特に高い」は驚き特別な強調に使われるだけで、通常は問題とならない。(ここでもあえて扱わない)

 さて文章中におけるピッチの変化をこのサイトでどう表現するかについては、かなり悩んだ。読者が例を見て、なるべく直感的にそれを理解できるようにするには、例文にかさねてピッチの変化を「図示」するのが最適と思われる。だからここでもグラフィクスを使わざるを得ない。

 次の例にあるように、文章を読み上げる際の声の音程の変化について、例文に重ねて表示する線の上下を参考にしていただく。
 同時に文強勢を示すために、ここでは「 第1強勢=赤第2強勢=青第3強勢=緑 」という色分けを用いることとする。(その他の黒字部分は無強勢)

 上記の例では、文章の始まりの位置が「2のピッチ」、高くなっている箇所が「3のピッチ」、文末の低くなっている部分が「1のピッチ」である。以下、すべてこの3種類のピッチで表現する。
 例の中にある「house」では、ピッチ変化を示す線が斜めに下降しているが、これは「1音節の中でのピッチ変化」を意味しており、その部分における「なめらかな音程変化」を意味している。1音節中でピッチが変化する場合は、その母音自体が通常よりややゆっくり目に発音されるのが普通だ。

 基本的な場合において、第1強勢のある音節に「3(高い)のピッチ」が来る。

 上記(A)~(F)の例では、いずれも第1強勢(赤字)の音節に「3(高い)のピッチ」が来ていることがわかる。強勢の強さとピッチの高さが一致するということは、情報価値の高い箇所が明確に示されている(読まれている)ということを意味する。

 普通の英文では「ピッチ」と「強勢」が一致することも多いが、この2つの抑揚の要素は本来独立して制御されるものであり、「ピッチ」の高低と「強勢」の強弱が一致しないケースも、もちろんある。

 (G)は文末に「呼びかけ」がある場合。呼びかけは語の後半のピッチが高いため、名前の単語の強勢が前にあってもそれとピッチが一致しない。
 (H)は複数の要素を「列記」する場合。英語では、列記し続ける限り上昇調を繰り返し、「最後の要素」を言うときに下降調で文を終わらせるのが基本形。

 (I)と(J)はいずれも「付加疑問文」であるが、これについては意味合いによって2種類のピッチが使われる。

 (I)のように「肯定文, 否定形タグ」は、先行する肯定文の内容を確認する流れとなっており、「~ですよね」と念を押す表現に用いる際は、「否定形タグ」を上げ調子では読まない。話者の心理としては、聞き手から「Yes」の返答がかえってくるのを期待している。普通「付加疑問文」はこちらの読み方をする。

 (J)は字面的には、(I)とまったく同じだが、普通の疑問文のように「否定形タグ」の部分を上げ調子で読んだ場合。こちらは聞き手に対して「YesかNo」かを尋ねている普通の疑問文と同じ意味となる。

 この読み方による意味の違いは、言葉の流れとして次のような話者の意図が伝わるからである:

1、肯定文+否定タグ(下降調):~です。そうではないなんてことはありませんよね。
2、肯定文+否定タグ(上昇調):~です。あれ?そうじゃなかったかな?(どうでしたっけ?)
3、否定文+肯定タグ(下降調):~ではありません。そうだなんてことはありませんよね。
4、否定文+肯定タグ(上昇調):~ではありません。あれ?そうだったかな?(どうでしたっけ?)

 「 Yes/No 」を求める付加疑問文(上記2,3)では、話者として文章の出だしを口にするときから、付加疑問文を言うと決めていないともいえる。これは先行する肯定文や否定文を口にしながら、その内容の真偽に自信をなくし、そこで逆形式のタグの中で「どうでしたっけ?」と尋ねる言い方に変化してしまった結果というふうに解釈できる。このときの話者の心理変化の様子は、日本語でも「~です、、、よね?違いましたっけ?」などという言い方をする際に現れているものと同じだ。

 付加疑問文の「先行する文」と「タグ」の部分の形式は、「肯定文+否定タグ」あるいは「否定文+肯定タグ」となるのが通常であるが、これは規則ではなく、先に述べた内容を「タグ」の中で裏返して言うことで「念を押す」ことになるから自然にそうなる。
 上記基本形ほど使用頻度は高くないが「肯定文+肯定タグ」という組み合わせも使われる。

So, you're a student, are you?

