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125.動詞

 さて、いよいよ「動詞」の章に入ります。英文を理解し、自ら使いこなす上で極めて重要なのが、この動詞です。動詞さえ克服すれば英文法の大半を克服したと言っても過言ではないほど重要な要素をたくさん含んでいます。

(1)動詞の種類(分類法)
(2)動詞の変化形
(3)時制
(4)相
(5)態
(6)法

 上記1〜6については、このあと個別に詳しく解説しますが、まずは大雑把にどういう内容を含んでいるかを説明しておくことにします。

(1)動詞の種類(分類法)

 何に着目して分類するかにより動詞の種類をどう考えるかには色々あります。

---特別動詞と一般動詞
---助動詞と本動詞
---自動詞と他動詞
---規則動詞と不規則動詞
---その他の分類法

(2)動詞の変化形

 1つの動詞にも原形、現在形、過去形、現在分詞、過去分詞といった様々な形があります。

(3)時制

 英語には「現在、過去、未来」の3つの時制が存在します。

(4)相

 「時制」を拡張するものとして「基本相、完了相、進行相、完了進行相」の4つがあります。

(5)態

 動作を「する側」と「される側」、いずれを主語に取るかで「能動態」と「受動態」の2つに分かれます。

(6)法

 話者がその英文について「事実描写」として述べている(直説法)か、言葉の上だけで「想像」や「仮定」を述べている(仮定法)かなど「表現に対する姿勢・気分」が動詞の形に反映されるというものです。



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126.動詞の種類(分類法)

 「動詞とは何か?」と聞かれれば、具体例として「走る、歩く、食べる、飲む、立つ、座る」などいくらでも例は挙げられると思います。日本語では基本形が「う段」で終わるのが動詞の特徴ですが、英語の動詞にはそのような外見上の統一された特徴はありません。さらに日本語的感覚からはそれが動詞だと理解しにくいもの(be, will/shallなど)もあり、思ったほど簡単に「動詞とは」と定義できないところがあります。



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127.(1)---特別動詞と一般動詞

 「英文法総覧(安井 稔 著:開拓社)」によりますと
 「PalmerやHornbyによって『(24個の)変則定形動詞』(twenty-four anomalous finities)と呼ばれているもの」
 があり、それを一括して「特別動詞」と呼べば、他のすべてを「一般動詞」と区別することができます。

 「特別動詞」とは:
be動詞 ( am, is, are, was, were )
have動詞 ( have, has, had )
助動詞do ( do, does, did )
助動詞will ( will, would )
助動詞shall ( shall, should )
助動詞can ( can, could )
助動詞may ( may, might )
助動詞must
助動詞ought
助動詞need
助動詞dare
自動詞used
 の合計24個を指します。これらはすべて否定文、疑問文、強調文を作るときに重要な役割を果たすという共通した特徴があり、直後に「not」をつけるなど使い方も、これら以外の一般動詞とは異なるところがあります。

 「be動詞」や「have動詞」も広い意味の助動詞に分類することができ、その観点では、動詞全体を「助動詞本動詞」に2分することとなります。
 「be+〜ing」で進行形を作ったり、「be+過去分詞」で受動態を構成したり、「have+過去分詞」で完了形を構成したりと、本動詞のなんらかの変化形と組み合わさるのが、他の多くの助動詞との違いです。普通「助動詞」と言えば「will, can, must」などを指し「動詞の原形と結びつく」とされていますが、助動詞というものを広くとらえると、「be, have」もそれに含めて考えることができますし、oughtやusedは「to do」といったto付きの不定詞と組み合わさります。

 さらに「do」は助動詞としての用法以外に「する」という普通の動詞としても用いられ、その用途では一般動詞に含まれます。同じく「have」も「持つ、持っている」の意味では一般動詞です。



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128.(2)---助動詞と本動詞

 英文の述語動詞部分が1つの動詞だけからなる
He goes to school every day.
 のような文もあれば、
He can speak English very well.
He doesn't know how to swim.
He is studying English in his room.
He is loved by everyone.
He has finished his homework.
 などのように2語で1つの述語部分を構成している例も多くあります。このような場合においては「述語動詞=助動詞+本動詞」という組み合わせとみなします。

注意:あとから解説する「基本5文型」で「V」という記号で示されるのは「述語動詞」といって、「主語」に対するものであり、「S, V, O, C」を「文の要素」といいますが、この「V」を指して略称の「動詞」とも言う人が多くいます。事実、学校でも「主語と動詞」というような言い方で「文の構造」を説明していると思いますが、品詞としての動詞」と「文の要素としての述語動詞」は区別して考えなければならず、両者を同じ「動詞」という名称で呼ぶのは混乱を招くため私は反対です。
 品詞としての名称が「動詞」であり、それは「名詞、代名詞、形容詞、、」などに対するもの。  S, V, O, CのVを指すときは、正式に「述語動詞」と呼ぶか、略称とするなら「述語」と呼ぶのが正しいと考えます。

 「本動詞」とは、「動作、状態」そのものを具体的に表す動詞のことで、それに対して「助動詞」とは「本動詞の意味に変化を与える働き」をするものです。

 中学段階では「助動詞」といえば「can, may, must」などのように「原形動詞」と結びつくもののみを指してそう呼びますが、それはそれで理解を簡単にしてくれますのでかまいません。しかし、より厳密に見ていくと、

進行形:助動詞としてのbe+本動詞の現在分詞
受動態:助動詞としてのbe+本動詞の過去分詞
完了形:助動詞としてのhave+本動詞の過去分詞

 といったように原形だけでなく、「現在分詞や過去分詞としか結びつかない助動詞」もあるということになります。
 ただあまりに細かい分類ばかりにとらわれすぎるのも、必要以上に話を複雑にしますので、通常「助動詞」といえば、学校で習ったように「can, may, will, must..」などを指すものと考えて差し支えありません。ただ、述語動詞の形式の中では、「進行形や完了形をつくるbeやhaveも、助動詞として機能している」とだけ覚えておきましょう。




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129.(3)---自動詞と他動詞

 これは「基本5文型」の根本となる動詞分類の考え方です。
 「自動詞」とは「自分」だけがいればできる動作・状態を指し、その「動作の対象(相手=目的語)」を必要としないものです。形式的に見れば「目的語(O)」を取らないのが自動詞となります。  「他動詞」とは「他人・他者」という「動作の対象(相手=目的語)」があってはじめてすることのできる動詞。相手が存在しなければその動作自体が成立しないというものです。形式的には「目的語(O)」を必ず取るタイプの動詞ということになります。
 「自動詞と他動詞」の区別については、この先「基本5文型」の章であらためて詳述します。

 自動詞と他動詞というのは、(1)の分類における「一般動詞」を2つに分けたもので、「特別動詞」はこのいずれにもあてはまりません。ですから助動詞すべてについても「自動詞か他動詞か」の区別は存在しません

 一般動詞全体をまず「自動詞、他動詞」の2種類に分けた後、「完全、不完全」という下位分類をすると
完全自動詞
不完全自動詞
完全他動詞
不完全他動詞

 という4つに分かれます。これも後々詳しく述べますが、「完全」とは「補語(C)を必要としない」、「不完全」とは「補語(C)を必要とする」という意味です。
 このうち「完全他動詞」の一部は、「授与動詞」と言う別の機能を持っており独自の文型を作ります。それを加えて「一般動詞」全体が5つに分かれるので、「基本5文型」が導き出されるわけです。

 ここでは「動詞について、着眼点によって、どのような分類方法があるのか」を大雑把に理解できればかまいませんので、あまり難しく考えないようにしてください。今この場ですべてを理解しようとする必要はありません。今後詳しく学ぶことがらの「紹介」をしているに過ぎないと思っていただいて結構です。

 辞書を引きますと、必ず「単語、発音、品詞」が最初に書かれています。そして品詞としては「8品詞」分類の名称だけでそれを記しても正しい使い方を伝えられないため、本動詞については「自動詞(vi.)」、「他動詞(vt.)」の区別でそれが書かれているはずです。それはすなわち「少なくとも自動詞と他動詞の区別ができていないと色々不便なことがある」ということであり、英文を理解する上でも、自らが英語を使う上でも、自動詞と他動詞の明確な判別は非常に重要なこととなります。
 それについては「基本5文型」の中でも改めて詳しく述べますが、ここでも一応の区別について少々解説しておくことにします。

I love you.
I go to school.

 「I love you.」では、「love(愛する)」という動詞の対象となる名詞(代名詞)が直接そのままあとに続きます。
 「I go to school.」では「to」という前置詞と一緒に「to school」があとに続いており、これを「I go school.」とは言えません。
 ごく簡単に区別を言うなら、「他動詞は動作の対象となる名詞(代名詞)をそのままあとに続けることができる」のに対して、「自動詞」は「前置詞をはさんで名詞(代名詞)をあとに続ける」ということになります。

 中学までの内容を一通り学んだことがある方ならば、自動詞と他動詞の区別が一応イメージされていることとは思いますが、英単語の和訳だけを頼りに動詞を覚えようとすると、いろいろ問題が生じてきます。

「私は彼と(映画に)行く」
「私は彼と結婚する」

 この日本語から見ると「結婚する」と「行く」は同じように使われており、どちらも同じタイプの動詞に思われますが、これらを英語にすると

I will go (to a movie) with him.
I will marry him. < I will marry with him.とは言わない

 とまるで違う形式になります。「go(行く)」は自動詞で「marry」は他動詞なのです。日本語の発想と英語のそれが必ずしも一致しないことも多くあるため、和訳だけを頼りに文法を理解しようとするのは大変危険です。
 日本語にも「娶る(めとる)」という動詞がありますが、marryはこれに近く、結婚相手を直接あとに取ります。
 言うなれば「〜と結婚する」というふうに「〜と」までをその意味に含んでいるのです。しかし「go」はそのなかに「〜へ行く」の「〜へ」を含んでいません。
 ですから英語の動詞を覚えるときは、「〜を、〜と」などの日本語の助詞までその意味に含めて覚えることで他動詞であることを意識しやすくなると言えます。




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130.(4)---規則動詞と不規則動詞

 英語の動詞には「原形」という辞書の見出し語として使われる基本の形のほか、「過去形、現在分詞、過去分詞」という変化形があり、たとえば

walk(原形)-walk(s) - walked - walking

 というふうに使われ方によって別々の形を取ります。多くの動詞は一定のパターンに従った規則的な変化をしますが、中には

go(原形)- go(es) - went - gone - going

 のように不規則な変化をするものがあります。一定のパターンに則らず独自の変化形を持つものを「不規則動詞」といいますが、数は限られており、中学3年までに主な不規則動詞は、一括して覚えさせられます。まだ覚えていない人は、辞書の巻末などに「不規則動詞変化表」がありますので、今から覚えるか、今後、英語の動詞に出会うたび、こまめに辞書をチェックして、その変化形を確認するようにしてください。一気に暗記しても普段あまり使わない不規則動詞は忘れてしまいますし、日ごろからよく使うものについては、特別意識しなくても正しい形を自然に覚えるものです。最終的には多くの経験を通じてなれていくのが唯一の解決法だと思います。

