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133.時制

134.時制と相

 英文には必ず「主語述語動詞」が含まれますが、その中の「述語動詞」が、文章で表現された内容について、それが「いつ」行われたものかを形に表して伝える役割を担います。述語動詞を通じてどのように「いつ」という時間を表現するかの仕組み・発想のことを「時制(tense)」と言います。

 英語には「現在、過去、未来」という3つの時制がありますが、これは「過去>現在>未来」という時間の流れを横軸に表現したものです。
 それに対して、「現在、過去、未来」それぞれに「縦軸」として存在する「相(aspect)」というものがあり、これには「基本、完了、進行、完了進行」の4つがあります。「相」というのは、同じ1つの時制の内部についての様相をより細かく表現する形式のことです。
 学校で「現在完了」というものを習いますが、これは「現在時制の完了相」ということであり、あくまでも「現在時制」に含まれるわけです。先に述べましたように「過去、現在、未来」という時制を横軸に、「基本、完了、進行、完了進行」という相を縦軸にとった2次元的表として把握すると分かりやすくなります。

 このように「過去、現在、未来」×「基本、完了、進行、完了進行」=12という構成によって英語の基本時制はできあがっています。縦軸はすべて同じ「時制(tense)」であり、例えば「現在」を縦にみた「現在時制・基本相、現在時制・完了相、現在時制・進行相、現在時制・完了進行相」はすべて「現在時制」に属するということが重要なポイントです。

 表をまずはよく観察してみてください。すると色々気づくことがあるはずです。

  1. それぞれの文章で直接「時制」を担っているのが長方形で囲った動詞(本動詞、be動詞、助動詞)です。つまり述語動詞を構成している語群の中で一番主語寄りに位置している動詞に「過去、現在、未来」の時制が現れています
  2. 基本相を横に見ていくと、「 played, plays, will play 」となっており、長方形で囲まれたもの以外なにも述語動詞には含まれていません。
  3. 完了相を横に見ていくと、そのすべてに「 have+played 」の組み合わせがあり、have が時制と主語に応じて形を変えています。(赤線部分)
  4. 進行相を横に見ていくと、そのすべてに「 be+playing 」の組み合わせがあり、be が時制と主語に応じて形を変えています。(青線部分)
  5. 完了進行相を横に見ていくと、完了相と進行相の組み合わせである「 have been playing 」の組み合わせがすべてにあり、一番前の「 have 」が時制と主語に応じて形を変えています。(赤線と青線が一部重なっている)
  6. 「述語動詞(V)」とは、必ずしも1語ではなく、一番複雑な「未来時制・完了進行相」では「 will have been playing 」と4語による「語群」が述語動詞を構成しています。

   ※ここで言う「時制と主語に応じて形を変えて」いるとは、未来時制で「will+原形」になることを含みます。

 それぞれの「時制+相」がどういう時間を表現するのか、そのときの「英語の形式」はどうなるのか、などはこれから詳細に解説します。ここではこれから学ぶことがらについて、先回りした形で「知識をどう整理すればいいのか」をお話し、頭の中にあらかじめ知識を入れる整理ダンスを用意していただきます。

 ところで多くの英語学習者は、英語の時制は学ぶものの「日本語の時制」を知りません。日本語ネイティブなので、そんなもの今さら客観的に学ぶ必要がないからとも言えますが、大きな間違いとして「英語と同じ時制」が日本語にもあると誤解する恐れがあるのです。
 世界には様々な言葉があり、それぞれが「独自」の文法を持っています。「時間の表現」についても、あらゆる言語が皆、英語のような「時制(tense)」を中心にしてそれを表現しているのではありません。そして日本語においても、「時制(tense)」は「理解はされても、言葉に出して表現することはしない」という大きな違いがあるのです。

 「え?!日本語に現在、過去、未来の時制が表現されていないって!?まさか!」

 と思った人いますか?じゃあ、次の例を見てください。

1、彼が来た
2、彼が来たら教えてくれ。
3、子供が遊んでいる
4、私が家に帰ったら、子供が遊んでいる最中だった。
5、家に着いたら、子供が遊んでいるだろう。

 1~5の例文で「来た」、「~ている」、「~た」は何を表していますか?「~た」が過去ですか?「~している」が現在進行ですか?
 1の「来た」は、英語の過去とほとんど同じように理解できますね。でも2の「彼が来たら」の「来た」は過去じゃありません。まだ来ていないのですから。でも未来として「彼が来るなら」と言えば意味が変わってしまいます。

