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「to不定詞」の形として「to」のあとに一般的な動詞の原形が来るだけでなく「to have 過去分詞」という形式になることがあります。「to have」の2語だけに注目すれば原則通り「to haveの原形」なのですが、「have 過去分詞」というつながりが完了形となっています。
時制というのは「現在、過去、未来」のことであり述語動詞のみがそれを表しますので、不定詞そのものには時制はありません。しかし述語動詞との時間的関係を「to完了形」によって示すことができます。
典型的な例文としてよく用いられるのは述語動詞に「seem」を含んだものでしょう。まず基本となる形からしっかり理解してください。
He seems to be sick. 彼は病気であるようだ。
この文の主語は「he」、述語動詞は「seems」ですが、この文は次のように書いても同じ意味となります。
It seems that he is sick.
この「it...that」は仮主語と真主語の関係にありますが、他の多くの例のように真主語を仮主語の位置に代入できません。つまり
(×)That he is sick seems.
という言い方は決してしませんので注意してください。ですから「It seems that 節」という構文として覚えておくべきものです。
さて「He」を主語に取ったときの述語動詞も「seems」でしたが、「he が seemする」という一般的な主語と述語の関係とはちょっと違います。これが「He sings」や「He eats」などなら「主語=する人」、「述語動詞=その人がする動作など」と言えるのですが、seemsは「彼がそれをする」動詞というより、別表現の「It seems that節」からわかるとおり「彼が病気である」という事実全体が「seem」の主語だと考える方が意味として筋の通った感じがします。そういう観点から言うと、
He is sick.
がまずあって、助動詞的に「seem(s)」が割り込み、「is」が seemとのつながりのため「to不定詞」になった結果が
He <seems> to be sick.
と解釈した方が文の意味に即していると言えるでしょう。
さてこの文は「彼が今病気である(He is sick)」という現在の事実と「今そう思える(It seems)」という2つの時制を含みます。
この文を過去形にすると
He seemed to be sick.
であり「to be sick」の箇所はそのままで「彼は病気のようであった」の意味。
「彼が病気」というふうに「思えた」のが過去の事実であるため「seemed」が過去形になっています。そして「そのように思えた」その時点において「彼が病気だった」わけです。すなわち「to be sick」は主節の述語動詞が表す時制に連動して、いつのことかを表しているということです。
では次の文はどういう意味でしょう。
He seems to have been sick.
これは「It ...that」で言い直してみたとき2つの場合が考えられます。
1, It seems that he has been sick.
2, It seems that he was sick.
1はthatの中が現在完了なので、彼が「今までずっと病気だった」とか「病気がやっと治ったばかり」のような意味ですね。
2はthatの中が単純過去ですから「(過去において)彼は病気だった」ということであり、今はすっかり治っているのかも知れません。過去形は過去についてのみ触れている表現ですから、今の彼が病気なのか元気なのかは何も書かれていません。
文脈としては、たとえば「昨日彼が学校を休んだ」として、どうして休んだのだろうかとその理由を「今」考えている場面を想像してください。「昨日学校を休んだ」理由として「彼が(昨日)病気だった」と「今判断している」のです。
彼が休んだのは過去。しかしその理由についての判断は「今の時点でそう思える」と言うことですから現在です。
「to不定詞」は常に「to原形」という組み合わせでしか使えませんので、「to+完了」は素直にそのまま「to have 過去分詞」でよいのですが、「to+過去形」というものがありません。それは形式として「to+完了形」で含めて表すしかないのです。ですから
S+seem(s) to have 過去分詞 |
という形式は
It seems that <現在完了>
It seems that <過 去>
のいずれの可能性もあるということなのです。そのどちらの意味で用いられているのかは文脈から判断するしかありません。
主節の述語動詞である「seem」が過去形になっている場合、それに続く「to have 過去分詞」は、述語動詞の時間より以前であることを表します。これも
S+seemed to have 過去分詞 |
の形式が表していることは
