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292. 原形不定詞

 これまで「to」と「動詞の原形」が結びついた形を見てきましたが、その形が発生する以前に、動詞が名詞化するために原形のままで文中に使われる用法がありました。その用法の中で前置詞toとつながった形が生まれたのが今日の「to不定詞」のもとでした。
 そもそも「to+原形」は「to+名詞」の意味、すなわち「~することに向かって」を意味しており、そのニュアンスを現代英語の「to不定詞」にも見出すことができます。

 不定詞はもともとtoを伴わない動詞の原形がそのまま文章に組み込まれて用いられたものでしたので、現代英語にも昔の使い方がそのまま引き継がれているものがあります。

 現代英語で原形不定詞が文中に現れるのは次の場合です:

1、助動詞と結びついて
2、命令法で
3、仮定法現在で
4、接続法で
5、使役動詞構文の目的格補語で
6、知覚動詞構文の目的格補語で

 それでは上記1~6、それぞれの場合について見ていくことにしましょう。すでに解説済みの内容も含まれますが、「動詞の原形が文章の中に現れる場合」というテーマの中で再度知識を整理することにします。

1、助動詞と結びついて

 動詞が文章の中で述語動詞として用いられるとき、「主語の人称・数」、「時制」がその形に反映されて「現在形」か「過去形」となります。たとえば go という原形動詞が「He」という主語の述語になった場合は、「He goes(現在形)」、「He went(過去形)」という形を取りますね。このように1語のままで原形とは異なる形に変化することを活用と呼びますが、未来を表すときだけは「未来形」という1語の形がなく、「He will go」というふうに「will」のあとに原形のまま置かれます。便宜的に「will 原形」の2語を指して「未来形」と呼ぶことが多いのですが、厳密に言えば「英語の動詞に未来形という活用変化はない」といえます。

 なぜ動詞が活用するのかというと、それは「動詞を見ただけで『誰が』『いつ』おこなったのか」が分かる仕組みになっていたからです。つまり主語が書かれていなくても「誰が、いつ」その動詞を行ったのかが分かったものなのです。しかし、具体的な名詞が主語の場合はそれをさらに示す必要がありましたし、それ以外の代名詞主語にしても、動詞の前に添えることで、より明確に主語を伝えることができ、常に主語を明示する習慣が固まってくると「主語ごとに動詞の形を変える」理由がなくなってきました。そのため昔はもっと複雑だった動詞の語尾がほとんど同じになってしまい、現代英語ではいわゆる三単現の「-(e)s」がそういう「主語ごとに違った形」の名残として残るだけになってしまいました。(この-(e)sもいつの日か消えてしまう可能性もあります。)

 英語の述語動詞は、実を言うと常に「助動詞+動詞の原形」から成り立っています。
 この「助動詞」と「原形動詞」が2つ並べて置かれることもあれば、「1語に合体」して使われることもあり、その「1語に合体」した形が「現在形」や「過去形」という活用形となるわけです。

 現在時制の場合、もっとも基本となる助動詞は「do/does」です。主語が3人称単数のときだけ「does」が使われ、あとはすべて「do」が用いられます。そしてその後にあらゆる動詞の原形を置くことができます。たとえば

I do go
We do go
You do go
He does go
She does go
It does go
They do go

 というふうに主語ごとに「do/does」のいずかを取ったあとはすべて共通して原形である「go」をおけば、これでSVの形式となるのです。つまり「V(述語動詞)」というのは「助動詞+原形動詞」から常に成り立っていると考えて構いません。

 このようにVを「助動詞+原形動詞」の2語で表現する方法を先ず知ってください。
それから2語に分かれているVを1語に「合体」させた形が生まれます。

I go
We go
You go
He goes
She goes
It goes
They go

 主語が3人称単数の場合以外は、「do」と並んで2語になっていた場合と1語に合体した場合とで同じ形が用いられていますが、あくまで「原形」と「現在形」は違うものなのです。たとえ見かけが同じでも「生卵」と「ゆで卵」のように中身は違うのだと理解してください。
 あるいは助動詞「do/does」が「包み紙」であり、それによって「原形動詞」が包まれた結果「現在形」ができると考えてもよいでしょう。

 包み紙「do」は例えて言うならサランラップのように透明で包むものに密着するため、何かを包んだとき、その包み紙は見えなくなってしまいます。中身と分けて包み紙だけを横にならべたときは無色透明ながら「do」という姿が見て取れますが、原形動詞を包んでしまうとぴったりそれに張り付いてしまいそこに包み紙があるようにさえ見えません。

 だから「do(包み紙)」で「go(原形動詞)」を包んでやると、結果として「go(原形=doで包まれた原形go」となると理解してください。「何にも包まれていないむき出し、生の動詞」が原形であり、ラップで包まれた状態の動詞が「現在形」です。見かけが同じでも「包まれているのか、むき出しなのか」をイメージでしっかり区別するようにしてください。