 本サイトでは、辞書や教科書・参考書を見ればそのまま出ていることがらは割愛しますので、不規則動詞の変化表も省きます。

 「名詞の複数形」でも規則的な変化をするものと不規則なものがありましたね。動詞の変化もそれと同じようなもので、まずは規則的な変化のパターンにしっかり習熟しましょう。なにが「規則的」なのかを知らなければ、なにが不規則なのかも区別がつきませんからね。

 規則動詞の変化形の作り方は至って簡単です。名詞の複数形の作り方を先にしっかり学んでください。そうすれば要領はまるで同じであることがわかります。違うのは、名詞の時「-(e)s」で終わらせたのが、動詞では
1、現在形で、3人称単数が主語となるときは「-(e)s」で終わる
2、現在形で、その他の主語の場合は原形と同形。
3、過去形・過去分詞は「-ed」が語尾となる。
4、現在分詞は、「-ing」が語尾となる。
 というだけです。
 動詞の語尾の子音を重ねたりする場合(scan - scanned - scanningなど)の要領にはちょっと注意が必要ですが、本サイトの「スピーキング」の章を読んでいただければ、発音とスペルの関係から、どういうとき語尾の子音文字を重ねるかが、根拠とともに理解できると思います。

 ここでは基本的なことを他で学ばれた上で、一部の注意事項だけを述べるにとどめます。

(注意1):「hit > hitting」、「visit > visiting」と一見、「あるときは語尾の子音を重ね、あるときは重ねない」という不統一な感じに見える例がありますが、「語尾の子音を重ねるとき」というのは

「(アクセントのある短母音)+子音文字

 で単語が終わっているときです。たとえ「短母音+子音文字」であっても、そこにアクセントがなければ末尾の子音を重ねる必要はありません。(「visit」は [ VIS-it ] と第1音節の方にアクセントがある)
 ただし「worship」は、アメリカ式で「 worshiped - worshiping 」でもイギリス式のスペルで「 worshipped - worshipping 」となりますので、英米で多少変化形のスペルが異なる場合があります。ですから常に辞書で確認することだけは怠らないようにしてください。

(注意2)語尾が-yで終わっている動詞については、「子音文字+y」となっている場合だけ、「-y を -i に変えてから、さらに -es/-ed をつける」。(例: study - studies/studied )
 たとえ語尾が-yで終わっていても、その前が母音のときは、このルールはあてはまらない。(例:enjoy - enjoys/enjoyed, play- plays/played など)

(注意3)語尾が -c で終わる単語は、三単現在の-s はそのままつけていいが、過去形・過去分詞形にするときは、-c の [ k ] という発音を示すため、k の文字を挟む。(-ck のスペルにしないと [ s ] の発音に見えてしまう)
例: picnic - picnics/picnicked - picnicking

 ポイントは「どんなに簡単で知っていると思っている単語でも、こまめに辞書で確認する」ことです。中途半端な思い込みで間違ったスペルを覚えこんでしまうと、それに気づかないまま何年(ときに何十年)も過ごすことになりかねません。1つしか許容のスペルがないこともあれば、英米でスペルのことなる例もしばしばありますので、なんでもルールをあてはめてすませようとしないことが大切です。常に確認を忘れずに!



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131.(5)---その他の分類法

 本動詞の分類として「動作動詞」と「状態動詞」という分け方があります。
 簡単に言えば「動作動詞」とは「する」と「している」の区別を「現在形」と「現在進行形」で言い分けるものです。

1、I watch TV.
2、I am watching TV.

 ここで「watch」は動作を表す動詞であり、1の「I watch TV.」は「日ごろ見る」のような習慣を表すか「さあ、これから見る」のような「目の前の動作」などを指しています。そして2は、「今見ている最中だ」という進行状態を表すものです。「動作」は、「今からはじめる」こともできれば「やめてしまう」こともできます。

I know him.

 これは普通の現在形「know」が使われていますが、日本語の「知っている」に相当し「知る」という訳語をあてはめたのではしっくり来ません。「know」という動詞の意味が、もともと「日常的な状態」を表すものなので、それを進行形「I am knowing」とすることがありません。また一度知り合いになった相手を「知ることやめる」というのもできません。

1、I live in Tokyo.
2、I am living in Tokyo.

 「live」という動詞も本来は「状態動詞」であり、進行形にしなくても「住んでいる」という意味を表しますが、あえてそれを進行形「I am living」にすると「今のところは住んでいる。今だけ住んでいる」という短期的なニュアンスを表現できます。これなど「状態動詞」を「動作動詞」に転用したものといえます。

1、I have a car.
2、I am having lunch.

 「have」は「持っている」の意味では状態動詞。その意味では進行形を取ることがありません。しかし「食べる(=eat)」の意味では動作動詞です。このように同じ単語であっても意味によって動作動詞と状態動詞との使い分けが行われるものもあります。

 ポイントは、日本語の「〜している」という言い回しがいつでも進行を表しているのではなく、日常的な習慣や状態を意味していることもあると理解することです。決して安易な「言葉の置き換え」で英文の意味が理解できるとは思わないでください。ですから「どう訳す」にばかりこだわっていると英文本来の意味がかえって理解しにくくなることがよくあるのです。「和訳」は日本語の言語習慣に従った言葉づかいであり、習慣の違う英語表現から機械的に一定のパターンを使った和訳が導き出されるものではないと知る必要があります。



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132.---動詞の変化形


(この項目は執筆中です)



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133.時制

134.時制と相

 英文には必ず「主語述語動詞」が含まれますが、その中の「述語動詞」が、文章で表現された内容について、それが「いつ」行われたものかを形に表して伝える役割を担います。述語動詞を通じてどのように「いつ」という時間を表現するかの仕組み・発想のことを「時制(tense)」と言います。

 英語には「現在、過去、未来」という3つの時制がありますが、これは「過去>現在>未来」という時間の流れを横軸に表現したものです。
 それに対して、「現在、過去、未来」それぞれに「縦軸」として存在する「相(spect)」というものがあり、これには「基本、完了、進行、完了進行」の4つがあります。「相」というのは、同じ1つの時制の内部についての様相をより細かく表現する形式のことです。
 学校で「現在完了」というものを習いますが、これは「現在時制の完了相」ということであり、あくまでも「現在時制」に含まれるわけです。先に述べましたように「過去、現在、未来」という時制を横軸に、「基本、完了、進行、完了進行」という相を縦軸にとった2次元的表として把握すると分かりやすくなります。

 このように「過去、現在、未来」×「基本、完了、進行、完了進行」=12という構成によって英語の基本時制はできあがっています。縦軸はすべて同じ「時制(tense)」であり、例えば「現在」を縦にみた「現在時制・基本相、現在時制・完了相、現在時制・進行相、現在時制・完了進行相」はすべて「現在時制」に属するということが重要なポイントです。

 表をまずはよく観察してみてください。すると色々気づくことがあるはずです。

  1. それぞれの文章で直接「時制」を担っているのが長方形で囲った動詞(本動詞、be動詞、助動詞)です。つまり述語動詞を構成している語群の中で一番主語寄りに位置している動詞に「過去、現在、未来」の時制が現れています
  2. 基本相を横に見ていくと、「played, plays, will play」となっており、長方形で囲まれたもの以外なにも述語動詞には含まれていません。
  3. 完了相を横に見ていくと、そのすべてに「have+played」の組み合わせがあり、haveが時制と主語に応じて形を変えています。(赤線部分)
  4. 進行相を横に見ていくと、そのすべてに「be+playing」の組み合わせがあり、beが時制と主語に応じて形を変えています。(青線部分)
  5. 完了進行相を横に見ていくと、完了相と進行相の組み合わせである「have been playing」の組み合わせがすべてにあり、一番前の「have」が時制と主語に応じて形を変えています。(赤線と青線が一部重なっている)
  6. 「述語動詞(V)」とは、必ずしも1語ではなく、一番複雑な「未来時制・完了進行相」では「will have been playing」と4語による「語群」が述語動詞を構成しています。

   ※ここで言う「時制と主語に応じて形を変えて」いるとは、未来時制で「will+原形」になることを含みます。

 それぞれの「時制+相」がどういう時間を表現するのか、そのときの「英語の形式」はどうなるのか、などはこれから詳細に解説します。ここではこれから学ぶことがらについて、先回りした形で「知識をどう整理すればいいのか」をお話し、頭の中にあらかじめ知識を入れる整理ダンスを用意していただきます。

 ところで多くの英語学習者は、英語の時制は学ぶものの「日本語の時制」を知りません。日本語ネイティブなので、そんなもの今さら客観的に学ぶ必要がないからとも言えますが、大きな間違いとして「英語と同じ時制」が日本語にもあると誤解する恐れがあるのです。
 世界には様々な言葉があり、それぞれが「独自」の文法を持っています。「時間の表現」についても、あらゆる言語が皆、英語のような「時制(tense)」を中心にしてそれを表現しているのではありません。そして日本語においても、「時制(tense)」は「理解はされても、言葉に出して表現することはしない」という大きな違いがあるのです。

 「え?!日本語に現在、過去、未来の時制が表現されていないって!?まさか!」

 と思った人いますか?じゃあ、次の例を見てください。

1、彼が来た
2、彼が来たら教えてくれ。
3、子供が遊んでいる
4、私が家に帰ったら、子供が遊んでいる最中だった。
5、家に着いたら、子供が遊んでいるだろう。

 1〜5の例文で「来た」、「〜ている」、「〜た」は何を表していますか?「〜た」が過去ですか?「〜している」が現在進行ですか?
 1の「来た」は、英語の過去とほとんど同じように理解できますね。でも2の「彼が来たら」の「来た」は過去じゃありません。まだ来ていないのですから。でも未来として「彼が来るなら」と言えば意味が変わってしまいます。

 英語では「時制」という横軸がまずあって、「相」という縦軸が、現在・過去・未来の様相をより細かく表現する仕組みになっているのですが、日本語は「相」が優先されます。

 「来た」という「完了相」が、現在、過去、未来のいずれにも用いられ、時制(現在、過去、未来)については、文脈依存でそれが判断されるため、動詞の語尾にそれが現れません。
 「〜している」という「未完了相」も、現在、過去、未来のいずれの中でも使われます「その時点において」まだ行為が終了していない、というのが、日本語の「〜している」です。

 さて、よく聞いてください。日本語と英語は別言語です。まったく別々のシステムの上に成り立つ、まるで違う言語なのです。ですから「時間の表現方法」についても、機械的な言葉の置き換えはまったく利きません
 日本語の「時間表現」は、英語よりはるかに複雑にできており、基準となる時間軸文脈の中で絶えず移動します。そして移動した基準点(現在、過去、未来のどれでもありうる)から見て「未然」か「未完了」か「完了」かを「する、している、した」で表現しているのです。