It seemed that <過去完了>
It seemed that <大 過 去>
の両方がありえます。「過去完了」は「過去のその時点(seemedで示された過去)まで」を表すものですが、「大過去」は過去完了と形式は同じでも「ある過去(seemdで示された過去)よりもさらにさかのぼった別の過去」を表します。
He seemed to have been sick. がどういう意味を表せるかを考えてみましょう。
1, It seemed that he had been sick.(過去完了)の場合
昨日久しぶりに彼に会った。元気そうではあったが、今ひとつ顔色がよくないようにも見えた。聞いてみると「ずっと寝込んでいてやっと今日から出歩けるようになったんだ」とのこと。
これは「過去のそのときまで」という過去完了の意味での「he had been sick.」です。
2, It seemed that he had been sick. (大過去)の場合
1ヶ月ほど前にパーティがあった。てっきり彼も来ると思っていたが、彼は姿を見せなかった。
さて、先週彼に会ったのでなぜパーティに来なかったのかと尋ねてみた。彼ははっきりしたことを言わなかったのだが、どうやら「1ヶ月前のパーティの日には病気だった」ように彼の言葉から感じた。
1つの英文を「理解」するというのは、ただそこに含まれている単語を日本語に置き換えて「和訳」することではありません。上の例のように文脈を想像し、「たとえばこんな事実がこんな順序であった場合」という具体例をイメージできることです。
1の「過去完了」は「過去のそのときまでずっとそうだった」の意味であり、2の「大過去」は「ある過去とは別のもっと過去においてそうだった」の意味です。この違いは微妙であることもありますが、はっきり区別されなければならない場合もあります。
また過去完了は現在完了のすべての用法がそのまま過去にずれたものですから、「過去のその時点までの経験」を表すこともありえます。
He seems to have climbed Mt. Fuji many times.
=It seems that he has climbed Mt. Fuji many times.
(彼は今までに何度も富士山に登ったことがあるらしい)He seemed to have climbed Mt. Fuji many times.
=It seemed that he had climbed Mt. Fuji many times.
(彼はそのときまでにもう何度も富士山に登ったことがあるらしかった)
以上を振り返り、述語動詞 seem とそれにつながる「to do(基本形不定詞)」と「to have done(完了形不定詞)」の違いをまとめてみましょう:
1、「seem」は文の構造上の述語ですので「時制」を表します。すなわち seem によって文全体を通じての時間設定が行われるわけです。
一方それに続く「to不定詞」は「相」しか表すことができません。相は時制が決定されたあとでこそ、その意味が明確になるので常に「時制>相」の順序で伝達されます。(項目135の「基本時制の一覧」を再確認してください。すべて「時制」がまず決定され、それから細かい「相」が現れていることがわかるでしょう。)
2、「seem」の時制がまずその文の「時間軸」を決定します。それから「to不定詞」がその時間軸を基準とした「相」を表現するという流れになっています。
3、「seem」によって「現在」という時間軸が決定すれば、それに続く「to do」は同じ現在を表し、「to have done」は「現在までの完了」か「現在以前=過去」を表すことになります。
4、「seem」によって「過去」という時間軸が決した場合は、それに続く「to do」は同じ過去を表すこととなり、「to have done」は「その過去に至るまでの完了」か「過去以前=大過去」を表します。
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項目287の「to不定詞の意味上の主語」で述べましたが、原則として、ある文の構造上の主語はそのままto不定詞の意味上の主語として引き継がれます。
You are lucky to be loved by many people. 多くの人々に愛されて君は幸運だ。
冒頭で構造上の主語が「you」と決まりましたので、そのあと現れる to不定詞「to be loved」の意味上の主語もそのまま「you」です。すなわち意味上の関係として「You + be loved」が成り立ち「you are loved」という受動態がそこにあるわけです。
不定詞の意味上の主語は常に構造上の主語と一致するわけではなく、意味の流れから文のS以外に移ることも多くあります。
1, I have a lot of work to do.
2, I have a lot of work to be done.
