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329. 比較関連構文

 これまでは基本事項として「原級」、「比較級」、「最上級」のそれぞれについて基本構文を見てきましたが、ここからはそれらすべてを織り交ぜて色々な表現方法について学んでいくことにします。

 どんな文法事項もそうですが、何かを理解するためには前提となる基礎理解が必要です。これまでの原級、比較級、最上級の基本的内容の上に、この先の内容がありますので前提理解があやふやな場合は逐次、必要な項目に戻って復習し、着実に理解を固めるように心がけてください。



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330. 構文変形

 同じ事実を何種類もの言い回しで表現することができます。特に最上級で表現されることがらは、比較級を使っても、原級を使っても表現が可能であるため、中学や高校の「書き換え」ではよく出題されます。

 基本的なパターンのようなものはありますが、くれぐれも「機械的書き換え」が可能なのだとは考えず、各表現は個別のものと理解しながら「同様の事実についての表現角度が違う」と考えてください。

1, Jane is the most beautiful girl (of all the girls) in our class.
ジェインはうちのクラス(の女子たちの中)で一番の美人だ。

2, Jane is more beautiful than any other girl in our class.
ジェインはうちのクラスのどの女子よりも美人だ。

3, No other girl in our class is so/as beautiful as Jane (is).
うちのクラスの女の子でジェインほど美人な者はいない。

 上の3つの例文は最も基本的なパターンとしてよく知られているものです。
 1は最上級によって、2は比較級、3は原級によって同じ事実を言い表しています。
 ジェーンが「一番の美人」だということは、他の1人1人と交互に比較してすべての場合において「ジェーンの方が美人」ということですし、逆に他の女の子をジェーンと比較して「どの子もかなわない」ということでもあります。

 1と2は Jane が主語になっていますが、3は比較対象である「その他の女の子たち1人1人」を主語にすえた否定文である点に注目してください。

 またジェインは1人ですので、美人さの度合いを比較する対象も常に「誰か1人」であるべきです。2の英文の意味を次のように書くのはあまり好ましいことではありません。

2', Jane is more beautiful than the other girls in our class.

 これは「1対多数」の比較となっているため論理的にはあまりよくない表現と見なされますが、理屈にとらわれない口語的表現ではときどき見かけます。でも皆さんは自ら進んでこの言い方を使うことは避けた方が賢明かと思います。
 2の「any other girl」は「ジェイン以外の他の女の子どれ1人とっても」の意味です。ここで示した典型的な例文に口を慣らして「than any other 単数」という言い方がすんなりと口をつくように感覚を慣らしてください。

 3は主語が「no other girl」となっています。これを次のようにするのは不適切です。

(x) Any other girl is not so/as beautiful as Jane.

 any」が先に現れてしまいますと、その時点で聞き手は「強い肯定」を感じます。つまり any が出てきた瞬間、聞き手の構えとしては「どれでもそうだ」という肯定的結論を持ってしまうわけです。そういう結論を持ってしまったあとになって「not」が追いかけてくると論理的混乱を感じます。

 そういう混乱を回避するため、「否定文である」ことを先ず最初に伝えてしまう必要があります。1つの方法は「notanyより先行させる」ことです。

3', Not any other girl is so/as beautiful as Jane.

 これはこれで正しい英文です。冒頭に not が現れたあとで any が追いかける分には聞き手も情報混乱を起こすことなく、「否定>どれにもあてはまる否定」というスムーズな解釈ができるわけです。

 そして「not any」を1語の「no」に合体させたのが最初に示した3の例文です。
 この表現でも比較は「1対1」で行われますので「no other girls」という複数形を主語にするのではなく、「no other girl」という単数にするのが適切です。

 主語が複数では決してだめなわけではありません。あくまでも表現される内容・事実によります。

a. No other girl is so/as beautiful as Jane.
b. No other girls are so/as beautiful as Jane.