 英語では「時制」という横軸がまずあって、「相」という縦軸が、現在・過去・未来の様相をより細かく表現する仕組みになっているのですが、日本語は「相」が優先されます。

 「来た」という「完了相」が、現在、過去、未来のいずれにも用いられ、時制(現在、過去、未来)については、文脈依存でそれが判断されるため、動詞の語尾にそれが現れません。
 「~している」という「未完了相」も、現在、過去、未来のいずれの中でも使われます「その時点において」まだ行為が終了していない、というのが、日本語の「~している」です。

 さて、よく聞いてください。日本語と英語は別言語です。まったく別々のシステムの上に成り立つ、まるで違う言語なのです。ですから「時間の表現方法」についても、機械的な言葉の置き換えはまったく利きません
 日本語の「時間表現」は、英語よりはるかに複雑にできており、基準となる時間軸文脈の中で絶えず移動します。そして移動した基準点(現在、過去、未来のどれでもありうる)から見て「未然」か「未完了」か「完了」かを「する、している、した」で表現しているのです。

1、彼が「来た」。<「現在」を基点としてみた「完了」
2、彼が「来た」ら教えてくれ。<「未来」を基点とした「完了」
3、子供が「遊んでいる」。<「現在」を基点とした「未完了(=まだ遊び終わっていない)」
4、私が家に「帰った」ら、子供が「遊んでいる」最中「だった」
・「帰った」=「過去」を基点にした「完了」
・「遊んでいる」=「過去」を基点にした「未完了」
・「だった」=現在を基点にした「完了」<今から見れば「もう終わったこと」
5、家に「着いた」ら、子供が「遊んでいる」だろう。
・「着いた」=「未来」を基点とした「完了」
・「遊んでいる」=「未来」を基点とした「未完了」

 なんとまあ難しそうでしょ?これを自在に正しく使いこなしているんですから日本人は大したものです(笑)。
 このように日本語は、「基点となる時間」が、あるときは「現在から見て」、あるときは「過去のその時点から見て」、またあるときは「未来のある時点から見て」と頻繁に移動します。そのように基点を文脈に応じて自在に移動できるのは日本語という言語の特質であり、その点英語はまったく違います。だから日本語の文章にある「来た」を機械的に「came(過去形)」にしたのでは適切でないことがままあるのです。

When he came, please let me know. <間違い
これは英語では
When he come(s), please let me know.
としなければなりません。(come(s)の-sが括弧に入れてありますが、通常の口語では「comes」というのが普通で、文語的な文章では「come」と原形で書くからです。これについてはずっとあとで詳述します)

 さて英語の「時間表現」は実にシンプルであり、「常に現在を基点に考える」のでうす。これだけ。あらゆる述語動詞はすべて切り離して、個別に「現在から見ていつ」のことであるかだけを考えればよいのです。その際、それを「どう和訳するか」は別問題だとしっかり覚えておいてください。

日本語:時間表現で「基点」が常に移動する。「その時点から見ていつ」が動詞の形に現れる。
英 語:時間表現の「基点」は常に現在。「今から見ていつ」が常に動詞の形に現れる。



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135.基本時制の一覧

 「133.時制」で英語の時制の名称を一覧として紹介しましたが、ここでもう一度確認しましょう

例文:<He ( play ) the piano.>---この( play ) が各時制・相を適用したとき、どんな形になるかを再度以下の表に示します。

※どの述語動詞も、最初の語が「時制と主語」を表す形となっている。
※完了、進行それぞれの相が「have+過去分詞」、「be+現在分詞」として必ず現れている。
※完了進行では、「beの過去分詞」が「have+過去分詞」で「have+been」として使われ、
「been+現在分詞」が進行を表している。

 これが英語の時制を理解する上で最も基本となる「12のパターン」です。1つの動詞を用いた英文があれば、常にこれら12通りに表現することができるのです。
 ということは、英語の基本時制を理解し、習得できれば、1つの動詞を覚えた瞬間「12通りの英文」が言えるようになるということなのです。すなわち時制を克服すれば、人の12倍のスピードで英語の表現力が伸びていくともいえるのです。そしてあなたにそうなっていただくため、このサイトのこれからの解説が存在します。
 一見、ずいぶんごちゃごちゃして、難しそうな表ですが、そこにあるすべての言い回しについて、あなた自らの言葉として瞬時に正しい形式の述語動詞が言えるようになることを目指します。ただ暗記しろなどとは言いません。なぜ、それぞれがそういう形なのかを理解・納得していただき、「そう言いたくなる」ための訓練方法をしっかり示します。適切にその訓練を行うことで、あなたの中に「セミ・ネイティブ」的な感性が自然と培われていくのです。

