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279. 知覚動詞の構文

 SVOC型の文型で「OとCの間に主語と述語の関係」が成り立つものとして、V(述語動詞)に「see, hear, feel」など感覚を表すタイプの動詞(知覚動詞)が用いられるものもあります。

 先の使役動詞の構文と同様にC(目的格補語)の位置に「原形動詞」を取ることができますが、それだけでなく「doing(現在分詞)」や「done(過去分詞)」の形が来る場合もあります。
 知覚動詞がCとして「to不定詞」を取らないのは、先の使役動詞の中で述べた「to doは本来 to+名詞と同じものであり、ある行為に向かっていくという出発点を指す」ものであり、その行為の達成(行為が実際に行われたところまで)を意味に含まない」ということを踏まえれば納得がいくでしょう。知覚動詞で「OがCするのを見た/聞いた」という場合、「OはCをした」のですからね。

see/hear O do :Oが~するのを見る/聞く
see/hear O doing :Oが~しているのを見る/聞く

I saw him cross the street. 彼が通りを横切るのを見た
I saw him crossing the street. 彼が通りを横切っているのを見た

 OCの間には「主語と述語」の関係がありますから、

I saw<he crossed the street>
I saw<he was crossing the street>

 という意味がつながっていると考えることができます。

 補語に原形不定詞が来ている場合は、その行為を最後まで見届けた意味であり、それに対して現在分詞が来ている場合はその行為の途中だけを見たに過ぎず最後までそれが行われたかどうかはわかりません。
 もちろんその行為の種類によってはもっと柔軟に解釈する必要があります。

I saw him hit the dog. 彼がその犬を叩くのを見た
I saw him hitting the dog. 彼がその犬を叩いているのを見た

 このような場合は上が「単発行為」であり、下は「反復行為」を意味しています。

 see以外にもニュアンスの異なる「見る」として watch, gaze, look at などが同様に使われますし、hear 以外の「聞く」を意味する listen to も同様です。

I was watching him playing the piano.
彼がピアノを弾く様子をじっと見守っていた。

I listened to him singing the song so beautifully.
彼がその歌を実に美しく歌っているのにじっと耳を傾けた。

 補語の位置に過去分詞が来れば「OとCには受動態の主語と述語の関係」があります。

I heard him (being) scolded by his mother.
彼が母親に叱られる(叱られている)のが聞こえた

I saw the dog (being) hit by him.
その犬が彼によって叩かれる(叩かれている)のを見た



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280. ネクサス(Nexus)構文

 これまで述べた使役動詞知覚動詞を使ったSVOCでは常に「OとCの間に主語と述語の関係」がありました。このように文全体としてのSV以外の一部に意味上の「主語・述語」の関係が組み込まれた文の構造を指して「ネクサス(Nexus)構文」と呼ぶことがあります。

 この用語はイェンス・オットー・ハリー・イェスペルセン(Jens Otto Harry Jespersen: 1860年7月16日生 – 1943年4月30日没)というデンマークの言語学者が用いたものですが、専門的に言語学を学ぶ人だけでなく、かなり広く用いられています。実際、文の要素の間に「主語と述語の関係」を捉えるということは、その文が表現している事実関係を極めて明確に理解することにつながる優れた発想で、そういう見方をすることは決して難しいものではありません。

I want you to do that. 君にそれをやって欲しい。
<「you」と「to do」に意味上の主述関係

I asked him to come here. 私は彼にここへ来るよう頼んだ。
< 「him」と「to come」に意味上の主述関係

Mother told me to stay home. 母は私にここにいるよう命じた。
<「me」と「to stay」の間に意味上の主述関係

 このようにSVOCの述語動詞が使役動詞や知覚動詞以外の場合も、OCに主述関係が成り立っている例が多くあります。

 基本5文型理論でSVOCのCは名詞か形容詞が来ることが基本です。
一方、「to 不定詞」の基本用法には「名詞、形容詞、副詞」があります。
 それで上記のような「want 人 to do 」の「to do」について「名詞、形容詞、副詞」のどれなのかで悩む声を聞きます。それだけの内容から言うならば「形容詞用法」の中の「叙述形容詞」的な用いられ方だと説明されることになりますが、ネクサス構文の考え方まで広げれば、第5文型のCになっている「to do」については不定詞の基本3用法にしばれる必要はなくなります。

