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241.接続詞

 接続詞conjunction)とはその名が示す通り「つなぐ働きをする語」のことですが、接続詞によってつながれるのは「単語」同士の場合もあれば「」や「」の場合もあります。

 接続詞はさらに「等位接続詞coordinate conjunction)」と「従属接続詞subordinate conjunction)」に分かれますが、等位接続詞の中には接続副詞というちょっと特殊なものを含めて考えることができます。それぞれ詳しいことはこの先述べますので、ここでは軽く接続詞関係の用語を紹介しておくに留めます。

 先の前置詞も他品詞に比べて語数がかなり限られましたので一覧で必要な前置詞を紹介しましたが、この接続詞は前置詞以上に語数が限られます。ある語を接続詞と見なすかどうかについて意見が分かれる微妙なものもありますが、基礎的なものから徐々に発展的なものについて解説を進めることにします。



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242.等位接続詞(coordinate conjunction)

  語と語 句と句 節と節
and
but
or
nor
for × ×

 語・句・節を対等の関係でつなぐ言葉です。基本的なものとしては「and, or, but」のわずか3語だけです。中学の1年でも習う基本語彙ではありますが、簡単な単語だからこそ使い道が広く、掘り下げていくとなかなか難しい問題も出てきます。

Tom and Betty came here.

 別にどうってことのない簡単な英文に見えますが、前後関係なしにこの英文を正確に解釈することはできないのです。というのは

1、トムとベティが2人で一緒にここに来た。
2、トムはここに来た。それからベティもトムとは別にここに来た。

 のどちらの意味か断定することができません。次はどうでしょう。

Tom and Betty are married.

 これも同様。前後関係なしに正確な意味がわからない曖昧な英文なんです。

1、トムとベティは夫婦である
2、トムもベティもそれぞれ既婚者である(結婚相手は違う)。

 ほらね?どちらの意味か断定できませんね。いずれの意味であるかを明確にしたいのであれば

Tom came here with Betty. (TomとBettyが一緒に来た)
Tom came here, and Betty came here, too.(一緒に来た場合も含まれるが「それぞれが来た事実」が中心)

Tom is married to Betty. (トムとベティは夫婦)
Tom is married, and Betty is also married. (それぞれ個別に既婚者。二人が夫婦という意味はない)

のようにするとよいでしょう。さらに面白いことに「both A and B」を組み込んでも

Both Tom and Betty came here. (一緒に来た場合も別々に来た場合も含まれる)
Both Tom and Betty are married.(二人が夫婦である意味は完全になくなる)

 という違いがあります。さもない平易な語であっても使い方に注意しないと思わぬ誤解を招いたり、自分の言いたいことが正確に相手に伝わらないこともあるのです。

 ここで気づいて頂きたいことがあります。それは接続詞の働きとして「語と語、句と句、節と節」をつなぐというものがありますが、それは「語の接続」に始まり「句」や「節」もつなぐようになったというより、順序はその逆であり、本質的には「まず節をつなぐ」機能があり、それが「共通部分の省略」などにより結果的に句同士や語同士の接続に変形されているということです。

 ですから節同士をつなぐことのできない接続詞というものは存在しません。しかし接続詞によっては節以外をつなぐ機能を持てないものもあるのです。

 それでは「中学1年でも習う基本語彙」だといって甘く見てはいけないということを念頭に置きつつ、個別にもう少し詳しく使い方を見ていくことにしましょう。



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243.and 

 「A and B」が「AとB」の意味であるなどという基礎的過ぎることはさすがに割愛し、使い方や意味の汲み取りにもっと注意が必要な例からお話しすることにします。

 「A and B」は論理学的にいうと「AかつB」であり、AとBが同時に成り立つことを意味しますね。これが数学の「+(プラス)」であるとすれば「A+B」と「B+A」は同じであり、AとBのどちらが前にあっても事実は同じです。

I speak English and French. 事実としては I speak French and English. と同じ。

 しかし「言葉」としての「and」はその前後に何があるかで、必ずしもA、Bを自由に交換してもよいとは限りません。上記「 I speak English and French. 」にしても「まず英語が話せる」という前提を告げ、「それだけではなく、その上に、それに加えて」という「土台と上乗せ」の関係として「土台 and 上乗せ」の語順が通常は用いられるものです。話者が「単に2ヶ国語を話せる」という事実だけを述べている場合と、「前 提に加えて付加価値」のようなニュアンスで物を言う場合とでは、文の読み方も違ってきます。

