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156. 法

 「法」とは

 これまた「態」と同じく漢字1文字からは、何を意味する文法用語なのか想像がつかない。「法律」や「文法」の「法」なら「決まりごと」の意味ですが、そういうこととは全く関係がありません。文法用語の「」は英語で「Mood」といい、これは「ムードがいい」などと外来語として使われているのと同じ単語で、意味も「気分」なのです。
 つまり「法」とは「話者の気分」が述語動詞の形に現れることを指すのです。でも「気分」といっても気分がいいとか悪いとか、そういうものではなく、「言葉に対して、どれほどの現実味を感じて物を言っているか」などを中心とするものです。

 英語の法には次のような種類があります。

1、直説法:事実をありのままストレートに述べる表現。そのように言葉を使う話者の「気分」
2、仮定法:事実描写ではなく、「仮定・条件」や「ある条件のもとでの想像」として「言葉の上だけ」で物を言う表現。
3、命令法:相手に対して動作や状態を「要求」する気持ちが働いたときの表現。

 その他「祈願法」など細分化するとまだあるのですが、あまり重要ではなく、いたずらに話を複雑にする必要もないので、ここでは必要が生じたときだけ軽く触れるようにします。  「法」で特に重要なのが「直説法」と「仮定法」の識別です。基本段階(中学で習う英語の範囲など)では、もっぱら直説法だけが出てきます。もちろん、「事実描写」として言葉を使うのが最大の基本ですから、それが順序として先に来るのは当然のことです。
 それら重要な2つの法についてゆっくり詳しく述べるため、先に他の法を片付けてしまうことにします。あまり必要以上に深入りせず、一応、英語の法をざっと見渡す意味で「命令法」と「祈願法」を解説しましょう。

※学校の英文法ではまず教えられていないと思われるものに「接続法」というものがあります。
 参考書によっては仮定法に含めてしまっているものもあるようですが、まったくの別物です。これは従属節の中にしか現れない特殊なもので「事実描写」でもなければ「条件や仮定」の含みもなく、「言葉の上だけ」でものをいう表現法です。

I demanded that he (should) do it. (彼がそれをするべきだと私は強く求めた)

 この do は主語に関係なく動詞の原形が用いられます。(イギリス英語では「 should do 」の形式が好まれます。)意味をよく考えてみると「彼がする、した」などの事実描写をしているわけではありませんし、「彼がそれをする可能性、現実性の高さ」を評価しているわけでもありません。事実を描写するものではないため、「時制」も持たないのです。つまり直説法でも仮定法でもなく、これを接続法といいます。

(命令法)

・相手(聞き手)に対して動作・状態を要求する表現。日本語の「~しろ、~せよ、~であれ」に相当します。
・動詞は「原形」を用いる。<これが命令法としての動詞の形
・主語は自動的に「You(単複とも)」であり、言葉として出すこともあるが、完全に脱落(省略)される場合の方が多い。
・主語が明示されている場合でも、実際には「You」が呼びかけのようなニュアンスで伝えられているとも言えます。しかしあくまでも主語ですので「You, come here」のようにコンマはいりません。

Come here.「ここへ来い」<動作の要求
Be quiet.「静かにしなさい」<状態の要求
You don't do it.「それをするな」<動作の禁止要求

・命令法は「本動詞の原形」をいきなり聞き手にぶつける表現であり、助動詞で文を始めることはあり得ません。また聞き手が自らの意思によって行える動作や状態以外を要求することもできません。(自分の意思でできない行為を要求されても応えようがないから)

*Be able to do it.(それをできなさい)<不可(「できる・できない」は意思で決まるものではない)
*Can do it.(それをできなさい)<不可(助動詞には「原形」がない) ※日本語でも「読める、書ける、走ることができる」など「可能動詞」は命令形を取れないのと同じ。

ただし文語表現として「(even) if ...」の意味で用いる次の形式では、命令法が「You」以外に向けて発せられ、通常では不可である無意思動詞が命令法で使われます。これは命令法に由来する特殊な構文だと考えてください。

Be it ever so humble, there is no place like home.(どんなに貧しくとも、我が家に勝る場所はない)

 この「Be」を命令法と解釈せず、「(Even) if it is」の「it is」が倒置したものと考えることもできますが、文頭のBeが原形であるのは広い意味での命令法の範疇に含まれます。これは日本語でも「どんなに貧しくとも『あれ』」というときの「あれ」が「命令形」であることと一致しています。

 命令文で文頭に「動詞(の原形)」があるというのは、通常の語順(SVからはじまる)に前提的期待を寄せて耳を傾ける聞き手の予測を裏切るものであり、だからこそ「意外性」をあたえ「普通の文章ではないぞ」と真っ先に感じさせるのです。本来なら最初に与えられるべき主語の情報がなく、いきなり動詞の原形をなげつけられることが「動作や状態の要求」として伝わるとも言えます。


(祈願法)

・これは古い英語の用法で、「お祈り」などに用いられる形式。
・形式としては「主語(省かない)+原形」が最初で、その後「May+主語+原形」が使われるようになりましたが、これも古い英語とされます。お祈りなどでは儀式的な表現が似合うため、そういう古い形式が会話の中にも混入します。
・祈願法を独立した法と認めず「仮定法現在」に含めて考える説もある。(もちろん、そう考えて全く差し支えなく、「法」の種類を1つ減らせるだけ話がシンプルになるが、引き換えに「仮定法現在」の用法が1つ増えるわけで、どちらの立場をとっても大差はないと思われます)

