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191. 指示形容詞(指示代名詞の形容詞用法)

 この項目は「形容詞」という章の中の「限定詞」に含まれる小項目です。「限定詞」と呼ばれるグループにどのようなものがあるか今一度ここでも確認しましょう:

  1. 冠詞:「不定冠詞(a/an)」、「定冠詞(the)」
  2. 指示形容詞(=指示代名詞の形容詞用法)
  3. 所有形容詞(=代名詞の所有格)
  4. 不定形容詞(=不定代名詞の形容詞用法)
  5. 疑問限定詞
  6. 否定限定詞

 これまで「冠詞(不定冠詞 a/an、定冠詞 the)」を見てきたわけです。
 そしてこの項目では2番目の「指示形容詞」を学びます。

 指示形容詞とは「this/these、that/those」について、それらが「~の」という名詞にかかる意味となるときのことです。
 たった4つしかありません。同じ「this/these、that/those」でも「これ/これら、あれ/あれら」の意味であるときは「代名詞(の中の指示代名詞)」という働きです。どんな単語でもそうなのですが、「文章の中で今果たしている役割」がそのときの「品詞」です。どう使われているかで品詞は変わりますので、「thisの品詞は?」という質問には「どう使われているときのこと?」と聞き返さなければならないということなのです。

 文法書によっては「この、これらの、あの、あれらの」という意味であって「代名詞の形容詞用法」と解説されていることもあります。それはそれでいいのです。私たちが英語の「読む、書く、話す、聞く」を習得していく上で「文法的立場」はあまり大きな意味を持ちません。自分にとって一番しっくりくる立場から学べばよいことです。
 ここでの「this/these, that/those」を「指示形容詞」と呼ぶか「指示代名詞の形容詞用法」と呼ぶかは重要ではありませんが、「限定詞」の1つであり、「他の限定詞と連続的に使えない」という点は重要です。つまり
(1) *this my book
(2) *that a boy
(3) *the those students
のような言い方はしないということです。

 多少でも英語に慣れた人であれば、上の1~3は見ただけで「変だ」と理屈ぬきで感じるでしょう。そのように誤った英語表現が「耳に逆らう(生理的に抵抗感を感じる)」ことが最も理想的ですが、特に初学者だと(ときにはかなり英語を使ってきた人でさえ)、「私のこの本」のように日本語から考えてしまうと「my this book」と言えない理由が分からなくなってしまったりもします。
 英語に慣れた人ほど、英語で話す(書く)ときは日本語を思い浮かべず「自分の使える英語表現の中」で直接英語によって思考しますので、日本語の言い回しに引っ張られた間違いをしなくなりますが、「口をついて英語が出てこない」にもかかわらず、あらかじめ用意した日本語の作文を英訳することで英文を書くなどすると、そういう失敗に陥りやすいものです。

 「限定詞は重ねて使ってはならない」というのはいかにも「人為的ルール」っぽくて、頭で覚えておかなければならない理屈に聞こえますよね。事実としてはそうなのですが、それは現実の英語話者の言葉を観察するなかで「重ねて使うことを(無意識に)避けている語」を研究を通じて見つけ出し、それらの語に「限定詞」というグループ名を与えたのであり、英語話者が、そのルールを意識しているわけではありません。

 理屈で覚えているのではないが、「重ねて使いたくない気持ちになる」のが限定詞なんです。できることなら日本人であっても、英語の限定詞を「重ねて使いたくない気持ち」になってしまいたいものですよね。理屈で暗記するより、感覚にしてしまえば何より確かです。

 「*This is a one book.」などは「aもoneも同じ意味」だから重ねるのはいかにもおかしいと感じられますが、「私のこの本」、「この私の本」は日本語として抵抗を感じないだけに「英語じゃ言わないのは分かっているけどなぜ?」という疑問もうなずけます。
 そもそも日本語の形容詞(英語で表現すると形容詞を使う言葉)は、必ずしも「限定」の意味を持っていません単なる補足説明に過ぎないことが多いのです。だから「私が去年登った富士山は3776メートルだ」と自然にいえます。英語でこれを直訳し「Mr. Fuji which I climed last year is3,776 meters high.」とは書きません。なぜなら「which I climbed」が富士山を「限定」してしまうからであり、「数ある富士山の中でも」という意味を背景にしてしまうからです。日本語で「じゃあ他にも富士山があるっていうのか」などと食ってかかれば「何を人の揚げ足、取ってるんだ」となるでしょう。