(英語とフランス語の2ヶ国語を話せる)

English and French」を1語のように一定のイントネーションで発音します。


 (英語が話せるだけでなく、フランス語まで話せる)

こちらは「I speak English」で軽いポーズが置かれ、そこで抑揚もまるで1文を終了したかのように下降します。そしてわずかな間を追いかけて「and French」が French に English 以上のストレスを置いて発音されます。

書かれた文章ならば、それをどういう抑揚と間で読めば話者の意図を伝えるものになるかは表記しきれないところがあり、

I speak not only English but (also) French.
I speak French, as well as English.

のように構文上の工夫も凝らされますが、音声を媒体にしたコミュニケーションであれば、わざわざそういう構文を駆使しなくても「口調」の差でこの違いは伝えられるのです。
 書かれた言葉は単語や構文の使い方に文法を見出すことが多いですが、言語の実体は音声にありますので、「音声の使い方そのものにも文法はある」という意識を持ってください。すなわち「意味に応じた読み方」を知ることにより、限られた語彙や構文知識でさえ、表現力には格段の差が生じるということなのです。また相手の口調からもより的確にその意図を理解できるでしょう。


 「発音」の章でも触れましたが、「私は一般的な犬の話をしているのであって、特定の犬について語っているのではない」などという、とても中学生では英作文できなさそうな表現であっても、

I am talking about A [ èi ] dog, not THE [ ðì ] dog.

と実に平易な英語だけで伝えられてしまうのです。基本語彙を甘く見てはいけません。いかなる例文も常に「自らの言葉として意味を伝えよう」とする姿勢で音声化する習慣を貫くことにより、あなたの英語表現力、そして聴解能力は格段に進歩するのです。

 さて言葉というものは常に「語順に従って伝えられていくものである」ということは折に触れて強調していることですが、and の前後に述べられている事柄についても A が先に告げられ、and により「順接的展開」として B が告げられますので、「もしAならBだ」のように「Aを条件として、Bという結果」を表すことができます。

Go straight along this road, and you will find a post office.
この道に沿ってまっすぐ行けば、郵便局がありますよ。

 このように「 If 」という接続詞を知る前であっても「命令文, and 」の形式により同様の意味を伝えられます。さらにこの形式の延長として次のような構文が生まれます。

Come April, your salary will be raised by 20 percent.
4月になればあなたの給与は20%引き上げられる。

 「 Come April 」は「 If/When April comes 」の文頭接続詞を外し、主語と述語を入れ替えていますが、それだけでなく come は原形です(主語が April でも -s がない)。つまり、このcomeは命令法なのです。この英文の come を命令法らしく直訳すると「4月よ来なさい、そうすれば、、」となります。

 なお「接続詞脱落>主語・述語倒置>動詞の命令法化」では従属節が「 if節 」に相当するため、それに導かれる節にはもう and は必要ありません。

 「命令文 and ...」では、「命令文」の箇所が必ずしも相手にその動作の要求を求めているとは限りません。あくまでも後に続く内容が成立するための「条件」を提示しているだけで意味的には、命令文なのに「するな」という禁止を伝えていることすらあります。

Sleep at work one more time, and you will be fired.
仕事中にもう1回寝たら、クビだ。

 この文の「Sleep at work」は「寝ろ」と命令しているのではなく、むしろ「クビになりたくなかったら『寝るな』」と訴えているわけです。これは日本語の発想でも「もう一度『寝てみろ』、そうしたら、、」と言いますのでそれと共通しています。

 本来、これは接続詞の内容というより「構文」の章で解説すべき事柄ですが、もう1つだけ例文を出しておきましょう。

Be it ever so humble, there is no place like home.(諺)
どんなにまずしくても、我が家に勝る場所はない。

 これは「if..」よりも「Even if..」や「(Even) though..」に相当する意味を表しています。


 接続詞に話を戻しますが、様々な応用構文はあっても、「A and B」が、「まずA、それから(そうすれば)B」という言葉の順序に則って意味を伝えていることを踏まえれば、すべて自然に理解されます。英文の後や前に視線を行き来させつつ、パズル解きのように「和訳」を求めるのではなく、語順に応じて英語のまま情報を汲み取ることによってこそ、正しく文意が理解されるということを忘れてはなりません。



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244. or 

 これも「A or B」が「AまたはB」だという基本は理解されているという前提から解説を進めます。
 ここでもAが先、Bがあとから現れるという言葉の順序に大きなポイントがあります。もちろん書かれた文章ではまったく同じであっても、読み方1つで文意は変化します。

I will buy this one or that one.