 5文型にしても基本の5種類のパターンに収まらない例は沢山あるわけです。同様にすべてのto不定詞をもれなく「名詞、形容詞、副詞」のどれかだと解釈しなければならないわけではありません。to不定詞の典型についての理解をスムーズにするための基礎的アプローチだと考えておくべきでしょう。

 この解説でも理解の順序がスムーズになるという判断から、使役動詞や知覚動詞を使った構文をSVOCの中で解説しましたが、それらを第5文型だと判定するべきかどうかについては意見の分かれるところです。そもそも基本5文型という考え方自体が、英文理解の1つのアプローチに過ぎず、それもかなり古典的とさえされる考え方です。にも関わらず今日でも学校教育で広く採用されているのは、英語の構文の基礎理解に対して非常に有効なものであり、特に英語における情報順序(まず主語が来て次に結論となる述語が来るなど)の特徴をシンプルな、たった5つのパターンで把握するというわかりやすさがあるからです。

 しかし5文型理論はある意味「荒削りで大雑把」な考え方でもありますので、これだけであらゆる英文の構造を完全に把握できるとは考えないでください。この先色々な英文に接して、ときに「どの文型に分類すべきか」悩まされることもあるでしょうが、無理に5つのどれかに押し込めようとはせず、素直にそのままを受け入れる柔軟性も持つようにしてください。



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281. 受動態文の文型

 項目135、「基本時制の一覧」で「He (play) the piano.」という第3文型の例文について時制によって12通り(3時制×4相)の述語動詞の形式があることを述べました。

 英文の述語動詞は時制や相の違いで複雑化しても「ひとまとまりのV」と見なすことが文全体の構造をシンプルに把握できて実利的です。同様に態が変わっても述語動詞をグループで把握することが基本的な考え方です。

 その考え方に則って機械的に12通りの「He (play) the piano.」という能動態文を受動態にすると次のようになります。

基本相
1, He plays the piano. → The piano is played by him.
2, He played the piano. → The piano was played by him.
3, He will play the piano.→ The piano will be played by him.

完了相
4, He has played the piano. → The piano has been played by him.
5, He had played the piano. → The piano had been played by him.
6, He will have played the piano. → The piano will have been played by him.

進行相
7, He is playing the piano. → The piano is being played by him.
8, He was playing the piano. → The piano was being played by him.
9, He will be playing the piano. → The piano will be being played by him.

完了進行相
10, He has been playing the piano. → The piano has been being played by him.
11, He had been playing the piano. → The piano had been being played by him.
12, He will have been playing the piano. → The piano will have been being played by him.

 時制が異なってもそれが文型に影響することはありませんから、左側はすべて「He plays the piano.」と同じSVO(第3文型)です。

 SVOを元に受動態文にすると、もとのSは「by ~」という修飾語の一部になってしまいますので、文型の要素ではなくなります。もとのSVOOだった語が受動態のSとして置かれますので、SVOはすべて受動態になると1つ要素が減ったSVになることがわかります。

最後の12番目「完了進行相」の受動態では述語動詞(V)が「will have been being played」という5つもの動詞の組み合わせから成り立っていますが、それでもそれで1つのV(述語動詞)なのです。

 このように単純変形で考えた場合、能動態文でSであった言葉が受動態文では修飾語の一部になってしまう分、要素が1つ減るという点において、SVO,SVOO,SVOCのすべてで共通しています。つまり「SVO」から受動態文を作れば「SV」に、「SVOO」から受動態文を作れば「SVO」に、「SVOC」を受動態にすれば「SVC」になるということです。比較すると能動態文から「1つOが減る」ということになります。

 時制や相が異なっても文型は同じだと確認されましたので、あえて複雑な述語動詞を含む例文を用いる必要もありません。シンプルな例文によって、能動態文を受動態にするとOが1つ減った文型になることを確認することにしましょう。

SVO→SV

He plays the piano.
→The piano is played (by him).

SVOO→SVO

He gave me a bicycle.
A bicycle was given me.(直接目的語を主語にした場合)
I was given a bicycle. (間接目的語を主語にした場合)

SVOC→SVC

We call him John.
→ He is called John (by us).

