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142.現在時制・進行相

 「be+~ing」で「進行形」を作る、という言い方でよく知られていると思います。
 「be+~ing」全体でV(述語動詞)を形成しますが、主語や時制に応じて形を変えるのは「 be 」のみであり、時制が現在なら

I am /We are/You are/He is/She is/They are
I was/We were/You were/He was/She was/They were
I will be/We will be
など

 となり「 ~ing 」の部分は常にそのままです。「 ~ing 」の形を取るものには現在分詞動名詞がありますが、進行相を構成するときは現在分詞です

 見かけだけ「be+~ing」になっていても意味から考えると進行相ではないこともありますので機械的には考えないようにしましょう。

My hobby is collecting stamps.(私の趣味は切手を集めることです)

 この英文では「is collecting」が見かけ上は「be+~ing」ですが、これは進行相ではなく、この「collecting」は「集めること」を意味する動名詞。もし進行相だったら「私の趣味が切手を集めています」なんて意味になってしまいますからおかしいのはすぐ理解できるでしょう。

This book is interesting.(この本は面白い)

 これも「intersting」を純粋な形容詞と見なします。つまり good, beautiful, funny などと同じ機能であり形だけ「~ing」になっていると考えた方がよいでしょう。(interesting の由来としては確かに「興味を持たせる」という他動詞の現在分詞なのですが、もう純粋な形容詞になりきっていると考えるのが自然です。)

 「現在分詞」というのはもともと動詞としての機能をそのまま残しつつ形容詞としての性質を帯びたものですので、「 be+~ing 」を直訳すれば「~している状態にある」となります。が、進行相を形成しているときはそのように細かく分析しすぎるよりも「 be+~ing 」で1つの動詞の固まりを作っていると見なした方が実践的といえます。(このあたりのことについては「構文編」の「文型」の章で詳しく述べる予定です。)

 さて一般に学校などで「現在進行形」と呼ばれているのは、「現在時制・進行相」を形づくる組み合わせのことです。すなわち

be の現在形(am/is/are)+現在分詞(~ing形)

のこと。よく「ing形は現在進行形だ」とか「haveの現在進行形は何ですか?」などと「現在分詞」のことを指して「現在進行形」という用語を間違って使っている人を見かけます(特に中学初歩の段階)が、現在分詞と現在進行形は違うものですからちゃんと立て分けるようにしましょう。(まして教員など教える立場にある人は慎重に用語の混乱を避けなければなりません。)

I [ am studying ] English now.
の「 am stuyding 」の部分は、study の「現在進行形だ」というのは合っています。
stuyding だけを指して言うなら、それは「 study の現在分詞」です。

進行相が表す意味

 進行相というのは英語のあらゆる時制表現の中ではもっとも日本人に理解しやすい部類かとは思いますが、それでもしている」という日本語の言い回しが機械的に英語の進行相に対応するとは考えてはいけません。

 日本語の「している」は「し(「する」の連用形)+て(接続助詞)+居る」から成り立っており、「ある動作を今した状態としてここに居る」の場合もあれば「ある動作をすでにやり終えた状態として今ここに居る」の場合もあります。前者は比較的英語の進行相との意味の重なりが大きい(それでも完全には一致しない)のですが、後者はむしろ英語の完了相に近くなりますので、くれぐれも日本語の動詞語尾をそのまま英語のなんらかの時制に置き換えられるとは考えないでください。(日本語と英語とでは時間表現の仕組みが根本的に違うのです。)

 英語の進行相というのは be 動詞が表す現在、過去、未来の「その時点において」、何かの動作が「実際に行われている最中」であることを意味するのが基本です。

I am watching TV now.
なら「今( now )私がテレビを実際に見ているところ」を表します。実際に目が画面に向けられていて、テレビを見るという動作を行っているわけです。

I watch TV every night.
だと、この言葉を発したその時点では別にテレビを見ている必要はなく、今を中心に過去と未来に渡ってそれなりの幅のある長い時間の中で「日ごろ、習慣的に」テレビを毎晩見るということを表しているに過ぎません。