1は意味上の主語「 I 」がそのまま「to do」の意味上の主語として継続しており、「私には(自分が)やるべき仕事が沢山ある」という意味。
2は「work」についての説明として「それはどんな仕事かというと」というつながりであとの「to be done」の意味上の主語が「work」に移っています。「 I 」が意味上の主語でなくなったということは「私がする」と限ったものではなく「誰かにやってもらいたい仕事」、「人にやらせる仕事」まで意味に含まれてきます。
1,2のどちらも英文としては正しいものですが、「自分がやるべき仕事」という捉え方をしているか、「仕事が完了しさえすれば誰がやってもよい」という捉え方をしているかの違いが「to do/to be done」の差となって現れています。
目的格補語にto不定詞を取る構文では、目的語と補語の間に「主語・述語」の関係が必ずありますので、目的語を主語にとった場合、述語部分が能動態であるべきか受動態であるべきかが自動的に決まります。
I want my salary to be paid by tomorrow. 明日までに給料を支払ってほしい。(「給料が支払われる」ことを欲する)
目的語が「my salary」ですので「my slary is paid」の関係でなければならなず、「to be paid」を「to pay」とはできません。
I want you to pay my salary by tomorrow. あなたに私の給料を明日までに支払って欲しい。(「あなたが給料を支払う」ことを欲する)
このように目的語が「you」ならば「you pay my salary」という能動態が組み込まれているので「to pay」が正しくなります。
つまりSVOCの「ネクサス構文(OCに主語・述語の関係を組み込む文)」ではOCで能動態を作っていればCは「to do」に、受動態を作っていればCは「to be done」になるわけです。受動態の便利なところは「行為者」を言葉に出さなくても表現できるという点であり、
I want my watch to be repaired. 時計を修理して欲しい(「時計が修理される」ことを欲する)
のように「誰が修理する」かを示さずに済みます。それは「時計が修理される」ことが意味の中心であるからです。同じ英文を能動態を組み込んで表現しようとすると目的語の位置には「repair」する人を置かなければなりませんので、
I want someone to repair my watch.
などとどうしても「repair」の意味上の主語を言葉に出す必要が出てきます。これでも文としては正しいのですが、意味的に重要でない「someone」が中途半端に顔を出しているところがなんとも冗漫が印象を与えます。受動態を組み込んだ表現で「someone」を出せば
I want my watch to be repaired (by someone).
と「by~」で添えることもできますが、あえて行為者を明確に示す理由がありません。問題としているのは「時計が修理される」ことですからね。だから「by someone」は自然と省略されるわけです。
もし「誰がそれをするのか」が責任問題として重要になってくるのであれば
I want you to clean the room right now.
I want the room to be cleaned by you.
というふうに「人」を目的語にしっかりすえて「あなたに掃除して欲しい」と言うはごく自然です。
そして受動態を組み込む場合にも「by you」まで省略せずに伝えられなければなりません。
前の項目で扱った seem と受動態不定詞を組み合わせてみましょう。
今度はどういう事実について「seem」なのかを先に「it seems that」で示します。
It seems that this radio is broken. このラジオは壊れているようだ。
=This radio seems to be broken.
受動態の不定詞にも完了を重ねることができ、形式は「to have been 過去分詞」となります。
It seems that this radio has been broken. このラジオは壊れてしまったようだ。
= This radio seems to have been broken.
完了不定詞は「完了」と「そのとき以前」の意味も表しますので
It seems that this radio was broken. このラジオは壊れていたようだ。
= This radio seems to have been broken.
の場合も同じく「to have been 過去分詞」となり、意味の違いは文脈から判断するしかありません。
「seems to have been broken」 の組み合わせについて深く観察してみますと
1、seems で時制がまず決定される。つまり文全体の「時間軸」が設定される。
2、「to have 過去分詞」がそれに続き、設定された時間軸上での「相」が伝わる。
3、最後に「been broken」という受動態が現れる。
つまり「時制>相>態」という順序がそこにあります。
It seemed that the room had been clearned (by someone).