God bless you.(神の恵みを<神があなたに恵みをあたえますように)
May god bless you.(同上)

 もはや俗語として汚い言葉でしかない「(God) damn it(畜生!)」もまた文法的にはこの祈願法であり、「(神よ)それを呪いたまえ」がその発想の直訳です。

 さてこれで「直説法」と「仮定法」以外の「その他」を先に述べてしまいましたので、次からは最重要である「直説法」と「仮定法」について詳しく解説することにします。(とは言え、「直説法」は普通に用いられる表現のことなので、「仮定法」と対象して、その違いを明確にするため解説することとなります。)



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157. 直説法

 これは中学1年で英語を習い始めるときから、特にそれが何法かも抜きで教えられるもっとも普通の表現法です。
 つまり「事実の描写」として「誰が何する」、「何がどうだ」などと述べるときの心理が動詞の形に現れるというものです。(肯定・否定の平叙文、疑問文、あるいは感嘆文などすべてについて用いられます)

 直説法は、その名の通り「直(=そのまま、ストレートに)説(=述べる)法(=話者の気分)」という意味で、話し手が、そこに述べられる内容を現実の事実として捉えていることを表すものです。(故意に「嘘」をつくのは別として)

 直説法には先に説明した「時制・相」があり、それらによって「いつ」が詳しく伝えられます。事実を伝えるための表現法ですから「時間表現」は当然、事実に基づいた時制(すべて「現在から見ていつ」)が用いられます
 通常、特に断りがなければそれは直説法の英文です。

I am a boy.
That is a dog.
He didn't go to school yesterday.
Do you want to do it?
Will you marry me?
I have lived in Tokyo for ten years.

 これらはすべて直説法です。文に用いられている時制で表現される「時」において、そこに書かれていることが「本当にある、あった(か)」を語るものです。
 こうして述べている限り、「直説法で何でも言えるじゃないか」と感じるかも知れません。確かにそうなんです。事実を描写する限りなら、直説法さえあれば、すべて事足ります。しかし、私たちが普段何気なく使う日本語の中にも、よく考えて見れば「事実描写」だけを述べているわけでなく、「言葉の上だけ」でものを言うことがしばしばあります

 たとえば、「明日雨が降ったら」の「降ったら(振れば)」は、別に「明日は雨だ」と現在の時点で明日の雨が予測されるという事実を述べているわけではなく、「たとえ話」を言葉の上だけで述べているものです。次に説明する「仮定法」とは、まさにそういう「言葉の中だけの世界」を作り出す表現法であり、「あくまで想像やたとえとして言っているのですよ」という話者の心理を動詞の形に反映させたものです。



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158. 仮定法

 まず最初に強調しておきますが、すでに少し触れたように「仮定法」とは「事実描写」ではない表現方法ですから、「現実の時制とは無関係」だということを頭の片隅にでもいいですから置いておいてください。名称としては「仮定法現在」と「仮定法過去」が出てきますが、これらは決して「今のこと」や「過去のこと」を述べているのではないのです。さらに細かく分けると「現在完了、現在進行、現在完了進行、過去完了、過去進行、過去完了進行」の形式がありえますが、それらはあくまでも「動詞の形式(見かけ、使われる部品)」に応じた名称であり「時制そのもの」ではないと言えます。
 



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159.(1)仮定法現在

1、述語動詞の形式: 主語に関わらず動詞の「原形
2、主な用途: 実現の可能性が十分に高いと(話者の主観で)感じられることがらについての仮定

 「仮定法現在」という名称は、現実の時制における「現在」とはまったく無関係であり、ただ単にそこで使われる述語動詞の形が「現在形」に似ている(実は原形)だということを指しているだけです。別に「原形仮定法」なんて呼び名をつけてもいいのですが、一応一般の文法書で使われ、学校でも習う名称で通すことにしましょう。(ただし後の方の説明では「条件法」という用語も使います)

 「仮定法現在」とは、事実を描写するのではなく、「言葉の上だけで何かを仮定・想像してものを言う」ときの表現方法です。話者が「これは想像として述べているんだよ」という気持ちを持つことが、英文の述語動詞の形を原形にさせると言ってもよいでしょう。(確認しますが、「法」とは「話者の気分」のことであり、それが動詞の姿にどのように反映されるかが「法」を理解することなのです。)

 さて次の例文を見てください。

(1) If it rain tomorrow, I will stay home.<「rain」が仮定法現在の形=原形
(2) When he arrive, please let me know.<「arrive」が仮定法現在の形=原形

 これらを見た瞬間、「あれ?主語がitやheなのに述語動詞がrain, arriveで『三単現の-(e)s』がないぞ。これは間違いだぞ」と思った方もいることでしょう。しかしこれで正しいのです。これが「仮定法現在」というものであり、「if(もし~するなら、したなら)」や「when(~したときには)」が内容として事実の描写ではなく「想像の中」の話を述べていることから、述語動詞は「原形」となるのです。

 中学生や高校1年生までくらいの方なら、「うっそだ~!そんな変な英語聞いたことない!」とおっしゃるかも知れません。まあ、確かに「現代英語」の会話では、確かにこんな言い方はもうしません。つまり仮定法現在とは「文語的な用法」なのです。しかし、これを踏まえておかないとこの先理解が困難になることがたくさん出てきますので、「実用性がない」と言わず、しばらくおつきあいください。