 このように進行相というのは、その言葉を発したその時点で実際になんらかの行為が行われていることを示します。それが基本の用法であり、その他の用法もすべてこの考え方の延長として発生します。

 2階の自室にあなたがいて、1階の母親から「ちょっと来て!」と頼まれたとしましょう。しかしあなたはその場ですぐ手を離すことができない何かをしていたとしましょう。それで1階に降りていくため自分の作業を終える段取りをしていると、また1階から「早く来て!」とまた催促の声がかかりました。
 あなたは「I'm coming.(今行くよ!)」と返事できます。
 この「 I am coming. 」は「 I come 」の現在時制・進行相ですね。でもあなたはまだ実際には1階へ降りていく動作の最中ではありません。

 このような例は、「実際の動作はまだ始まっていないが、気持ちの中ではもう移動を開始している」という心理的側面が進行相に反映したものです。また「 come(相手に向かって近づいていく)」という言葉が、実際に物理的な移動だけを意味するのではなく、その実現に向けて「今の作業を中断しようと段取りをしている」ところまで意味に含めているともいえます。

 こんな場面で単純に未来時制の「 I will come 」を使うと(間違いとはいえませんが)、まるで「未来のあるときが来たら、そちらに行く。でもまだ移動は開始しないよ」というような響きを伴うため、進行時制で返事されるのにくらべて「まだ待たされるのか」という印象を思わず受けることとなるでしょう。

 ちょっとした心理が時制表現に、現実の時間表現としては、ずれを伴って現れることがよくあります。進行相の話とはずれますが、野球の守備をしているあなたにフライが飛んで来たとします。まだボールが空中にある時点であなたは「 I got it. I got it. 」といえます。またボールをつかんでもいないのに過去形で「 I got it. 」と言うのは論理的にはおかしいのですが、「もう自分が捕まえたも同然だ」という、近い未来の先取りとして過去形が自然に用いられたりもします。この辺は日本語でも、まだボールをつかまえる前なのに「よし、捕った、捕ったぞ!」といいながらボールに向かったりしますね。それと同じです。

 進行相においても、
1、今実際にその動作が行われている最中である(基本の用法)
2、まもなくその動作が行われると感じられる、もうその動作が始まっていると感じられる
3、このままいくとその動作が行われることになるだろう
というように、実際にはまだ少しの未来のできごとについて用いられることがあります。

 日本語だと「~しかけている」とか「~しそうだ」、あるいは「間もなく~します」などに相当することが多くあります。

I am dying from hunger.
空腹で死にそうだ。
<これを「死んでいる最中だ」とは考えません。

We are losing the game.
このままいくと試合に負けてしまうぞ。
<これは何も今のスコアが「3-0」で負けているということを指すだけではありません。0-0や5-5のスコアであっても、あるいはスコアとして今の時点では勝っていても、「今の試合運びのままで最後を迎えると負けになる」という事態の方向性を意味する言葉です。

We are arriving at Shinjuku Station.
間もなく新宿駅に到着いたします。
<車内放送のアナウンスなどの表現ですが、これも別に電車がすでに駅のホームに差し掛かっているという意味ではなく(そういう気持ちは込められていますが)、「ここまで来たらもう着いたも同然」という気持ちが進行相に現れて、「近い未来」の意味に使われているわけです。

 進行形によって近い未来を表す動詞としては「往来発着( come, go, leave, arrive )」が非常に相性がよく頻繁に用いられます。

I am liking you.
だんだんあなたが好きになってきたわ。あなたのことを好きになりかけてるわ。
<標準的には「I am getting to like you.」の言い方の方が普通でしょうが、若者言葉など少々俗語的な言い方としては結構見かけます。(ただし言葉遣いに厳しい向きからは「こんな英語は間違いだ」と言われる可能性もあります。)