 表の上では「12のパターン」ですが、12を個別に覚えていくのではありません。最初に「現在」1つを理解したら、その理解を「イメージの中」で過去や未来にずらして想像するだけで自動的に「過去」と「未来」が理解できてしまいます。他の相についても同様であり、基本は「現在」です。

 ですから理解の順序は次のように進められます。(方便として、一例の和訳を添えておきます。「だろう」は未来であることの指標に過ぎず「推測」などのニュアンスを意味するものではありません)


1、現在時制・基本相(する)
2、過去時制・基本相(した)
3、未来時制・基本相(する・するだろう)

4、現在時制・完了相(してしまった)
5、過去時制・完了相(してしまっていた)
6、未来時制・完了相(してしまっているだろう)

7、現在時制・進行相(しているところだ)
8、過去時制・進行相(しているところだった)
9、未来時制・進行相(しているところだろう)

10、現在時制・完了進行相(し続けてきた)
11、過去時制・完了進行相(し続けてきていた)
12、未来時制・完了進行相(し続けたことになるだろう)

 まだ個別の解説はこれから先に行いますが、ここでは全体像を見渡して、ざっと英語の時制について雰囲気をつかんでおきましょう。「くどいくらい繰り返し説明する」のがこのサイトの特徴(笑)ですから、消化不良のところがあっても深く悩まず読み進めてください。「ざっと理解>徐々に細かく理解」という流れで進めていきます。

先の「He ( play ) the piano.」を実際に文章として上記12の形式で表現してみましょう。意味としては何通りか発生しますが、その中の基本となるものを示しますので、英語の時制でどんな状況を述べられるものなのかをまず見ていただきましょう。例文をシンプルにするため、本来なら一緒に使われる「時間を表す副詞(now, yesterday, tomorrowなど)」は一切含めていません。

1、現在時制基本相
He plays the piano.
「彼は(たった今)ピアノを弾く」=今、目の前で。今を中心にした日常。
2、過去時制基本相
He played the piano.
「彼は(そのとき)ピアノを弾いた」=過去における断片的な事実
3、未来時制基本相
He will play the piano.
「彼は(そのときがくれば)ピアノを弾くだろう」=単純未来

4、現在時制完了相
He has played the piano.
「彼は(今はもう)ピアノを弾いてしまった」=今における結果、完了、経験など
5、過去時制完了相
He had played the piano.
「彼は(過去のそのときにはもう)ピアノを弾いてしまっていた」=過去における結果、完了、経験など
6、未来時制完了相
He will have played the piano.
「彼は(そのときになればもう)ピアノを弾いてしまっていることだろう」=未来における結果、完了、経験など

7、現在時制進行相
He is playing the piano.
「彼は(今ちょうど)ピアノを弾いている最中だ」=現在進行中の動作
8、過去時制進行相
He was playing the piano.
「彼は(過去のそのときちょうど)ピアノを弾いている最中だった」=過去のある時点における進行中の動作
9、未来時制進行相
He will be playing the piano.
「彼は(そのときがくればちょうど)ピアノを弾いている最中だろう」=未来のある時点における進行中の動作

10、現在時制完了進行相:
He has been playing the piano.
「彼は(今までずっと)ピアノを引き続けてきた」=過去から現在までの継続的動作
11、過去時制完了進行相:
He had been playing the piano.
「彼は(過去のそのときまでずっと)ピアノを引き続けてきていた」=さらに過去からある過去までの継続的動作
12、未来時制完了進行相:
He will have been playing the piano.
「彼は(そのときになればずっと)ピアノを引き続けたことになる」=未来のある時点までの継続的動作

 上記例文は、互いに比較対照しやすい形式にしてあり、単独では解釈が曖昧になりやすかったり、言葉足らずの英文も含まれています。たとえば12の例文は「朝から今までずっとピアノを弾きっぱなしで9時間経過した人が、『あと1時間ピアノを引き続ければ(=未来の設定)、10時間ピアノを引き続けたことになる』というような英文です。



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136.現在時制・基本相

 それではここから12種類の「時間表現」について個別に1つずつ見ていくことにしましょう。
 普通、学校で習う用語としては「現在時制」とか「現在形」とか「~時制」と「~形」が区別なく(混同され)用いられていますが、本サイトでは、そのあたりの用語の使用について神経を使います。学校で「現在進行形」という場合も、ここでは「現在時制・進行相」というちょっと難しい言い方をしますが、これは正しく英語の時制の概念を理解していただくためです。
 「~時制」と言った場合は、その「時間表現の方法、考え方」を指し、「~形」と言った場合は、それを表すための動詞の形を意味します。日本語の段階で言葉を正確に使い分けることが、文法を緻密に理解する上では非常に重要なことなのです。「言葉に無頓着な人」が「文法を細かく理解」できるはずがありません。英語の上達を目指す人なら「日本語自体をきちんと使う」心がけがスタートラインと言えるのです。