 直説法と仮定法の区別もまだ習わない(すべて直説法だけを使う)中学の段階では「If it rains tomorrow, ...」を教えます。実際それが普通に用いられる形なのでまったく正しい英語です。そしてこう説明されるでしょ。「tomorrowがあるから未来ことだけど、ifの中では現在形を使うのがルールだ」と。
 さらに高校へ進んで、より多くの文法用語も使うようになり、仮定法についても学んだあとでは、同じことを説明するのに次のように言われるはずです。---「時(~するとき)や条件(もし~なら)を表す副詞節の中では、未来の内容であっても現在形を使う」

 これらいずれの説明も「方便(ちょっぴり嘘が含まれるが、その方がわかり易い)」です。すなわち「厳密な事実を述べてはいないが、とりあえず正しい表現が使える指針となる」説明なのです。では、上記を「厳密な説明」として言うなら、どうなるでしょうか。

時や条件を表す副詞節の中では、未来の内容であっても(<ここまで同じ)、本来は仮定法現在を用いるのだが、それは文語的表現となっており、現代英語では直説法現在によって『代用』するのが普通である

 この「代用」という言葉に注目してください。つまり「本当なら仮定法現在を使うのが一番正しい」のです。しかしさきほどの例にあるように

If it rain tomorrow, ...
When he arrive, ...

は、英語になれた人ほど(つまり英語ネイティブならきっと)、「主語がit/heなのに述語動詞に-(e)sをつけない」ことに抵抗を感じてしまいます。それは日ごろもっとも口(耳)になれた「it rains/he arrives」ではなく、無理に意識して「-(e)s」をはずすような、いかにも頭で考え出した英語、規則に縛られながら使う英語という気がしてしまいます。
 文法などあまり考えない人(英語ネイティブでも)なら、仮定法現在のことなどまるで知らないまま「it/heが主語なんだから当然、述語動詞はrains/arrivesさ!」という気持ちでそうするでしょう。現実に英語ネイティブはルールブックに沿って英語を使っているわけではないので、多くの一般庶民が自然に口にする表現が広まっていきます。言葉というのは難しい規則は単純化される方向へ流れるものであり、高等な文法教育を受けた一部の人たちよりも、細かい間違いに気づかず新しい表現を採用する人の方が増えていくのです。
 たとえ正統派の英文法をちゃんと学び、仮定法現在を理解している人であっても、堂々と「if it rain/when he arrive」を口にすることに抵抗を感じます。なぜなら「それが正しいことを私はわかっているからそう言うんだけど、聞き手が文法をちゃんと知らなかったら、もしかすると私の方が(つけるべき-(e)sを忘れていると)無教養な英語を使っていると思い込まれるのではなだろうか」という懸念が働いてしまうのです。

 このような結果として、厳密には「仮定法現在(原形)」を使うべきところに普通の現在形を(もともとは間違って)使う人が大勢を占めるようになり、「みんなが間違えばそれが正しくなる」という英語の風潮により、「時や条件を表す副詞節の中では、、現在形で『代用』する」が口語として自然なものとして容認されるようになったのです。

 あなたが由緒正しい英語として「If it rain tomorrow/When he arrive」を会話で使ったら、
1、仮定法現在というものとしてあなたが故意に「-(e)s」をつけていないと聞き手が理解した場合、「なんと古風な英語で話す人だろう」と思われる
2、つけるべき「-(e)s」を単に忘れただけの間違いだがまあ通じるからいいだろう。でもこの人の英語は上手じゃないな。
 のいずれかに解釈されます。

 いくら正しい日本語だとしても、外国の人が「古典」の書物や「時代劇」でしか使われない日本語表現で会話してきたらどう思いますか?まあ、言うなれば、現代英語の日常会話で仮定法現在を使うのは、それと同じ印象を与えるということです。

 そんな使い物にならない表現をなぜ学ぶか?いえいえ、使い物にならないわけではなく、文語の中では今でもちゃんと仮定法が健在です。「文語」というのは「古語」じゃありませんよ。「文=文書」であり、「正式な書き言葉」という意味です。学術論文や格式ばった堅い文章では、今でも仮定法現在が使われるのです。ただしすべての場合においてではなく、一定の範囲内における言い回しに特に現れるものであり、少なくとも、これまで述べた仮定法現在の基本がなければ、そういう高度な文章を読むとき「不思議な動詞の形」があちこちに現れると感じることでしょう。

(追加・補足)

 なお上記説明でまだ不足している事柄として、現実に次のような英文が用いられていることにも触れておきたいと思います。

(a) If you will be late, please call me in advance.
もし遅れそうであれば、あらかじめ電話してください。
(b) If it will rain, come back home right away.
もし雨になりそうなら今すぐ帰宅しなさい。

 「時・条件を表す副詞節」を表すifでありながら、どちらも「if...will」となっています。
一見「未来のことであっても直説法現在で代用する」という原則に当てはまっていないかに見えますが、次の違いをよく考えてみてください。

1, If you are late again, you will be fired.
2, If you will be late, call me.

 1は「また遅刻したら=実際に遅刻したその時点で」という意味ですね。
 2は「また遅刻していないが、このままだと遅刻しそうだと判断されたその時点で」です。実際に遅刻してしまってから電話せよと言っているのではありません。

3, If it rains, I will not go out.
4, If it will rain, I will not go out.

 これも意味が違います。
 3は「(この先)雨が降ったら=実際に雨になったら、その時点で私は外出しない」と述べています。
 4は「この先雨になりそうだとういのであれば、私は今出かけていくことをしない」と述べています。
 つまり3では「雨が降っている」という未来が訪れたとき、私は外出しないということ。
 4は、例えば、まだ雨が降り出していないが、天気予報によれば今日は雨になるとということなので傘も持っていないし、今日の外出は控えようと思う、などと述べているわけです。

 このような「if ...will」の特徴として「隠れたSV」の存在を考えることができるという共通点があります。

If (you think) you will be late, call me.
If (you think) it will rain, come back home right away.
If (the weather report says) it will rain, I will not go out.