1、彼が「来た」。<「現在」を基点としてみた「完了」
2、彼が「来た」ら教えてくれ。<「未来」を基点とした「完了」
3、子供が「遊んでいる」。<「現在」を基点とした「未完了(=まだ遊び終わっていない)」
4、私が家に「帰った」ら、子供が「遊んでいる」最中「だった」
・「帰った」=「過去」を基点にした「完了」
・「遊んでいる」=「過去」を基点にした「未完了」
・「だった」=現在を基点にした「完了」<今から見れば「もう終わったこと」
5、家に「着いた」ら、子供が「遊んでいる」だろう。
・「着いた」=「未来」を基点とした「完了」
・「遊んでいる」=「未来」を基点とした「未完了」

 なんとまあ難しそうでしょ?これを自在に正しく使いこなしているんですから日本人は大したものです(笑)。
 このように日本語は、「基点となる時間」が、あるときは「現在から見て」、あるときは「過去のその時点から見て」、またあるときは「未来のある時点から見て」と頻繁に移動します。そのように基点を文脈に応じて自在に移動できるのは日本語という言語の特質であり、その点英語はまったく違います。だから日本語の文章にある「来た」を機械的に「came(過去形)」にしたのでは適切でないことがままあるのです。

When he came, please let me know. <間違い
これは英語では
When he come(s), please let me know.
としなければなりません。(come(s)の-sが括弧に入れてありますが、通常の口語では「comes」というのが普通で、文語的な文章では「come」と原形で書くからです。これについてはずっとあとで詳述します)

 さて英語の「時間表現」は実にシンプルであり、「常に現在を基点に考える」のでうす。これだけ。あらゆる述語動詞はすべて切り離して、個別に「現在から見ていつ」のことであるかだけを考えればよいのです。その際、それを「どう和訳するか」は別問題だとしっかり覚えておいてください。

日本語:時間表現で「基点」が常に移動する。「その時点から見ていつ」が動詞の形に現れる。
英 語:時間表現の「基点」は常に現在。「今から見ていつ」が常に動詞の形に現れる。



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135.基本時制の一覧

 「133.時制」で英語の時制の名称を一覧として紹介しましたが、ここでもう一度確認しましょう

例文:<He ( play ) the piano.>---この( play ) が各時制・相を適用したとき、どんな形になるかを再度以下の表に示します。

※どの述語動詞も、最初の語が「時制と主語」を表す形となっている。
※完了、進行それぞれの相が「have+過去分詞」、「be+現在分詞」として必ず現れている。
※完了進行では、「beの過去分詞」が「have+過去分詞」で「have+been」として使われ、
「been+現在分詞」が進行を表している。

 これが英語の時制を理解する上で最も基本となる「12のパターン」です。1つの動詞を用いた英文があれば、常にこれら12通りに表現することができるのです。
 ということは、英語の基本時制を理解し、習得できれば、1つの動詞を覚えた瞬間「12通りの英文」が言えるようになるということなのです。すなわち時制を克服すれば、人の12倍のスピードで英語の表現力が伸びていくともいえるのです。そしてあなたにそうなっていただくため、このサイトのこれからの解説が存在します。
 一見、ずいぶんごちゃごちゃして、難しそうな表ですが、そこにあるすべての言い回しについて、あなた自らの言葉として瞬時に正しい形式の述語動詞が言えるようになることを目指します。ただ暗記しろなどとは言いません。なぜ、それぞれがそういう形なのかを理解・納得していただき、「そう言いたくなる」ための訓練方法をしっかり示します。適切にその訓練を行うことで、あなたの中に「セミ・ネイティブ」的な感性が自然と培われていくのです。

 表の上では「12のパターン」ですが、12を個別に覚えていくのではありません。最初に「現在」1つを理解したら、その理解を「イメージの中」で過去や未来にずらして想像するだけで自動的に「過去」と「未来」が理解できてしまいます。他の相についても同様であり、基本は「現在」です。

 ですから理解の順序は次のように進められます。(方便として、一例の和訳を添えておきます。「だろう」は未来であることの指標に過ぎず「推測」などのニュアンスを意味するものではありません)


1、現在時制・基本相(する)
2、過去時制・基本相(した)
3、未来時制・基本相(する・するだろう)

4、現在時制・完了相(してしまった)
5、過去時制・完了相(してしまっていた)
6、未来時制・完了相(してしまっているだろう)

7、現在時制・進行相(しているところだ)
8、過去時制・進行相(しているところだった)
9、未来時制・進行相(しているところだろう)

10、現在時制・完了進行相(し続けてきた)
11、過去時制・完了進行相(し続けてきていた)
12、未来時制・完了進行相(し続けたことになるだろう)

 まだ個別の解説はこれから先に行いますが、ここでは全体像を見渡して、ざっと英語の時制について雰囲気をつかんでおきましょう。「くどいくらい繰り返し説明する」のがこのサイトの特徴(笑)ですから、消化不良のところがあっても深く悩まず読み進めてください。「ざっと理解>徐々に細かく理解」という流れで進めていきます。

先の「He ( play ) the piano.」を実際に文章として上記12の形式で表現してみましょう。意味としては何通りか発生しますが、その中の基本となるものを示しますので、英語の時制でどんな状況を述べられるものなのかをまず見ていただきましょう。例文をシンプルにするため、本来なら一緒に使われる「時間を表す副詞(now, yesterday, tomorrowなど)」は一切含めていません。

1、現在時制基本相
He plays the piano.
「彼は(たった今)ピアノを弾く」=今、目の前で。今を中心にした日常。
2、過去時制基本相
He played the piano.
「彼は(そのとき)ピアノを弾いた」=過去における断片的な事実
3、未来時制基本相
He will play the piano.
「彼は(そのときがくれば)ピアノを弾くだろう」=単純未来

4、現在時制完了相
He has played the piano.
「彼は(今はもう)ピアノを弾いてしまった」=今における結果、完了、経験など
5、過去時制完了相
He had played the piano.
「彼は(過去のそのときにはもう)ピアノを弾いてしまっていた」=過去における結果、完了、経験など
6、未来時制完了相
He will have played the piano.
「彼は(そのときになればもう)ピアノを弾いてしまっていることだろう」=未来における結果、完了、経験など

7、現在時制進行相
He is playing the piano.
「彼は(今ちょうど)ピアノを弾いている最中だ」=現在進行中の動作
8、過去時制進行相
He was playing the piano.
「彼は(過去のそのときちょうど)ピアノを弾いている最中だった」=過去のある時点における進行中の動作
9、未来時制進行相
He will be playing the piano.
「彼は(そのときがくればちょうど)ピアノを弾いている最中だろう」=未来のある時点における進行中の動作

10、現在時制完了進行相:
He has been playing the piano.
「彼は(今までずっと)ピアノを引き続けてきた」=過去から現在までの継続的動作
11、過去時制完了進行相:
He had been playing the piano.
「彼は(過去のそのときまでずっと)ピアノを引き続けてきていた」=さらに過去からある過去までの継続的動作
12、未来時制完了進行相:
He will have been playing the piano.
「彼は(そのときになればずっと)ピアノを引き続けたことになる」=未来のある時点までの継続的動作

 上記例文は、互いに比較対照しやすい形式にしてあり、単独では解釈が曖昧になりやすかったり、言葉足らずの英文も含まれています。たとえば12の例文は「朝から今までずっとピアノを弾きっぱなしで9時間経過した人が、『あと1時間ピアノを引き続ければ(=未来の設定)、10時間ピアノを引き続けたことになる』というような英文です。



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136.現在時制・基本相

 それではここから12種類の「時間表現」について個別に1つずつ見ていくことにしましょう。  普通、学校で習う用語としては「現在時制」とか「現在形」とか「〜時制」と「〜形」が区別なく(混同され)用いられていますが、本サイトでは、そのあたりの用語の使用について神経を使います。学校で「現在進行形」という場合も、ここでは「現在時制・進行相」というちょっと難しい言い方をしますが、これは正しく英語の時制の概念を理解していただくためです。  「〜時制」と言った場合は、その「時間表現の方法、考え方」を指し、「〜形」と言った場合は、それを表すための動詞の形を意味します。日本語の段階で言葉を正確に使い分けることが、文法を緻密に理解する上では非常に重要なことなのです。「言葉に無頓着な人」が「文法を細かく理解」できるはずがありません。英語の上達を目指す人なら「日本語自体をきちんと使う」心がけがスタートラインと言えるのです。

 このサイトの用語の使い方に不慣れな方は次のように読み替えてください:

本サイトの表現 学校で習う言い方
現在時制・基本相現在時制
現在時制・完了相現在完了時制
現在時制・進行相現在進行時制
現在時制・完了進行相現在完了進行時制

(以下同様)

 それでは学校で習う「現在時制」を本サイトでは「現在時制・基本相」として解説していきましょう。

(現在時制・基本相の用法)
1、眼前の事実
2、習慣的現在
3、不変の真理
拡張用法
1、確定的未来


 「時間」というのは実際には非常にとらえにくいものであり、特に「現在」ほど定義しにくい時間はありません。
 「今」と口にした瞬間それは過去に流れていきます。その意味で本当の「今」というのは一瞬しか存在せず、まるでないようなものながら、確かにあるのです。「過去」というのは「今までたくさん訪れた『現在』が流れていった痕跡の集まり」であり、「今」があるからこそ「過去」があるわけです。
 なんとも哲学的な話になってしまいましたが、英語の時制を学ぶとき誰もが「『今』って何だ?」と一度は戸惑うものなのです。その戸惑いを一度は感じて乗り越えないと時制というものが理解できないともいえます。「解決」は悩んだ人にだけ訪れます。悩まない人には疑問も問題もなく、したがってそれを解決することも乗り越えることもできません。

 絶えず流れ続ける時間の中で、人は「」というものを「未来と過去に渡り一定の幅」の中でとらえます。その幅は「ほんの一瞬」であることもあれば、「永遠」と呼べるほど前後に広がる場合もあるのです。そして、どの程度に「未来と過去に広がりを感じる」かによって「今する」とか「日ごろしている」という表現の幅をもたらします。

He plays the piano.