どうやら誰かが部屋を掃除したようであった。
どうやら誰かによって部屋が掃除されたようであった。
=The room seemed to have been clearned (by someone).
こちらもやはり「時制>相>態」の順序で現れていることがわかりますね。
英語では「過去、現在、未来」という横軸の時間設定がまず伝えられ、それから「相(完了や進行)」という縦軸の時間表現が表現され、「いつ」が明確になってからやっと「態(「する」のか「される」のか)」が伝達されます。
「to不定詞」には基本形「to do」のほかにも「完了不定詞(to have done)」、「受動態不定詞(to be done)」、さらにその両方が同時に現れた「完了受動態不定詞(to have been done)」があることがわかりましたが、難しく考える必要はありません。どれもみな「基本形」である「to do」は共通しており「to have done」の最初の2語は「to haveの原形」ですし、受動態不定詞の「to be done」でも最初の2語は「to beの不定詞」、もっとも複雑そうに見える「完了受動態不定詞(to have been done)」でも最初の2語は基本形に過ぎません。
つまり「to不定詞」を口にしようとしたその時点で「toの次には動詞の原形が言いたくなる」感覚を持てばよいのです。その感覚に応じて「普通の動詞の原形」をつなげるか「完了形を作るhaveの原形」、「受動態を作るbeの原形」をもってくるかの違いに過ぎないのです。
そして普通の動詞の原形がくればそれで1つの単位は終了。相として完了を加えたければその時点で「have」までを口にしてから「haveに思わず過去分詞の動詞をつなげる」感覚を持てばよいのです。完了相で何かを表現しようとした限り、haveのあとには動詞の過去分詞しか口にしたくない気持ちを自分の中に湧き上がらせてください。
受動態を作ろうとして「be」が口をついたら、次の動詞を「つい過去分詞にしてしまう」癖をつけるのです。
そういう動詞連結について最初は理論で理解しますが、練習を重ねて「感覚的に正しいつながり方にしないと気持ちが悪い」という感性にまで高めてください。日本人が正しい日本語を使えるのも、英語ネイティブが正しい時制、相、態などの形式をすらすら口にできるのも「正しい形を言わないと抵抗を感じる」という心理的癖が固まっているからです。間違って言い方が聞こえてくると、いわゆる「耳に逆らう」という印象を抱きます。
その表現が正しいのか正しくないのかを、ネイティブが判断するのは「文法書に照らし合わせて」というより、習慣的に身についた言い回しとの比較による印象的判断です。
すなわち英語を話したり聞き取ったりというリアルタイムの技能を高めるためには、「正しい言葉の組み合わせ」を自分自身の癖にすればよいのです。そうするしかないのです。瞬間瞬間に現れては消えていくリアルタイムの音声に対して「頭で覚えた文法規則」をいちいち当てはめている時間などありません。スポーツ選手の体がとっさに適切な反応をするように現実の会話の中でも適切な言葉の順序、組み合わせが「思わず」口をつくように自らを訓練していくのです。
たとえば「You are」というのを「You is」とは「言いたくない」と感じるでしょう?口がそれを「言わせてくれない」ような抵抗感を感じませんか?(感じないとしたら基礎の基礎からやりなおすだけですが)
「This is... They are... I am...」のような基本的な言葉の組み合わせに対してすでに身に付けている感覚をその他の複雑な述語動詞形式や、不定詞の完了形や受動態などにも拡張していくわけです。自分自身の中にすでに築き上げられた英語的言語習慣、感性は冷静に振り返ってみれば、その到達度を反省することができるでしょう。
ある程度英語が使えるようになった人でも三人称単数現在形の -(e)s などをぽろっとつけなかったり、名詞の単数複数の区別が不適切な言葉を話してしまったり、冠詞の使い方が適切でなかったりなどと、習熟段階によって「まだ注意していないと間違えてしまう」レベルは様々です。
間違えることを恐れる必要などありません。沢山使って沢山間違えてください。その経験だけを通じて間違えなくなっていくのですから。
最も大切なことは「多くの例文を実際に自らの音声として発した回数」がどれだけあるかなのです。その実践のみより実技的上達がもたらされます。