 このように「you think」などの「SV」が本来そこにあると考えるとその目的語節の中にwillがあっても何の不思議もありません。

 これらは「if節」が「未来のできごと」を表しているというより「この先こうなるという現時点での予測」を意味しているため、will が用いられても構わない(用いられるべき)なのです。ですから「if節の中でのwillは意思未来以外では現れない」と固定的に考えないようにしてください。

 副詞節の「if...」に単純未来のwillが使われうる場面を説明しましたが、もう1つ「副詞節のIf...に be gong to が使われる場合」も追加しておきましょう。

(1) If you'll be late, call me.
(2) If you're going to be late, call me.

 この違いは「will と be going toの違い」 の理解をそのまま持ち込むことができます。すなわち、

(3) It'll rain tomorrow.
(明日になれば雨が降る)
(4) It is going to rain tomorrow.
(この雲行きからするとどうやら明日は雨になりそうだぞ)

の違いがそのまま見出せると思います。

 すなわち単純未来のwillは「時間の経過とともに自然にそうなる」のニュアンスが強く、それに対して「be going to」を用いた場合は、「そう判断させる状況」が存在します。

 1は、会議の開始時間が10時であり、現在時刻が9時半。今電車に乗って向かっているところだが、現在地点から現地までの所要時間は45分であることがわかっている。成り行きとして現地に着いたころには定刻を過ぎていると当然予測される、というような場面。

 2は、たとえば自動車で現地に向かっていて、現在地から現地まで通常なら30分で着く距離にいる。そして会議までまだ40分ほどある。しかし、予期せぬ事故渋滞が発生してしまい、「この道の混み具合からすると40分では足りないのではないか」と感じた。だからそのことを報告するために電話する、というような場面です。

 典型的に使い分けが妥当と思われる場面例で理解するのが容易かと思います。

 

 このように「その時点での予測」として何かを述べる意味であれば「if ... will」はまったく自然です。またこれと関連しているのですが、次のような使われ方もあります。

5, You can lose weight quickly if you will eat just cabbage soup.
キャベツのスープだけを摂り続けるなら、その結果として急速に体重を減らすことができる。

6, If you will eat too much orange there's no harm about it because orange is a very good source of vitamin C
たとえオレンジを食べ過ぎたとしても、その結果として何の害もありません。なぜならオレンジはビタミンCの優れた補給源だからです。

 このような例では「意思未来のwill」とのつながりもあるのですが、「どうしてもしようとする」という意味は前面に出ておらず、本人の意思というより、ことの成り行きなどから「このままし続けると『結果的に』こうなる」という将来的結果を意味しています。つまりこういうwillは「この先こういう結果になるとしたら(しても)」の意味だといえます。
 5,6のような文で「will」を外してみると意味が違ってくることに気づくと思います。

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口語レベルでも仮定法現在が頻繁に現れるのは、次のような場合です:

1、主節の述語動詞として「suggest, demand」などのような「提案・要求」の動詞が使われたときの「that節の内部」にて

これは学校教材に準じた解説ですが、本当は「接続法」という別の法です。「156. 法」の補足記事で簡単に書きましたが、「従属節の中でしか使われない法」で、「主語や時制による変化をせず常に動詞の原形」が用いられます。イギリス英語では「should 原形」が好まれます。事実描写をしておらず、実現可能性の高さや低さについての評価も含んでいません。「言葉の上だけ」でものを言っているからです。

I suggest that you (should) be the leader.(君がリーダーになるよう私は提案する)

 これも「you be」が耳に逆らうところがあり、それを避けるため「should」をはさみ「you should be」の形式にする傾向が強くなっています。これも日常的に仮定法現在が使われない理由と同じく、主語のあとに原形のままの述語動詞を言うことに対する心理的抵抗感に由来するもので、助動詞 shouldをはさんで「should 原形」なら何の抵抗もなくなるからです。(shouldの意味として「~するのが当然だ、妥当だ」があることともよくマッチしています。)

2、条件節の中では、決まった慣用句として今でも使われる

If need be, I will give you some medicine.(必要なら薬をあげるよ)<「if need be」は慣用句(決まり文句)



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160.(2)仮定法過去

 これまで日常的にあまり使い道が広いと言えない「仮定法現在」についてかなり詳しく解説してきましたが、それはこれからお話する「仮定法過去」との対比を明確にし、より理解しやすくするための下準備でもあったのです。

 仮定法現在(現代英語では「直説法現在」で代用)の主な用途は「実現可能性が十分に高いと(話者の主観で)判断されることがらの想像」でした。

If it rain(s) tomorrow, ...