 この文のタグ部分(, are you? )が上昇調で読まれた場合は、「ということは、あなたは学生さんなんですね」と比較的親しみある口調で話者の興味・関心を積極的に示している言葉の響きがあるが、下降調でタグ部分が読まれたときは、「それでも、君は学生か」と皮肉や叱責の口調となる。



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081.抑揚(2)---連接

 これはずっと以前にテレビで見たのだが、デビ夫人という、セレブの走りのような芸能人が過去の愉快なエピソードを語っていた。私の記憶も古いので、細かい部分までは正確な引用とならないが、大筋としては次のようなことだ。
 その話はかなり昔のことで、まだ携帯電話というものがこの世に普及する以前のこと。彼女は日常からフランス料理の高級レストランを御用達であったのだが、テーブルでボーイを呼び、こう尋ねた。
 「すみません。こちらにお電話ありますでしょうか?
 すると、ボーイは困った表情を一瞬浮かべつつも、「少々お待ちください」と告げ、一旦奥へと消えた。そして戻ってくると、こう言った。
 「申し訳ございませんが、当店には『おでん』は置いておりません

 よもやフランス料理の高級店で「おでん」を注文する人などありそうにないことだが、そのボーイは常連乗客のわがままとして、何とか対応できないものかと一度はシェフに相談に行ったのだろう。
 夫人の言葉は「お電話、ありますでしょうか?」だったのだが、電話に「お」がついていたことに加え、句点の位置に「は」が省かれてしまったため、発音としては「『おでん』はありますでしょうか?」とまったく区別がなくなり、とんだ誤解を招いてしまったわけである。「電話」と「お」をつけずに発音したらイントネーションも変わり紛れなかったはず。あるいは「お電話は、ありますでしょうか?」でも意味の紛れはなくなる。

 日本語では主題を表す助詞「は」は、しばしば省略されるが、その際、「は」があるべき位置にほんのかすかな間合いが取られることもある。その他「文節」と呼ばれる「ね」を置いても自然になる箇所が、日本語における「間合い」をあける箇所である。話の途中で息継ぎをするならそこになる。

例:私(は)ね、昨日のね、午前10時にね、デパートがね、開いたらね、すぐにね、入ったんです。

 別の話。こちらは笑い話でも何でもないが。
 「 watashiwatanabetomôshimasu 」(「 ô 」は長母音)
 わざと「分かち書き」にしていないこのローマ字をあなたはどう読むだろうか?
 「私は田辺と申します」?あるいは「私、渡辺と申します」?

 こちらの例は現実の会話なら、それほど聞き間違えることはないと思われる。それは「私は田辺」と「私、渡辺」とではイントネーション自体が異なるからだが、それだけではなく、「私は」と「田辺」の間、「私」と「渡辺」の間にわずかな間合いがあることによっても、文法単位を聞き手は理解するからである。

 このように日本語の発話の中にも、一連の音のなかに瞬時とも言える微妙な間合いをおいて、意味の区切りを示している。
 これが「連接」である。

 英語における連接は「末尾連接」と「内部連接」にまず分かれ、末尾連接はさらに「上昇連接」、「下降連接」、「水平連接」の3つに分かれる。内部連接には「プラス連接」というものしかない。つまり合計4種類の連接がある。

1、/↓/ 下降連接
2、/↑/ 上昇連接
3、/→/ 水平連接
4、/+/ プラス連接

 最初の1から3は、まとめて次の項目で説明するので、ここでは先に4の「プラス連接(内部連接)」を見てしまうことにする。

 「末尾連接」とは文章や句のあとなど「まとまった語群」のあとに現れる区切りのことで、特別早口で話している場合以外は、それなりの「間合い」が聴感上もはっきりと聞き取られる。
 「内部連接」とは「まとまった語群」の内部に現れる区切りで、通常スピードの発話の中においては、末尾連接ほどはっきりした区切りに聞こえないが、非常によく似た音のならびの中に異なった内部連接を持つ例を並べて比較してみると、微妙ではあるが、確かにそこに「音の区切り」があることが感じ取れる。

gray train / great rain

 どちらも発音記号をそのまま並べると [ grèitréin ] となり、その上に強勢の配置もまったく同じである。
 しかし、
gray train [ grèi + tréin ]
great rain [ grèit + réin ]
 というプラス連接があるため、特別早口にならない限り、微妙ながらも語の区切りを聴感上でも区別がつけられる。
 ゆっくり目あるいは通常スピードで上記2つを注意深く聞き比べると、「 t 音」の質が違うことに気づく。英語の「t音」には

