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302. 独立分詞構文

 なんともまた難しそうな名称ですが、どうっていうことありません。文法用語というのはどうも簡単なことを難しく思わせる名前をつけるのが好きなようですが、「意味上の主語を補った分詞構文」のことです。

 これまで解説しましたとおり、分詞構文というのは「主節の構造上の主語(S)」が自動的に分詞の意味上の主語と一致するのが原則なのですが、

1、慣用表現などで一般主語が分詞の意味上の主語になっているものはそれが省かれる。結果として主節の意味上の主語と一致しないままとなることがある。

2、分詞の主語が主節の構造上の主語と一致せず、そのままでは文章の意味が正しく伝わらないときは、分詞の前にその意味上の主語を主格で補う。

 ということがあります。具体的な例を示すことにしましょう。

 分かりやすくするため、あえて先に接続詞を使った例文をあげ、それを分詞構文に書き方ものを次に示します。接続詞を使った例文で、従属節と主節の構造上の主語に着目してください。

1, Because the door was locked from inside, it(=the door) could not be opened from outside.
中から施錠されていたので、ドアは外から開けることができなかった。
(Being) locked from inside, the door could not be opened from outside.

 これは従属節と主節の主語が共通して「the door」なので分詞構文にしたとき「(being) locked」の意味上の主語は言葉に出して示す必要はありません。日本語でも「ドアが中から施錠されていたので、ドアは、、」と同じ主語を繰り返さないのと同様です。

 しかし、従属節の主語と主節の主語が違う場合はどうなるでしょうか。

2, Because the door was locked from inside, he could not enter the house.
ドアが中から施錠されていたので、彼は家の中に入ることができなかった。
The door (being) locked from inside, he could not enter the house.

 元の文で「Because...」の従属節はまったく同じですが、今度は分詞構文にしたとき「the door」が分詞の前にポツンと置かれています。普通の文を作るときのSVのように主語「the door」や時制に合わせて「be locked」が「was locked」になっていないので、この「the door」は「構造上の主語」とは呼べません。

 もしこの分詞構文で「the door」を補わなかったらどうなりますか?

(意味上の主語がないと)
(Being) locked from inside, he could not enter the house.(X)

 これでも想像力を働かせれば「lockされていたのはthe houseのことだろう」と分かりますが、英語では先に構造上の主語を持たない分詞が現れると、読者は「さてこの動詞の意味上の主語は何だろう?」と感じ、同時に「それはこの先の主節の主語を見ればわかるはず」という予測を持ちます。
 にも関わらず「he...」と主語が続いてしまうと、「え?『彼が』 lockされていたってどういうこと?」という混乱を来たします。

 これは日本語にしても「ロックされていたので」と話が始まれば無意識のうちに「ああ、『何か』がロックされていたんだな」と理解してその先を読もうとしますね。そういう気持ちのままあとの文が「そのドアは、、、」とつながれば何の抵抗もなく自然に理解が前に進みますが、そこで「彼は、、」と続いてしまうと、「ちょっと待って。さっきの『ロックされていた』ってのは何だったの?」という「脈絡の悪さ」を感じます。

日本語での比較

1、ロックされていたので、そのドアは開かなかった。
2、ドアがロックされていたので、彼は家に入れなかった。

 1は「ロックされていた」の主語が、あとに続く「そのドアは」と一致しているので自然です。前半と後半の主語が一致しているとき、前半に「ドアが」を言葉に出すとかえって冗漫な悪文になります。

 2ではあとに続く部分が「彼は、、」と始まっているため、前半で異なる主語「ドアが」を明示することが自然であり、これを省くと意味の曖昧さが出てきます。

 このように日本語での発想と比較しても分詞構文で通常は意味上の主語が示されず、主節の構造上の主語と分詞の意味上の主語が異なるときは、それを補うという背景が理解されると思います。

 もっと他の例も見てみましょう。

Homework done, he was allowed to go out.
(When/Because homework was done, he was allowed to go out.)