 というとき、話者の心理としては「明日雨が降ることがあっても別に不思議はない」というものがあります。明日という未来についての想像ですから、何があっても不思議はないといえなくもありませんが、「太陽が西から昇ったら」などは、たとえ100万年後についての想像でも常識的には「あり得ないこと」について「仮定」していると言えるので、ここでの心理とはかなり違うものになります。

 英文法で「仮定」というのは「なんらかの条件を設定する」ことであり、そういう心理が動詞の形に現れることを「仮定法(Subjunctive Mood)」と言います。そして「ある条件付きで、、、だ」のように、素直に事実を述べるのではなく「条件付(Conditonal)」の想像を述べる心理が動詞の形に現れることを「条件法(Conditonal Mood)」と言います。

 なお、この「仮定法」と「条件法」という呼びわけは、最近の学校文法では行われておらず、両方をまとめて「仮定法」と呼び、区別するときは「条件節仮定法」と「帰結節仮定法」という名称が用いられています。名称の問題は、まあ、どちらでもいいと言えるのですが、「if節」の中の動詞なのか、「条件をうけての動詞」なのかは区別されなければなりません。学校では話をシンプルにしようと「仮定法」という1つの名称にまとめてしまったのですが、これがかえって「違うものを同じ名前で呼ぶ」結果となり、深い理解を妨げているように思われます。(これは「接続法」を「仮定法現在」に含めてしまっている点についても同様であり、私個人としては「条件法」、「仮定法」、「接続法」を独立した法としてきちんと立て分けて教えるべきだと思っています。)

 「仮定法」と一口に言っても「条件節」でのことなのか「帰結節」でのことなのかで大きく話が違ってきますので、私個人としては「条件法」という言葉も使った方が説明が、より論理的、個別的になりやすいと思うのですが、学校で習う用語とあまり違う言葉を使っても、参考にしにくいと思いますので、このサイトでも(しぶしぶ)慣例にならって原則として「条件節仮定法」と「帰結節仮定法」という名称を用いることにします。



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161.-----(1)条件節の仮定法過去

・ 「もしも~なら」の意味での「if 節」の中における述語動詞に現れる話者の心理。
・現在の事実に反する仮定、あるいは、実現が極めて困難と感じられる条件を設定するもの。
・動詞の形は過去形。ただしbe動詞だけは主語に関係なく「were」を用いる。(口語では主語に合わせてwasも使われる)

If I had more money, ...(もっとお金があれば)<現実にはない
If he passed the exam, ...(もし彼が試験に合格するようなことがあれば)<まず受からないと思っている
If I were a bird, ....(もし私が鳥なら)<現実には鳥ではない
If you were here now, (もし君が今ここにいたなら)<現実にはいない

 このように条件節における仮定法過去は、「現在の事実に反する」か「実現が不可能、あるいは極めて困難」なことを条件として設定するものです。現在の事実は客観的に確定されるものですが、「不可能、困難」は話者の主観によります。例えば「明日雨が降ったら」という条件を考えるとき、

(1) If it rain(s) tomorrow, ...
(2) If it rained tomorrow, ...
(3) If it should rain tomorrow, ...

 と話者の主観次第で、どの表現が使われるかが決まります。
 1は、「仮定法現在(とその代用の「直説法現在」)」であり、明日雨が降っても別におかしくないという気持ちが働いた場合の言い方。
 2は、「まさか明日雨になるなどないだろう」と(星空や天気予報などから)思いつつ、「実現困難(または不可能)」な仮定をする心理。
 3は、まだ解説していませんが、「万一、、なら」という、やはり「可能性が極めて低い」未来についての仮定です。

 重ねて注意しますが「仮定法」は現実の時制とは無関係です。「いつ」によって動詞の形が決まるのではなく、「話者が可能性をどう感じるか」だけによって動詞の形が決定します。
 日本語にも英語の仮定法に近い発想はあるのですが、動詞の語尾などだけからそれを区別できません。主に話の内容、意味から柔軟に可能性の大小を感じ取るのですが、他にも「明日雨が降ったら」、「明日雨が降るようなことがあったら」、「まさかそんなことはないと思うが、万一にも明日雨が降るようなことがあったら」、あるいは「満点の星空だし、天気図でも日本全国高気圧に覆われているし、、」など言葉を増やすことで、可能性の大小や現実に反する仮定であることを伝えます。それが日本語における「仮定法表現」だということです。
 ということは、「It it rained tomorrow,..」に与える和訳として、その習慣の違いを踏まえるなら「まさかそんなことはないと思うが」のような「英文に単語として現れていない」言葉を自由に盛り込んでよい、いやむしろ適切に日本語に工夫を加えないと、仮定法らしさを和訳ににはっきりと表せないということなのです。ここでも「単語の置き換えではなく、意味そのものを把握し、それを的確に伝える(翻訳する)」ことの大切さと難しさがわかりますね。

 仮定法が仮定法だと聞き手に理解されるのは、直説法では使われないはずの動詞の形が現れるからです。だから今や未来について「もし、、」と言うのにも「時制のずれた形」を使い、「空想の世界」へと聞き手を導いているわけです。

 ところで仮定法には「仮定法未来」というものがありません。「If ...should...」をそう呼ぶこともできます(そういう項目を設けている文法書も多くある)が、「should」という過去形の助動詞を使っているだけですから、これも仮定法過去の範疇だと言って差し支えありません。(現実の時制としての「いつ」が仮定法の名称と関係ないということを覚えていますね?)