 このサイトの用語の使い方に不慣れな方は次のように読み替えてください:

本サイトの表現 学校で習う言い方
現在時制・基本相現在時制
現在時制・完了相現在完了時制
現在時制・進行相現在進行時制
現在時制・完了進行相現在完了進行時制

(以下同様)

 それでは学校で習う「現在時制」を本サイトでは「現在時制・基本相」として解説していきましょう。

(現在時制・基本相の用法)
1、眼前の事実
2、習慣的現在
3、不変の真理
拡張用法
1、確定的未来


 「時間」というのは実際には非常にとらえにくいものであり、特に「現在」ほど定義しにくい時間はありません。
 「今」と口にした瞬間それは過去に流れていきます。その意味で本当の「今」というのは一瞬しか存在せず、まるでないようなものながら、確かにあるのです。「過去」というのは「今までたくさん訪れた『現在』が流れていった痕跡の集まり」であり、「今」があるからこそ「過去」があるわけです。
 なんとも哲学的な話になってしまいましたが、英語の時制を学ぶとき誰もが「『今』って何だ?」と一度は戸惑うものなのです。その戸惑いを一度は感じて乗り越えないと時制というものが理解できないともいえます。「解決」は悩んだ人にだけ訪れます。悩まない人には疑問も問題もなく、したがってそれを解決することも乗り越えることもできません。

 絶えず流れ続ける時間の中で、人は「」というものを「未来と過去に渡り一定の幅」の中でとらえます。その幅は「ほんの一瞬」であることもあれば、「永遠」と呼べるほど前後に広がる場合もあるのです。そして、どの程度に「未来と過去に広がりを感じる」かによって「今する」とか「日ごろしている」という表現の幅をもたらします。

He plays the piano.

 この英文は、彼が今現実にピアノに向かっていて、最初の音符を鍵盤でたたき出す一瞬前に述べられるもの(眼前の事実)かも知れませんし、今彼は部屋で昼寝をしているだけなのに「彼は週に3回ピアノの練習をしている」などと「現在の習慣」を述べているかも知れません。この英文を話す人がイメージの中で「今」というものに対してどのような「前後の幅」を考えているかによって、そのどちらにでも使えるのです。
 またそれが明日の予定について述べている場合でも、「絶対にその予定は変更されない」という決定事項として確信を持った口調で述べるなら、そんな未来のことでもこの英文のまま表現できてしまいます(確定的未来)。

 ここで理解していただきたいのは、最初に「箇条書き」としてあげた「現在時制・基本相」の用法は、もともと完全に独立した別々のものではなく、話者が「現在」というものに「どんな時間的な幅を感じている」かによって無段階的に切り替わるものなのです。ですから「この英文はこの用法!」ときっぱりあてはめやすいこともあれば、1と2、2と3の中間的に解釈できる場合もあるのです。「眼前の事実、習慣的現在、不変の真理」は数多く存在する「現在時制・基本相」の例文の中から特に典型とされるものの用法です。これを基本として理解することで全体像が見えてきますが、くれぐれも無理やり(たった3つか4つしかない)型にすべての実例をあてはめてしまおうとしないでください。

The sun rises in the east and sets in the west.
(太陽は東から昇り、西へ沈む)
One and one is two.
(1足す1は2だ)

 ここにあげた例文は「不変の真理」の典型です。これは「過去と未来」に渡る時間の幅が(現在を中心として)もっとも長いもので、言うなれば「永遠という時間の中心はいつでも『今』」と考えるものです。
 一本の棒をあなたが握っているとしましょう。それが1メートルや2メートルなら、ちょっと持つ位置を変えただけで真ん中以外の部分だと実感できますが、「無限に長い棒」というものがもし存在するなら、どこをつかんでもあなたの左右には果てしない棒が延びています。そしてあなたはいつでも「棒の真ん中」をつかんでいる気になるでしょう。これが「不変の真理」における「現在」の位置づけなのです。
 ですから、その用法によって述べられる内容というのは「ず~~~っと昔もそうだった」し、この先「100万年あともそうだろう」と一般に受け入れられている事柄となります。西暦2007年において「1+1=2」であるが、100年前は違ったとか、あと100年経てば違ってくる、ということがありません。