 また進行相は基本として「今実際に行われている動作」を表しますが、それは裏を返すと「それほど長く未来に渡って続けられるものではない」という一時性を含みに持ちます。その意味を込めて普通なら進行形を取らない「状態を表す動詞」を進行相で表すことがあります。

I am living in Tokyo.
今はとりあえず東京に住んでいる。
<状態動詞「 live 」が進行形になっているのは一時的に「動作動詞に転用」されたためといえます。これは「そのうち引っ越すつもりだが」とか「いつまでも東京に住み続けるつもりはないが」、あるいはときには「人ごみが多く公害のひどい環境がいやだがしかたなく」のようなニュアンスを込めた場合もあります。

I'm lovin' it. (I am loving it.)
[マクドナルドのキャッチフレーズ]
<普通なら進行形にしない love をあえて破格の進行表現にするという奇をてらった言い回しで聞く人の意外性に訴えるという効果を狙っていますが、意味としては「だんだんマックが好きになってきた」、「食べるほどに夢中になるおいしさ」、「今はとにかくマックにはまっている」などが感じられます。
 love をこのような進行形で用いるのは標準的ではありません。
 「だんだん好きになってきた」というなら普通は「I am getting to like...」のような形式を用いるところですので、どちらからといえば俗語的であり、「通常なら言わない」からこそ、耳新しく広告的効果が期待できたわけです。しかし、そういう俗語的表現として誕生した背景にはちゃんとした理由があります。文法的に進行相が持っている機能が込められているからこそ、耳新しくても何が言いたいのかが英語話者にはストレートに生き生きと伝わるわけですね。

 love が進行相に用いられる例として他にも見てみましょう。

At the time, he was just loving me.
<英語学習者としては避けた方がよい表現ですが、だからこそ解説しておきます。
というのは、「love」を動作動詞に転用しているとき、それは「愛情行為」を意味するからです。すなわち男女の間における「love という行為」は「性行為、セックス」のことと解釈されます。つまりこの英文は「そのとき、彼はちょうど私と性行為の真っ最中だった」なんて意味にしか聞こえません。

じゃあ love を進行形にしたら常に「セックスする」の意味なのか?目的語に人間が来ていればそう解釈されますが、次のような例はどうでしょう。

I am loving beer.
対象が「ビール」というもの、それも飲食物です。
日本語にも「愛(め)でる」という動詞がありますが、love はまさに「愛でる」に相当します。どんな方法で「愛でる」かは多分に文脈に依存したり、相手の想像にまかせたりされます。「私はビールを愛でています」とはちょっと何が言いたいかわかりにくいですね。陽気に楽しく飲んでいることを意味するのかも知れませんし(普通はそのような様子を思い浮かべるでしょう)、もしかしたら、ビールのボトルを抱きしめて瓶に頬ずりしているのかも知れません(笑)。いえ、本当にその可能性もあるんです。もともと「ビールという物を対象にしてloveという『行為』を行っている」と書かれているわけですが、「loveという『行為』って何をすること?」についての定義は存在しません。だから電話ごしにこの台詞を聞いた人は「まあ飲食物を対象にしているんだから、楽しく飲んでいるんだろう」と素直に受け止めつつ、言葉を発した本人はビール瓶に頬ずりしていた、なんてオチがあってもいいんです。そうなると言葉の意味の曖昧さによるコントですね。


 中学初歩の段階では、最も基本となる「動作の進行」を表す例に絞ってます慣れればよいでしょう。最初から話者の細かい心理を反映した拡大応用例に触れすぎると混乱するかも知れませんので。

I am watching TV.
I am playing baseball.
Baby is sleeping now.