 「no」は「not any」ですから、ここでの理解の基本は「any+単数」と「any+複数」の違いです。これは先の項目194の中でも書きましたが、改めて確認することにしましょう。

any+単数:どれでも、どれ1つ取っても、種類に関係なく
any+複数:いくつでも、数に関係なく

 従って(a)の表現は、ジェーン以外の女の子を「1人ずつ」交互に比較対象としたとき、「この子も負け、あの子も負け、、」と「どの女の子1人取っても」という表現です。
 一方(b)の表現は、次の言い方の延長です。

b'1. Three (other) girs are as beautiful as Jane.
3人の女の子がジェーンと同じくらい美しい。ジェーンほどの美人が3人いる。
b'2. Many (other) girls are as beautiful as Jane.
大勢の女の子がジェーンと同じくらい美しい。ジェーンほどの美人が大勢いる。
b'3. Some (other) girls are as beautiful as Jane.
数名の女の子がジェーンと同じくらい美しい。ジェーンほどの美人が数名いる。

 これらの「three, many, some」といった数を表す語に換えて「no」が代入されると「数に関係なく、、ない」の意味となります。ということは(b)の英文の意味は
「ジェーンほど美しい女の子は0人である。一人もいない」
ということを表します。

 結果的事実としては「ジェインが一番美しい」ことになるのですが、(a)は「ジェインが誰を相手にしても勝っている」という意味であるのに対して(b)は「ジェインより美人が何人いるか?」という疑問に対する答えになっています。
そういう発想の違いを踏まえますと「ジェインが一番美人だ」の意味としては(a)が論理的に合致しており、(b)は「結果は同じでも別のことを述べている」文だと言えます。ですから最上級の内容の書き換えという観点からは(a)の形式とする方が適切です。

 練習として副詞を使ったパターンも見てみましょう。

1, Tom runs fastest of all the boys in our class.
2, Tom runs faster than any other boy in our class.
3, No other boy runs so/as fast as Tom (does).

 先の形容詞の例が十分理解できればこちらも簡単かと思います。
「クラスでトムが一番足が速い」という事実について1は最上級で、2は「トムとその他の男子1人1人をそれぞれ比較」、3は「その他の男子1人1人」を主語にした否定ですね。

 時制の章で「3時制X4相」の12通りの述語動詞パターンがすらすらと口をついて言える練習をしてもらいましたが、それと同様に上記3種のパターンを繰り返し口に馴染ませてください。理屈で理解しただけでは「使える」段階にはまだ至っていません。「自分自身の言葉」として英語を口にしている自覚が持てるまで基本構文をおろそかにせず「訓練」を重ねて感覚を磨いてください。
 たとえ大学生レベル、あるいは現役教員などであっても、半ば無意識に「主語の人称・数、時制に応じた適切な述語動詞の形(要するに3単現の「-(e)s」)を適切に口にできる感覚をものにしている人は案外少ないものです。また上で述べた「any other単数」の箇所について「比較対象を1人1人交互に引っ張り出している」イメージを持って声に出せるようになってください。

 なお上記例では次の表現を含めていませんでした。

No other girl in our class is more beautiful than Jane.
No other boy in our class runs faster than Tom.

 これも実際には最上級相当の意味だと言えるのですが、あえてこれを最初の説明から外したのには理由があります。

 厳密な論理として言うなら「no other ....比較級」の言い回しは「超えている者がいない」という意味なので「同じ程度ならいる」こととなります。つまり「ジェーンより美人はいないが、同じくらいの美人はいる」とか「トムのタイムを上回る者はいないが、同じタイムで走る者はいる」ということになるわけです。
 ただ現実の使われ方としては、そこまで論理に緻密であろうとすることはなく、実質的にこれらの言い方も最上級相当として用いられています。誰が美人かなどは「数式表現」のような発想とは違いますからね。そのあたり柔軟(いい加減?)でよいのです。

 それでも「数値」で把握されやすい次のような場合は「まったく同じ意味」というわけではないので、「no other 単数+比較級」はやはり「最上級からの書き換え」としては外して置きたいと私は考えています。

Tom is taller than any other boy in our class.
トムはクラスのどの男子より背が高い。(同じ身長の生徒もいない)
No other boy is taller than Tom.
トムより背の高い男子はクラスにいない。(まったく同じ身長ならいてもよい)

 どちらの表現でも上から順番に順位をつければトムが1番なのは変わりないのですが、上の英文は「単独首位」であるのに対して、下の英文は「同率首位」の存在を許す違いがあるわけです。一般的な会話ではこの違いにこだわる必要はありませんが、「言葉を論理的に用いよう」と姿勢を持つのであれば、気になるところではあります。



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331. not/no more, no/not less