(「現在」を表す副詞)

 言うまでもなく「now(今)」という言葉が現在時制(すべての相)の中で使われますが、「now」という単語の意味ですら「今という一瞬」だけでなく「当面の間」という広い意味でも使われます。また「ついさっき」という過去さえ「now」で表すことができ、「さあ、これから」という極めて近い未来もまた「now」で表せます。言葉というのは人が使うものですから、常にそういう柔軟性・流動性があることを忘れないでください。そういう流動性が理解できれば「nowがあるから現在時制!」などという固定的な考え方に陥ることはないはずです。

 これが分かれば「today, this week, this month, this year, this century」などがスケールの違いだけによる「now」のバリエーションだと理解できるでしょう。その他「lately, recently, nowadays, these days」など多くの「現在」を表す言葉がありますが、すべて同様に理解できます。

at this moment:今この瞬間
for the time being:当面は

 このどちらも「今を中心」とした「瞬間あるいは一定の幅」を意味しています。
 副詞の中には「今と過去」だけを意味し、未来への幅を含まないものもありますが、それぞれの時間を表す言葉がその文脈の中で「どちら向きにどの程度の幅を意味して使われているか」をよく観察してください。それによって同じ副詞でも「現在時制にしか向かない」ものもあれば「現時時制にも過去時制にも、あるいは未来時制にも使える」ことが分かってきます。

He visited me today.(今日、彼が訪ねてきた<過去)
He is at home today.(今日、彼は家にいる<現在)
He will leave today.(今日、彼は出発する<未来)

 「今日」という1日は午前0時に始まり、翌日の午前0時の直前まで続きます。ですから今が正午なら午前中を振り返った「today」は過去を意味し、たった今を意味するなら現在であり、まだ訪れていない午後6時をイメージして言うなら未来となります。

 これまで述べたように「現在時制・基本相」の用法としては、

1、眼前の事実
2、習慣的現在
3、不変の真理

 の3つが基本となりますが、この中の「1、眼前の事実」は「ほんの1秒後の未来」のように実際には、非常に短い時間をはさんだ未来であるとも言えます。「では、今からピアノを弾きます。(Now, I play the piano.)」では、実際にこの言葉を口にした瞬間は「まだピアノを弾いていない」のですが、よもや1秒後の未来が変更されるとは考えにくいので、「現在(今)」としてそれを「確定」した表現にしているわけです。
 その発想を延長したのが「確定的未来」の用法です。

I leave Japan tomorrow.(私は明日日本を発つ)

 これなど「明日」というまだ、それが訪れるまでにかなりの時間があり、不測の事態の発生による変更なども考えられるわけですが、話者の意識・心理として「もう変更は決してない」という気持ちが働くと、「明日がまるで1秒後のように」すぐ訪れる時間として表現されます。

 「確定的未来」で表現できるのが「どれだけ先」までかは明確な決まりはありませんが、「もう絶対に変更はない」と話者が確信できることが必要ですので、10年後などあまりに遠い将来について語るとき、これを使うのは不自然になります。常識的に考えれば「明日」とか「来週、来月」程度が限度と言えるでしょう。たとえ話者本人が「10年後でも自分にとっては確定的未来だ」と言っても、聞き手がそれを自然に理解できなければ通じません(=極めて不自然に聞こえる)ので、あくまでも「常識的・一般的に『すぐ訪れる』と見なせる時間」の範囲内にのみ、この用法を用いるべきです。(言葉は話者の心理が反映されるものですが、同時に妥当な客観性も帯びていないと「誤解を招く文」、「判りにくい文」、「聞き手が強い抵抗を感じる文」などになってしまうということです。)



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137.過去時制・基本相

 「現在時制・基本相」の用法には次のものがありました:

基本用法
1、眼前の事実
2、習慣的現在
3、不変の真理
拡張用法
1、確定的未来

 現在時制に多くの用法が存在するのは、「今」という概念がそれだけとらえどころのないものであり、「時間の幅」をどう解釈するかによって表現のニュアンス・意図に多くのバリエーションが生まれるからです。

 その点「過去」はかなりわかりやすいものと言えます。

(過去時制・基本相の用法)
1、断片的過去の事実
2、過去の習慣

 これだけです。現在時制にあった「不変の真理」は「永遠のときの流れの中で中心は常に今」という発想からですから、過去時制にはありません。また「過去時制」は当然のことながら「過ぎ去った時間の中」でのことしか表現しませんから「確定的未来」のような「これから先」を指す用法も存在しません。

 すなわち現在時制・基本相の「1,2」の用法だけが、時間の経過とともに「過去にながれた」ことを表す用法として表現されることになるのです。
 「現在時制・基本相」で「眼前の事実」として述べたことは、過去の中では「断片的事実」として「今と切り離した過去のできごと」となり、「現在の習慣」はそのまま「過去の習慣」として「その当時は~していた」となります。

I woke up six o'clock this morning.(今朝、午前6時に起きた)<断片的過去の事実
I went to school by bus every day.(毎日、バスで通学していた)<過去の習慣

 簡単ですね!?