のような具体性のある、目の前で実際に行われている動作について使われる例にまずは十分習熟してください。それにしっかりなじめばあとの応用例はごく自然に理解されるようになります。

 現在進行のちょっと発展的な構文も取り上げておきましょう。

I am sorry if I am being rude.
こんな話をしてお気に触ったら申し訳ないのですが。

 これは例えばちょっとしたテーブルスピーチなどで使われる言い方で、自分の言葉や話題、あるいは態度などが本意ではないながら「今に限って失礼に聞こえたら」というもの。
I am rude.」 だと「私は(常日頃から)失礼な人間だ」のような意味になりますが、この述語動詞am(be)を進行形にして「 be being 」という形にしています。だから「 I am being rude. 」という形式になるわけですね。これは「 I am rude が今だけ」というニュアンス。

 一見この「 am being 」という be動詞の連続に抵抗を感じる人もいるかも知れません。
 be動詞というのは特殊な性質を持っており、「あるときは助動詞として、またあるときは本動詞としても機能」します。進行相を作る「 be+~ing 」の前に置かれる be は助動詞としての機能を果たしています。一方、「 I am a boy. 」や「 He is rude.」の述語動詞になっている am, is は本動詞です。

 本動詞としての beは「 beVing」の V の位置に置くこともできますので、「 bebeing」はなんら変則的ではないのです。

He was a hero.
彼はヒーローだった
He was being a hero.
1、彼はそのときに限りヒーローだった
2、彼はヒーローとしての役割を果たしていた

2の意味は根本的に1と変わりません。常にヒーローというわけではない「彼」がそのときだけはヒーローになりきっていたとか、責任感からヒーローとしての立場を貫いたなどの意味です。

進行形にならない動詞

 中学校など初歩段階では「動作動詞は進行形を作れるが、状態動詞は進行形にならない」と習うでしょうか。大雑把な説明として言うならば、状態動詞というのは日本語の意味として基本形のときから「~している」という意味を持つ動詞です。
live住んでいる
know知っている
have持っている
understand分かっている
want欲しいと思っている
hear聞こえている
see見えている

 しかしすでに述べたように状態動詞でも意味に応じて動作動詞的に用いられることがあり、その場合は進行形を取りました。そうなってくるとどの状態動詞でもその気になれば進行形にできるのか?と思えますがそうではありません。

I live in Tokyo.
I am living in Tokyo.

この違いなら「今だけは」という一時性を含んでいるのが進行形だと簡単に分かりますが、

I am knowing you.
I am wanting money.

などはまったく使われることがありません。使い道がないのです。
今あなたのことを知っているが、それは今だけであり、明日になればあなたのことは知らなくなる、というのは常識的にあり得ない話の流れです。たとえそれがひどく物忘れのひどい人のことを述べているとしてもそのような言い方はしません。want の進行形がないのも同様。

状態動詞としての意味を持ちながら、動作動詞としての意味もある動詞があります。 have は「持っている」の意味では状態動詞ですが、「食べる、飲む」の意味なら動作動詞ですからこちらは進行形にもなります。

I smell something sweet.何か甘い香りがする。

 という場合の smellは「匂いを感じている」という状態動詞(さらに知覚動詞)であり、その意味では進行形にできませんが、

I am smelling a flower.私は花の匂いをかいでいる。

 という「匂いをかぐ」の意味ならば動作動詞ですから進行形になれます。


 こうなると何を基準に進行形にできるかできないかの判別が難しそうですが、実は簡単な判断基準があります。それは「命令形にして自然に使えるかどうか」です。また構文として「 ask/tellto (do)」の「 do 」の位置におくことができない(意味が妙になる)」というのも1つの判断基準と言えるでしょう。

命令文の例
Come here! ここに来い<問題ない=「come」は進行形になれる
Live in the city. 町に住みなさい<問題ない=「live」は進行形になれる
Be quiet. 静かにしなさい<問題ない=「be」は進行形になれる

ask/tell +人+to do の構文の例

I asked him to come here. 彼にここへ来るよう頼んだ。
I asked him to live with me. 彼に一緒に住んでくれるよう頼んだ。
I asked him to be quiet. 彼に静かにするよう頼んだ。