「英語が使えるようになりたい」と思ってこのサイトを活用してくださる皆さんは「英語という名のスポーツの名選手」を目指しています。入門段階ではそのスポーツに求められる体の動かし方などについて1つ1つ理屈で理解します。「なるほど、ここはそういう理由でそういうふうに体を動かすんだな」と教えてくれるのが文法です。しかし、その理屈を知っただけでそのスポーツを楽しめるようはなりません。理解を踏まえて、基礎的な練習を積み重ね、最後は理論を全く意識しなくても、場面・状況に応じた体の動きがとっさにできるようになっていく必要があります。
英語は言語ですから「音声による伝達や理解」がその実体です。ということは練習のメインとしても音声を用いることが必要不可欠です。単語1つ、例文1つを「それが実際に使われる場面、文脈」を想像しながら実際に声に出して言うことを怠らないでください。
なんらかの文法事項を学んだら、それを含む例文を声に出して言ってみましょう。ひとり部屋で勉強するときでさえ、誰か話し相手をイメージして、自分が伝えたい情報を意味に応じた読み方で、音声によって伝えているという意識を持ってください。
英文を書く練習をするときも「先ず口で言ってみる」ことが先です。口で言えたら書いてみるという順序を守ってください。私が知る限り実に多くの人がこの順序を守っていません。「頭の中で考え、文字で書き表し、それを最後に(意味に合わない読み方で)読む」という順序で行っていては技能の向上には結びつきにくいのです。ましてや「どう読むか」など問題ともせず、和訳だけにこだわっていれば、「最も効率の悪い英語学習」を実践していることになります。
様々な英文に和訳が添えられているのは英文理解「参考」としてもらうためであり、その英文を「どう和訳しなければらないか」の答えを示すものではありません。
さて不定詞そのものの解説からすっかり脱線したかのようなお話でしたが、文法編で「品詞」を学び、「動詞」の「基本時制」の形式を知り、具体的な文章を構成する上で重要な「構文」の段階まで皆さんは来ているのです。
だからこそ、今ここでもう一度、このサイトを読み始めたときの注意事項を再確認する必要があります。でないとせっかく正しいスタンスで英文法に取り組みはじめたはずなのに、気づいてみれば普段の学校の教室となんらかわらない「知識の英語」にまた陥ってしまうからです。
文法は知識の整理ダンスを頭の中に作るものであると同時に、英語という「実技科目」の訓練指針を与えてくれるものです。指針を得たら実際に訓練するのはあなた自身です。
テニスの理論書を100冊読んでもラケットを握ったことのない人にボールは打ち返せません。あなたの目標はラケットの振り方を理論で知ることにあるのではなく、実際にボールを打ち返せるようになることでしたね?
このサイトの解説もいよいよ構文編に入り、品詞の章だけでは伝えられていないさらに複雑で高度な内容に触れることになります。だからこそ今一度、基本姿勢を再確認してからこの先の内容に取り組むようにしてください。
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★「to不定詞」の進行形、完了進行形
すでに「to不定詞」にも「完了形」や「受動態」が組み合わさることを見てきましたので、その延長として「進行形(be+~ing)」さらに「完了進行形(have been ~ing)」も使われることは容易に察することができるかと思います。
これらについては「It seems that」の節の中に色々な時制・相が現れる例文を先に考えてみて、それからthat節の中の主語を文全体の主語に取り直してみるとわかりやすいでしょう。
It seems that he is eating something while talking on the phone.
(彼は電話で話しながら何かたべているみたいだ)
→He seems to be eating something while talking on the phone.It seems that he has been cooking in the kitchen until now.
(彼は今までずっと台所で料理をしていたようだ)
→He seems to have been cooking in the kitchen until now.