 これなど前半の分詞の意味上の主語「homework」を省いてしまったら「何が終えられた」のかまったく想像もつきません。「鍵がかかっていたから家に入れなかった」なら、まだ常識的に「ドアの鍵、家の鍵」という察しがつきますが、こちらの例のように分詞の意味上の主語を示唆する内容が文脈にないことも多くあるわけです。

The sun having set, the air got suddenly cold.
太陽が沈むと空気が急に冷たくなった。
=When the sun had set, ....

It being Sunday, there was not so much traffic.
日曜日だったので、道はそれほど混雑していなかった。
=Because it was Sunday, .....

 厳密な文法構造から言えば主語ではない「there is/are構文」の there は独立分詞構文では主語の扱いを受けます。

There being only little milk left, she told her son to buy some.
牛乳がほんの少ししか残っていなかったので、彼女は息子にいくらか買ってくるように言った。
=Because there was only a little milk left, .....

 なお、このように意味上の主語をわざわざ補ってまであえて分詞構文を使うのは、かなり文語的な文体です。会話なら普通に接続詞を使って表現すれば済むことですからね。ただし一部の表現はこの独立分詞構文のまま慣用表現になっており、会話の中でもよく使われるものがあります。

Weather permitting, I will go fishing next Saturday.
天候が許せば、次の土曜日に釣りに行こうと思う。



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303. 付帯状況

 主節で述べられた内容について「~が、、しながら」とか「~を、、、させて」のように同時に起きている状況を補足的に添えて表現する構文があります。

He was sitting there with his eyes closed.
彼は目を閉じてそこに座っていた。

 このように「with」を使って「with 名詞 分詞」の組み合わせで表現する方法と「with」を用いない方法があります。

He was sitting there, his eyes closed.

 withを使った言い回しでは withの前にコンマは必ずしも必要ありませんが、with なしの形式では必ずコンマを打ち、1つの文の内容に区切りをつけてから、「ちなみにそのとき」というようなつながり方で後の部分が追いかけます。この構文の「(with) 名詞+分詞」は文型要素の「O+C」と同様の関係があります。つまり「OがCである状態にあって」という意味を伝えるものです。
 withのない形式では名詞が分詞の意味上の主語として示されている独立分詞構文となっています。

 付帯状況の構文では分詞の位置に叙述形容詞が置かれることもよくあります。(より正確に言うと叙述形容詞の代わりに分詞も用いられるというべきところですが。)

She looked surprised, (with) her eyes open widely.
彼女は両目を大きく見開き驚いた様子だった。

He was walking in the park, (with) his dog running around him.
彼は公園を散歩していた。そして彼の周りを彼の犬が走り回っていた。

 この形式で叙述部分にさらに別の前置詞によって導かれる句が来ることもあります。これは前置詞句の前に「being」などの分詞を補って考えることもできます。

Don't walk with your hands in the pockets.
手をポケットに入れて歩くな。

He came back with a big box on the shoulder.
型に大きな箱をかついで彼は帰ってきた。

 このように付帯状況の構文を一般化すると

(with) 名詞 叙述表現部(形容詞、分詞、前置詞句)

 といえるでしょう。



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304. 分詞構文の慣用表現

 慣用表現に現れる分詞構文の多くは次のように意味上の主語が省略されたものです。次に挙げる例文で分詞の意味上の主語と主節の構造上の主語を比較してください。結果的に分詞の意味上の主語と主節の構造上の主語が一致してももちろん構わないのですが、慣用表現分詞構文は、主節のことを一切考えずに用いられます。

Speaking/Talking of sports, don't you like to play tennis next Sunday?
スポーツといえば、今度の日曜にテニスをしないかい?
speaking/talking の意味上の主語は「we」だが主節の主語は「you

Taking everything into consideration, he is the best man for the job.
あらゆることを考慮に入れると、彼がその仕事には最も適任だ。
takingの意味上の主語は、発言者である「I」や「we」だが主節の主語は「he