A whale is no more a fish than a horse is.
馬が魚でないように鯨も魚ではない。

 出ました(笑)。何十年も前から受験参考書では定番例文の1つで、俗に「馬鯨構文」と呼ばれているものです。比較の基本事項を一通り理解していても、なぜこの構文がこういう意味になるのかなかなか納得がいかないところでしょう。また次のような表現も理由までは納得できていないまま丸暗記で臨んでいる人が多いのではないでしょうか。

He has not more than 1000 yen. 彼はせいぜい1000円しか持っていない。
He has no more than 1000 yen. 彼はたった1000円しか持っていない。
He has not less than 1000 yen. 彼は少なくとも1000円は持っている。
He has no less than 1000 yen. 彼は1000も持っている。

 私自身、高校生のころは「not more than = at most」、「no more than =only」、「not less than=at least」、「no less than=as much as」という機械的暗記で事をしのいだことがあります。でも「根拠のない暗記」はすぐ忘れてしまうんですね。自らの言葉になりきっておらず、感覚として取り込まれていないため、「無条件暗記」を強いられてしまうのは言語の学習においては最も避けたいことです。

 恐らくはそういう同じ悩みを抱えている現役の学生さんがかなりいるのではないかと想像します。このサイトの執筆初期のころから「比較についての解説を望む」という声がかなりあったのは事実であり、これらの表現を「どう実感して自分自身の言葉に取り込めばよいのか」の指針を与えてくれる解説がまず見当たらない現実があります。

 私としても早くその悩みを解消して差し上げたかったのですが、物事には順序があります。特に文法は基礎的な理解からの体系的な積み上げがないと複雑な構文の理解はできないため、今日までこの解説に到達することができませんでした。そしてようやくこれらの表現についての「根拠」と「実感するためのコツ」をお話できる段階に至りました。

not more than

He has not more than 1000 yen.

 これは「more than 1000 yen」を否定しているだけです。
 つまり「彼はお金を持っている」という事実はあるが、その金額が「not more than 1000 yen1000円を超えない金額)」という意味を述べており、持っている金額の「上限」が1000円だという角度から物を言っています。

 この例文を口にしながらジェスチャーで手のひらを下に向けて「ここまで」という仕草をしてみてください。手のひらを置いた位置が「1000円」という上限金額です。彼が持っているお金は最大でもそこまで。これがこの英文の意味です。
 このように「上限」を強く示す言い回しなので次の言い方と同じ意味だとされます。

He has at most 1000 yen.

 感覚的に「not more than」は「~を超えることがない」とスムーズに理解されることと思います。「at most」も「最大で」の意味ですが、前後関係によってはニュアンスとして「せいぜい」という日本語に相当することがあります。まあこれは「最大で=どんなに多くとも=せいぜい」ということですから難しくはないでしょう。

no more than

He has no more than 1000 yen.

 これをすんなり理解するには先に次の例文を見てください。

He has a little more than 1000 yen.1000円より少し多くの金額を持っている。
He has a lot more than 1000 yen.1000円よりずっと多くの金額を持っている。

 これらについては抵抗なく理解されるのではないでしょうか。
このように「one more, two more, three more...... a little more, a lot more」という「どれだけより多く」という「超えている度合い」を示す言葉の位置に「no(=zero)」が来ているのです。つまり直訳的には

He has no more than 1000 yen.
=彼が持っている金額は1000円より0だけ多い。
=1000円をまったく超えていない

となります。さらにこの表現には「1000円という金額を少ないと見なしている」という前提が存在します。これはこの英文を自分のものにする上で大きな理解のポイントです。
 つまり「ただでさえ少ないと見なされる1000円という金額を全く超えていない」というのが、「no more than 1000 yen」の表す意味なのです。

 この英文は何か高価なものを欲しいと思っているのに、財布の中には1000円しかないなどの場面に用いられるものです。買おうと思っているものが100円、200円程度なら1000円あれば十分なので、この英文はまったく適切ではありません。

ただでさえ少ないと見なされる金額を1円も超えていない

 これが「no more than」のニュアンスだと理解してください。thanの後には必ず「少ない」と評価される金額しか来ません。そういう場面で使われる文なのです。つまり非常に大切なこととして、この表現は「客観的事実」を述べているのではなく「主観的評価」を述べる文だということです。そういう「主観」を「no!」の響きに感じて例文を暗誦してみましょう。
 単語として「more」が出てきますのでそれをきっかけとするなら「『もっと多い』と思っていたのに、なんだ実際はまるでNO!じゃないか!」という感情まじりの主観評価をイメージしてください。そういう主観的評価は、「only」にも感じますね。1000円持っているという事実は同じでも「1000円しかない」と表現するのは、その金額が「少ない」と見なされる状況があるからです。

He has no more than 1000 yen.
= He has only 1000 yen.