If the sun were to rise in the west, ....(もし太陽が西から昇るようなことがあれば)

 「were to」は「should」よりも「不可能性」を明確に打ち出した言い方です。「if ...should」は、「万一、、なら」と非常に可能性が低いことを意味していますが、あり得なくもない、絶対ないとまでは言わないという気持ちも含まれています。それに対して「were to」は完全に「あり得ないことについての仮定」に用いられます。



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162.-----(2)条件節に現れる過去形以外の仮定法

 これまでは「If S 過去形」の形式だけを見てきましたが、時制では「過去、現在、未来」それぞれに「基本、完了、進行、完了進行」という「相」もありましたね。どの相であっても、時制としては3つのどれかに必ず含まれるわけですから、そういう「相」が絡んだ仮定法も当然存在します。

完了相If I had already finished my homework, ...(もしすでに宿題を終えていれば)
<実際にはまだ終わっていない
進行相If you were walking with me now, ...(もし今君が私と一緒に歩いていたら)
<実際にはそこにいない
完了進行相If he had been practicing the piano until today, ..(もし彼が今日までずっとピアノの練習を続けていたなら)
<実際はしていない

 これらは特に難しいものではなく、基本となる「直説法・現在時制」の各相の理解を踏まえ、それを「仮定法過去」にしただけのことです。
 しかし、このうち、「完了相」だけはちょっとややこしい問題があります。
 現在の事実に反する仮定を「過去形」で表現してきましたが、じゃあ、「過去の事実に反する仮定」はどうすればよいでしょう?「現実よりも1つ前の時制」にずらすことで「可能性の低さ・不可能であること」などを表したわけですから、「過去の事実に反する」仮定をするためには「過去形をさらに古い時制の形式」にずらす必要があります。すなわちそれは「過去完了」の形式ということであり、「If S had 過去分詞」の形式が「現在完了をもとに仮定法過去にしたもの」と「過去形をもとにさらに仮定法過去の考えを適用したもの」か見かけ上区別がつかないということです。

 一般の文法書では「If S had 過去分詞」を「仮定法過去完了」と呼んでおり、確かに形式はそうなのですが、同じ形式であっても意味的に属するのは、「仮定法過去の完了相」である場合と「事実に反する過去の仮定」とでは違う時間のできごとを仮定しているのです。

(1) If I had aleady finished my homework now, ...
<もし今もう宿題が終わっていたなら=現在の事実に反する仮定
(2) If I had finished my homework one hour earlier, ...
<もし宿題をあと1時間早くやり終えていたなら=過去の事実に反する仮定

 このように「had finished」の形式がまったく同じでも、1は「現在完了を元にした事実に反する仮定」であり、2は「過去形を元にした過去の事実に反する仮定」なのです。
 この区別は、「時制」の中で扱った(直説法の)「過去完了」と「大過去」の差に相当するものです。一見ややこしそうに思えますが、実際にこれを使いこなすのはさほど難しくありません。ポイントは「現実の時制より1つ前にずらす」ことです。
 「現在完了」を元に「現在の事実に反する仮定」を述べたいなら、「have」という完了形の助動詞を過去形にすればよし。
 「過去形」を元に「過去の事実に反する仮定」を述べたいなら「過去形をさらに過去形にしたいが、そんなものがないので形式として過去完了にする」ということです。
 両者とも最終形は同じになりますが、自分の中で発想を処理するプロセスが違いますから、迷うことはありません(あくまでもこれまで積み重ねてきた直説法の時制×相の12パターンに十分習熟していれば、ですよ)。
 自分が使うのではなく、書かれた英文を理解する場合は、「if S had 過去分詞」という形式が意味することに2つの可能性があることを念頭において、そこを慎重に見極めてください。この区別についても、まずほとんどの場合、現在か過去を示す副詞が含まれているので難しいことではありません。現在を意味する副詞が一緒にあれば、それは「現在完了を元にした現在の事実に反する仮定」であり、過去を指す副詞が一緒にあれば、それは「過去の事実に反する仮定」だと容易に理解されます。もし副詞がまったく含まれていない場合は、文脈、前後関係から、「いつの話をしているか」を的確に把握してください。
 その区別さえつかない(どちらにも解釈できてしまう)文は悪文です。くれぐれも自分ではそういうものを書かないようにしてください。

悪文の例:If I had lived in America, ....

 唐突にこんなことを言われても、「アメリカに住んだことがあったなら」なのか、「なんらかの過去の時点でアメリカに住んでいたなら」なのか誰にも区別がつきません。「....」で示されている後半部分を見て、やっとどちらの意味で言っていたのかが判りますが、「何を条件として設定しているか」が曖昧なまま話が先に進むというのは実に聞きにくいことなのです。そんな謎かけかクイズのような文章は、聞く側にとっては単なる意地悪です。

 「過去完了」の形式が「仮定法過去」の範疇である場合と、そうでない(過去の事実に反する仮定)場合があることがわかりましたが、後者は、「仮定法過去」ではありませんので、別に名称を設けるのが本来でしょう。しかし適当な名称がありません。困ったものです。

 一般の英文法の参考書では「仮定法には現在、過去、過去完了がある」と書かれており、そう分類するのも形式中心としてはよいと思うのですが、「いつの事実をくつがえした仮定なのか」に応じた名称ではないため、中途半端な理解をしていると必ず混乱を招きます。
 この際、名称は何でもいい(自分で考えてもいい)ですから、それぞれの仮定法が何を表しているかを十分に整理しておくようにしてください。(実際、人によっては「仮定法タイプ1、タイプ2、タイプ3」などと時制を表す名称を避けて、区別していることもあり、これは「現実の時制」と仮定法が無関係であることに通じる1つの良い方法だと感じます。



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163.---(3)帰結節の仮定法過去(=条件法過去)

 これまでは「if...」の中に用いられる仮定法過去(など)を見てきましたが、ここからは「if」によって設定された条件の下で表される「帰結節」について考えていきます。