 この英文は、彼が今現実にピアノに向かっていて、最初の音符を鍵盤でたたき出す一瞬前に述べられるもの(眼前の事実)かも知れませんし、今彼は部屋で昼寝をしているだけなのに「彼は週に3回ピアノの練習をしている」などと「現在の習慣」を述べているかも知れません。この英文を話す人がイメージの中で「今」というものに対してどのような「前後の幅」を考えているかによって、そのどちらにでも使えるのです。
 またそれが明日の予定について述べている場合でも、「絶対にその予定は変更されない」という決定事項として確信を持った口調で述べるなら、そんな未来のことでもこの英文のまま表現できてしまいます(確定的未来)。

 ここで理解していただきたいのは、最初に「箇条書き」としてあげた「現在時制・基本相」の用法は、もともと完全に独立した別々のものではなく、話者が「現在」というものに「どんな時間的な幅を感じている」かによって無段階的に切り替わるものなのです。ですから「この英文はこの用法!」ときっぱりあてはめやすいこともあれば、1と2、2と3の中間的に解釈できる場合もあるのです。「眼前の事実、習慣的現在、不変の真理」は数多く存在する「現在時制・基本相」の例文の中から特に典型とされるものの用法です。これを基本として理解することで全体像が見えてきますが、くれぐれも無理やり(たった3つか4つしかない)型にすべての実例をあてはめてしまおうとしないでください。

The sun rises in the east and sets in the west.
(太陽は東から昇り、西へ沈む)
One and one is two.
(1足す1は2だ)

 ここにあげた例文は「不変の真理」の典型です。これは「過去と未来」に渡る時間の幅が(現在を中心として)もっとも長いもので、言うなれば「永遠という時間の中心はいつでも『今』」と考えるものです。
 一本の棒をあなたが握っているとしましょう。それが1メートルや2メートルなら、ちょっと持つ位置を変えただけで真ん中以外の部分だと実感できますが、「無限に長い棒」というものがもし存在するなら、どこをつかんでもあなたの左右には果てしない棒が延びています。そしてあなたはいつでも「棒の真ん中」をつかんでいる気になるでしょう。これが「不変の真理」における「現在」の位置づけなのです。
 ですから、その用法によって述べられる内容というのは「ず〜〜〜っと昔もそうだった」し、この先「100万年あともそうだろう」と一般に受け入れられている事柄となります。西暦2007年において「1+1=2」であるが、100年前は違ったとか、あと100年経てば違ってくる、ということがありません。

(「現在」を表す副詞)

 言うまでもなく「now(今)」という言葉が現在時制(すべての相)の中で使われますが、「now」という単語の意味ですら「今という一瞬」だけでなく「当面の間」という広い意味でも使われます。また「ついさっき」という過去さえ「now」で表すことができ、「さあ、これから」という極めて近い未来もまた「now」で表せます。言葉というのは人が使うものですから、常にそういう柔軟性・流動性があることを忘れないでください。そういう流動性が理解できれば「nowがあるから現在時制!」などという固定的な考え方に陥ることはないはずです。

 これが分かれば「today, this week, this month, this year, this century」などがスケールの違いだけによる「now」のバリエーションだと理解できるでしょう。その他「lately, recently, nowadays, these days」など多くの「現在」を表す言葉がありますが、すべて同様に理解できます。

at this moment:今この瞬間
for the time being:当面は

 このどちらも「今を中心」とした「瞬間あるいは一定の幅」を意味しています。
 副詞の中には「今と過去」だけを意味し、未来への幅を含まないものもありますが、それぞれの時間を表す言葉がその文脈の中で「どちら向きにどの程度の幅を意味して使われているか」をよく観察してください。それによって同じ副詞でも「現在時制にしか向かない」ものもあれば「現時時制にも過去時制にも、あるいは未来時制にも使える」ことが分かってきます。

He visited me today.(今日、彼が訪ねてきた<過去)
He is at home today.(今日、彼は家にいる<現在)
He will leave today.(今日、彼は出発する<未来)

 「今日」という1日は午前0時に始まり、翌日の午前0時の直前まで続きます。ですから今が正午なら午前中を振り返った「today」は過去を意味し、たった今を意味するなら現在であり、まだ訪れていない午後6時をイメージして言うなら未来となります。

 これまで述べたように「現在時制・基本相」の用法としては、

1、眼前の事実
2、習慣的現在
3、不変の真理

 の3つが基本となりますが、この中の「1、眼前の事実」は「ほんの1秒後の未来」のように実際には、非常に短い時間をはさんだ未来であるとも言えます。「では、今からピアノを弾きます。(Now, I play the piano.)」では、実際にこの言葉を口にした瞬間は「まだピアノを弾いていない」のですが、よもや1秒後の未来が変更されるとは考えにくいので、「現在(今)」としてそれを「確定」した表現にしているわけです。
 その発想を延長したのが「確定的未来」の用法です。

I leave Japan tomorrow.(私は明日日本を発つ)

 これなど「明日」というまだ、それが訪れるまでにかなりの時間があり、不測の事態の発生による変更なども考えられるわけですが、話者の意識・心理として「もう変更は決してない」という気持ちが働くと、「明日がまるで1秒後のように」すぐ訪れる時間として表現されます。

 「確定的未来」で表現できるのが「どれだけ先」までかは明確な決まりはありませんが、「もう絶対に変更はない」と話者が確信できることが必要ですので、10年後などあまりに遠い将来について語るとき、これを使うのは不自然になります。常識的に考えれば「明日」とか「来週、来月」程度が限度と言えるでしょう。たとえ話者本人が「10年後でも自分にとっては確定的未来だ」と言っても、聞き手がそれを自然に理解できなければ通じません(=極めて不自然に聞こえる)ので、あくまでも「常識的・一般的に『すぐ訪れる』と見なせる時間」の範囲内にのみ、この用法を用いるべきです。(言葉は話者の心理が反映されるものですが、同時に妥当な客観性も帯びていないと「誤解を招く文」、「判りにくい文」、「聞き手が強い抵抗を感じる文」などになってしまうということです。)



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137.過去時制・基本相

 「現在時制・基本相」の用法には次のものがありました:

基本用法
1、眼前の事実
2、習慣的現在
3、不変の真理
拡張用法
1、確定的未来

 現在時制に多くの用法が存在するのは、「今」という概念がそれだけとらえどころのないものであり、「時間の幅」をどう解釈するかによって表現のニュアンス・意図に多くのバリエーションが生まれるからです。

 その点「過去」はかなりわかりやすいものと言えます。

(過去時制・基本相の用法)
1、断片的過去の事実
2、過去の習慣

 これだけです。現在時制にあった「不変の真理」は「永遠のときの流れの中で中心は常に今」という発想からですから、過去時制にはありません。また「過去時制」は当然のことながら「過ぎ去った時間の中」でのことしか表現しませんから「確定的未来」のような「これから先」を指す用法も存在しません。

 すなわち現在時制・基本相の「1,2」の用法だけが、時間の経過とともに「過去にながれた」ことを表す用法として表現されることになるのです。
 「現在時制・基本相」で「眼前の事実」として述べたことは、過去の中では「断片的事実」として「今と切り離した過去のできごと」となり、「現在の習慣」はそのまま「過去の習慣」として「その当時は〜していた」となります。

I woke up six o'clock this morning.(今朝、午前6時に起きた)<断片的過去の事実
I went to school by bus every day.(毎日、バスで通学していた)<過去の習慣

 簡単ですね!?

 ここで念を押しておきますが「過去時制」で書かれた英文を通じて分かるのは「過去のこと」だけです。そこから「だから今は」という内容は導きだせません

My father came home five minutes ago.(父は5分前に帰宅した)

 この英文から「父が今家にいる」という事実に結び付けてはいけないのです。この英文はあくまでも「過去における断片的事実」であり、現在と切り離した過去を述べています。たとえ5分前に父が帰宅していても、3分前にまた出かけたという事実があるかも知れないのです。(これが後で述べる「現在時制・完了相」との大きな違いです)

 「今を述べるのが現在時制。過去を述べるのが過去時制」-----なんとも当たり前のことですが、様々な英文を見ていくと、ときにこの当然の区別が曖昧に感じられることもあるのです。

1、Soseki wrote "Botchan".(漱石が「坊ちゃん」を書いた)
2、Soseki writes "Botchan".(「坊ちゃん」は漱石の作品である)

3、Colombus discovered America.(コロンブスがアメリカを発見した)
4、Colombus discovers America.(コロンブスがアメリカを発見することとなる)

 夏目漱石もコロンブスも「過去の人」であり、1と3は、「漱石が『坊ちゃん』という小説を書いた」、「コロンブスがアメリカを発見した」という過去の出来事をただそのまま述べています。もちろん、どちらも正しい英文で、抵抗なく読めることでしょう。
 じゃあ、2や4はどうか?もうこの世にいない夏目漱石やコロンブスの動作を現在時制で表すのは論理的でないようにも思えますが、実はこの3も4も「あり得る英文」なのです。

 3の「Soseki writes "Botchan".」は例えば文学の講義の中で、「〜は、、という作品を記し、また〜は、、という作品を記している」のように、ややアカデミックな口調の中で様々な作家と作品を列記するような場合、「書いた」という過去の動作よりも「漱石の作品である」という「不変の事実」としてのニュアンスが強く表現されます。これは「作家と作品の関係」を示すことが主であり、

"Botchan" is a novel written by Soseki.

 で「is」が現在時制で表現されるのと同じ発想です。上記2の和訳として、あえて「『坊ちゃん』は漱石の作品である」という英文の構造とまるで違う日本語表現にしたのはそういう理由からです。この和訳を1と全く同じにすることも別にかまわないところなのです。すでに述べたように「英語と日本語は時間表現のシステム(と習慣)が違う」のですから。

 4の「Colombus discovers America.」も、これ単独ではいかにも不自然で「過去形であるべきdiscoveredが不適切にdiscoversという現在形になっている」と見えますが、上記「漱石」の例と同様に理解することができます。言うなれば「アメリカを発見したのはコロンブス『である』」という「いつまでも変わらない事実」として現在時制を適用した心理ともいえますし、あるいは歴史の講義の中で、まるで受講者たちが「歴史の現場に立ち会っている」ような臨場感を持たせつつ、大昔のできごとを順次解説している場合など、1492年以前の出来事からそこに至り、「さて、ここでコロンブスがアメリカを発見するのである」と言う心理が理解できるかと思います。

 このように「歴史的事実」を臨場感を持たせて述べるときは現在時制が使われることもあるのです。言葉は話者の心理やイメージを反映するものですから、「まるで今自分たちがその場にいる」ような気分の中で解説していれば、それもうなずけることでしょう。ただし、2や4は、決して一般的な用法ではなく、特定の「場」や「(学術的)口調」の中に限って現れるものです。

 さて過去時制の話の中ですが、既習の現在時制で述べなかったことも関連させて説明しました。



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138.未来時制・基本相

 現在時制の基本理解をイメージの中で時間軸をずらすことにより過去時制の理解に結びつけることができるということがお分かりいただけたかと思います。
 次に、それを「未来」へと折り返して「未来時制」を理解することにしましょう。

 まず申し上げなければならないのは「英語の動詞に未来形はない」ということです。これも「え?」と思われるかも知れませんね。でも本当に「未来時制はあっても未来形はない」のです。こんなことを言うとますます混乱しますか?では次をよく見てください。

過去時制・基本相:He played the piano.
現在時制・基本相:He plays the piano.
未来時制・基本相:He will play the piano.