 このように状態動詞liveやbeであっても命令文が自然に成り立つという基準により、「表す意味によっては進行形にもなれる」ことが裏付けられます。しかし

Know me. 私のことを知れ(不適切な文)=「 know 」は進行形になれない
Understand it. それを理解しろ(不適切な文)=「 understand 」は進行形になれない

I asked him to know me.(成立しない)
I told him to understand it.(成立しない)

see/hear は「見える、見えている/聞こえる、聞こえている」の意味では命令文が作れません。日本語で考えても「見えろ、聞こえろ」とはいえませんからこれはわかるでしょう。だからその意味での進行形もありません。

See that girl. あの子をごらん
Hear that song. あの歌を聴け

 こちらの例では look at/ listen to に近い意味であり、動作動詞です。ですから進行形もOKです。

I was seeing that girl. あの子のことを見ていた( look at ほど「あの子」に視線を固定した感じではない)
I was hearing that song. その歌を聴いていた( listen to ほど「その歌」に耳を傾けていた感じではない)

 このように、ただ単純に「動作動詞か状態動詞か」で判別するより、命令文として使って自然かどうかが、より汎用性のある判別基準と言えるでしょう。これに照らせば

Like me.私のことを好きになって
Love me.私を愛して

という命令文が問題なく使えるところからも「like, love」が本来的にちゃんと進行形になれることが簡単に判別されるのです。



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143.過去時制・進行相

 進行相の大切な部分についてはすでに「142.現在時制・進行相」で述べ終わりましたので、「過去進行」と「未来進行」についてはごくあっさり話を進めます。

 他の相についてもそうですが、現在時制での使い方をしっかり理解できれば、あとは時間軸をそのまま過去や未来にずらして考えればよいのです。

 現在進行(現在時制・進行相)が「今、実際に行われている最中の動作」を表すのが基本であれば、過去進行(過去時制・進行相)は、「過去のその時点において、実際に行われていた動作」を表すわけです。そこから延長した他の用法もまったく同様。

I was watching TV (when he called me up).
(彼が電話をかけてきたとき)私はテレビを見ているところだった。

I was dying from hunger.
空腹で死にそうだった。

We were losing the game.
そのときうちのチームは試合に負けそうだった。

I was liking you.
あなたのことを好きになりかけていた。(俗語的。より標準的には I was getting to like you.

I was living in Tokyo.
そのときはとりあえず東京に住んでいた。

上記例文の参考訳では英文に「 then, at that time 」などがなくても「そのとき」と補っています。時制が過去なのですから具体的にいつのことかが示されていなくても「過去のその時点において」という設定が必ずあります。理解を助けるために適宜そのような言葉を自らも補って考えるようにするとよいでしょう。

他の時制表現同様、どこかでつまづいたときには、もう一歩基本となる内容に立ち返って理解の積み重ねを確認してください。過去進行で何か理解できないことがあったら、現在進行から、さらに現在時制基本相に戻ってみることで問題点が解消します。



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144.未来時制・進行相

 これも基本となる「現在時制・進行相」を未来にずらせばよいだけの話です。
 今はまだそうなっていないのが、この先の「ある時が来たら」、何かをしている最中だろうという現時点における予測などを表します。

At this time tomorrow, I will be playing baseball.
明日の今頃、ちょうど私は野球をしているところだろう。

この例文は

I am playing base ball [ now ].

now が「 at this time tomorrow 」に置き換わったもの。「今している最中」に対して「明日の今頃ならばしている最中」ということ。未来時制はどの相においても、想像の中で「未来のある時」を今に置き換えてものを言う表現となります。

I'll be waiting for your letter.
あなたからの手紙を心待ちにしています。

これは例えば誰かが遠くに行ってしまうとき、「あなたがいなくなったら」という未来において、「 I am waiting for your letter. 」になっていることだろうということ。単純未来の「 I will wait for your letter. 」よりも「今か今かと待ち続けている気持ち」が込められた言い方です。単純未来よりも未来進行の方が、その行為に集中しているニュアンスが強く出ることは理解できるでしょう。



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