 ここで念を押しておきますが「過去時制」で書かれた英文を通じて分かるのは「過去のこと」だけです。そこから「だから今は」という内容は導きだせません

My father came home five minutes ago.(父は5分前に帰宅した)

 この英文から「父が今家にいる」という事実に結び付けてはいけないのです。この英文はあくまでも「過去における断片的事実」であり、現在と切り離した過去を述べています。たとえ5分前に父が帰宅していても、3分前にまた出かけたという事実があるかも知れないのです。(これが後で述べる「現在時制・完了相」との大きな違いです)

 「今を述べるのが現在時制。過去を述べるのが過去時制」-----なんとも当たり前のことですが、様々な英文を見ていくと、ときにこの当然の区別が曖昧に感じられることもあるのです。

1、Soseki wrote "Botchan".(漱石が「坊ちゃん」を書いた)
2、Soseki writes "Botchan".(「坊ちゃん」は漱石の作品である)

3、Colombus discovered America.(コロンブスがアメリカを発見した)
4、Colombus discovers America.(コロンブスがアメリカを発見することとなる)

 夏目漱石もコロンブスも「過去の人」であり、1と3は、「漱石が『坊ちゃん』という小説を書いた」、「コロンブスがアメリカを発見した」という過去の出来事をただそのまま述べています。もちろん、どちらも正しい英文で、抵抗なく読めることでしょう。
 じゃあ、2や4はどうか?もうこの世にいない夏目漱石やコロンブスの動作を現在時制で表すのは論理的でないようにも思えますが、実はこの3も4も「あり得る英文」なのです。

 3の「 Soseki writes "Botchan".」は例えば文学の講義の中で、「~は、、という作品を記し、また~は、、という作品を記している」のように、ややアカデミックな口調の中で様々な作家と作品を列記するような場合、「書いた」という過去の動作よりも「漱石の作品である」という「不変の事実」としてのニュアンスが強く表現されます。これは「作家と作品の関係」を示すことが主であり、

"Botchan" is a novel written by Soseki.

 で「is」が現在時制で表現されるのと同じ発想です。上記2の和訳として、あえて「『坊ちゃん』は漱石の作品である」という英文の構造とまるで違う日本語表現にしたのはそういう理由からです。この和訳を1と全く同じにすることも別にかまわないところなのです。すでに述べたように「英語と日本語は時間表現のシステム(と習慣)が違う」のですから。

 4の「 Colombus discovers America. 」も、これ単独ではいかにも不自然で「過去形であるべきdiscoveredが不適切にdiscoversという現在形になっている」と見えますが、上記「漱石」の例と同様に理解することができます。言うなれば「アメリカを発見したのはコロンブス『である』」という「いつまでも変わらない事実」として現在時制を適用した心理ともいえますし、あるいは歴史の講義の中で、まるで受講者たちが「歴史の現場に立ち会っている」ような臨場感を持たせつつ、大昔のできごとを順次解説している場合など、1492年以前の出来事からそこに至り、「さて、ここでコロンブスがアメリカを発見するのである」と言う心理が理解できるかと思います。

 このように「歴史的事実」を臨場感を持たせて述べるときは現在時制が使われることもあるのです。言葉は話者の心理やイメージを反映するものですから、「まるで今自分たちがその場にいる」ような気分の中で解説していれば、それもうなずけることでしょう。ただし、2や4は、決して一般的な用法ではなく、特定の「場」や「(学術的)口調」の中に限って現れるものです。

 さて過去時制の話の中ですが、既習の現在時制で述べなかったことも関連させて説明しました。



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138.未来時制・基本相

 現在時制の基本理解をイメージの中で時間軸をずらすことにより過去時制の理解に結びつけることができるということがお分かりいただけたかと思います。
 次に、それを「未来」へと折り返して「未来時制」を理解することにしましょう。

 まず申し上げなければならないのは「英語の動詞に未来形はない」ということです。これも「え?」と思われるかも知れませんね。でも本当に「未来時制はあっても未来形はない」のです。こんなことを言うとますます混乱しますか?では次をよく見てください。

過去時制・基本相: He played the piano.
現在時制・基本相: He plays the piano.
未来時制・基本相: He will play the piano.