 こうして並べて比較すると「動詞の形」として気づくことがあるでしょう。
 「過去」と「未来」では、それぞれ「played/plays」という「特定の形」が使われており、原形「play」がそれなりに変化した姿を示しています。もし「未来形」という動詞の形があるのであれば、これらと同じように「動詞の語尾活用」などによる「1単語」の「playの未来形」があってもいいことになります。(実際、英語以外の言語では、動詞の「未来形」という変化形をちゃんと持つものもあります。)

 未来時制を現すとき、英語では「未来形」という動詞の形がないため、「will」という助動詞の「現在形」と「play(原形)」を並べたままにします。
 ところで、「played」という過去形は「did play」と分けて書くこともでき、「plays」もまた「does play」と分けることができます。言うなれば「did play」、「does play」が「合体」して「played, plays」という形になったとも言えるのです。しかし「will play」だけはその「合体」をしません。なぜでしょう。

 これは「英語の論理」と関係があります。「過去のこと」は必ず確定しています。「現在」のことも習慣であれば確定事項ですし、「今まさに」というような「確定的未来」もまた「決まったこと」の一種として感じられます。だからそのための「動詞の形」で表現できるわけです。
 しかし「未来」となると、どこか「そのときになってみなければ分からない」という不確実性、不確定要素を完全に排除できません。それがたとえ明日のことであっても、絶対にそうだ、そうなると言い切れない気分を伴うことが多いでしょう。(それをあえて断定するのが「確定的未来」としての「現在形」の用法の1つです。)
 そこで英語では、「will」の「現在形」をそのまま使うことで「今の時点で予測されることとして」というような「今における」のニュアンスを残しておくわけです。その意味で英語の「未来時制」とは現在時制の延長とも解釈することができます。

 未来時制に用いられる「will」はもともと「意思」という名詞であり、それが「望む、意思を持つ」という動詞としても用いられていたものです。それが「will+動詞の原形」という組み合わせにより「主語が意思としてその動作を行う、行おうとしている」を表すようになり、「意思未来」の用法が生まれました。
 さらにその形式から「意思」の意味が薄れると「単純未来」の意味となったわけです。  一方、「意思未来」という「人間」が主語であるべき構文で、人間以外を主語にして擬人的に言いまわすと「まるで意思があるかのように」という意味となり「主語の性質」の用法となります。

(未来時制・基本相の用法)
1、意思未来
2、主語の性質
3、単純未来

 1と2の用法では、「主語+will+原形」を決して「主語'll(I'll, you'll, he'll, she'llなど)」のように短縮形にしません。これは「will」が本来もつ「意思」の意味が発音としても明確に表現されるからです。

意思未来の例:
I will pass the exam.(きっと試験に受かってみせるぞ
My father will find you.(父はなんとしても君を見つけるつもりでいる

主語の性質の例:
Babies will cry.(赤ん坊というのは泣くものだ
The door won't(=will not) open.(ドアがどうしても開いてくれない

単純未来の例:
I'll be seventeen years old next month.(僕は来月17歳になる
It'll be rainy tomorrow.(明日は雨降りになるだろう

 「意思未来」はその英文の主語が強い意志として「述語動詞」をしようとしていることを表します。
 「主語の性質」は、本来意思を持たない物質や赤ん坊などが「まるで自らの意思でそうしているように」という意味を背景にした一種の擬人法的表現ともいえます。
 十分に意思を持てる年齢の人間を主語にしても「Girls will be girls.(女の子は所詮女の子だ=すぐ泣くとか、嫉妬深いとか、「女性特質」の性格や傾向性を持っているということ)」などの例もあります。

 「単純未来」は「will」が本来持っていた「意思」のニュアンスが完全に薄れ、単に「時間の経過とともに自然にそうなる」ということを述べる用法です。そこに主語や話者の思惑、意思は一切関係ありません。本人が何の努力をしなくても、時間さえ経過して「そのときになれば」自然と何かが行われるという「なりゆき」や「予測」を表すものです。この用法では「will」の意味自体が希薄になっているので発音も軽くなり「主語'll」という短縮形も用いられます。
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(be going toとの違い)

 さてこれは本来の意味でいう「未来時制」とはちょっと違うものですが、よく「will」との区別がつかないという悩みの声を聞きますので、「be going to」という表現についても、ここで解説することにしましょう。

(1)It will rain tomorrow.
(2)It is going to rain tomorrow.

 (1)は、これまでの解説を重ねていうと「時間の経過とともに明日になれば、自然と雨が降り出すことになる」という単純未来。まるでテレビの天気予報で述べるような口調であり、その天気予報を見た人が、「明日は雨だってさ」と他人に伝えるときも、こういう言い方をします。実際に天気がくずれつつあるかを目で見て確認したわけではありません。

 (2)は、用法を直訳風に和訳すると「天候が明日の雨降りに向かって進みつつある」であり、「事態が進行中」であることを意味します。つまり、実際に空を見上げて雲行きなどを観察し、あるいは天気図を分析した結果として、「このまま状況が進行すれば雨」となることを述べているのです。
 「be going to」はその形式から見ても「go」の現在進行形であり、「今〜へ向けて進みつつある」であることがわかりますが、それがちゃんと意味にも含まれています。今進行中だということは、それがスタートしたのがその瞬間ではなく、すでにそれよりさかのぼった時間から始まっており、それが今現在も進行中だということを意味します。

(3)I will buy some milk.
(4)I am going to buy some milk.

 3は、たった今冷蔵庫にミルクがないことに気づいたり、人から「ミルクがないから買ってきて」と頼まれたときなどに返事として言う表現。
 4は、人から「ミルクないよ」と言われた時点ですでにそれ以前からミルクがないことを知っており、「ああ、分かってる。だから買いに行こうと思っているよ」と告げる感じです。
 つまり4は「ミルクがないことを知っている>買いにいく予定をすでに組んだ>今することがあるがそれが終われば行くつもりである」というような「事態の進行」をやはり表現しているのです。たとえ今テレビをぼ〜っと見ているとしても、その番組が終わったら行こうとか、なにかしら「この先ミルクを買いに行く」という未来へ向けて事態が進んでいるのだというニュアンスを持ちます。言うなれば「今こうしている最中にあっても、私は『ミルクを買う』ことへ向けて進行中なのだ」ということです。

 こうして比較してみると

I am going to be seventeen years old next month.<間違い

 が不適切な言い方であることも分かります。「来月17歳になる」とは本人の意思や努力と無関係に「時間の流れ」に従って自然にそうなってしまう「単純未来」ですから、「来月17歳になることを目指して具体的な努力や準備をしながら事態が前進している」というのは実に奇妙な話です。

 では「将来は医者になる」はどうでしょう?

(5) I am going to be a doctor in the future.
(6) I will be a doctor in the future.

 どちらの英文も間違いではありませんが、言わんとすること、ニュアンスは大きく異なります。  5は、将来医者になる希望があり、その夢の実現に向けて今しっかり勉強しているなど事態の進行」があることを述べています。
 6は、単純未来なので「時間の経過とともに勝手にそうなる」わけですが、それはたとえば「父親が医者だから自分の好む、好まざるとは無関係に、そういう未来が決められているんだ」という運命的な言い方であったり「先日、占いでそう言われたから」のような、無責任で冷めた表現となります。(もちろん6でも「I WILL be a doctor.」と意思未来として「will」をはっきり言えば「なにがなんでも将来は医者になってやるぞ」という決意の表現になります。)

 理解を進めるためにさらに例文を見ていきましょう。

(7)What are you going to buy for your mom for her birthday?
(8)What will you buy for your mom for her birthday?

 相手が母親の誕生日が近いことを当然知っており、この質問をする以前から誕生日のプレゼントを何にするか決めていることだろうという前提で質問しているのが(7)です。「あなたが買う予定のプレゼントは何?」と聞いているわけです。
 (8)が使われるであろう状況としては、次のような場合が考えられます。
 たとえば兄弟が「母親の誕生日が近い」と話題にし、その場で何をプレゼントにしようかを話し合うような状況で、相手に「君は何を買う?」と自分が買うものの参考に尋ねる場合など。母へのプレゼントの話題が今出て、たった今「さて何を買おうか?」と話し合っているので、「それ以前から決めていた予定」ではないから。

 これが「What will you buy for my sisiter?」などと人間関係が違ってくると、「僕の姉のために何を買ってくれるの?」の意味となり、「will」を意思未来で解釈できます。

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 未来時制とからんで「shall」の用法や「Will you/Won't you」などの疑問文なども解説する必要がありますが、今は「時制」そのものの理解に的を絞ることとして、これらは「助動詞」の項目で取り上げることとします。



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139. 現在時制・完了相

 さて「基本相」の「現在、過去、未来」3時制を見てきましたので、次は各時制の中における「完了相」です。

形式: have/has(助動詞)+過去分詞(本動詞)

 となります。ここでの「have」は助動詞として機能するもので「持つ、持っている」という具体的な意味を持つ本動詞ではありません。(その意味の本動詞を完了相にするなら「have had」となります)
 完了相では、助動詞 have が「主語の人称や時制」を形に表し「have, has, had あるいは will have」となり、本動詞は常に過去分詞です。したがって「現在時制・完了相」では「have/has」のいずれかと本動詞の過去分詞の組み合わせとなります。

 さて中学で現在完了(=現在時制・完了相)を習うと、決まって「過去形との区別が分からない」という悩みの声が出てきます。それはこの形式の和訳として「〜してしまった」という言葉を機械的に対応させてしまうからであり、「完了」という相そのものの意味・用法を正しく理解し、それがあくまでも「現在時制」に含まれる4つの相の1つであることが納得できれば解消する問題です。そしてそのような混乱を防止する意味からも「現在時制・完了相」というちょっと難しい名称をあえて使っているのです。

 さて完了相を理解する上で非常に分かりやすい例がありますので、それをまず見ていただきましょう。

I have my homework finished. <古い形式の完了形

 現代英語では「have/has +過去分詞」が1つにまとまった述語動詞を形成していますが、歴史的に見ると、それはもともと上記のような形式であり、「やり終えられた宿題を(今)持っている」と表現されました。この段階では「have」もちゃんと「持っている」の意味を表していたのです。そして、この形式では「have」だけが(現在時制・基本相の)述語動詞ですから、どう見ても現在について述べているのが分かりやすいですね?
 これが後に「have」と「finished(過去分詞)」が引き寄せあうように連続的に「have finished」という語順を取るようになったのが今日の「完了形」です。こうなって「have」は本来の「持っている」という本動詞の意味から「finished」の相を支える助動詞になりました。

I have finished my homework.<現代英語の完了形

 「have」はあくまでも現在形ですから、この英文が表しているのは「今のこと」です。さきほどの歴史的意味を踏まえて言うなら「すでにやり終えられた宿題を今持っている>だからもう遊びに行ける/もう寝ていい、など」のようにだから今」がこの英文がもっとも述べたいことなのです。

I finished my homework.<過去時制・基本相

 こちらは「断片的な過去の事実」を述べた英文。過去形「finished」は本動詞で基本相なので単独で用いられています。過去形ですから、そこから分かるのは「過去の事実だけ」であり、その結果としての今のことについては一切述べていません。言うなれば「宿題が終わった。だからどうした?」です。
 しかし、「I have finished my homework.」では、「すでに宿題をやり終えている自分が今ここにいる」という「今」が重点であり、「もうやるべき宿題はない」とか「もうテレビを見てもいい」などの「過去の出来事の結果としてもたらされた今」を述べているのです。

 さて、それでは「現在時制・完了相」が表す意味について整理します:

1、完了・結果(<すでに>〜してしまっている<だから今は、、、だ>)
2、継続(今まで〜し続けてきた)
3、経験(今までに〜したことがある)

 繰り返しますが「完了相」といえども、それが「現在時制」である限り、述べているのは「今」についてです。
 また十分な前後関係や、用法を絞り込める適切な副詞などがなければ、英文だけを見て上記のどの用法であるかを単純に断定できないことも多くあります。

I have played the piano.