 ここではごく機械的な書き換えだけを行っており、すべての能動態が受動態にできるわけではありません。また受動態に転換する際、機械的な書き換えだけではいけない場合もあります。

I made him stay here.
という文で目的語の「him」を主語に取った受動態を作ると
He was made to stay here.
となり、能動態ではCの位置に原形不定詞が来たのに受動態にすると「to不定詞」にしなければならなくなります。
 その理由は能動態ではV(述語動詞)使役動詞(make)だったからこそCに原形不定詞を取れたのですが、受動態文の「He was made to stay here.」ではV(述語動詞)の中心機能を果たしているのが「was」すなわち「be動詞」であり、それは使役動詞としての構文を取れません。そのため、Cの位置に原形不定詞を取ることができなくなるのです。

 これは知覚動詞を使った構文を受動態にした場合も同じです。
I saw him cross the street.
の文で「him」を主語に取り直した受動態文は
He was seen to cross the street.
となり、こちらもV(述語動詞)の要が「was(be動詞)」であるため、知覚動詞構文ではなくなり、原形不定詞「cross」は「to不定詞」の「to cross」に変わります。

 英文の述語動詞Vは、複数の動詞が連続して1グループを構成することがありますが、Vを構成している動詞の中で意味的な「」となっている動詞が構文上の特徴を発揮します

 この解説項目の最初で確認した12通りの時制・相の能動態述語動詞パターンではすべてにおいて「play」が述語動詞の要でした。
 もし使役動詞や知覚動詞が能動態で用いられているのであれば、時制や相がどうなっていようと、その文は同じように使役動詞構文や知覚動詞構文を取ります。
 しかし、受動態になっているとき、その英文のVの要は全部「be動詞」になってしまうのです。もう一度上の12通りの時制・相における述語動詞部分を確認してください。そして能動態で「play, played, playing 」が置かれている位置について、受動態ではすべて「is/was, be, been, being」になっていると分かるでしょう。

He plays the piano.
The piano is played.

能動態で plays のあった位置に is がある。

He will be playing the piano.
The piano will be being played.

能動態で playing のあった位置に being がある。

 このようにその英文の構文上の特質を決定づける「述語動詞の要」が何であるかが重要なのです。受動態にしたことで、その要の動詞が使役動詞や知覚動詞ではなく、be動詞になってしまうと、使役動詞構文や知覚動詞構文の特質である「原形不定詞を補語に取る」という力を失ってしまうのです。

 能動態から受動態への「機械的な書き換え」が常にできるわけでもありません。
 使役動詞でmakeは目的語となる「人」を主語に取り直した書き換えができますが、have はその書き換えができません。

I made him stay here.
→(○) He was made to stay here.

I had him stay here.
→(×) He was had to stay here.

 これは受動態で「makeされた=強制的に何かをされた」という意味は自然に感じられるのに対して、「haveされた」という言い方がされないためです。これは単純な「I have a book.」が受動態にならないことと同じです。

 機械的な書き換えはパターンの練習などにはよいのですが、「現実には用いられない形式」までまさに「機械的」に生み出してしまう危険性があるので注意が必要です。

 さらにSVOOを元に受動態を作る場合も、直接目的語を主語に取り直した受動態ならほとんど問題はないのですが、間接目的語を主語に取り直した書き換えは必ずしも自然にならないことがあります。直接目的語はもともと「SによってVをされる側」なので受動態の主語になりやすいのですが、間接目的語は純粋な「される側」といえない場合もあるからです。

 基本的には、ある事実を表現するとき「能動態」と「受動態」のどちらが自然で適切かを考え、無理に別の態で表現しないことです。和英辞典でこまめに確認すれば、動詞によって「これは受動態に用いられない」などと書かれていますのでそういう記述に十分注意してください。



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282. 基本7文型理論

 基本文型では「S,V,O,C」を文の要素と呼び、どういう文の要素によってその英文が成り立っているかで文型が判定されました。文型を左右するのは文の要素であり、それに対して修飾語は「なくても英文が成立する」という考えから文の要素には無関係とされました。