 さて主語が3人称単数のとき使われる包み紙「does」は「do」にちょっとだけ色がついた色セロファンをイメージしましょう。それで原形動詞を包み込むと中身が透けて見えますが、セロファンの色(つまり-(e)s)がついて見えるため「go」は「goes」となるわけです。

 「主語の人称・数、時制」が述語動詞の形となって現れると最初に言いましたが、実は本当にそれが反映されているのは助動詞の側なのです。だから助動詞だけは「do/does」という主語によって異なる形を取りますが、それに続く本動詞はすべて原形なのです。包み紙が変わっても中身は常に同じということです。

 否定文はVの前に置かれる助動詞を否定することで作られます。すなわち do not / does not 短縮すれば「don't/doesn't」であり、そのあとには原形動詞が(包み紙をはがした状態ですから)置かれるわけです。
 疑問文でもVを一旦「包み紙(助動詞)中身(本動詞・原形)」に分離してから主語と助動詞の位置を入れ替えます。

 現在時制では「do/does」という包み紙(助動詞)と原形動詞の組み合わせが用いられますが、過去時制なら主語の人称・数に関係なく「did」が包み紙(助動詞)となります。分離形では「did go」のようになり、合体すれば「went」という「過去形」となります。

 未来時制の包み紙(助動詞)は「will」ですが、これだけは本動詞(中身)を包み込むことができません。「包み紙」というより柔軟性のない一枚の「板」のようなものだと思ってください。本動詞を包み込めないため、合体形を持たず、ただ並べて「will go」のようにするしかありません。否定文や疑問文の作り方は他の助動詞が分離したあとと同じです。

 述語動詞Vを構成する「助動詞+本動詞」で本動詞を包み込めてしまうのは「do/does」と「did」だけであり、あとの助動詞は全部「板」として分離配置するしかありません。つまり can/could, may/might, shall/should, will/would, must などは本動詞との合体形を持ちません。

 中学からの学習順序としては

He goes to school. のような「現在形」を先に習い、否定文で突然
He doesn't go to school. と「does」が現れますが、この does は突然現れたのではなく、最初から「go(原形)」を包み込んでそこにあったのです。それが否定文という「一種の強調構文」を作るうため「助動詞+本動詞」という分離形となって姿を現したわけです。

 分離形は否定や疑問の文を作るときだけでなく、肯定文のときでも意味の強調をする際に現れます。すなわち

He goes
He does go
He does not go

 と「合体形>強調分離形>強調否定形」という段階を経ているのです。助動詞と本動詞が分離して配置されるのはすべて何らかの「強調」の意味を持っているときであり、肯定文のままでもその意味を強調するときは分離形が使われます。否定や疑問というのも「通常の意味ではない」という観点から一種の強調文だといえます。だからこそ述語動詞が分離形となるわけです。

 このように述語動詞が分離形となるとき、助動詞の後に「動詞の原形(=原形不定詞)」が使われます。
なおこの項目については「もくじ」の上にある「文法解説サンプル」 も合わせて参照してください。

2、命令法で

 「動詞」の「」ですでに命令法については説明しましたが、命令法は「直説法(事実描写をするときの動詞の形)」ではありませんので、時制を持ちません。主語による形の変化もありません。基本的に命令文の主語は「You(単数・複数とも)」で、その主語は通常省かれますが、呼びかけのように明示されることもあります。

Come here. ここに来なさい。
You come here. 君はここに来なさい。

you が主語として明示してあっても、この「come」は原形です。現在形と形は同じですが、「時制がない」のですから現在形ではありません。

 Youに対する命令ではない特殊な用法として次のものがあります。

Be it ever so humble, there is no place like home.
どんなに貧しくとも、我が家に勝る場所はない。

 これは接続詞を用いれば次のように表すことができます。

Even if it is so humble, there is no place like home.

 つまり接続詞「if」が脱落したあとに主語と述語動詞が入れ替わり、述語動詞が原形になることで上の文が得られます。このような原形もまた命令法に含めることができます。
 面白いことにこの発想は日本語にもあり、「たとえ~だと『せよ』」の「せよ」、あるいは「たとえ~で『あれ』」の「あれ」は「する」、「ある」の命令形です。これは「~だということにしておけ」と命令しつつ「そうだとしても」という意味で主節が追いかける流れになっています。

 「命令文 and 」や「命令文 or」で命令文の部分を「if」を使って言い換えることができるのも同様に理解されるでしょう。

Leave now, and you will be in time for the train.
今出発しなさい。そうすれば列車に間に合うだろう。
=If you leave now, (then) you will be in time for the train.

Leave now, or you will not be in time for the train.
今出発しなさい。さもないと列車に間に合わないだろう。
=If you don't leave now, you will not be in time for the train.