 この英文は
1、私はもうピアノを弾いてしまった。(例えば発表会の順番が終わってしまった)
2、私は今日までピアノを弾いてきた。(以前から今日までその習慣が続いている)
3、私はピアノを弾いたことがある。
 のいずれの場合もあり得ます。

 しかし
(1) I have already played the piano. (already=すでに)
(2) I have played the piano for ten years.(for ten years=10年にわたり)
(3) I have played the piano only twice.(only twice=2度だけ)
 のように副詞が加わると、どの用法で完了形が用いられているかが、わかりやすくなります。

 現在時制・完了相とともに用いられる動詞は、その意味から考えても理解できますが、「過去から現在にまたがる時間」を表せるものです。決して「過去のある一点」だけを指す副詞と「現在時制」の一種である「現在完了」を同時に用いることはできません。

1, I have been to America before.
(私は以前アメリカに行ったことがある) before=今に至るまでの過去の中で
2, Have you ever been to America?
(あなたは今までにアメリカに行ったことがありますか?)ever=今に至るどの時間においても
3, I have never been to America.
(私はまだ一度もアメリカに行ったことがない)never = not ever
4, I have just been to America.
(私はたった今アメリカから帰ってきた・アメリカに行ってきたばかりだ)just=たった今
5, Where have you been all this while?
(今までずっとどこにいたんだ?) all this while=今までずっと(比較的短時間)
6, He has (already/now) gone to America.
(彼はもうアメリカに行ってしまった。<だからここにはもういない>) already=すでに, now=今はもう
7, I have finished my homework this morning.
(今朝はもう宿題を済ませている=これを述べているのがまだ午前中)

・「been to(行ったことがある/行ってきたところだ)」と「gone to(行ってしまった)」には注意。
・「before」は決して過去の1点を指すものではなく、「今から見て過去において」と「過去から今に至るまで」という幅を表す副詞。
・「just」は「たった今」と現在を表し、「now」ももちろん「今」であるが、この2つが並んでjust now」となると「ついさっき」という意味の「過去」を表す言葉となるので、現在完了では使えなくなるので注意。

He has now left Japan.(今はもう去ってしまった)
He has just left Japan.(たった今去ったばかりだ)
He left Japan just now.(ついさっき去った)<過去時制

 たとえ日本語で「ついさっき去ったばかりだ」と言えても、それを機械的に「He has left Japan just now」とは言えない。このあたり頭を日本語から英語にしっかり切り替えて考える必要がある。決して単純な言葉の置き換えで済ませようとしないこと。

 例文7では「this morning」が使われているが、今がすでに午後ならもちろん、これは間違った英文となる。あくまでも午前中にこの英文を述べていなければならず、そうでさえあれば「I have finished my homework today.」が正しいのと同様に成立する。(this eveningやtonightも同じく、今がその時間帯にあればよい)

 ところで現在時制・完了相の例として、日本人的感覚からはちょっと抵抗を感じるような英文もあります:

My father has been dead for three years.(父が亡くなって3年になる)

 これは直訳すれば「父は3年間に渡りずっと死んだ状態のままでいる」ですが、日本語的に考えると「まるでいつか生き返る」かのようにも聞こえるこの言い回しは英語としては全く自然なものです。人の「死」は戻らない(=生き返らない)ものですから、この英文は

(A) My father died three years ago.(父は3年前に亡くなった)<過去時制・基本相
(B) It is[has been] three years since my father died.(父が亡くなってから3年経った)
(「It is」はアメリカ式、「It has been」はイギリス式)

 と同じ事実を述べていることになります。
 「My father came home five minutes ago.」は必ずしも「My father has been home for five minutes.」を意味するとは限りません(5分前に帰宅し、3分前にまた出かけたかも知れない)が、それは「come home(帰宅する)」という動作をいつでも他の動作(go out againなど)が追う可能性があるからです。しかし「die(死ぬ)」は一旦それが行われれば、「live again」がそれを追うことがないため、「died three years ago」が事実として「has been dead for three years」と同じことを必ず指していると言ってよいわけです。



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140. 過去時制・完了相

 現在時制における完了相が理解できれば、あとはそれを過去にずらすだけで「過去時制・完了相」が理解できます。すべての相について、常に現在時制の中でまず理解を固め、それから想像の中で時間を経過させたり、過去にさかのぼったりすることで、他の時制の中での同じ相が何を意味するかも自動的に理解されます。

 過去時制・完了相の用法は次の通り:

1、完了・結果(<その時までにすでに>〜してしまっていた<だからそのときは、、、だった>)
2、継続(その時まで〜し続けてきていた)
3、経験(その時までに〜したことがあった)
4、大過去(=他の過去と対照的に「それよりも過去」を表す」

 「120. 現在時制・完了相」の用法と見比べてみていただきましょう。「今まで」という部分が「(過去における)その時まで」と置き換わっていて、「〜だ」、「〜してきた」、「〜ある」がそれぞれ「〜だった」、「〜してきていた」、「〜あった」と変わっているだけです。つまり「今日なら完了形現在で話すべき内容」を10年後に振り返って話すと完了形過去を使う」ことになるわけです。
 唯一、現在時制の完了相にはなかった用法として「4、大過去」が追加されていますが、これは他の用法と切り離し別にあとから説明します。(本来、「大過去」は別時制ですが、形式が「had+過去分詞」と過去完了なので、ここに含めて解説するのです。)

 ポイントは、たとえ明確な副詞が書かれていなくても、必ず「過去のある時点」がイメージされており(あるいは文脈からそれが了解され)それが「完了」した終点となるのです。

I have climbed Mt. Fuji five times.
(<今日までに>富士山に5回登ったことがある)
I had climbed Mt. Fuji five times <when I was ten years old>.
(<10歳にして>私は富士山に5回も登った経験があった)

 過去完了は、過去時制の一種ですから「when I was ten years old.」と「過去のある時点」を指す副詞があってもまったくかまいません。というか、なんらかの過去を表す副詞を伴うのが自然です。

I had lived in Tokyo for five years until/before I moved to the U.S.
(アメリカに移るまでの5年間、私は東京に住んでいた)

When my parents arrived at the hall, I had finished playing the piano.
(両親がホールに到着したときにはもう、私はピアノの演奏を終えてしまっていた)

 これらのように「過去のいつの時点で、いつの時点まで」が文章中に明示されていれば理解はしやすくなりますが、そのような時間設定が文脈からなされている場合などは、上記の「until/before...」や「when...」がなくても過去完了は用いられます。

I came home at five o'clock. My father had already left.
(私が帰宅したのは5時だった。父は<その時点で>すでに出かけてしまっていた)

 このように現在完了(現在時制・完了相)さえ理解できてしまえば半ば自動的に過去完了(過去時制・完了相)も理解できてしまいます。
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(大過去)

 さて最初の用法で「4、大過去(=他の過去と対照的に『それよりも過去』を表す」として、この過去完了だけに追加されたものがあることをお話しましたが、これはどういうものでしょうか。

The train has aleady left.(列車はもう行ってしまった)

 これは「has」が現在時制ですから「今の時点」で列車がもう駅にないことを意味しています。しかし、これが「私が駅に到着したときには」という過去の時点を設定すると次のようになります。

When I arrived at the station, the train had already left.

 この英文には「2つの前後関係のある過去」が含まれています。1つは「私が駅に到着した」という過去。もう1つは「列車が行ってしまった」という過去。順序から言えば「先に列車が行ってしまって、そのあと私が駅に到着した」ということを述べています。つまり「過去1」と「過去2」があって、その間にはっきりした前後関係があるということです。「過去1」は「今から見て過去」なので単純に過去形で表現できますが、「ある過去よりさらに以前の過去」というのは、まさか「過去形-ed」なんて形を勝手に作れません。そこで「形式として過去完了」を借りてきて、それにより「過去の過去(=大過去)」を表すのです。
 ここで示した例文は、まだ「完了相」でもあり、完全な大過去の例とは言えません。しかし、これを踏まえて次が理解できます。

I have lost the watch (that) I bought yesterday.
(昨日買った時計を失くしてしまった)

 この英文で「失くした(だからもうない)」のは今。でも、その時計を買ったのは昨日という過去です。そこに前後関係があるのは至って当然で、「先に買う>それから失くす」という順序があります。

 この英文で「I lost」という過去で文章を始めると、「買った」の部分は「lost」よりもさらに過去であることを示さなければなりません。

I lost the watch (that) I had bought the day before.
(私は前日に買った時計を失くした)=失くした前日に時計を買っていた

 この英文のhad bought」は形式としては「過去完了」ですが、「完了相」としての意味はまったくありません。あくまでも「lostよりさらに前」という「過去の過去」を前後関係上、表しているのです。

He didn't speak until I had finished eating.
(彼は私が食べ終わるまで話さなかった)

 これも「彼が話し始める」のと「私が食べ終わる」こととの前後関係を示すため、「had finished」という「大過去」になっています。英語ではあらゆる述語動詞をすべて「現在を基点に時制を示す」ため、過去と未来は簡単に表現できても、さらに過去となると実際不都合が発生するのです。この「大過去」はそれに対応する苦肉の策と言えますね。(日本語なら「前日に買った時計を失くした」でいいわけです。「買った」が「(「失くした」という)過去を基点にした過去」を柔軟に表すことができるので、形として「買った」、「失くした」が同じような完了相であっても、そこに前後関係があることを柔軟に理解できるからです。)



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141. 未来時制・完了相

 これも現在時制・完了相をイメージの中で時間的にスライドさせることで理解できます。  つまり「今はまだ現在完了で表現するわけにはいかないが、この先、『ある時』が訪れれば、それが言えるようになる」内容を表現するわけです。

I will have finished eating in ten minutes.
(10分後には食べ終わっていることだろう) in ten minutes=今から10分後

When you arrive here, I will have finished playing the piano.
(君が到着するころには、私はもうピアノの演奏を終えているだろう)

 いずれもこの英文を口にしている今の時点では「まだしていない、終わっていない」のですが、一定の時間が経過して「ある時が現在となったとき」には、「have+過去分詞」で表現することになる(=will)、という意味を表しています。

 未来時制の完了相は、すべて「現在時制・完了相」を先送りしただけのものですから、用法も同じ(ただ未来のこと)です。


(未来時制・完了相の用法)

1、完了・結果(その時がくれば〜してしまっているだろう)
2、継続(その時がくれば〜し続けてきたことになる)
3、経験(その時がくれば〜したことがあることになる)

When you get married, I will have died.
(お前が結婚するころには、私はもうこの世にいないだろう)

In September, I will have lived in Tokyo exactly for 20 years.
(9月になれば、私は東京にちょうど20年住んだことになる)

If I climb Mt.Fuji one more time, I will have climbed it twenty times.
(あと1回富士山に登れば、私は20回登ったことがあることになる)