1、音節末に来る「無破裂の 」(特にそれを示すためには「t-」の記号で表す)
2、音節の最初に来る「破裂のある 」(特にそれを示すためには「th」の記号で表す)

 という区別があり、その違いがこれら「 gray train 」と「 great rain 」に現れる。すなわち「 train 」の「 t」の発音では「強い息による破裂」があるためその音が非常に聴感的にも目立つ音であるのに対し、「great」の末尾の「t」は、「舌先で息を止めるだけの無破裂」であるため音としては聞こえ(audibility )が低い。単語の音節として考えてみても「 great 」はこれで1音節だから、語尾の t までを一気に発音するのに対し、gray train では t があとの train に属す。ゆっくりと読み比べればその違いは一目(一聴?)瞭然であるが、スピードがあがることで音節の区切りが変わるということはない。

 「 音」を含む内部連接の例としては他に次のようなものもある:
that stuff / that's tough
that seat / that's "eat"
it sprays / its praise

次に別の例を比較してみよう。

a name [ ə + néim ] / an aim [ ən + éim ]

 「 an aim 」は、「 an 」の末尾子音の次に「強勢のある母音」が追いかけている。→「+」あり
 「 a name 」は、「a (強勢のない母音)」のあとを「子音( n )」が追いかけている。→「+」なし(閉鎖的)

 ここで誤解して欲しくないのは、「 an + aim 」が意味するのは決して「+の位置で間をあけて(切って)発音する」ということではない。すでに「音の連結」で解説したとおり、「 an 」の語尾子音から「 aim 」の語頭の母音が連続的に [-ne-]という音になって聞こえるのだが、an はあくまでも1語として一気に発音され、語尾の n の状態(舌先を上歯茎に押し付けたまま)で次の単語( aim )の発音が開始される。
 「 a name 」では、「 a-name 」という音節の区切りがある1単語のような感じで発音されることとなる。

 これも他の例を含めて発音し比べてみると微妙ながらその違いが実感できると思う:
a note [ ə + nóut ] / an oat [ ən + óut ]

 さて、このように微妙ながらも英語の音声に耳が馴染み、みずからも発音し分けられるようになれば、すべて解決するかというと、残念ながら英語ネイティブにさえ聞き分けできない例がある。

a light / alight
a rose / arose
scold her / scolder

 これらは文脈なしに、この部分だけをナチュラルスピードで聞かされては左右いずれを発音しているのかまったく区別がつかない。あらゆる点でまるで同じ発音なのだ。だから英語ネイティブであっても、このような例は文脈・前後関係、文法構造的必然性などから判別しているのである。



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082.抑揚(3)---下降、上昇、水平

 ここからは文末あるいは文中のはっきりした区切りの中で現れる抑揚( intonationを内容とする。

(1)末尾連接:下降連接

 これは日本語的感覚から想像しても多分に納得のいくことであるが、文末が下降調で読まれるということから、聞き手が感じるのは「結論、終結、断定」などである。英語特有で日本語の感覚とずれているのは「whatなど疑問詞」で始まる疑問文も下降調で読まれるということくらいだ。
 ただし疑問詞で始まる疑問文でも、「一旦下げた抑揚をさらに軽く上げなおす」ような読み方は女性的な口調として現れることもあるし、通常下降調で終わる命令文もまた上昇調とすることで文頭に「Will you」が省かれたような印象を与え、命令の口調を和らげることがある。

You are a student.
I won't forget her.
Bring me a cup of coffee.
What time is it now?
How beautiful she is!

 念を押す用途に用いる付加疑問も(?マークが文末に書かれても)下降調で終わる。これは話者の心理として「相手に質問している」のではなく、話者の主張を断定的に述べつつ、その確認をとっているに過ぎないからだ。

You're Mr.Smith, aren't you?
You didn't lock the door, did you?