上記2つの表現法について、おそらく日本人の英語学習者にとっては「It seems that..」で始める形式の方が口にしやすいかと思います。それはそれで全く問題のないことですから、「~のようだ」という言い方をしたいときは、まず「It seems that」で言い始めてしまい、その出だしを口にしながらthatの中身をどう表現するかの時間を稼ぐというのも1つの手でしょう。
下の形式の言い方は「seem(s) to」を割り込ませたあとの「to不定詞」がやや複雑な形式にも感じられますので「It seems that..」を先に口にしてみてから、同じ内容を下の形式でもいえるかどうかを確認するとよいでしょう。慣れてくれば難しくは感じませんが、初級段階までくらいは述語動詞の形式が複雑だとその部分に神経を使ってしまい文全体の意味があやふやになる可能性もあります。上の形式が悪いわけではまったくなく、立派に自然な言い回しですので安心して使ってください。
一般の解説書には「It seems that...」が文語的で口語(会話)では seem to が普通だのようなことが書かれていることもあります(それ自体は嘘ではないのです)が、外国語として英語を話す日本人が「会話としてはやや堅く感じる言い方」をしたとしても何の違和感もありません。
★省略不定詞
前後関係から明確なとき、toのあとに置かれるべき原形動詞が省かれ文末に「to」だけが残ることがあります。この省略不定詞がよく見られるのは、特に目的語や目的格補語の位置にto不定詞が来る構文を取る「want, like, intend, try」などです。
また「to不定詞」とつながるタイプの助動詞句「have to, ought to, be able to」などは「to」までで句を構成していると感じられるため、それに続く動詞原形が省略されてもtoだけは残ることになります。
You can eat mine, if you want (to).
よかったら僕の分も食べていいよ。You can do it easily if you try (to).
やってみれば簡単にできるよ。
上記のように「他動詞+to不定詞」では省略不定詞まで言うかどうかは任意です。
I don't want to do that, if I don't have to.
もししなくてもいいのなら、それをしたくない。
「if you don't have」で打ち切ってしまうと「have to」という助動詞の意味が損なわれてしまうため、このtoは省かれません。
このように「to (do)」の省略結果として残された「to」だけで省略された部分までの意味を伝える「to」のことを「代不定詞」と呼ぶこともあります。
★主格補語の「to do」における「to」の脱落
通常「主語 is to do」の形式では「to do」が「~すること」という名詞用法ですので「to不定詞」が用いられます。
My dream is to be an astronaut. (私の夢は宇宙飛行士になることだ)
この形式で「to不定詞」のtoは省略できないのですが、主語部分に「to do」が含まれているとき、主格補語側の「to」が脱落することがあります。
What I want to do now is (to) go home and sleep.
(今やりたいことは家に帰って寝ることだ)
構造的な観点だけからものを言えば、あくまで構造上の主語は名詞(語、句、節)ですので、主格補語も名詞資格を持つ「to do」形式であるべきなのですが、すでに「to do」と現れていることを受けて「to」の繰り返しを避けてもよい心理が働く結果です。逆に言えばそういう「to脱落へ誘う要素」がなければ補語部分の「to」は脱落しません。もちろん、どのような場合にも補語は「to不定詞の名詞的用法」ですのでtoを省かずに言うことは常に正しいといえます。
All you have to do is (to) work hard and earn money.
(君はしっかり働いて金を稼ぎさえすればよいのだ)
★疑問詞+to do
疑問詞が節を導くかわりに「to不定詞」を導くだけの簡素な形式を取ることがあります。このような「to不定詞」に「名詞、形容詞、副詞」の基本用法を無理にあてはめようとするのは意味がありません。単純に「疑問詞+to do」全体で名詞句と見なすだけで十分です。
I don't know what to do. どうしたらいいのかわからない。
=I don't know what I should do.I don't know where to go. どこへ行けばいいのかわからない。
=I don't know where I should go.I don't know how to do it. どうやってそれをやればよいのかわからない。
=I don't know how I should do it.
whyについてだけは単純に上記のような形式で現れることがまずありません。
「Why 原形?」という省略文で現れることがありますが、これはもともと完全な文章があり、そこから最重要の2語だけを残したもので広告文などでよく見かけます。
Why buy our products? なぜ私どもの商品を買う(のがよいのか)
=Why should you buy our products?
