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083.リスニング

084.聞き取りの力を伸ばすには

 このサイトについて順を追ってここまで読み進められた方なら、もうすでに英語の聞き取りについて、何が重要でどのような練習・訓練が必要なのか、あらましの理解はできてしまっていることと思う。
 もし今これをお読みになっているあなたが、「聞き取り」に大きな問題意識があり、その解決方法を求めて、もくじからここへ直行されたのであれば「その回答の大半は発音の章(015〜082)にあります」とまず言わなければならない。

 すでに他の箇所でも何度も繰り返してきたこととして、学力・技能には包含関係というものがあり、「こちらができればあちらは自然とできてしまう」という仕組みになっており、「聞き取り」についても「自分自身が発音できる音」はすべて聞き取れるということになる。だから、聞き取りの力を伸ばすためには、何よりもまず自分の発音の訓練をすることである。自分の発音はそっちのけにして聞き取りだけを伸ばすなんて遠回りな方法を私は知らない。

 少なくともこのサイトで解説されてる「発音記号」1つ1つについて正確に音が出せ、「様々な音声学的現象」で解説した「音の連結、脱落、同化」といった基礎的なことがらを理解し、自らの発音にもそれを生かせるようになっていれば、その時点でかなり英語が聞き取れるようになっている。もちろん話すにしても聞き取るにしても、「発音」だけが問題になるわけではなく、音として聞き取れても、構文把握や語彙についての知識がなければ意味は把握できない。
 一方、文法問題などにはかなりよい成績が収められるような人であっても、「リアルタイム」の言葉のやりとりにはついていけないということもあるだろう。


 折角「リスニング」という独立した章を設けてあるわけだから、上記を踏まえつつも「聞き取る」ということにもっと焦点を当てて考えてみることにしよう。

 そもそも「英語が聞き取れる」とは何を意味するのだろうか?

1、英語という言語に使われている個々の音素を聴覚的に把握できる。
2、それらの音の組み合わせとして「単語」や「フレーズ」が発音を通じて把握される。
3、話者の意図・心理が音声的に様々な変化をもたらしたとき、それを機敏に理解できる。
4、耳から聞こえてきた順番に意味を理解し、和訳することなく相手の発言を解釈できる。
5、話の流れを正確に捉え、「予測をもって」相手の発言を聞くことができる。


 何も特別なことは含まれていない。これらは私たち日本人がなぜ日本語を聞き取れているかをそのまま英語に置き換えただけのことなのである。では、上記5つについて個別にもっと詳しく考えていく:

1、英語という言語に使われている個々の音素を聴覚的に把握できる。

 日本人が日本語を聞き取れる理由は、その発音に習熟しているからだ。これは耳が慣れているともいえるが、それ以上に「自分自身が日本語の音を出せる」からである。裏を返して言うなら、英語の発音記号を正しく読めない人が、英語を聞き取れる理由はない、ということ。ローマ字的に読むのではなく、英語という外国語が持つ、日本語にない音を白紙の状態から身につけるプロセスが必要だ。
 書かれた文章を理解する際でも、読者はそれを(黙読も含め)読み上げて音声イメージに一旦変換し、その音を通じて意味を感じている。聞き取りにおいても、聞こえてきた音を自分の中でリアルタイムに復唱しているのだ。つまり自分で同じ言葉を繰り返せる人は、その英文が聞き取れている。

2、それらの音の組み合わせとして「単語」や「フレーズ」が発音を通じて把握される。

 発音記号を一通り学び、練習し、辞書を引けば発音記号を見て、単語も読めるようになった。しかしそれだけではまた英文を聞き取るには力不足である。現実の英会話では、単語ごとに丁寧に区切って発音されず、少なくとも意味のまとまった一定の長さを一気に読む。これは単語を1語1語聞き取ることの延長のように、フレーズを1つの言葉としてスムーズに発音できることから、それを聞き取れる力となる。
 いつくかの単語が連なって連続的に発音されると、そこに様々な「音声学的現象」が発生し、そのメカニズムを知らない人には「そう読んでいる」とさえ気づかないほど変化した聞こえになることが多くある。

 上記1と2は「自らの発音」を鍛えることで、それがそのまま「リスニング」の能力向上に直結することの理由となる。
 「自分が出せる音は聞き取れる」----この大原則を踏まえれば、基本習得への方針は自ずから見えてくる。