(2)末尾連接:上昇連接

 下降調が「終結」の印象を強く与える一方、上昇調は「未終結、継続、保留、疑問、不安」などの印象を与える。「 yes/no 」で答えるタイプの疑問文が上昇調で読まれることは日本人的感覚から見ても自然に理解されることだろう。
 それ以外としては、「 A, B, C, and D 」と何かを列記する場合、最後の要素が現れる直前まで上昇調を繰り返し(=継続の印象)、「これで列記するものは終わりですよ」となったとき「終結」の印象をあたえ下降調で終わる。
 文末に呼びかけが添えられる場合、呼びかけの部分が上昇調となるのは、その人の名を呼び「聞いてますか?」、「お分かりですね?」と尋ねている心理が働いているといえる。それはすなわち、呼びかける対象となる人物がその文章に耳を傾けている前提がある場面でもある。(だからこそ、呼びかけが文末でも機能するわけだ。その文章の内容に注意を払っていない人に対して、先に文章を述べた後に呼びかけても意味がない。)

 だから遠方にいる人物(でこちらを向いていない人)への呼びかけでは、下降調による呼びかけも用いられる。こちらの場合は、文章の内容を告げるよりも前に相手の注意をこちらに向けなければならないのだから、呼びかけ部分は当然、文頭になる。

Waiter!
Mr.Smith, we are here!

 付加疑問文でも、意味的に Yes/No を求める質問となっているときは、上昇調で終わる。
 これは最初から普通に疑問文を言えば済むこととも言えるのだが、ときには、文章の出だしにおいては断定的に何かを述べようとしたのだが、それを言い終えるまでに自分の話に自信が持てなくなり、「あれ?そうじゃないのかな?」という気持ちを添える場面を思い浮かべれば、付加疑問文の発想が理解できるだろう。

You're Mr.Smith, aren't you?

この英文1つにしても、自分なりに色々なシチュエーションを想像してみると、話者の心理が文章の読み方にどう反映されるかが深く理解できてくる。

例1)スミス氏と待ち合わせをしている。初対面ではあるが、スミス氏の顔は知っている。スミス氏が現れた。その時点でその人物がスミス氏であることは確信された。「スミスさんですね。お待ちしておりました」という場合、下降調となる。

例2)スミス氏と待ち合わせしている。初対面。一応顔も知ってはいるが写真1枚だけを通じてであり、背格好までは知らない。スミス氏らしき人物が現れたので、近づいて尋ねる。「スミス氏でいらっしゃいますか?」は上昇調で発音される。

例3)スミス氏と待ち合わせしている。数回会ったこともあり、スミス氏らしき人物を背後から見つけ、You're Mr.Smithと言ったところで、相手が振り返ると明らかに違う顔だった。それを見て「, aren't you?」(じゃなかったですね)と恐縮したように添えるのは上昇調。(明らかに違うのだが、すでにYou're Mr.Smithまでを口にしており、「まさか違いますよね」の意味を追加することとなった。相手に「No」を言わせるだけの目的に過ぎない付加疑問の例)

 このように上昇調の用途の中には、「自らの発言を相手に否定してもらう」というのも「疑問」の拡張としてある。
 「疑問」というのは「わからないから尋ねている」のが基本だが、さらに「自分で自分の考えに疑問や疑いがある」場合にも使われる。

(3)末尾連接:水平連接

 これは「まだ言いかけ」という印象を与える。つまり聞き手に対して、そのまま自分の発言に耳を傾け続けて欲しいという心理が水平イントネーションとなる。

I know ┃that her mother is a famous pianist.
I will stay home, ┃ if I rains tomorrow.
The man who went out of the door ┃ is my son.
My son, ┃a lawyer,┃ arrived yesterday.
I wonder...┃

 最後の「I wonder...(ピリオド3つ打つのは文章がまだ終わっていない感じであり、水平イントネーションで読ませるもの)」は、いかにも何かをまだ言いたい気持ちで文章が終わるのか終わらないのか、聞き手が判断に迷うような言い方であり、「不思議に思うことがあるんだが(=どうなのかなあ)」という意味。聞き手は「何が?( Wonder what? )」とその先を尋ねるだろう。
 水平イントネーションは通常文中にのみ現れるものであり、それで文章を終わらされると、聞き手としては、文章の途中を引っ張っているのだな、という印象をまず持つ。その待ち時間が常識的感覚からして長すぎると感じたとき、上記のような問いかけで先の発言を促すこととなる。

 しかし、たとえば、定刻間際になってもまだ現れない人物がいて、その人物について誰かが「大丈夫、きっとぎりぎりでも間に合うさ」と言ったのに対して「I wonder.」とはっきとした下降調で言えば「(君は彼が遅刻しないことを確信しているようだが)私は間に合うかどうかなと思う(=事実上、多分間に合わないだろうと反対の意見を述べている)」の意味ともなる。
 また遠くに何か見慣れない物体を発見して「おや?あれは何だろう?」というのを「I wonder.」と下降調で言う。


(4)イントネーションについてのその他

She was born in Tokyo?