Judging from the way he speaks, it doesn't seem he really likes my idea.
彼の物の言い方から判断するに、どうも彼は私の案を気に入っていないようだ。
judgingの意味上の主語は発言者である「I」だが、主節の主語は「it

Granting she is really beautiful, she is not my type.
彼女が実に美人だということは認めるけど、それでも彼女は僕のタイプじゃない。
grantingの意味上の主語は「I」だが、主節の主語は「she

Speaking frankly [=Frankly speaking], your joke is not funny.
率直に言って、君の冗談は面白くない。
speakingの意味上の主語は「I」だが、主節の主語は「your joke



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305. 懸垂構文 (Dangling Participle)

 慣用的に定着した分詞構文は主節の形式を全く意識せずに用いられますので、結果的に分詞の意味上の主語と主節の構造上の主語が一致しない例も沢山あるのですが、それが許されるのはあくまでも「慣用表現」として十分に定着したものに限られます

 もちろん様々英語表現に十分馴染んでいない日本人学習者にとって何が慣用表現なのかを最初から見分けることは困難なことです。外国語として英語を学ぶものは、最も基本的な構えとして「先ずは接続詞を使った表現」を用いるようにすれば安全です。そして現実に用いられている実例を通じて分詞構文にも慣れていくとよいでしょう。

 英語ネイティブにしても常に正しく分詞構文を使いこなせているわけではありません。理屈より感覚で言葉を使っていますので、「分詞の意味上の主語が主節の構造上の主語と一致」しておらず、本来はそれを補って示すべきときにさえ、それを示さない破格的な文を書いてしまうことがあります。

 感覚的に分詞の意味上の主語を補わずに済ませてしまいたくなるのは、話者本人の頭の中では分詞の意味上の主語がはっきりしているからですが、特に前後関係から想像を働かせればなんとか意味が汲み取れるような場合は、意味上の主語を「補いもらした形式」を書いてしまう傾向が強くなります。そもそも人為的に定められた決まりごととして文法を捉えていませんから、分詞構文で分詞の意味上の主語があとに続く主節の構造上の主語と一致していることが原則であることさえ意識されていないことが多くあります。

 その結果、次のような英文に出会うこともあるでしょう。

Arriving at the station, the train had just left.
駅に着くと、列車はもう行ってしまったあとだった。

Looking up at the sky, a shooting star was seen by chance.
空を見上げていると、偶然に流れ星が見えた。

 このように分詞の意味上の主語と主節の構造上の主語が一致していないにも関わらず、分詞の意味上の主語が補われていない形式を懸垂構文と呼ぶことがありますが、文法的な規範からは外れるものであり、現実にはしばしば目にすることがあるのですが、「あくまでも間違いであり避けるべき表現」と考える人が多いようです。少なくとも学習者の立場としてあえて懸垂構文を用いることは避けましょう

 「間違い」と見なされていて、「使わない方がよい」のであれば、わざわざ懸垂構文などという(まるで正しい形式の一種であるように聞こえる)名称まで与える必要もなく、こうして文法項目の1つとして紹介するのもおかしな話だとも言えるのですが、規範的な例文だけを学んでいた人が、あるとき書籍として出版までされている小説などでこの形式の文に出会ったとき、「習ったことと話が違う」と驚かないように触れておくべきかと思いました。

 また話者(筆者)の心理として、主節の構造上の主語と一致していないのに分詞の意味上の主語を補わずに懸垂構文を書いてしまうというのは、筆者本人の心の中では、主節の内容のどこかに分詞の意味上の主語が隠されているからなのです。つまり懸垂構文というのは厳密には文法的とはいえず避けるべき表現でありながら、何かその表現が許されそうな「すき」が話の流れにあるからこそ用いられてしまうわけです。

 繰り返しますが、皆さんは慣用表現を除いて、主節の構造上の主語と分詞の意味上の主語が一致しない文を書かないようにしてください。うっかり間違えただけの分詞構文を指摘され「いや、これは懸垂構文を使ったんだ」と主張しないようにしましょう(笑)。そんな言い訳をするために懸垂構文という用語があるわけではありませんので、、、。




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