 さてここでも最初に注意することがあります。それは「条件節の述語動詞と帰結節の述語動詞は、必ずしも機械的に連動しない」ということです。

条件節の述語動詞を「仮定法(Subjunctive Mood)」
帰結節の述語動詞を「条件法(Conditional Mood)」

と呼び分けた方が区別が明確で、実利的なことも多いので、こちらの用語も適宜使っていきます。

 文法用語が嫌いな人は「if 節」での動詞の形を「もしも文での形」、帰結節の動詞の形を「条件付文での形」とでも呼んでください。(用語を暗記するより、実体と用法を理解する方がはるかに大切です。ただ用語を知らないと「解説が理解できない」ということはあります。)

 条件節(=「if ....」)の中では、「そこで仮定される事柄についての実現可能性の大小」が述語動詞を原形(代用としての「現在形」)にしたり過去形にしたり、過去完了にしたりしました。
 帰結節(=条件付で書かれる節)の中では、条件節で設定された可能性を受けて、「どんな条件の下か」が動詞の形に現れます。だから「帰結節仮定法」のことを「条件法Conditinal Mood条件付であることを表す法)」と言うのです。

If you were here now, I would be very happy.

条件節:If you were here now,
<現在の事実に反する仮定=事実に反しているのだから可能性はゼロ
帰結節:I would be very happy.
<「実現可能性ゼロ」という状況の下で(Condtional=条件付で)、ということを「would be」が表している。

 たとえ「条件節」で「現在の事実に反する仮定」をしていることがはっきりしていても、帰結節を「I am very glad.」と直説法にすることはできません。直説法は「事実描写(=無条件)」ですから、「本当は君がここにいないけど、もし仮にいたら、僕は現実に今幸せだ」(=「ある条件のもとでは、といいつつ、無条件でと言いなおしているようなもの」)というつじつまの合わないことになってしまうのです。だから、上記例文のように
「本当は君がここにいないけど、もし仮にいたのなら」→「現在の事実に反する仮定のもとでなら(=実現不可能な条件付で)僕は幸せだ」(つまり事実としては「君がいないから幸せじゃない)
 というふうに「空想」は「空想」で受け止めるのが自然な流れとなります。

 条件節の形式と帰結節の形式は、論理的つじつまが合わないといけませんが、機械的に連動するものではありません。

(1) If I had studied harder when young, I would have advanced to college.
(若いころもっと勉強していたなら、大学にも進学していただろう)
=「過去の事実に反する仮定」+「過去の事実に反する想像」
=「あの過去が違っていれば」+「こっちの過去も変わっていたことだろう」

(2) If I had studied harder when young, I would be a scholar now.
(若いころもっと勉強していたなら、今頃学者をしていただろう)
=「過去の事実に反する仮定」+「現在の事実に反する想像」
=「あの過去が違っていれば」+「現在が変わっていたことだろう」

 1,2とも全く同じ条件節が使われおり、それが意味するのは「過去の事実に反する仮定」です。
 それを受けた後半の帰結節として、1は「過去の事実に反する想像」であり、2は「現在の事実に反する想像」となっています。
 両方に共通しているのは「事実に反する条件」が設定され、そういう「空想の世界でなら」という条件下で「今」あるいは「過去」の空想をしているということです。言うなれば「if節」の仮定法(過去完了)により、聞き手を「空想の世界」へと引っ張りこんでおき、帰結節もその空想の世界での話として続いているわけです。帰結節にも仮定法(条件法)が使われるのは、条件節で設定された「空想モード」とは別に、帰結節独自にも「空想モード」の設定をしなければならないからです。

Even if the sun were to rise in the west, I love you.
(たとえ太陽が西から昇ることがあっても、私はあなたを愛している)

 この例では「if節」が「あり得ないことの仮定」であっても、帰結節には直説法( love )が使われています。それは「いかなる条件にも左右されない不変の事実だ」という気持ちが込められているからです。このように「条件節が仮定法なら、自動的に帰結節も仮定法が追いかけるというものではない」のです。

If you come here now, I might go with you.

 ちょっと妙な形式ですが、これもあり得ないわけではありません。(用法の説明のためにちょっと強引な設定をこめた無理のある例文ではありますが、、、)
 条件節が(仮定法現在の代用としての)直説法であり、一方、帰結節は「might」という仮定法過去です。
 つまり「あなたが今ここに来る」ことに対しての可能性は十分あると考えつつ、それを条件にしているのですが、その条件がかなったあとでさえ、なおかつ「(もしかしたら、気が向いたら、あるいは他の用事さえ終われば)私も行くかもしれない、と帰結節のものの言い方には確信がこめらえていません。この例などは「条件節」だけが「might」の形を誘う唯一の条件ではなく、さらに言外に別の「実現困難(かも知れない)条件」があるということを匂わせています。
 ただし現実には「 If you come here now, I possibly go with you. 」のように「法」をそろえて言うのがより自然でしょう。



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164.-----(4)帰結節のみの仮定法(=条件法)

 「仮定」という言葉からは「もし、、なら~だ」という形式が思い浮かびますが、「もしも」の部分(条件節)」なしで帰結節だけの英文も普通に存在します。これまで説明したように述語動詞の法は、条件節、帰結節それぞれ独自に設定されますので、帰結節だけがそこにあり、仮定法(条件法)を含んでいた場合でも、聞き手は自然となんらかの「空想モード」へと入ることができるのです。動詞が仮定法(条件法)であることから「ああ、この英文は条件付なんだな」と聞き手が理解するわけです。

I'd like to go home now.(もう帰りたいんですが)