Why 単独では「why to do」の形式はまず用いられませんが、他の疑問詞と並べられているときはこの形式にも抵抗がなくなります。
Can you explain when, how and why to wash your hands?
いつ、どのようにして、そしてなぜ手を洗えばいいのか説明できますか?
これがwhyだけしか使わないのなら「Why wash your hands?(なぜ手を洗うのか?)」と省略文の言い方の方が好まれます。
whether は、現代英語ではすでに接続詞としてしか用いられていませんが、そのスペルを見るともともとは疑問詞であったことが想像できるでしょう。それで他の「疑問詞+to do」同様の使い方がなされます。
I don't know whether to laugh or get angry.
=I don't know whether I should laugh or get angry.
笑うべきなのか怒るべきなのか分からない。
さらに「疑問形容詞+名詞」や「疑問副詞+副詞」なども「to do」を伴って用いられます。要するにこういう使われ方の「to do」は節(SV)を簡素な言い方で済ませたものです。
Tell me which way to go. どちらの方向に行けばいいか教えてください。
=Tell me which way I should go.Tell me how many times to repeat it. それを何回繰り返せばいいのか教えてください。
=Tell me how many times I should repeat it.
★助動詞句的に用いられる「自動詞+to」
I tried to help him. 私は彼を助けようとした。
上の文で「try to」を一種の助動詞だという解釈をすることも可能です。つまり「やろうとする」という意味をあとの「help」に加えており、「can, must, may など」の直後に原形不定詞を取るタイプの助動詞に対して「try to」までを1語のように扱えば同じような機能をしているともいえるわけです。このように、toまでを含めて助動詞句を構成していると見なせる動詞が他にもあります。
happen to/chance to (たまたま~する。偶然にも~する)
I happened to be there. (私はたまたまその場にいた)
=It happened that I was there.There chanced to be a doctor in the bus when the old man got a heart attack.
その老人が心臓発作を起こしたとき、たまたまバスに医者が乗り合わせていた。
=It chanced that there was a doctor in the bus .....
seem to/appear to (~のようだ)
会話では seem の方が頻繁に使われます。どちらも「~のようだ」ですが、必ずしも「見た目で判断」しているわけではなく、外見以外の判断材料に基づいても使えます。
それに対して「look (to be)形容詞」は「見かけ」がどうであるかを述べるものです。さらに「seem to/appear to」は「It seems/appears that ...」の形式でも同じことを表現できますが、「It looks that..」という形式はありませんので機械的類推をしないように注意してください。
He seems to be poor. 彼は貧しいらしい。
<見かけではなく、彼の行動や状況などからそうではないかと判断している。
=It seems that he is poor.He looks (to be) poor.彼は見かけが貧乏くさい。
turn out to be (結局~だと判明する、結果的に~である)
これは「伏せてあるカードをめくってみたら」というニュアンスで、日本語だと「ふたを開けてみたら」という言い回しに近いニュアンスがあります。
My plan turned out to be failure.