3、話者の意図・心理が音声的に様々な変化をもたらしたとき、それを機敏に理解できる。

 音声学的な現象についても、一通り学び、自分自身の発音も上達してきたら、それを活用して現実に使われる例文を沢山暗誦することだ。その際、読むスピードを色々変えたり、ちょっとした心理的変化を読む際の強勢や抑揚に表現する。こうして「意味と音声の連動」を自らがしっかり実現できるようにするのだ。

 英語のCDを聞くとか、洋楽を聴くとか、洋画を見るとか、色々ためになる学習方法はあるが、それをすれば自動的に、自然にリスニングやスピーキングが上達するかというと、そこまで甘くない。それら現実の英語話者によるサンプルを真似て、少しでも英語的な緩急、リズムに自らの発音を近づけていくため懸命の努力を重ねなければ実力向上には至らない。

 スピーキングの章、特に後半で解説された様々なことがらを、十分理解し練習した人にとっては、耳にする英語CDや洋画の音声の至るところに「あ、本当に、そう発音してる!」と気づくものである。

4、耳から聞こえてきた順番に意味を理解し、和訳することなく相手の発言を解釈できる。

 さて音声学的な訓練だけで「聞き取り」ができるようになるかというと、(それなしには無理なことだけは確かだが)それは「リスニング」習得の入り口を通過した段階なのである。がっかりしないように。入り口を通過しなければ中には入れないのだから。

 「聞き取る」とは、言うまでもなく「音声を通じて意味を理解する」ことだ。「音」が把握できても「意味」が入ってこなければ聞き取れたことにはならない。書かれた英文があるとして、目を開けば文字も単語も見える。しかしそれがそのまま英文を「読める」にはならないのと同じだ。

 文字と違って音声は、聞こえた瞬間消えていく。次々と耳に入っては、また新しい音が聞こえてくる。そして「分からなかったところ」を巻き戻して、繰り返し聞くことは通常の会話の中ではそうそうできない。つまり聞き取れるというのは、音声による英文をリアルタイムに理解し続けられるということでもある。
 さあ、ここだ!非常に重要で、かつ当たり前のこと。なのにほとんどの人がそれを忘れていたり無視して英語の上達を目指し、思うような結果を出せないでいるところだ。
 発話のスピードにリアルタイムで理解が追いついていくというのは、聞こえてきた英文をいちいち和訳などしていたらできるはずがない。少なくとも同時通訳する必要はないし、まして自然な日本語に翻訳などしてはならないのだ。

 たとえば非常に平易な英文(This is a pen.とか、I am a boy.とか)が聞こえてきたとしよう。あなたはそれを「和訳」してやっと理解できた気になるか?和訳しろと言われればいつでもできるだろうが、日本語に直す手間などかけずにストレートにその英文に含まれる情報を汲み取るのではないだろうか。それが聞き取れているということなのだ。

 ということは、This is a pen.や I am a boy.並みに簡単に感じられる英文が沢山あればいいということじゃないか。それが文章まるごとでなくてもいい。文章の部品として使われるフレーズをナチュラルスピードで言えて、聞き取れるようにしていく。そのレパートリーが増えるに従い、「スピーキング、リスニング、リーディング、ライティング」のすべての技能が均等に向上するのだ。いやでも全体が連動して技能が向上していくこととなる。それが正しい学習法の効果であり、皆が求めている「効率のいい英語学習」なのだ。何も無理して(「無理」とは「道理がない」の意味だ)までリスニングやスピーキングの技能を置き去りにして、和訳の力だけを伸ばそうなんてすることないのである。そんな「無茶苦茶な」勉強をすれば、(英語が話せなくなる・聞き取れなくなるという)副作用が出るのは当然のこと。

 さて話を戻すが、「耳から聞こえてきた順番に英文を理解する」というのは、書かれた文章について「単語が目に入ってくる順番のまま理解していく」ことと同じである。音声だろうが文字だろうが、いかなる媒体を通じた場合であっても、「語順のまま」英語を理解するというのが「自然の摂理」なのだ。それを踏まえて文法も理解できる。
 この「語順のまま」という理解方法は「直読直解」という英文の読み方であるが、これをまずはしっかり訓練すること。それにより媒体が文字から音声に変わっても、あとは練習次第でスムーズにリスニングの上達が図れる。