 こうして並べて比較すると「動詞の形」として気づくことがあるでしょう。
 「過去」と「未来」では、それぞれ「 played/plays 」という「特定の形」が使われており、原形「play」がそれなりに変化した姿を示しています。もし「未来形」という動詞の形があるのであれば、これらと同じように「動詞の語尾活用」などによる「1単語」の「playの未来形」があってもいいことになります。(実際、英語以外の言語では、動詞の「未来形」という変化形をちゃんと持つものもあります。)

 未来時制を現すとき、英語では「未来形」という動詞の形がないため、「will」という助動詞の「現在形」と「play(原形)」を並べたままにします。
 ところで、「played」という過去形は「did play」と分けて書くこともでき、「plays」もまた「does play」と分けることができます。言うなれば「did play」、「does play」が「合体」して「played, plays」という形になったとも言えるのです。しかし「will play」だけはその「合体」をしません。なぜでしょう。

 これは「英語の論理」と関係があります。「過去のこと」は必ず確定しています。「現在」のことも習慣であれば確定事項ですし、「今まさに」というような「確定的未来」もまた「決まったこと」の一種として感じられます。だからそのための「動詞の形」で表現できるわけです。
 しかし「未来」となると、どこか「そのときになってみなければ分からない」という不確実性、不確定要素を完全に排除できません。それがたとえ明日のことであっても、絶対にそうだ、そうなると言い切れない気分を伴うことが多いでしょう。(それをあえて断定するのが「確定的未来」としての「現在形」の用法の1つです。)
 そこで英語では、「will」の「現在形」をそのまま使うことで「今の時点で予測されることとして」というような「今における」のニュアンスを残しておくわけです。その意味で英語の「未来時制」とは現在時制の延長とも解釈することができます。

 未来時制に用いられる「will」はもともと「意思」という名詞であり、それが「望む、意思を持つ」という動詞としても用いられていたものです。それが「will+動詞の原形」という組み合わせにより「主語が意思としてその動作を行う、行おうとしている」を表すようになり、「意思未来」の用法が生まれました。
 さらにその形式から「意思」の意味が薄れると「単純未来」の意味となったわけです。  一方、「意思未来」という「人間」が主語であるべき構文で、人間以外を主語にして擬人的に言いまわすと「まるで意思があるかのように」という意味となり「主語の性質」の用法となります。

(未来時制・基本相の用法)
1、意思未来
2、主語の性質
3、単純未来

 1と2の用法では、「主語+will+原形」を決して「主語'll(I'll, you'll, he'll, she'llなど)」のように短縮形にしません。これは「will」が本来もつ「意思」の意味が発音としても明確に表現されるからです。

意思未来の例:
I will pass the exam.(きっと試験に受かってみせるぞ
My father will find you.(父はなんとしても君を見つけるつもりでいる

主語の性質の例:
Babies will cry.(赤ん坊というのは泣くものだ
The door won't(=will not) open.(ドアがどうしても開いてくれない

単純未来の例:
I'll be seventeen years old next month.(僕は来月17歳になる
It'll be rainy tomorrow.(明日は雨降りになるだろう

 「意思未来」はその英文の主語が強い意志として「述語動詞」をしようとしていることを表します。
 「主語の性質」は、本来意思を持たない物質や赤ん坊などが「まるで自らの意思でそうしているように」という意味を背景にした一種の擬人法的表現ともいえます。
 十分に意思を持てる年齢の人間を主語にしても「 Girls will be girls.(女の子は所詮女の子だ=すぐ泣くとか、嫉妬深いとか、「女性特質」の性格や傾向性を持っているということ)」などの例もあります。

 「単純未来」は「will」が本来持っていた「意思」のニュアンスが完全に薄れ、単に「時間の経過とともに自然にそうなる」ということを述べる用法です。そこに主語や話者の思惑、意思は一切関係ありません。本人が何の努力をしなくても、時間さえ経過して「そのときになれば」自然と何かが行われるという「なりゆき」や「予測」を表すものです。この用法では「will」の意味自体が希薄になっているので発音も軽くなり「主語'll」という短縮形も用いられます。
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(be going toとの違い)

 さてこれは本来の意味でいう「未来時制」とはちょっと違うものですが、よく「will」との区別がつかないという悩みの声を聞きますので、「be going to」という表現についても、ここで解説することにしましょう。

(1)It will rain tomorrow.
(2)It is going to rain tomorrow.