1、「これ」あるいは「あれ」のいずれか一方を買います。
2、「これ」を買います(第1希望)が、もしだめなら「あれ」を買いましょう(第2希望)。

1の意味としては「this one or that one」が1語のように一定の抑揚のまま読まれます。
2の意味なら「I will buy this one,」で区切りがあり、下降調が発生したあと、「or that one」が追加されるような読み方となります。

 2の使い方は「そうでなければ」というつながりを表すもので、and が「そうであれば」を表していることと対照的に理解されます。

Start now, and you will be in time for the train. 今出発すれば列車に間に合うよ。
Start now, or you will miss the train.  今出発しなければ列車に乗り遅れるよ。

前半の命令文で「~しろ」と告げておき、and によって「そうすれば」、or によって「さもなければ」のつながりが追いかけています。

 この「さもなければ、そうでないとすれば」の応用、延長として理解される使い方に「つまり、言い換えれば、すなわち、別の表現で言うと」に相当する or があります。

There lived an old marchant in Edo, or Tokyo in present Japan.
ある老いた商人が江戸、つまり今の日本の東京、に住んでいました。

 このような or も「江戸、そうでないとすれば(その言い方以外で言うとすれば)東京」という意味であり、A or B を「AかBか、どちらか一方」というだけの、語順の流れを汲み取らない「和訳パズル」の発想では理解しにくいものでしょう。「or らしい」意味で「江戸、あるいは今の日本で言えば東京に、、」と読み取ってももちろん構いません。「どう和訳するか」は英語理解にとっては問題ではないのです。英文の意味を適切に理解できれば、日本語ネイティブとしての表現力の中で自由に適切な和訳が思い浮かぶことでしょう。英文理解がないままで、つまり英語そのものが分かっていないのに正しい和訳をテクニック的に求めることだけは避けてください。公式や暗記で英文を解釈する姿勢でいる限り、膨大な労力負担を費やしてペーパーテストでわずかな得点を得るだけという極めて非効率的な結果にしかならず、英語はいつまでたっても身につきません。



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245. 要素の列記

 複数の名詞を並べるとき「and/or」の使い方の基本として中学で習うのは

A, B, C, and D
A, B, C, or D

 と最後の要素が現れるときに and/or を置くというものでしょう。
 そして読み方も A, B, C までは上げ調子で発音し、最後の and/or D で下げると習うともいます。

 第一歩の基本としてはそれでよいのですが、そういう書き方や読み方を「ルール」だと思い込んではいけません。そう決められているからそう書いて、そう読むのではないのです。

 例えば音楽のメロディには「いかにも曲が終わった感じ」に聞こえる音の動き方と「まだ曲が続きそうに感じる」音の動き方があります。完全終始とか不完全終始と呼ばれるこれらのメロディの動きは「そうルールで決められているからそう感じる」のではありませんね。音楽理論など知らない人の耳にもそういう印象を同様に与えますからね。
 音楽におけるメロディの動きは言語における抑揚と非常によく似ています。つまり声の調子によって聞く者は様々な印象をうけます。

 言葉の最後が上がり調子の場合は、まだ続く感じや話者が言葉の内容に自信がない印象、こちらに対して何かを尋ねている印象を受けます。
 言葉の最後が下がり調子の場合だと、1つの情報が完結した印象、断定的な印象、あるいは強い命令口調などの印象を受けるでしょう。

 そういうもともと人間が音声の上がり下がりなどから受ける印象により、要素列記の場合でも自然と「意味に応じて」読み方がコントロールされるわけです。


 teaで一旦上がり調子になったあとわずかな間をおいて coffee が下がり調子で読まれますと「二者択一」の疑問だと聞こえます。これは「 tea 」までで1つの単純な疑問文(「紅茶はいかがですか?」)が告げられており、それに続く「or」が「そうでないとすると」の意味で後を導いています。つまり「紅茶にしますか、それともコーヒーがいいですか?」という意味となり、「今あるのは紅茶とコーヒー。そのうちどちらがいいですか?」というたずね方です。