私の計画は失敗であることが判明した。
★ be to不定詞
日本語への直訳がしにくいという点で日本人英語学習者にとってわかりにくい表現だといえます。「どう和訳すればいいか」に」縛られていると、この表現はものにならないでしょう。かえって文法用語で「予定、運命、義務・当然、可能、意思」のように用法名をぶつぶつ唱えて先に覚えてしまうのも、こういう場合は有効かも知れません。その後実際の用例に多く触れていく中で、そういう用法名を忘れてしまっても構いません。(これらの用法は明確に区別されるとは限らず、文脈次第でどれにも解釈可能であったり、複数の意味合いを同時に兼ねていることも多くあります。)
いずれの用法も直訳的に「~することへ向かった状態で存在している」を踏まえると理解しやすいかも知れません。
The party is to be held at 8 PM. パーティは午後8時に開かれる予定です。
上記和訳は「予定」として表現してありますが、「8時には何としても開かねばならない」のようい前後関係によっては「義務・当然」にもなりえますし、「8時には開催可能です」という意味にもなりえます。
You will never be to come back here. 2度とここへは帰ってこられないだろう。
「そんな危ないところに一人で行くなんて無謀なことをするのであれば」などの文脈があれば、「帰ってこられない」という予定は「運命」の響きになりますし、「当然無理だ」というニュアンスでもあります。ですから最初にあげた用法の名称は「はっきり分かれて何種類ある」というものではないのです。
You are to obey the law. 法律に従わなければなりません。
これも「話者の命令」のニュアンスがあり、「当然君は従うものだ」と述べており、「君は従うことになっているんだ」と和訳しても構わないものです。「be+to(前置詞)+名詞(原形動詞の古い用法)」という歴史的背景を踏まえれば「法律に従う方向に向かって君は存在している」という発想も感じられます。これを否定表現にすれば「禁止」を意味することになります。
You are not to smoke here. ここではタバコを吸ってはいけません。
「当然」の用法と解釈すれば「当然しないことになっている」、「しないのが当然と見なされている」とできますね。
This is to inform you that we are undergoing a system maintenance this coming Saturday.
次の土曜日にシステムの保守を行う予定であることをお知らせするものです。
これは話者の意思として「お伝えするものだ、伝えたいと思う、伝えますよ」というニュアンスですが、ビジネス文書などによく現れる言い回しです。証明書の書き出しでは「This is to certify that ...(that以下であることを証明するものである)」というものもあります。
「be to不定詞」の意味合いは文脈次第です。
自分なりに勝手に前後関係を想像してみたり、1つの英文に色々な和訳を与えてみるなどするのも発想を柔軟にし、日本語の言い回しとの比較で和訳の要領もうまくなります。また逆にどういう日本語表現をこの構文で言い表せるのかも見えてきます。
I am to attend the meeting.
私はその会合に出席することになっている。(予定)
出席しないといけない。(義務)
出席するつもりでいる。なんとしても出席してやるぞ。(意思)
出席するとまわりに思われている。(当然)
どうせ出席しなきゃいけないんだ。(運命)
などなど。
和訳することは英語を学ぶ目的ではありませんが、日本語ネイティブとして培ってきた日本語への語感を活用して英語の理解を深めるのは間違った取り組みではありません。
「be to不定詞」というのは多分に曖昧さを含んだ言い方です。話者がどういう意図で、何を意味しようとしてそれを用いたのかは話の流れの中から解釈されることになり、十分な前後関係が与えられないときは解釈に迷わされることにもなります。自らがしっかりした文脈の中でこれを使わないと相手が解釈に迷います。
言葉というのは語数が増えるほど解釈の幅が限定され、意味が明確になりますが、同時に分かりきっていることを言葉に出すと冗漫な印象も与えます。少ない言葉による表現は簡潔な印象を与えますが、解釈の幅が許される分、曖昧さを伴い誤解を招く危険性もはらむということです。
次のような表現にすると語数が費やされる分、解釈の幅がなくなり話者の意図が明確になりますが、ときとしてくどい、味のない文章になることもあります。ただ特に初心者の方などは多少くどさを伴っても相手に誤解されず、解釈に紛れのない言い回しを使うように心がけられる方がよいでしょう。
I have a schedule to attend the meeting. 会合に出席する予定がある。
I am obliged to attend the meeting. 会合に出席することを義務付けられている。
I decided to attend the meeting. 会合に出ることを決心している。
I am supposed to attend the meeting. 会合に出るものだと思われている。
I am destined to attend the meeting. 会合に出るように運命づけられている。
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