 「would like to」が「want」の丁寧な言い方だと習うと思いますが、条件法がわかるとその理由が理解できます。
 「willの過去形であるwould」が条件法の形であり、それはつまり「ある(実現困難な)条件の下でなら」という含みを持っています。そこに「if ...」がなくても、聞き手にはその含みが伝わります。では、その(実現困難な)条件とはなんでしょう?いったいどんな「if..」が省かれていると考えればよいのでしょうか。
 それはたとえば「もしあなたの許可が得られれば」とか「もしよろしければ」とかの「聞き手の都合」を条件としている含みです。日本語なら「もしよろしければ」は、そういう言葉として表さないと相手にそれが伝わりませんが、英語の場合は「条件法」の動詞がそこにあるというだけで「もしよろしければ」が聞こえてくるような印象を与えるのです。

I want to go home.直説法=事実を無条件に述べている>相手の都合など関係ない
I'd like to go home.条件法=「もしよろしければ」という条件付>相手の都合次第だという気持ち=丁寧な響き

 「もしよろしければ=もしあなたの許可がもらえれば」という条件に対して「実現の可能性が低い」ことを感じている(そう設定している)から条件法過去の「would」が使われているのですが、実際には「まあ許してもらえる」という期待を本音で持っているかもしれません。そんな場合でも、「遠慮をこめて控えめに言っておく」のが「実現の可能性が低い」設定になるわけです。角度を変えて言うなら「許可されることを強く期待してません。許可されなくても当然だと思ってます。あなたの都合が優先されます」という気持ちが、この条件法過去から伝わると言えるのです。

Do you want to have a cup of coffee?<「do want」は直説法
Would you like to have a cup of coffee?<「would」は条件法

 同じような発想がここにもあります。「Do you want..?」は直説法ですからストレートに「~したいか?、欲しいか?」と尋ねており、露骨な響きを伴います。(いい意味では親しみを込めている響きにもなる)
 それに対して「Would you...?」では「もし差し支えなければ」のような条件を含みに持ち、「いやならいいんですよ。あなたの好みが最優先ですから」という相手を持ち上げた表現と言えます。
 日本語の「敬語」では、「ございます」「召し上がる」など言葉の形で「尊敬、丁寧、謙譲」などを表しますが、英語にも表現方法は違っても「敬語、丁寧語」の発想はあるのです。

 条件節を伴わない帰結節単独の表現で、条件法が意味する「もしも、、」が常に同じとは限りません。条件節がないということは、それを言わなくても通じるからですが、英語に不慣れな日本人にはとっさに何を条件として含みに持たせているかを瞬時に感じ取るのは難しいことがあります。基本例文を通じて色々な場合を知り、徐々に慣れるようにしてください。

 ある店の前で、あなたは商品の1つを手に取って、買おうか買うまいか迷っているとします。すると隣にいた女性が
I'd buy that.
 と言ったとしましょう。さて、この女性は何が言いたいのでしょうか?
 これが「I buy that.」なら「私がそれを買います」という直説法で事実描写です。迷っているあなたはその人に商品を譲るべきかも知れません。しかし、「I'd buy that (=I would buy that).」の「would」は条件法です。いったいどんな条件のもとでならそれを買うと述べたのでしょう。
 こういう場面での「I'd buy that.」は「If I were you, I would buy that.」と解釈されます。すなわち「もし私があなた(の立場)だったら」というのが条件としての含みなのです。つまりあなたに「買えばいいじゃない」と勧めているんです。また事実として言うなら「現実には、私はあなたじゃないから、別に買いません」ということでもあり、あなたは彼女の言葉を聞いて、あっさり商品を買うことをあきらめる必要もないということです。

 このような条件法を「主語に仮定を含む」と言います。
 なお、単独である文章が条件法つきで現れても、文脈・前後関係がなければ何を条件として含みに持たせているかは判断がつきません。どんな英文でも必ず状況をよくイメージし、場に適した解釈を考えるようにしてください。

This desk is too heavy for me. My father could easily carry that by himself.
(この机は私には重過ぎる。父さんなら一人で軽々と運べるんだろうけど)=主語「my father」が条件



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165.-----(5)時制×相×態×法

If the letter had been delivered one day earlier, he could have received it.
その手紙があと1日早く配達されていたならば、彼はそれを受け取ることができたのに。

 この英文では条件節が「仮定法過去完了」になっており、「過去の事実に反する仮定」を表し、帰結節では条件法で過去の事実に反する想像が行われています。さらに条件節には「受動態」も使われているのがわかります。

 時制や態の章で、多くの述語動詞のパターンを学びましたが、理屈の上だけから言えば、それらのパターンすべてを仮定法や条件法でも表すことができるわけで、結果としては膨大な種類の述語動詞の形式が存在することとなります。

 時制(3)×相(4)×態(2)×法(2)として「48通り」の述語動詞形式があることになりますが、現実問題としてそのすべてが使われるわけではありません。しかしなんらかの英文を見たときは、その英文に含まれている「時制・相・態・法」がそれぞれなんであるかを正確に把握するようにしてください。それらを正しく汲み取ることが、その英文のあらわす意味を正確に理解することにつながるからです。

 それがたとえ「This is a pen.」のような極めて初歩的な英文でも、「現在時制・基本相・能動態・直説法」だということをちゃんと踏まえて正しい意味がつかめるものなのです。是非、身近にある基本的な英文が書かれた本を開き、どこまで1つ1つの英文について「時制、相、態、法」をすばやく適確に指摘できるか試してみてください。これも慣れです。習慣的にそういうことに着目し、きちんと分析する訓練を重ねていけば、ほとんど瞬間的にそれらすべてを「同時に」把握できるようになります。



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