 しかし、文の要素だけで本当にその英文が成り立つのかを丁寧に見ていくと「省けない修飾語」のある英文がかなりあることに気づきます。

My mother is in the kitchen. 私の母は台所にいます。
これは「SV副詞句」ですからSV型、第1文型です。しかし、SVだけを残して修飾語である副詞句を消去してしまうと
My mother is.
であり、これでは文として成り立ちません。つまり「居る」という意味の「完全自動詞」である be動詞は、場所を示す副詞(句)の存在なしに英文を完結させられないということがわかります。その点において
She sings in the kitchen. 彼女は台所で歌う。
が「She sings.」だけでも成り立つ点と異なっています。

 「~に居る」の意味の be動詞は補語を取りませんので不完全自動詞ではありません。確かに完全自動詞なのに、場所語抜きに文を終わらせられないという「不完全さ」があります。「不完全な完全自動詞」って変な言葉ですが、確かにそうなのです。

 文として完結しているかどうかまでをより厳密に見たとき、一部の完全自動詞はあとに場所語を伴う必要があるため、それらについて「S+V+L」という追加文型を与える考えがあります。この「L」というのは、S(主語)、V(述語)、C(補語)、O(目的語)に加えてL (Locative:場所語)のことです。これは文法書によってその他の記号で表されていることもありますが、どの書籍でも要するに「省略すると文として成り立たなくなる場所を表す副詞(句)」のことです。

 省けない場所語を伴う場合があるのは、第3文型(SVO)の中にもあり、
He put the kettle on the table.彼はやかんをテーブルに置いた。
では「on the table」が省略不可です。put(置く)という行為は「置く場所」抜きに行うことができないためです。

 「live」という動詞では「生きる」という意味では場所語を要求しませんが、「住む」という意味の場合は「住む場所」を示す語句を必要とします。

 このようにSVSVLを、SVOSVOLをそれぞれ追加したのが「基本7文型」理論です。

 基本7文型理論は、その着眼点も正しく、理論的には5文型理論の欠陥を補っているともいえるのですが、これまで学校教育などの標準として教えられてはいません。5文型理論それ自体が「不十分なところもあるが基本理解の参考となる」という程度に捉えられているため、それに多少の補足を加えても、基礎学習段階にある生徒がかえって混乱するだけという危惧があるからでしょうか。また「修飾語は文の要素に含めないので文型判定には影響しない」という統一性がかえってくずれてしまうのも難点です。
 5文型の不備をおぎなおうとしつつ、同じ修飾語(副詞句)であるのに、あるときは省略可能、あるときは省略不可だというわかりにくさもあるのだと感じます。

 私の見解としては、「基本5文型」を先ず学ぶことで十分だろうということです。その上で参考として「基本7文型」という考え方もあり、同じ副詞句であっても「意味の完結した文」を成立させるという点において省けない場合もあると知ればそれでよいと考えています。

 より緻密であろうと、20以上の文型に分けたりする理論もあります。それぞれに英語という言語の本質に迫り、より多くの英文を類型として網羅することに努めているのですが、言語学的研究テーマとしては高い価値があっても、初めて英語学習に取り組む人や初級、中級、さらに上級であっても実践的技能としての英語を習得する上でそれほど多くのパターンを暗記する労力がどれほど価値的であるかを考えると疑問も感じます。

 むしろ全体像をざっくりつかむには、従来から広く受け入れられている基本5文型の理解でもそれほどの不足はないと思われます。少なくとも英文構造の基本を理解するには基本5文型の典型的例文になじむことが極めて効率のよいアプローチだと思われます。

 語学的研究対象として英語という言語を扱うのであれば、変形生成文法などをはじめ学ぶべきことは無限にありますが、実践的技能を直接的に裏付けるものとしてはそこまで踏み込む必要は必ずしもなく、むしろもっと別の角度からの文法アプローチが重要ではないかと私は考えています。

 

 さてここまででとりあえず英語の基本文型についての解説のひと区切りとしたいと思います。
構文」編としてはまだこの際、最低でも「準動詞」や「比較」など焦点を当てておきたいテーマがありますが、発音の基本とこれまで解説してきた品詞文型の理解があれば、あとは語彙さえ増やしていくことで極めて確実で効率よく技能的な向上が望めることと思います。

 語彙についても初心者段階の人が基礎的な単語力をいかにしてつければよいかからはじめ、中学高校生の方が限られた時間の中で試験勉強としていかしてに多くの単語を習得すればよいか、さらに中級、上級者の方が語源知識を活用して飛躍的な語彙数に達する方法などまで解説する予定です。




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