 このようにすべて「その時がくれば」を含みに持ち、それを「when, if など」で設定したり、具体的な時間を表す言葉で示したりします。実に簡単な時制表現ですね。(基本となる現在時制・完了相さえしっかり理解できていれば、です)



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142. 現在時制・完了進行相

 「完了進行相」とは「完了相」と「進行相」が複合して現れるもののことです。したがって「完了」と「進行」が先に理解できていなければなりません。

 形式としては「完了」の「have+過去分詞」と「進行」の「be+現在分詞」が重なることとなり 「have/has+been(beの過去分詞)+現在分詞」
 という形になります。

時制が「現在」だから「今」を表し
完了相が「〜してきた」を表し
進行相が「〜している最中だ」を表し、
それらが同時に現れて「今までずっと〜し続けてきた」という意味になります。(現在に至るまでの動作の継続的進行)

進行相が含まれているため、「連続的、継続的」であることが強く表現されており、本来的には「絶え間なくずっと〜し続けてきた」の意味ですが、これは文字通り「まったく休むことなく」であることもあれば「習慣的行為が今まで続いている」ことの強調の場合もあります。

(1) I have been watching TV since morning.(朝から今までずっとテレビを見続けてきた)
(2) I have been learning English for three years.(3年間ずっと英語の勉強を続けてきた)

 (1)は実際にその動作が休むことなる行われ続けてきたという意味ですが、(2)は、まさか不眠不休で3年間を過ごすことは考えられませんので「I have learned English」を強調的に「間にブランクなどがなく」という意味を込めて述べたものです。

1, I've been waiting for you.
(ずっと君のことを待ち続けていたよ)
2, I've been working since seven o'clock in the morning.
(朝の7時から今までずっと<休みなく>働きっぱなしだ)
3, I've been working for the company for 30 years.
(その会社に30年間ずっと勤め続けてきた)<「I have worked」の強調

 完了進行は2つの相が複合したものであるため、「have+been+現在分詞」と述語動詞が3語から構成される複雑なものですが、「have been」に完了を「been 〜ing」に進行を敏感に感じ取ってください。基本的な例文を最初はゆっくりと「口にする語と意味・用法」がイメージとして連動するように自分の意識を感じ取りながら音読してください。なれてきたら徐々に読むスピードをあげ、半ば無意識にでも「have been 〜ing」という正しい形が口をつくまで訓練することが大事です。現在時制ですから「have」は主語に応じて「has」にもしなければなりません。

 完了相は「助動詞としてのhave」と「本動詞の過去分詞」の組み合わせから成り立ちますが、その「本動詞」として「be」が過去分詞になって入っています。そして同時に「be」は「be+〜ing」という進行相を作る上で助動詞の機能も同時に果たしています。つまり「have been 〜ing」の「been」は「本動詞として完了相に」、「助動詞として進行相」に、同時に用いられているということになります。このように極めて特殊な機能を果たせることからも、他の様々な動詞と区別して「be動詞」という独立した名称で呼ばれているのです。



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143. 過去時制・完了進行相

 前の「現在時制・完了進行相」をそのまま過去にずらしたものです。
 つまり「過去のその時点まで、ずっと〜し続けてきていた」という意味を表します。

I had been singing alone until my father came home.
(父が帰宅するまで、私はずっと一人で歌をうたいつづけていた)

 「完了進行」は形式的にはちょっと複雑に見えますが、その分、用法が1種類しかなく非常にシンプルです。逆に形式がシンプルな「基本相」は、用法が多岐に渡ったりするのです。形式のシンプルさは、用途の豊富さにつながり、形式が複雑になると複合している個々の相の「一部」の用法同士が組み合わさる結果、極めて絞られた狭い用法しかなくなるということです。
 ですから複合相(=完了進行相)は、見かけほど難しいものではなく、口さえなれてしまえば、日常会話などでも自在に使いこなせるようになるものです。

 複合相がいかに簡単なものであるかは、実際、今この項目にもう書くべきことがないほどです。(もちろん、それはここに至るまでの各「時制・相」の理解を前提にしているからですが)

 完了進行は、意味から考えてわかるとおり「<過去のある時点まで>ずっと〜し続けてきていた」ですから、その動作の終着点となる時間を示す副詞がもっとも相性よく使われます。

The girl had been crying before/until her mother found her.
(少女は、母がその子を見つけるまでずっと泣きとおしだった)



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144. 未来時制・完了進行相

 基本時制×相=12通りについても、これで最後となります。この12通りの述語動詞のパターンをとにかく練習してください。表現すべき時間とそれに応じた適切な述語動詞が、深く考えなくてもとっさに口をつくまで例文を音読しましょう。固定的な和訳にとらわれることなく、あくまでも柔軟に「英語表現そのもの」をダイレクトにイメージしてください。「過去だから『〜た』、未来だから『〜だろう』などと固定的な和訳」をあてはめることで納得するのはもっとも危険です。最初の理解の参考として和訳は必要ですが、あくまでも「参考」にとどめ、「どう訳すか」に縛られないようにしてください。

 さて、未来時制・完了進行相の表す意味ですが「<未来のその時がくれば>ずっと〜し続けたことになる」となります。

If I play the piano for ten more minutes, I will have been playing it for five hours. (あと10分ピアノを弾けば、5時間引き続けたことになる)

 このように「今はまだその状態になっていない」が、未来のある時間が訪れたときには「〜し続けたことになる」という意味を表します。
 形式としては「will have been 〜ing」と4語からなる述語動詞ですが、他の複合相同様、見かけだけが複雑で意味・用法は1種類だけなので理解はいたって容易。口さえ慣れればすぐ使いこなせるようになるでしょう。
 ただ現実の会話などでは、それほど使う場面が多くあるものではありません。それはかなり限られた状況下でしかこの形式を必要としないからです。(しかし逆を言えば、そのような限られた状況下では、是非使いたい表現でもあります)

Next month, I will have been learning English for ten years.
(来月で、英語を学び始めてちょうど10年になる)
=(来月になれば、10年間のあいだずっと英語を勉強し続けたことになる)
このような複雑な述語動詞形式を使わなくても次のように言い表すこともできます。

Next month, it will be ten years since I started to learn English.

「it will be」は、まだそうなっていないから「未来時制・基本相」で、「I started」は、英語を学び始めたのが今から見れば過去だから「過去時制・基本相」になっています。



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145. 知識を知恵に昇華するまで練習すること

 さあ、これでもっとも基本となる12の述語動詞のパターンを学習し終えました。
 これに習熟すれば、1つの英文を見て「12通り」の時間表現ができますので、応用の利かない学習をしている人と比較して「12倍」のスピードで英語が上達するようになったと言えます。

 特に英語表現や解釈に自信のない方は、特にこの12パターンを徹底的に練習してください。それこそ「寝言でさえ正しい形が口をつく」ほど自分の意識の底にしみつくまで、時制と相を感覚に取り込んでください。
 ここまでに学んだ12パターンは、実をいうとまだほんの入り口に過ぎません。しかし極めて重要な感覚です。これに習熟してから、さらに別の12パターンが待っています。そして24になったパターンを最終的にはまた別の理解を加えて倍の48パターンまで拡張していきます。(直説法能動態>直説法受動態>仮定法と進む)
 苦労するのは、最初の12パターンだけです。それを24パターンに拡張するのは、ほんのちょっとの理解を加えるだけで済みます。そして最後の48パターンになるのも、ごくわずかの追加事項があるだけ。ですから12パターンに習熟さえすれば、あなたは、英語の動詞について7〜8割をマスターしたことになるのです。

 練習の方法としては、できるだけ目に見えてわかりやすい具体的な「動作」を表す動詞で簡単な英文を作り(あるいは信頼できる書物から引用して)、その述語動詞の部分を12通りに変えて(必要があれば適切な副詞を添えて)表現してみます。
 主語にするのは「三単現」の「-(e)s」を付け忘れない練習を兼ねて「He/She」などがよいでしょう。
 何かを課題に練習するときは、課題となる事柄にできるだけ専念できるよう、それ以外の部分を複雑にしないようにしてください。たとえば

He ( watch ) TV.

 このようなもので十分なのです。これだけを目の前にして、一切筆記用具などはもたず、12通りのパターンを口で言ってください。副詞をまったく添えなくて構いません。( watch )の部分を「watches, watched, will watch」などの適切な形にしながら「文として」それを発音します。必ず「He watches TV. He watched TV. He will watch TV.」と文で言うことを守ってください。単なる暗記をするのではないので、述語動詞部分の変化だけをぶつぶつ唱えても効果は薄いものとなります。
 それぞれの英文を口にしながら、できる限り生々しく状況をイメージし、現在、過去、未来という時間の流れなどを身振り手振りで表しながら練習するのがよいでしょう。とにかく大事なのは「知識」にとどめず、それを自分自身に深く根ざす感性になるまで練習することです。「覚えた英文を思い出している」という感触がある限りそれは忘れます。まだ自分の言葉になっていません。まるで「最初から知っていた」当たり前のことであるような気がしてくるまで、根気よく自らを訓練してください。学習内容を「知識」にとどめることなく、自分自身の「知恵」になりきるまでひたすら繰り返し、12通りの時間表現になれてください。

 「英語が使えるようになりたい」と思ってこのサイトをここまで読み進められた方は、ここで上記の訓練に十分な時間をかけ、決して今先を急がないようにしてください。



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146. 「時制の一致」などルールではない

 時制の章の最初で「日本語と英語の時間表現の違い」について述べましたが、まったく違う習慣・システムにより時間を表す日本語と英語では、「英語の過去形=〜た」、「英語の現在形=〜する」という機械的な対応が常に成立するとは限らないのは、当たり前のことです。

 日本語の「〜した」は、常に「今から見て過去」を意味するのではなく、「過去の時点における完了」、「現在の時点における完了」、「未来における完了」のすべてについて「完了」でさえあれば同じ「〜した」が使われます。

彼が帰って「きた」ので、私はでかけた。
たった今、お父さんが帰って「きた」。
お父さんが帰って「きた」ら教えてください。

 また「〜する(未完了)」が現在とも限りません。

お父さんが帰って「くる」前に私はでかけてしまった。
もうすぐお父さんが帰って「くる」。
お父さんが帰って「くる」前に宿題をやり終えよう。

 日本語は「文脈の中で柔軟に基準となる時間軸が移動します」。あるときは「過去のその時点から見た現在」であり、あるときは「未来のその時点から見た過去」でありと、「いつから見た」のかが一定ではありません。

 しかし英語では、述語動詞の時制が「常に現在を基準」に決められます一切の例外はありません。「過去」といえば「今から見た過去」であり、「現在」は「今から見た現在」、「未来」は「今から見た未来」なのです。

 このように「基準が常に今である英語」を「基準が絶えず移動する日本語」に訳そうとすれば、時間表現の言葉づかいがうまく機械的な対応をしないことがでてくるのは、想像に難くないでしょう。にも関わらず「came」とあれば「来た」と疑問なく置き換えて納得する人が実際には多いのです。

He told me that her mother was a famous pianist.