5、話の流れを正確に捉え、「予測をもって」相手の発言を聞くことができる。

 日本人同士が会話しているとき、非常に多くの場合、相手がその文章を最後まで言わなくても、最終的にどんな文になるかは途中で見当がついている。これは「予測」をもって相手の話を聞いているからであり、そういう予測ができるのは、「文脈を正しく捉えているから」と、もう1つ「その言語の典型的な構文(言い回し)をよく知っているから」である。  だから英語の聞き取りでも同じようになればいい。上記4までを順次重ねることで、話の流れを正しく捉え、次にどんな内容の発言が追いかけてくるはずかの予測をもって耳を傾ける。その言い回しについて、自分がすでに馴染んだ表現が使われていれば、苦もなく聞き取れてしまうわけだ。

 そのようなレパートリーを増やすという目的をもって、例文収集の素材に洋画でも洋楽でもどんどん活用する。そのように使うことで洋画や洋楽が技能向上に寄与するのである。「聞き流していれば自然に、、」なんて大嘘にだまされるのはもうやめよう。英語ネイティブが英語を赤ん坊のころから習得するプロセスと、外国人である我々日本人学習者が一定の年齢になってから日本語の助けも借りながら英語の上達をしていくプロセスは違うということを忘れてはならない。

 さて、これで「聞き取れる」とは一体どういうことなのかが、具体的に見えてきた。自らの発音を基礎からしっかり鍛え、自然な音声学的現象まで自分の音声で実現できるようになることと、その一方で、語彙力をつけ、フレーズ単位、文章単位ですらすら言える英語のレパートリーを増やすことだ。

 次は、それらの目的を実現するために効果の高い具体的な訓練方法を紹介することとしよう。



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085.シャドーイングとオーバーラッピング

 英語の聞き取りや発音訓練の方法として「shadowing」や「overlapping」というやり方がある。

1、shadowing:聞こえてくる音声を追いかけるように発音していく練習法。
2、overlapping:テキストを見ながら、聞こえてくる音声に自分の声を重ねて音読する練習法。

 1のshadowingもテキストを見ながらやる方法と、テキストを見ずに音声だけを頼りに後追いで発音し続ける方法がある。
 1と2は根本的な違いはなく、名称もしばしば混同して用いられている。実際、その練習方法の呼び名が何であれあまり重要なことではないと思う。

 これまで英語の音声について実に様々なことを学んできたが、それをより自分自身の技能として定着させ、高めていくためには知識だけではなく、訓練が必要だ。ここでは「リスニング」の強化として解説するが、それは同時に自らの発音の訓練でもあり、スピーキング能力の向上にもそのままつながる

 個々の発音記号の音も正しく出せるようになり、音の連結、脱落、同化などの音声学的現象も理解し、フレーズや文を通じて練習もしたとする。それに磨きをかけ、より実践的な能力に高めるためには、日本人的なリズムや抑揚、強勢の置き方から脱却し、自分自身の中に「英語のメロディ」をしっかり築き上げていく必要がある
 発音の基本が身についてきたら、英語のCDなどを聞くだけでも、随所に音声学的現象を見つけられるようになるが、漫然と英語の音声を流しているだけでは効率よい学習とはなりにくい。やはり自分自身が、英語話者の音読と極めて近いことができるようになるのが、聞き取りの能力においても、一番の近道である。

 シャドーイングやオーバーラッピングの訓練をするため、特別な教材を探す必要はなく、身の回りにある英語ネイティブによる朗読や英語の映画など、音声が録音されたものならなんでもよい。ちまたで市販されている「リスニング用のテープ」などは、かえって読むスピードを落としてあったり、学習しやすいようにはっきりと発音しているので、より実践的な観点から言うと、あえて「教材として作成」されたもの以外の方がためになるとさえいえる。

 実は私が大学生だったころ、シャドーイングとかオーバーラッピングなどという訓練方法もその名称も知らないまま、同じことをやっていた。当時、アルク出版というところから「English Journal」という雑誌が出ており(今でもあるかは知らない)、各界の著名人のインタビューや演説などが紹介されていた。雑誌には当然、それが記事として文字に書かれており、別売のカセットテープにはそれらの人々の生の音声がはいっていた。学習雑誌としてよくできていたのは、収録されている内容ごとに、個々人のスピードの違いや、出身地による訛り、あるいは使われている語彙の違いなどで、聞き取りの難易度が☆印の数で示されていたことだ。あるときはスポーツ選手、あるときはミュージシャン、またあるときは政治家など、話す内容によっても難度は随分違う。またそれらは生のインタビューを録音したものなので、あらかじめ文章を推敲した原稿を読んでいるのではなく、途中で言葉につかえたり、言い直したり、「えーと」などのつなぎがあったり、時には文法的・語彙的な間違いをしていたりもする。