 英語の限定詞に対する英語話者の感覚を自分の中にも築き上げるためには、まず日本語的発想からの「切り替え」が重要となります。切り替えができるためには、日本語自体もよく観察し、考え、理解を深める必要があるのです。すなわち日本語に対する問題意識や愛着もまた英語の力を伸ばす上で大変大切なものだということを理解してください。

 さて英語の形容詞というのは、基本的に「色々ある中から、形容詞によって条件をつけ、絞り込む」働きを持っています。その中でも特に「限定詞」はその名称が示す通り、「それしかない」という強い絞込みを1語で行う力があります。
 ですから「my book」と言うだけで、その目の前にある1冊の本に対象が絞り込まれるわけです。ですから「my this book」と2重(2段階)に絞り込む意味をそもそも英語話者なら感じません。
 日本語の「私のこの本」の意味するものは、「私の本であり、同時にこの本」だったり、「私が持っている本の中でもこの本」の意味であったりします。後者は英語でもその表現の必要性がありますから、「this book of mine」という形によって「mine(=my books)私が持っている複数の本」の中でも(=of)「this book(この本)」と言い表します。
 前者の「この本、そして同時に私の本」は「this book, and my book, is ...」と一度言いかけた「this book」を言い直す要領で表現することも会話の中ではよくあります。これは「この本は、ちなみに私のものなんですが、それは、、、」という感じですね。

 This beautiful, young lady is Ms. Jane.(こちらの若くて美しい女性はジェーンさんだ)

 この英文では「lady」という名詞に「this, beautiful, young」と3つの形容詞が前から修飾しています。その中で「限定詞」は「this」だけです。限定詞でない一般の形容詞は、限定の意味(対象の絞込み)の働きはするのですが、「beautiful lady」も「young lady」もその条件があてはまる人は他にもいてよいわけですね。しかしthis lady」と呼べる人は、その瞬間に1人に絞りきられてしまいます
 すなわち一般の形容詞は「100ある中から30や20にまで」は絞込みますが、「限定詞」と呼ばれる語は、即座に「1つ」に絞りきってしまうところが大きな違いです。だから、一般の形容詞は複数かさねて、何段階で絞込みの対象を狭めていったりもするわけです。だから重ねて使えるのです。
 それに対して「限定詞」はどれか1つを使った段階で「絞込み完了!」となります。 またそのように1語で対象の絞込みを一気に行える語」のことを「限定詞」と呼ぶわけです。

  私たち日本人が英語を学習する中で、この限定詞の感覚を身につけるためには「和訳によらず」直接的に英語のままの「限定詞」から今述べた「絞込み完了!」の感触を感じるように訓練すればよいわけです。すなわち自分の口から出る英語の音声から「和訳」というフィルタを通さず、映像的イメージとして「1つの対象以外がもう見えない」感覚を思い描いてください。「音(発音)とイメージの直結」が何よりも大切です。
 「なぜ限定詞は重ねて使わないのか」を知るのは理屈です。知識です。しかし知識のままとどめておくのではなく、多くの音読を通じて「訓練」がなされなければなりません。語学の上達は「スポーツ」と同じなんです。頭で分かっただけではだめで、「できる」ようになってはじめて意味を持ちます。そして「できるようになったら」理屈は忘れてよいのです。

 今上で述べた「限定詞を口にした瞬間、頭の中で対象が一気に1つに絞り込まれた映像をイメージ」するのは、それが習慣になるまでに時間がかかります。今までになかった「感覚」をものにするのですから、練習・訓練なしにそれはなしえません。「覚えて終わり」にはならないのです。1つの限定詞を口にした瞬間、他の限定詞がもう割り込めない気持ちになるまで、「限定詞+名詞」の様々な組み合わせを口で言ってみては頭の中にイメージを沸き立たせてください。
 「限定詞には何種類あるか?」とか「具体的にすべて列記できるか?」は、英語の教員などとして人に教える上では必要な知識です(またそれを覚えておいて害はありません)が、「英語が使える力」を得るためには、スポーツ習得のプロセスと同様に「なぜそうしなければならないか」を理解したら、「そうしたくなる」まで反復練習をし、自分の脳細胞、神経にしみつかせることが必要です。日本語文化の中で育ってきた日本人の脳の中に新たな英語文化を合わせて構築していくわけです。日本語に加えて、新しい「チャンネル」を持つのです。そして英語を使う(書く、話す、読む、聞く)ときには、そのチャンネルを切り替えて臨むということです。