 このように「命令法」でも動詞は原形不定詞として述語に用いられます。

3、仮定法現在で

 動詞が時制を持つのは「直説法」だけです。
直説法だけが「事実を描写」するので、そこに描かれたことがらが「いつ」のことかを示す必要があるからで直説法以外の法(命令法、仮定法、条件法、接続法)に時制はありません。名称として「仮定法現在、仮定法過去」などがあっても、それは時制の名称ではなく「どういう形の動詞が用いられるか」という見かけ上の形式を指した名称であることを忘れないでください。

 仮定法の中で「仮定法現在」(用法については「動詞」の「法」を参照)は述語動詞が常に原形です。事実描写ではなく、言葉の上だけで何かを想定、想像している「法」であるため、現実の時間を伝える必要がないからです。唯一動詞の形で区別されるのは「話者が言葉の内容についてどれほどの現実性を感じているか」だけであり、十分な現実性を感じながら何かを想像するとき、述語動詞は主語に関係なく原形が用いられます。

 「現代英語では、仮定法現在が直説法現在で『代用』されるのが一般的」であることはすでに述べましたが、ここではそういう代用ではなく本来の仮定法現在に着目します。

If it be fine tomorrow, I will go out. 明日いい天気なら私は外出する。
When he come, please call me. 彼が来たら教えてください。

 上の例文の「be」は「is」の間違いなのではなく原形の「be」のままで正しいのです。同様に「come」は「-s」のつけ忘れではなく原形なので主語が「he」であっても「come」のままで正しいのです。

 これらの条件節では事実の描写は行われておらず「~だとしたら、~のときは」という想像が行われているだけです。そして話者はその想像内容について「そういうことがあってもおかしくない」という十分な現実性を感じているため、述語動詞は原形のままとなるわけです。これがすでに古い英語で、現代英語では直説法現在と「同形」によって代用されますが、形が直説法現在と同じであっても「法」は仮定法現在なのです。そのあたりを混同しないようにしましょう。

 なお「if」や「when」などによって導かれる「条件節」では仮定法ですが、その条件を受けた主節(帰結節)での法は「条件法」といいます。学校英文法では一般に「条件節仮定法」と「帰結節仮定法」というふうにどちらも仮定法の名称で呼んでいますが、本来は別の法です。仮定法は「条件を設定するときの現実性を表す」ものであるのに対して、条件法は「そこに描かれている内容が『条件付』であることを示す」ものです。つまり何らかの条件がかなったときにかぎりそうである、という気持ちを表すのが条件法であり、「仮定法過去」により設定された「実現困難あるいは不可能」な条件の下では「条件法過去」となり、「仮定法現在」により設定された「実現可能性の高い条件」の下である気持ちを表すときは「直説法」が用いられます。この場合も厳密にはまだ「事実描写」ではないのですが、設定された条件の「実現可能性が高い」ため、事実描写と同様の法で許されるわけです。

 ですから述語動詞に原形不定詞がそのまま用いられるのは「仮定法現在」が用いられた条件節の述語動詞ということになります。

4、接続法で

 学校英文法ではすでに教えられなくなっており、仮定法現在の項目に含めて解説されることが多いのですが、何も「仮定」していないのに仮定法だということが理解を妨げます。

I suggested that he (should) be chairman. 彼が議長になることを提案した。
I demanded that she (should) come with us. 彼女が我々と一緒に来るべきだと強く求めた。

 このように「提案、主張」などを表す動詞に導かれる that 節の中で用いられるのが接続法です。こういう that 節の中でも事実描写は行われておらず「言葉の上だけ」で主張・提案内容を伝えていることが分かると思います。同じ that 節であっても次の例とは異なります。

I know that she is a famous pianist. 彼女が有名なピアニストだと知っている。

 こちらの that 節は事実を描写しています。ですから「is」は直説法現在です。

 提案や主張などの内容を伝えるthat節の場合、事実を描写していないため、直説法は不適切です。そのため接続法として述語動詞は「原形不定詞」のままとなります。
 ここで原形不定詞の前に should を置くのは主にイギリス英語といわれていますが、誤解してはならないのは、この should が省略されて原形だけが残ったのではないということです。(そういう間違った解説をあちこちで見かけます。)
 接続法の形式として「事実描写ではないので述語動詞が原形となる」のであり、そのとき原形をそのまま述語動詞にするという抵抗感から should を挟む形も用いられるようになったというのが正しい順序です。本来ある should が省略されたのではなく、本来必要のない should をあえて置くようにもなったのです。

 接続法も「事実描写」ではないため、時制を持ちません主節の述語動詞(suggest, demand など)の時制が何であれ、that節の中の接続法は「原形」のままです。それしか形がありませんので接続法には「~現在、~過去」という名称もありません。
 接続法は従属節の中だけに現れるものであり、主節に使われることはありません。そこが仮定法との大きな違いです。

5、使役動詞構文の目的格補語で

 「278. 使役動詞の構文」を参照してください。

6、知覚動詞構文の目的格補語で

 「279. 知覚動詞の構文」を参照してください。




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