 生の会話をそのまま録音し、話しているまま正確に文字化すると、その文章は案外読みにくい。物のためしに、身近な人(日本人)の言葉をこっそりとしばらく録音してみて、あとでそれを言葉のままに文字化してみるといい。日本語ネイティブの話す日本語なのに、文字にしてみたら、随分ひどいものになっていることが多いのだ。

 だから、シャドーイングなどの練習素材としては、あまりに会話そのものの録音よりも、スピーチなど原稿を読んでいるものの方が、練習素材としては向いているだろう。映画なら会話調であっても、俳優がシナリオを覚えてしゃべっているので、本当の会話ほど乱れた言葉にはなっておらず、これも練習素材としてはいいと思う。

 大事なこととして、文字化された原稿も用意されていないとさすがにつらいので、その意味から言うと、どうしても教材テープなどになってしまうが、上記 English Journalなどできるだけ実践的な音声素材の方がいい。あるいは最近では映画で英語字幕も表示できるので、これならシャドーイングの練習にも使える。

 要領としては次のような手順となる:

  1. 最初、原稿によく目を通し、自分なりに口を慣らしておく。読みの分からない単語は発音を調べ、当然ながら英文の意味も理解できていなければならない。

  2. 次に、原稿を見ながら音声を流し、聞こえてきた音声から音の連結、区切り、強勢、抑揚などを聞き取り、できればそれを原稿に書き込んでいく

  3. 最初のうちは無理せず、1文ずつでもよいので、原稿を見ながら、聞こえてくる音声と「ぴったり重なる」ように発音していく。聞こえてくる音声と自分の声が、抑揚やタイミングまでぴったり重なるまで繰り返し練習する。つまり英語話者の音声を自分にコピーしていくようなものだ。

 これを実際やってみると、自分の感覚とはまた違ったところで区切りがあったり、なかったり、強弱のつけ方や文章発音全体を通じてのメロディがあることがわかってくる。その感覚のずれが、「学んで習得しなければならない」今の課題なわけである。
 10行から20行程度の英文で、綺麗にオーバーラップした読み方ができるようになるまで練習すると、かなり疲れると思う。その疲れは、まだまだ自分の中に英語のリズムができていないからであり、なれるに従い、徐々にではあるが、一度にこなせる文章量も増えてくる。

 数行単位で口が慣れたら、英文を暗誦してしまい、原稿を見ないで同じことができるようにしてみよう。
 結構地味で疲れる訓練だが、効果は絶大!毎日、1時間でもこれを継続すると、気づいたとき、あなたの発音も聞き取り能力も自分でおどろくほど上達している。日本から一歩もでたことがない人でも、この訓練を積めば、「海外での生活が長いんでしょ?」と言われるほどになる。音声チャットや電話越しなら、日本人だと信じてもらえないくらいの発音が身につく。

 さて、こうして見ると「聞き取り」の練習とはいえ、そこには常に「自分自身が発音する」という側面が含まれている。これが大事。
 正しく訓練しようとすれば、「自分の出せる音は聞き取れる」という原則から決して外れないのである。

 常々この訓練を続けていると、自然と表現力も増えていく。この訓練を通じて、現実に使われている多くの表現を暗誦しているのだから当然のことだ。

 繰り返して言う。「会話力だけを伸ばす」とか「聞き取りだけを伸ばす」などという偏頗な訓練はない。1つの技能を向上させようとすれば、他の技能も総合的に鍛えなければならないのだ。技能全体が向上しなければ、目的とする1つの技能も向上してこない。

 シャドーイング、オーバーラッピングの訓練を恒常的に行っていれば、英文解釈や文法の問題に取り組むときでも、それらの英文を「正しく読みながら」理解していくので、非常に速く正確に、効率よい学習が可能となる。

 日ごろからやるべきことを、正しい順序で学習している人は、高校3年生くらいになったとき、長文読解をこなす速度が普通の高校生の4倍以上になっている。訓練している者と、していないものが戦えば結果は明らかだ。ナチュラルスピードで読み上げられた英文を耳から理解できる者にとって、長文読解を読みこなすなどわけないことだというのが、理解できるだろう。これが学力の包含関係というものなのだ。

 目次だけ見ると、この「リスニング」の章が妙に短くて「あれ?」と思った人もいるかも知れないが、上記で述べたように、リスニング能力の大半は「自らが発音できる」ことに依存するため、それを解説した「スピーキング」の章の長さが、実質的には本章の内容でもあるからなのだ。



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