 (1)は、これまでの解説を重ねていうと「時間の経過とともに明日になれば、自然と雨が降り出すことになる」という単純未来。まるでテレビの天気予報で述べるような口調であり、その天気予報を見た人が、「明日は雨だってさ」と他人に伝えるときも、こういう言い方をします。実際に天気がくずれつつあるかを目で見て確認したわけではありません。

 (2)は、用法を直訳風に和訳すると「天候が明日の雨降りに向かって進みつつある」であり、「事態が進行中」であることを意味します。つまり、実際に空を見上げて雲行きなどを観察し、あるいは天気図を分析した結果として、「このまま状況が進行すれば雨」となることを述べているのです。
 「be going to」はその形式から見ても「go」の現在進行形であり、「今~へ向けて進みつつある」であることがわかりますが、それがちゃんと意味にも含まれています。今進行中だということは、それがスタートしたのがその瞬間ではなく、すでにそれよりさかのぼった時間から始まっており、それが今現在も進行中だということを意味します。

(3)I will buy some milk.
(4)I am going to buy some milk.

 3は、たった今冷蔵庫にミルクがないことに気づいたり、人から「ミルクがないから買ってきて」と頼まれたときなどに返事として言う表現。
 4は、人から「ミルクないよ」と言われた時点ですでにそれ以前からミルクがないことを知っており、「ああ、分かってる。だから買いに行こうと思っているよ」と告げる感じです。
 つまり4は「ミルクがないことを知っている>買いにいく予定をすでに組んだ>今することがあるがそれが終われば行くつもりである」というような「事態の進行」をやはり表現しているのです。たとえ今テレビをぼ~っと見ているとしても、その番組が終わったら行こうとか、なにかしら「この先ミルクを買いに行く」という未来へ向けて事態が進んでいるのだというニュアンスを持ちます。言うなれば「今こうしている最中にあっても、私は『ミルクを買う』ことへ向けて進行中なのだ」ということです。

 こうして比較してみると

I am going to be seventeen years old next month.<間違い

 が不適切な言い方であることも分かります。「来月17歳になる」とは本人の意思や努力と無関係に「時間の流れ」に従って自然にそうなってしまう「単純未来」ですから、「来月17歳になることを目指して具体的な努力や準備をしながら事態が前進している」というのは実に奇妙な話です。

 では「将来は医者になる」はどうでしょう?

(5) I am going to be a doctor in the future.
(6) I will be a doctor in the future.

 どちらの英文も間違いではありませんが、言わんとすること、ニュアンスは大きく異なります。  5は、将来医者になる希望があり、その夢の実現に向けて今しっかり勉強しているなど事態の進行」があることを述べています。
 6は、単純未来なので「時間の経過とともに勝手にそうなる」わけですが、それはたとえば「父親が医者だから自分の好む、好まざるとは無関係に、そういう未来が決められているんだ」という運命的な言い方であったり「先日、占いでそう言われたから」のような、無責任で冷めた表現となります。(もちろん6でも「I WILL be a doctor.」と意思未来として「will」をはっきり言えば「なにがなんでも将来は医者になってやるぞ」という決意の表現になります。)

 理解を進めるためにさらに例文を見ていきましょう。

(7)What are you going to buy for your mom for her birthday?
(8)What will you buy for your mom for her birthday?

 相手が母親の誕生日が近いことを当然知っており、この質問をする以前から誕生日のプレゼントを何にするか決めていることだろうという前提で質問しているのが(7)です。「あなたが買う予定のプレゼントは何?」と聞いているわけです。
 (8)が使われるであろう状況としては、次のような場合が考えられます。
 たとえば兄弟が「母親の誕生日が近い」と話題にし、その場で何をプレゼントにしようかを話し合うような状況で、相手に「君は何を買う?」と自分が買うものの参考に尋ねる場合など。母へのプレゼントの話題が今出て、たった今「さて何を買おうか?」と話し合っているので、「それ以前から決めていた予定」ではないから。

 これが「What will you buy for my sisiter?」などと人間関係が違ってくると、「僕の姉のために何を買ってくれるの?」の意味となり、「will」を意思未来で解釈できます。

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 未来時制とからんで「shall」の用法や「Will you/Won't you」などの疑問文なども解説する必要がありますが、今は「時制」そのものの理解に的を絞ることとして、これらは「助動詞」の項目で取り上げることとします。


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