 この英文には「told, was」という2つの述語動詞が使われています。
told=彼が何かを「言った」のは今から見て過去のこと。
was=彼の母親が有名なピアニスト「だった」のは、今から見て過去のこと(=彼が何か言ったその時点でのこと)
 このようにいずれの述語動詞も「今から見て過去だから」過去形になっているだけのことです。何の不思議もありませんね。

 それを「彼は、自分の母親が有名なピアニストである言った」という時間表現習慣の異なる日本語訳と対照して、「『ある』と和訳されるべき箇所が『was』という過去形になっているのは、先に『told』という過去形があるから、それと『時制の一致』をさせているのだ」と説明するのは大きな間違いなのです。別に「toldにあわせて」いるのではなく、「今から見て過去だから当然過去形にしてある」だけのこと。これをよく理解してください。
 そして時制の一致」という学校で習う文法事項をきっぱり忘れてください。なんの役にも立たない知識であり、そんな「ルール」など実際存在しないからです。

 「え?どこの学校でも習うし、どんな文法参考書にも必ず書いてある『時制の一致』が存在しないなんて?!」

 と驚くかも知れませんが、本当に存在しないのです。そんなものはルールでもなんでもないのです。仮にそういうルールがあるとして、「非常に多くの例外」が参考書に書かれているのをご存知ですね?確かにどんなルールにも「若干の例外」はあるでしょう。しかし、「時制の一致の例外」と書かれている項目は1ページに書ききれないほどのたくさんの例文です。なぜそれほど常識外れの多さの例外が存在するかと言えば「ルールじゃないものをルールにした」からですよ!

 このサイトでは「英語の時制は常に現在を基準に決まる」という、たった1つの事実をルールとします。これだけです。そして「一切の例外はない」のです。参考書で「時制の一致の例外」として紹介されているすべての英文もこのサイトでは例外でなくなります。同じ考え方が完全にあらゆる英文に適用されるのです。
 それでは一般に「時制の一致の例外」とされている例を見てみましょう。  以下の例文は「英文法大全」から引用しました。
 なおここに引用した上記サイトの解説は、「時制の一致」をルールとする立場における「例外」として異論はありません。ただ「時制の一致」をルールとしなければ「例外自体がなくなる」という事実を述べるための素材とさせていただくものです。

(1)一般的真理を表す場合
Galileo maintained that the earth moves around the sun.
 (ガリレオは地球が太陽のまわりを動くのだと主張した)
 〔比較〕Ptolemy believed that the earth was flat.

一般の解説:
maintained と moves が一致していない。これは「地球が太陽のまわりを動く」が「一般的真理(=不変の真理)」だから。

真実:
Galileoが「maintaned(主張した)」のは今から見て過去。だから過去形。
現在時制の用法の1つである「不変の真理」は「過去未来永遠の幅」のある現在だから常に現在がその中心。従って当然のことながら現在時制で表現される。
Ptolemyが「believed」したのは過去の出来事。
「地球が平らだ」と信じられていたのは、今から見て過去。だから「was」。


(2)現在なお続く状態や習慣を表す場合
The station master told me that the first train starts at five.
 (駅長は始発電車は5時だと私に言った)
He said that he rises early every morning.
 (彼は毎朝早起きすると言った)
ただし習慣的な事柄でも現在どうなっているかを考慮しない場合には過去形にすることができます。 He said that he rose early every morning.

一般の解説:
 「現在なお続く状態や習慣を表している」から時制の一致を受けない。

真実:
 英語の時制の基準は常に現在。
 駅長が「told」したのは今から見て過去。
 始発電車が出発する(starts)のは、今を中心にした日常的現在だから、当然現在時制。これは今でもそのダイヤが変更されず同じ時間で電車が運行されていることを示すもので、この英文自体がほんの昨日の出来事など新しい過去を述べていることがうかがわれる。もし10年前のできごとを描写しているなら、「その当時の運行ダイヤ」に限った話になるので「started」でないと不自然。

(3)歴史上の事実を表す場合
We learned that the French Revolution broke out in 1789.
(私たちは1789年にフランス革命が起きたことを学んだ)

一般の解説:
 私たちが「学んだ(learned)」のと「フランス革命が起きた(broke out)」で前後関係があるから、本来、古い方を大過去(過去完了形)で表すべきだが、そうなっていないのは、「歴史的事実」だから。

真実:
 過去形と大過去で前後関係を示すのは義務ではない。近接した2つの出来事が文中にあるときは、その前後関係を示さないと誤解を招くが、そうでない場合は、個別に「今から見て過去だから過去形」で問題ない。つまり別に例外でもなんでもなく、普通に過去時制が適用されているだけ。ルール通りである。


(4)事実上の現在・未来を表す場合
Yesterday he told us that he is going overseas next week.
 (きのう彼は来週外国へ行くとわれわれに言った)

一般の解説:
 主節の「told」に対して、従属節の「is」が時制の一致をしていないから例外。

真実:
 例外でもなんでもない。「told」は「彼が述べた」のが今から見て過去だから。
 「is going to...」と現在時制なのは、今からみてこの先のことを述べているから。
 まったくの原則通りである。


(5)仮定法が用いられる場合
He said (that) if he were wealthier, he would assist them with funds.
 (もっと裕福だったら彼らに資金を援助するのだがと彼は言った)

一般の解説:
 主節の「said」が過去だから「過去の事実に反する仮定」を「had been」で言うべきなのに、そうなっていないのは例外。

真実:
 そもそも「仮定法」は現実の時制とは無関係。範疇の違う内容をルールに照らすこと自体がナンセンス。
 仮定法過去は「その時点における事実に反する仮定」であり、仮定法過去完了は、「その時点から見た過去の事実に反する仮定」を述べるもの。従って全くルール通りである。


(6)比較を表すasやthanに導かれる場合
At your age, I did not study as〔so〕hard as you do.
 (君の年頃には、私は君ほど熱心に勉強しなかった)
Japan was previously more mysterious than it is today.
 (日本はかつては今日よりもっと神秘的であった)

※この例文がなぜ「例外」として取り上げられているか自体まるで理解できません。
 「I did not..」は、今から見て過去において「勉強しなかった」から当然過去。
 「as you do」は「今あなたが勉強しているように」という現在を述べているから当然現在。

 「Japan was..」は、今から見て過去のことを述べているから当然過去。
 「than it is today」は、todayがあることからもわかるが「今の日本」を述べているから当然現在。

(7)must、ought (to)、need not、had betterが用いられる場合
I thought I must write to him at once.
 (私はすぐ彼に手紙を書かなければならないと思った)
He said that you ought to〔had better, need not〕go.
 (君が行くべきだ〔行ったほうがよい、行く必要はない〕と彼は言っていた)

※法助動詞は、元来「過去形」だった。それがそのままの形で現在形としても使われるようになった。
 従属節で過去を表すときは、今でも「本来過去形だった」ことが引き続きその用法で使われる。それだけ。

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 このように多くの参考書で「例外」として別に覚えなければならない多くの事柄をまったく特別に意識する必要はなく、「述語動詞はすべて現在を基準に形が決まる」というルールがすべてについて共通にあてはまっている。上記のどれ1つ例外ではない。「時制の一致」をルールにするから「それに当てはまらない」事例がどんどん出てくるだけであり、それをルールとしなければ、何の例外も存在しなくなる。

 繰り返し言います:

 「時制の一致」というルールなど存在しません。

 英語の直説法・述語動詞の時制はすべて現在を基準に決まります。例外はありません。


 もっと簡単で比較しやすい例文を通じて「時制の一致」がないことを理解していただきましょう。

1, She told me she was a teacher.
2, She told me she is a teacher.

3, He told me the meeting was on Sunday.
4, He told me the meeting is on Sunday.
5, He told me the meeting will be on Sunday.

 これらすべて正しい英文です。(もちろん意味が微妙に違います)
 もし「時制の一致」をルールだとすれば、この5つの例文の2,3,5が例外となってしまいます。それは5つのうち3つ(=60%)が例外というとんでもないことであり、ルールに当てはまる方が例外より少ないという奇妙なことになってしまうではありませんか。

 どんな英文も「それが使われた状況」つまり文脈・前後関係なしには存在しません。決して「書かれている文字」だけから内容を理解しようとしてはいけません。常にその英文が現れるに至る経緯を想像し、なんからの状況設定の中における意味を考える必要があります。

 1は、彼女が「述べた」のが今から見て過去。だから過去時制。彼女が「先生だった」のも今から見て過去のこと。現在とは切り離した「断片的過去の事実」として描かれている。ということは、今も彼女が先生かどうかをこの英文から知ることはできない。すなわち「今も先生かどうかわらかない」という気持ちを出すのが自然な状況下で使われるべき英文。5年も10年も昔のできごとを振り返っているなどが想像される。

 2は、彼女が「述べた」のが今から見て過去なのは1と同じ。しかし「she is a teacher.」とこちらが現在時制になっている。つまりこれだけから「今現在、確かに彼女が先生である」ことがわかる。たとえば昨日会った女性が、「私は教員です」と述べたのであれば、その翌日である今日も教員であると考えるのは自然なこと。

She told me that she is a teacher of our school !
(あの人、うちの学校の先生なんだってさ!)

 こうなるとますます、この英文を口にした人の意識の中心に「あの女性がうちの学校の先生だ」という現在の事実が重要な情報として扱われていることが納得できる。この英文を口にした人(生徒)が、自らの関心事として述べている主観性が濃厚に出ている。
 ほんの昨日のできごととして上記英文を使うのに「that she was..」とするのも、間違いではないが、こちらは「that she is ..」という場合より、もっと客観的で冷静な口調。あくまでも「昨日の時点で」という過去のできごととしてそれを扱っている。

3,4,5は、たとえば今電話がかかってきて「He」がmeetingの予定を伝えてきたのを、電話を切ってから背後にいる友人にそれを伝えている場面。

3, He told me the meeting was on Sunday.

 これは次のような意味である可能性がある:
(1)すでにミーティングが終わっており、それが日曜だった。
(2)てっきり土曜日だと思っていたが、彼に聞いたらそうではなく日曜だった。

 (1)は was が今から見て過去を指すもの。
 (2)は「自分の思い込みが間違っていた」ことを示し、自分がそう思い込む以前から別の日程だったという意味の過去形。

4, He told me the meeting is on Sunday.

 彼が電話をしてきたのは「ついさっき、たった今」という過去。だからtold.(これは3,4,5に共通)
 会合があるのは、次にやってくる日曜日。まだ終わっていないが、日程は決定している。(確定的未来)

5, He told me the meeting will be on Sunday.

 「will be」は単純未来。今から見てまだ先のことだから「will」。


 このように英語の時制を「常に現在を基準」だと理解できれば、上記1,2,3,4,5のすべてがあり得ることや、似た英文で微妙に時間表現が異なるときのニュアンスや事実の違いも明確に把握できるのです。
 ここに「時制の一致」などを持ち込むと、本来素直に理解できるはずのことまで、難解に見えてきます。



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