 形式的に肯定文であっても、上昇調で読めば口語的に疑問文となるのは普通に知られている。 しかし、さらにこの英文を一旦普通の断定口調で読み、かつ落ちたイントネーションを最後にまた引き上げるような読み方をすると、「東京で生まれたって?まさか違うんじゃないのか?」という驚きを含んだような強い疑問の意味となる。

I prefer tea.

 これも普通に読めば「私は紅茶の方が好きです」の意味だが、こちらも落としかけたイントネーションを最後にくいっと持ち上げると「紅茶の方が好きなんだけどね(ないなら他のものでもいいよ)」という意味が感じ取られる。

I can come tomorrow.

 これも「落とし上げ」の読み方をすれば「明日なら来られるけど(他の日は無理だ)」のニュアンスが出る。

I can't come tomorrow.

 もうお分かりかと思うが、これを「落とし上げ」で読めば「明日は来られないが(他の日なら来られるかも知れない)」の意味。

 このように日本語なら文末に「けど、、」を添えて表現するようなニュアンスを英語では「落とし上げ」というニュアンスによって表すことができる。

 疑問詞で始まる疑問文も「上昇調」が女性的な響きとなるとすでに述べたが、それは「下降調」による疑問詞疑問文には「尋問的響き」がしばしば伴うのに対するもので、それを避けるため、ちょっと上昇調にすることで「丁寧さ」を出すこともよくある。これなど「 Excuse me, but .. 」を言葉としてはっきり添えるならそれでもよし、それがなくても、上昇調で疑問詞疑問文を読むことで、そのニュアンスが込められる(つまり、そう発音された疑問詞疑問文を「失礼ですが」を加えて和訳してよい)と言える。

 また「Echo question」というものもあり、これは相手の質問がよく聞き取れなかったときは、意外な質問を受けて、本当にそれを尋ねているのか?と聞き返す言い方。

Where was I born?

 これをEcho questionとして読むなら、最後の born 全体に強勢と高いピッチがあり、上昇調で終わる。そして意味は「私がどこで生まれたかって?」という感じになる。

さて他の例も見てみよう。次の対話でB氏はどういう発音の仕方で何を意味しているのだろうか?

(1)
A: Mary has a new boyfriend.
B: Who?
A: Mary.

(2)
A: Mary has a new boyfriend.
B: Who?
A: John.

(1)
A:Maryに新しいボーイフレンドができたよ。
B:え?誰に(新しいボーイフレンドができたって)?→Who全体が高いピッチを保ったまま上昇調で発音される。
A:Maryにだよ。

(2)
A:Maryに新しいボーイフレンドができたよ。
B:それは一体誰だい。→Whoがはっきりとした下降調で発音される。
A:Johnだよ。

 会話では、このように「文章の一部」としてWhoのイントネーションだけで意味が区別される。つまり
(1)のBは「Who has a new boyfriend?」の文頭のWhoだけを発音しているのと同じに聞こえ、
(2)のBは「Who is her new boyfriend?」という疑問詞疑問文が読まれた印象を与える。

 さて、これまで実にさまざまなイントネーションの例を見てきたので、学習者はかなり音声と意味の結びつきが理解され、実感できてきたことと思う。
 では最後に次の例を考えていただくことで、発音(スピーキング)の締めくくりとしよう。

1, My brother, John, is a doctor.
2, My borther John is a doctor.