 よく「英語で考える」とか言いますが、「そんなすごいことは相当の単語力や文法理解がないと無理」と思うかも知れません。しかしそうではないのです。極論すれば「100個しか単語を知らない」段階でもそれは、「それなり」に可能なのです。知っている「100個の単語の範囲」でものを考えればよいのです。当然、語彙も少なく、使える構文も限られていますので、「難しいことは考えられない」ですし、「大人びた詩的な表現もできない」でしょう。私自身経験がありますが、「英語で会話しはじめると、急に自分が幼稚になったような感覚に襲われる」ということがあります。それでいいんです。そうなるのは、限られた語彙、表現力ながら、「その範囲の英語で物を感じ、考えている」からこそうなるのです。

 人間は「言葉で思考」します。すなわち使える言葉が少ないと「難しいことは考えられない」のです。幼い子供の話す言葉が「子供っぽい」と感じられるのは、その子供が「限られた言葉で考えている」からです。日本語ネイティブとして豊富な日本語語彙と表現力を持った人が、習い始めてまだそれほど経ってもいない英語の語彙と表現力の範囲内でものを考えると(実は誰にでもできることなんですが)、この「急に自分が幼稚になった感覚」に耐えられず、つい「成熟した日本語環境」に逃げ戻ってしまいます。それはいつまで経っても「英語文化」を自らの中に築き上げられません。日本語話者として年月をかけて成熟してきたように、「稚拙な英語」からこの先、時間をかけて語彙を増やし、使いこなせる構文を増やし、「物を考える素材である言語」が増えてくるのです。それに伴い「英語チャンネル」に頭を切り替えたときでも(日本語で会話するときほどではないにせよ)、それなりにしっかりしたことが言えるようになってきます。

 感性の訓練なしに「知識だけ」を積み上げて来た人は、まだ自らの中に「英語文化」がありません。そのような人は、たとえ英語を話すときも、書くときも、そして読むとき、聞くときも「日本語で思考」しているに過ぎないのです。つまり「口では英単語を言いながらも、日本語で会話している」のと同じことなのです。知識の裏付けにより、必死に短時間のうちに単語を組み替え、構文知識を活用して組み立て、映像と音声のずれた古い映画のようにずれたテンポでコミュニケーションを取れることはあるでしょうが、自らの口から出ているはずの言葉にも実感がともないません。英語の試験での成績はいいのに、やっぱり英語が使えないという人にこの傾向が目立ちます。

 それに対して、極めて平易な語彙と構文しか知らなくても、「その範囲で考える」習慣で伸びてきた人は、努力した時間だけ自分の中に「セミネイティブの感性」が培われます。発する音声はまぎれもなく自らの声であり、口にする英単語1つ1つが意味を伴って相手に伝わっていきます。目にする文章、聞こえてくる英語から、和訳というフィルタを通さずに直接、意味を感じられます。

 今、「限定詞」というものを学んでいるわけですが、学びながら訓練を続けてください。1つの新しい知識に触れたとき「知っている、わかった」で満足せず、感覚の養成を念頭に置いて練習を重ねてください。最初は英文と和訳を見比べて構いません。一旦意味を理解したら和訳を捨て、英語そのものを覚えてください。大変わかりにくい説明かとは思いますが、世間には権威ある文法書がすでに多く出版されている中で、このサイトをあえて開設したのは、知識を知恵にするまでどうやって、なにを心がけて訓練すればいいのかが書かれた書が見当たらなかったからです。
 すでに高校高学年や大学生の方で、語彙力自体は知識という意味では豊富になっている方も多いことでしょう。それまで得てきた知識を振り返り、今一度復習しながら、今度こそは「自分の言葉」としていってください。すでに一定以上の「学力」がある方はそのスピードも速いものです。
 まだ中学生や高校に入ったばかりというような初学者の方は、今までの復習はそれほど大量なものではありませんから、それを観点を変えて「訓練材料」としてまず復習しなおし、そしてこれから先の英語学習に向けては、ここでお話したように「使えるようになる」ことを目標に訓練していきましょう。



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192.3、所有形容詞(代名詞の所有格)

 これも難しいものではありません。
 「my, our, your, his, her, its, their, whose」が限定詞に含まれるということが分かればそれでOKです。