 この「no more than」で「thanのあとには『少ない』と主観的に評価される金額が来る」というのは非常に重要です。それと同じ発想が他の構文にも使われますので、よく覚えておいてください。

not less than

 先に説明しました「not more than」と「no more than」について十分納得・実感できるようになればここから先は簡単です。

He has not less than 1000 yen.

 これは客観的事実として「彼が持っている金額は1000円を下回らない」と述べています。すなわち「最低でも1000円」持っているわけです。だから同じことを

He has at least 1000 yen.

 と言うことができます。not more のときにやったジェスチャーによるイメージの刷り込みを使うなら、仕草は逆になり、手のひらを上に向けて「最低でもここ(1000円)よりは上だよ」というジェスチャーをしながらこの例文を口にしてみましょう。(和訳を思い浮かべるのではなく、英語表現が持つ意味をダイレクトに感じるように努めてください。)

no less than

He has no less than 1000 yen.

 「not」を使った「not more/less than」はいずれも「客観的否定事実」を述べるものでした。それぞれが「上限」や「下限」を表していましたが、「no more」のパターンでは「主観的評価」が重要なポイントでしたね。「no more than」の後には「主観的に少ないと評価される金額」が来ましたが、「no less than」はその逆。つまり「主観的に多いと評価される金額」が来ます。

 ですからこの「no less than 1000 yen」が使われるのは「必要な出費が1000円で十分まかなえる場面」です。「less(もっと少ない)」と思っていたら、なんとそんなことはない(No!)」=「実はこんなに持っている」というイメージを思い描きながらこの英文を口にしてください。

He has no less than 1000 yen.
= He has as much as 1000 yen.

 以上の「not/no + more/less than」を使った言い回しが、和訳によらずストレートな実感を伴って口にできるようになればしめたものです。ここから先の他の例文についても実感を伴って納得しながら自分の言葉にしていけます。ですから、ここまでの「not/no + more/less than」の表現については入念に感覚訓練をしてください。英文とジェスチャーやそれぞれの表現が使われるにふさわしい場面をイメージしながら繰り返し声に出して読み上げてください。音声とイメージ・仕草が反射的に連動するまでそれを繰り返します。これに馴染んでくると「和訳など思い浮かべようとさえしない」自分に気づきます。和訳などその気になればいつでもできることがわかってきます。英文そのものが持つ意味を感覚的に実感できるまで「脳に新しい神経回路」を構築するように練習してくださいこの訓練の積み重ねにより、誰でも「後天的セミバイリンガル」の感性が身につきます。

 さてそれでは応用文も見てみましょう。

My house is no bigger than a hut.
=My house is as small as a hut.

私の家は小屋程度の大きさしかない。

 今回は「more」の変わりに「big」の比較級が使われています。でも「no bigger」ですから言いたいのは「小さい」ということです。そして「小さい」ものの引き合いとして「小屋」がthanの後にありますね。当然ここには「小さいと見なされるもの」しか置くことができません。先の「no more than 1000 yen」と同様のパターンであることをよく理解してください。

Her house is no smaller than a castle.
= Her house is as large as a castle.

彼女の家はまるでお城のような大きさだ。

 「no smaller」ですから言いたいのは「大きい!」ということ。大きな家の引き合いとして「castle」があります。

Jane is a poor singer. Mary sings no better than Jane.
ジェインは歌が下手だ。メアリーもジェイン同様に歌が下手だ。

 さて今回の例で重要なのは「ジェインは歌が下手だ」という事実が先に示されていることです。この前後関係なしにいきなりあとの英文だけを言われても解釈に戸惑います。なぜなら「Janeの歌のうまさ」が不明なまま「no better than Jane」と言われても意味が不明になってしまうからです。「no better than」ですから「than」のあとには「下手な例、代表」に相当する人が来て初めてつじつまの合う文になります。

He is no less creative than Edison.
=He is as creative as Edison.