 一見「John」を挟んで前後にコンマがあるかどうかだけの違いだが、この2つの英文は意味も違うし、その意味の違いが発音にも現れる。つまり適した読み方をしないと相手に正しく伝わらない英文である。かといって、まさか「コンマ」を音声にするわけではないが、そこにコンマがあるかどうかが(間をあけるという以外で)聞き手に伝わる読み方の区別があるのだ。

1、兄弟はジョン1人だけという場合
  これは「My brother is a doctor.」が基本。(「One of my brothers」ではないことから、兄(あるいは弟)が1人しかいない意味となり、同格として挿入された「John」は、「My brother」のイントネーションをそのまま繰り返す読み方となる。強勢としても、My brotherの[bro-]に第1強勢があり、それと同じ強勢がJohnにもある。
 日本語的に言うと「私の兄、つまりジョンは、、」という感じ。

2、ジョン以外にも兄弟がいる場合
 こちらは「My brotherが形容詞的にJohnを修飾する」使われ方となっており、My brotherとJohnは「同格」ではない。My brother Johnまで全体がピッチ変化なく平坦に発音され、John is a doctor.のJohnに補足説明が添えられた感じで読まれる。  もちろん、これらの区別を
John, my only brother, is a doctor.
John, a brother of mine, is a doctor.
と紛れなく表現し分けることもできるが、上記1と2のちょっとした句読点による文法的な差異と発音の区別も、それを自分自身の言葉として実感を伴って使い分けられるよう、しっかりと練習しておくことが望ましい。その感性を培うことこそが、「スピーキング」能力なのだ。


「スピーキング」の章の最後として

(1)巷にはあふれるほどの英語学習参考書が出回っている。特に文法・英文解釈関係の書籍は数え切れないほどの種類があるように思える。そして、例外なく「言語の実体が音声である」という最重要の視点が解説からもれている。それは「当たり前すぎて省略」されているのかも知れないが、現実に学習者たちは、その当たり前の前提を忘れ、文字媒体として現れる違いだけによって英文の意味の差が生じると思い込んでいるところがある。

 たとえそれが書き言葉としての体裁で、緻密に推敲された英文であっても、それが読者に意味を伝えるのは「(黙読を含め)読み上げられた」ときである。そこには「"一旦音声にして理解する」というプロセスがあり、音声にされたからこそ意味を発するとも言える。にもかかわらず、極端な例では「読み方も知らない難解な単語」の意味(というか和訳例)だけを知っていたりする。「読めもしない言葉の意味がわかる方がおかしい」ということに気づいて欲しい。

 これまでの学習を通じて「意味に即した発音(読み方)」がいかに重要であるかを理解していただけたことと思う。「分かっていれば読める」のであり、逆を言えば「音読させて見れば意味が理解できているかが客観的にわかる」のである。たとえば学校の教室で、生徒に教科書の音読をさせるとき、教員は「和訳させる」ことで生徒の理解を確認するのではなく、生徒の読み方それ自体から敏感に生徒の理解力を見極められなければならない英文音読を聞くだけで、生徒がどの部分について解釈を間違えているのかなどが伝わってくるのだ。音読指導とは、英語ネイティブのように発音できるようにするのではなく、「意味を読み上げる」という「発音と意味の関連性」を実技的に身につけさせる指導でなければならない。

(2)学習者として誤解してはならない点として、「英語が話せる」とは、これまで学んだ発音についての様々な基礎だけで事足りるものではなく、基本文法や語彙が重要なのは言うまでもないが、それがあってもまだ不十分だ。そこまでが完璧でも「まったく話せない」という人はあり得るのだ。なぜか?それは「言いたいこと」がないからだ。1つのテーマ、話題を与えられたとき、日本語でも自分の意見が言えない人が、英語でなら話せるなどということはないのだ。要するに「言いたいこと」、「自分の意見・考え」という「その人自身の主体」があってこそ、あとはそれを何語で表現するかの違いとなる。

 樽に穴を開けたとして、中身が空っぽでは、どこにどんな穴をあけても水は出てこない。樽の中身として満々たる水があってこそ、適切な位置に、大きな穴をあけてやれば水が勢いよくあふれ出てくるのである。文法も語彙も発音も、すべて「穴の開け方」についての学習・訓練に過ぎず、結局相手に「伝えられる」のは、そこからほとばしり出る「水」、すなわち話者自身の「考え」なのである。たとえ何万語の語彙を習得し、何万もの例文を正確な発音で暗誦しても、それが「自分の言葉」でない限り、いざ会話となれば出てはこない。
 語学の技能は「箸と茶碗の使い方」である。それがどんなに上手にできても、それだけでは意味がない。それを使って何を食べるかが大事なのであり、食欲のない人が器用に箸と茶碗と使いこなせたところで、食事は始まらない。自己表現の意欲と自らの意見・考えを常日頃から持つことこそが、語学上達の最大条件であることを忘れないようにしよう。


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