 「人称代名詞」には「1人称、2人称、3人称」とそれぞれに「単複」の区別があり、3人称単数についてはさらに「男性、女性、中性」の区別があります。(詳細は「代名詞」の章参照)
 そして「who」もまた「疑問代名詞」という代名詞の一種であり、人称代名詞として3人称扱いです。「who-whose-whom-whose」と格変化します。

 これら人称代名詞の「所有格」に当たる語は、「人称代名詞の1つの変化形」と捉えてもいいですし、「名詞にかかるのだから形容詞だ」と捉えることもできます。どちらでも構いません。

 英語ネイティブの中にも「it」の所有格(所有形容詞)を「Bob → Bob's」と書くことからの類推で「it's」とアポストロフィ(’記号)を入れて書く人もいますが、それは「正書法」としては正しくありません。(「it's」は「it is/it was/it has」の短縮形です。)これは日本人が「完璧(璧の下は「玉」)」と書くべきところを「完壁(「壁(かべ)ではない)」と書いてしまうようなもので、間違いは間違いですから、まねしないようにしてください。

 さて「代名詞の所有格(代名形容詞)」は「限定詞」ですから「他の限定詞と重ねて用いることができません。」これはよろしいですね?なぜ限定詞が重ねて用いられないかについては前の章の終わりのあたりを読んでください。

1, *This is a my book.
2, *Do you know the its name?

 このような使い方はしないということです。

1, Do you know my father's name?
2, Do you know the name of my father?
3, *Do you know a name of my father?
4, (*)Do you know a name of my father's

 「私の父の名」の意味でもっとも普通なのは1です。ここで「my(限定詞)」と「father's」が並んでいることは何の問題もありません。「father's」は限定詞に含まれませんからね。
 2の言い方も1ほど普通ではありませんが、間違ってはいません。
 3はこれが自然である状況が思い当たりません。
 4の「father's」は「I-my-me-mine」の中の「mine」に相当するもので「my father's names」の意味。「私の父が持っている多くの名前の中の1つ」というのもまた通常は不自然ですが、「姓、名」という2つの「名前」から氏名は成り立っていますので、「苗字でも、下の名前でもどっちでもいいから知っているか?」の意味ならあり得ないわけではありません。
 しかしそれでも通常は
Do you know either name of my father, family name or given name?
などの方がより自然です。(便宜上「my father」としてありますが、これも考えてみれば「話し相手」=「知り合い」なので日本なら苗字を知らないことは考えにくいですが、英語文化では初対面から苗字ではなく下の名前(given name)だけやニックネームで自己紹介することも多いので、そんな場合、その人の父親の苗字も知らないというのはあり得ることです。

 ちなみに日本以外では「苗字+下の名前」という組み合わせだけでなく「ミドルネーム(middle name)」を持つ国も多く、さらには「親戚の有名人の名前をあちこちから借りてきて、どんどんつなげて」、それこそ「じゅげむじゅげむ」並の長い名前さえ存在します。ここでは余談が過ぎますので、詳しいことは書きませんが、「モーツアルト」なども映画では「アマデウス」の名前がタイトルにされていたりしますね。一度「wikipedia」などで「モーツアルト」を調べて見ると、そのフルネームの長さに仰天するでしょう。

 そんな「長い名前」でも「1つの名前」なので、「a name of」はやはり「色々違った氏名を持つ中の1つ」と聞こえてしまいます。「あるときは中村、またあるときは鈴木、はたまたあるときは、、」---まるで詐欺師ですね(笑)。「現実としては考えにくいが文法的には辛うじてその存在の可能性を(半ば無理やりに)想定できなわけでもない」という微妙な判定から4は括弧に入れた(*)としました。

 大変古い話題になってしまいますが、「安室奈美江(字、あってます?)」のデビュー当時、バックダンサー(コーラスも?)をつとめていた他のメンバーは「スーパーモンキーズ」という名前を名乗っており、それは安室奈美江と一緒に活動するときだけの名前で、単独のグループとしては「MAX」という「別の名前」を持っていました。そのようなケースでは、
Do you know the other name of us?(私たちのもう1つの名前を知ってる?)
 は正しいです。(「スーパー…」と「MAX」の合計2つですから、1つの他は「the other」です。これが「another name」だと「最低3つ」の名前(芸名・グループ名)があることになります。)

 またまた「代名詞の所有格(代名形容詞)」から大きくそれてしまいました(笑)が、まったく関連がないわけでもないので、お許しください。



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