 「 tea or coffee 」があいだに間をおかず一気に同じ高さのままで読まれます。最後はさらに語尾が上がって発音されます。この読まれ方だと「紅茶やコーヒーなどはいかがですか?」という感じに聞こえます。


teaで上がり調子、さらに文末のcoffeeでも上がり調子。この読み方は「紅茶にしますか?コーヒーにしますか?それとももっと他の飲み物がいいですか?」というように紅茶とコーヒー以外にもまだ選択肢が続いているかのような印象となります。

A, B, C, and D

 基本の読み方である A, B, C までをそれぞれ上げ調子で読み、最後の and D で下げ調子となるのは、A, B, C それぞれの時点では「まだあとがあるよ」という印象を与えながら、and D で「はいこれで終わり」という完結した印象でしめくくるものです。

 A, B, C をたびたび下げ調子で発音しますと、聞き手は Aでもう文が終わったと思いかけ、それを裏切るように B が現れ、「ああ、まだBもあったのか、でもこれで終わりだな」と聞き手が感じると、さらにまた裏切られてCが現れる、という印象となります。このような読み方は次々と畳み掛けるように聞き手にプレッシャーを与えるもので、これでもかこれでもかという、ぐんぐん前に進む印象となります。AからDがそれぞれ怪物の名前だとすると「Aという怪物がいる。それだけではないBもいるのだ。それで終わりだと思うなCだっている。まだまだ、Dだっているのだ」なんて具合ですね。
 これをもし基本どおりに「上げ、上げ、上げ、and 下げ」で読んでしまうと、なんだか最初から全体数が決まっている怪物たちをただ「えーと、ゴジラとモスラとガメラとキングコング、はいおしまい」という感じになります(笑)。

 このように人が自然に声の抑揚に対して抱く印象があるので、話者の「語り口」というものに色々な意図が込められるわけです。母国語である日本語を話しているときは誰でも無意識のうちにそれをコントロールしていますが、英語を話すときも基本的には同じことなのです。個々の単語を正確に発音することに加えてフレーズや文全体についても意味、意図に即した読み方を心がけてください。自らがそれを行うことで、聞き取る立場になっても相手の意図が正確に汲み取れるようになります。



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246. but 

 but はその前後の内容を逆接的に結ぶものですが、and, or にはない独自の性質も持っています。
 and や or は純粋に単語同士を結びつけるといってよい使用例も多いのですが、but は見かけ上単語同士がつながっていても実際には「節の一部が省略」された結果そうなっていると考えるべき場合が多いのです。

I am poor but happy.

 では「 I am poor, but I am happy 」から重複部分である「 I am 」が省かれて「 happy 」だけが残ったと言えます。そのため and や or でつながった主語は普通に用いられても、but でつながった主語は使えないこともあります。

(○)Tom and Betty will come here.
(○)Tom or Betty will come here.
(×)Tom but Betty will come here.

 and, or はあとの「 will come here 」を共有できますが、but のあとの Betty は「will come」とはつなげることができません。
 これが

Tom will come here, but Betty will not.

 であれば問題ありません。

  主語をつなぐ but が用いられるのは「複数を表す語 but 単数語」のような形式で「A but B」が「 B を除く A 」、「 A、ただし B 以外」の意味のときだけです。「 B を除外した A 」が意味を持てるためには、A が表す数が B の数より多くなければなりません。

Everyone but Tom will come here. トム以外は全員ここに来る。

 これも節の接続として表現すれば

Everyone will come, but Tom will not.

 ですが、「will come」を everyone と Tom が共有していないにも関わらず「 Everyone but Tom 」が許されるのは「but」が「しかし」の意味の延長として「~以外」という意味を表すからです。
 そしてこの「~以外」の意味の but は接続詞から前置詞にも転用されます。

Everyone but he will come.
Everyone but him will come.

 but のあとが he(主格) となっている場合、but は接続詞。しかし him(目的格) となっていると、but は前置詞となります。格変化のない固有名詞 Tom が来ている場合はその区別がつきません。(文意は同じなので支障はありませんが)

 「~以外」の意味も「しかし」という基本的意味の延長です。

Everyone will come here but he/him.

 このように but 以下を文末に置いた場合、直訳的には「全員ここに来ます。しかし彼(は来ません)」であり、そこから「彼以外は」と解釈されるわけです。単語だけとつながる but は前置詞として用いられるのが現代英語では普通となっており、あえて接続詞として用いて but he とするのは形式的な堅い言い方に聞こえます。



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