彼はエジソンに負けないほど創造的だ。

 こちらは「Edison」という一般に評価が共通している人物なので解釈に戸惑うことがありません。
 no more/less than の構文では「than」のあとに「常識的評価が一致している例」か、あるいは前後関係からその評価が明確であるものしか置いてはなりません。

 さて、ここまで順を追って見てきますと、いよいよ「馬鯨構文」を納得することができます。

A whale is no more a fish than a horse is.

 「no more than」の構文ですから「鯨は魚じゃない」と言いたいわけですね。そして「馬」は「ちっとも魚に見えない」動物の代表としてそこにあります。

 「誰が見ても、どう見ても魚っぽさなど全く感じない馬」と比較して、「鯨」が「魚っぽい」程度が勝るのはゼロである。
=馬を魚だと思う人などまったくいないように、鯨もまったく魚などではない。

 この構文を裏返したような表現に次のものがあります。

A whale is no less a mammal than a horse is.
馬が(明らかに)哺乳類であるように鯨も哺乳類である。

 こちらの文では「horse」が「明らかに哺乳類である動物」の代表として使われています。馬が哺乳類であると誰もが感じる程度に比べて、鯨が哺乳類である程度は「まったく下回っていない(no less)」だと述べているわけです。

 このようにno more/less than」を用いた表現では「thanのあと」に「評価がはっきりしている」ものが置かれる必要があります。ですから次のような例文は不適切です。

Jane is no less beautiful than Mary.

 「Mary」が美人なのかどうか、これだけの英文を見ても判断のしようがありません。最低でも Mary が美人であるということがはっきり示される文脈が必要です。こういう文脈不足の例文を和訳させる問題をしばしば見かけます(その多くは塾で日本人講師やバイト学生が勝手に作成した問題)が、文脈・前後関係の設定しにくい単文による文法問題の作成に際しては十分な注意を払い、できる限り英語話者の意見を事前に聞いて問題としての適切さを確認するようにするべきです。

 この例文に関して「no less beauitiful」と言っているのだから Maryは(自動的に)美人の引き合いになるのだ、というのは勝手な思い込みの押し付けになってしまいます。十分な文脈の与えられていない聞き手はそうは感じないのです。ただ「Maryって誰?美人なの?違うの?」という戸惑いを感じるだけです。

 文脈あってこそ意味の通る英文(ほとんどそうなのですが)としては次のようなものもあります。

He is no more a poet than a singer.
彼は歌も下手だが、詩人としての才能もない。
<彼の歌が下手という事実が文脈から把握されている必要がある。

He is no less a poet than a singer.
彼は歌もうまいが、詩人としても才能がある。
<彼の歌がうまいという事実が文脈から把握されている必要がある。

 これらも「he」という人物の「歌のうまさ(下手であること)」が前後関係から了解されていてこそ、素直に意味が通じて読める英文です。そういうストーリーの中で出てくるなら自然に意味の汲み取れる英文ですが、これらの例文だけを単独で唐突にだされても解釈に戸惑うのが普通です。何の文脈もない、物語の冒頭でこういう意味を伝えたいのであれば

He is a bad singer and poor at writing poets as well.
He sings very well and is a good poet, too.

のように素直に表現すればよいだけのことです。

 比較表現について基礎的なものは積極的に使っていただいてよいのですが、「修辞表現」ともいえる多くの発展的例文は、どちらかというと文学作品などに現れる「読解用英文」といえます。そのレベルの英文を自己発信にまで用いられるようになるには、それ以前のレベルの英文についての十分な習熟が前提となります。通常の会話や通信文ではあまり無理をせず、平易な言い回しにまずは十分慣れてください。

 このサイトでこうして解説しているのは、これらの表現を学校でも習うためその理解を助ける必要があり、受験などでは生徒がすでに達している実用レベルを度外視した設問があるため、その対策としてです。4技能のバランスという観点から言うと、本当はこのような文学的表現は「話す、書く、聞き取る」という技能レベルとして通常目標とされるものに比べて高すぎる感じもします。もちろんできるに越したことはなく、学習者側の姿勢として「このレベルまで自己表現できるようになる」とがんばっていただくことが理想ではあり、それを志す方の指針としていただける解説を私としても心がけています。しかし実用技能というのは基礎なしには伸びませんし、一足飛びに基礎的表現を身に付けないまま、文学表現を覚えても上達実感にはなかなかつながりません。
 このあたりは日本の英語教育の「教材選定」、「学習項目の精選」に関する課題だと思います。

 学校や塾で、これら高度な比較表現などを含んだ英文を「和訳」させたり「穴埋め問題」、「並べ替え問題」を解かせている教員、講師の方々は、果たしてそのレベルの英文で日頃意思疎通をしているのでしょうか。書いたり話したりするのに用いているのでしょうか。そういう現実に疑問を感じていただきたいのです。

 今一度「馬鯨構文」を引っ張り出すことにしましょう。

1, A whale is no more a fish than a horse is (a fish).
2, A whale is no less a mammal than a horse is (a mammal).

 上で示した通り、thanのあとの節には同じ言葉の重複部分が省略されています。 この省略部分まで明示すると

A is no more/less B than C is D.

 という公式的パターンが浮かび上がってきます。この構文の便利な点は「A,B,C,D」という4つの対象物について「ABの関係」、「CDの関係」が順番通りに現れているというところです。
 馬鯨構文ではBDが同じ単語であるため、

A is no more/less B than C is (B).

 とBの繰り返しが省略された形になっているのですが、BDが別々の単語である場合は省略のない「A is no more/less B than C is D」がまるごと現れます。

A sound without a melody is no more music than a body without a soul is a man.
魂のない体が人間ではないように、メロディを持たない音は音楽ではない。
(メロディのない音が音楽である程度は、魂のない体が人間である程度をまったく上回っていない。)

A computer without any softwares installed is no less a useless box than a car without an engine is only a piece of scrap, not a vehicle.
ソフトウエアが何もインストールされていないコンピュータは使い道のないただの箱であり、それはエンジンのない車がスクラップに過ぎず乗り物ではないことと同じだ。

 さらに応用編として「no more ... than」が次のようにも使われます。

I no more believe in ghosts than you believe in UFO's.
君がUFOの存在を信じていないのと同様に私は幽霊の存在を信じていない。
(私が幽霊の存在を信じる度合いは、君がUFOの存在を信じる度合いを全く上回っていない。)
<この例も相手がまったくUFOを信じていないという前提事実があって初めて意味をなします。

I am no more good at English now than I first started to learn it three years ago.
私は3年前に英語の勉強を始めたときに比べて、いまだにまったく上達していない。
(私が現在英語を得意とする程度は、3年前に英語を習い始めたばかりのころを少しも上回っていない。)
<この文で「more good」を「better」にする人もいます。これは「good」の比較級として「better」を使っているわけですが、実はこの構文の中では「more」のあとが何であってもそのままで構わないのです。

 「馬鯨構文」そのものの解釈はさほど難しいものではありませんが、それを応用して実際に自分の言葉として何かを発信できるようになるのはかなり難しいかと思います。通常の会話や文章のやり取りでは無理せず、もっと平易な言い方でまったく構いません。

A sound without a melody is no more music than a body without a soul is a man.
⇒A sound without a melody is not music, just like a body without a soul is not a man.

A computer without any softwares installed is no less a useless box than a car without an engine is only a piece of scrap, not a vehicle.
⇒A computer without any softwares installed is only a useless box, just like a car without an engine is only a piece of scrap, not a vehicle.

I no more believe in ghosts than you believe in UFO's.
⇒You don't believe in UFO's, and I don't believe in ghosts, either.

I am no more good at English now than I first started to learn it three years ago.
⇒I started to learn English three years ago, and I am not/no better even now.

 さて比較の基本構文からここまで発展してくると急に歯ごたえの強い英文になってきますね。実際このような形で「not/no more/less than」を文に組み込んで表現するのは難度が高いものだと思います。書かれた英文の意味を解釈するのならなんとかなるでしょうが、これを「使って自分の言葉として何かを言い表す」ことができるようになるには、それ以前に身についていなければならない知識や技能がかなり多くあると思います。
 実際、ここで解説した文体はかなり堅いものであり、通常の会話で口をついて出るようなものではないかも知れません。同じことを言うなら上の例の書き換え後の平易な言い方で十分ですし、その方が「誰にでもスムーズに理解してもらえる」かと思います。それでも色々な英文(特に書かれた文章)に接していると、こういう表現も目にすることがありますので「自分で言えないまでも、読んで理解できる」程度にはなっておきたいと思います。




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