基礎的な考え方を固めよう

英語学習に向けての正しい構えを作りましょう

 これまで様々な参考書を通じて英語を勉強してきたけれども、思うようによい成果が得られなかった人。学校の勉強もまじめにやったし、成績も悪くはなかったのにいまだに英語が話せない人。英会話学校にも通ったけど、期待していたほど発音もよくならず、会話能力も伸びた実感がない。そんな人はもしかすると「書籍や学校が悪かった」のではなく、自らの「英語の学び方そのもの」に問題があったのかも知れません。

 実用的技能の向上に直結した最大効果の学習法を身につけるため、英語学習そのものについての基礎的な考え方をしっかり固めることにしましょう。

文法とは

 最初に「文法」とは何なのかを考えてみましょう。
 一見いまさら定義する必要もないように見えるこの言葉ですが、どうも人によってその捉え方には大きなばらつきがあり、「英文法とは何か?」という考え方の違いがそもそも語学の習得に対する致命的なまでのスタンス(構え)やアプローチ(取組み方)の差となっているように見受けられるのです。そして文法というものをどう捉えているかの基本姿勢が、語学学習全体について正しいアプローチができるかどうかを分ける重要なポイントとなっていると思われるのです。

 「文法」という漢字2文字を見ると「文の法則」と読めます。そして意外に多くの人たちが、まるで英語には「人為的に定められた規則があり、その規則に応じて英語話者が文章を作り出している」かのように考えているように思えます。しかしそれは違います。英語にルールブックなどというものは、もともと存在しません。それは英語に限ったことではなく、どの言語であっても、「まずルールありき」ではないのです。

apple

 「りんごが木から落ちる理由」を尋ねられたとき、「ニュートンが万有引力の法則を発見したからだ」と答えるでしょうか?ニュートンがその法則を発見するずっと前からりんごは木から落ちており、たとえニュートンがその法則を発見しなくても、今でもりんごは木から落ち続けているのです。りんごは法則にしたがって木から落ちているというより、「木から落ちる」という事実の中に法則があるのです。言葉のあり方と文法も同様なのです。誰かが先に法則・ルールを決め、それに従って現実があるのではありません。先に現実が存在し、それをあとから観察・研究・分析したとき、そこに法則性や傾向性が見つかるということです。

 1つの言語を共有する人々が互いに意思の疎通が図れているということは、「言葉の使い方に共通性がある」からに他なりません。1つの単語について人々が点々ばらばらの意味を感じていたら、会話1つさえ通じなくなってしまいます。ですから同じ言語文化を共有する人々の間では、確かに言葉を使う上で共通の申し合わせのようなものがあり、互いにそれにしたがって言葉を使っているからこそ、コミュニケーションが成り立つのだと言えます。

 それでも言葉のルールは人為的なものではなく、誰から押し付けられたものでもありません。同じ文化を共有する人々が自由に言葉を発している中で、長い歴史を通じて、なかば自然発生的に「言葉づかいの傾向性」というものが生まれてきたというのが正しい理解だといえるでしょう。

english rulebook

 つまり言語は、その背景となる文化によって大きく規制させるところがあります。その文化の中で必要とされる語彙が生まれ、必要とされない語彙は消えていきます。季節変化のない国に暮らす人々に「春夏秋冬」という言葉は必要ありませんし、雪国に暮らす人にとっては、「雪」を表す表現は多くなります。インドなどでは宗教的に神聖なものとみなされる「牛」について「立っている牛、寝ている牛、妊娠している牛」などを個別に表す単語があるといい、牛関連の語彙だけで300に上るそうです。日本なら乳牛や肉牛という言葉があった方が何かと便利でしょう。

 このように言葉は文化を背景として構築されます。ですからある文化の中で培われる「ものの考え方・感じ方」がその言語の語彙、構造や文法にも現れてきます。すなわち文化がまずあり、その文化の中における人の心理が言葉になって現れると言えるのです。ということは、言葉を通じて、それを使う人々の心理を観察することができるということでもあります。

 本サイトの第3章「文法」では英文法を解説しますが、決して「ルールの押し付け」を行いません。常に「なぜそういう文法事項があるのか」を考え続けていきたいと思います。そして英語学習者は、文法の学び方そのものを学んでいただきたいのです。解説の必要上、多くの文法用語も現れますが、用語そのものの暗記に神経を使ったりする必要はありません。理解を深めるため是非覚えておきたい用語はその都度丁寧に解説しますので何も心配はいりません。

knowledge

 文法用語というのは、「頭の中に知識の整理ダンスを作る」ために必要なものです。人間は言葉によって考えるため、ある種の用語は使いこなせたほうがなにかと話が早いし、理解も簡単になります。しかし、文法用語自体にこだわりすぎる必要もありません。用語は自分が分かりやすいように言葉を変えてしまっても別にかまいませんし、用語をつかわず噛み砕いた言い回しのままでも大いに結構です。

 ただし「是非、覚えておいて欲しい用語」として提供するものについては、それなりの根拠がありますので、できるだけ覚えてください。それでも決して何も丸暗記しろとは言いません。常に「覚え方、考え方」と絡めて用語を出しますので、記憶についての負 担は最小限となるはずです。

 私が中学で最初に英語を習った先生の口癖が「英文法は心理学だと思って勉強しなさい」でした。なんとも漠然としたこの表現の意味を理解するまでに何年もかかりましたが、このたった一言を冒頭に与えられたことが、今思えば英語学習に正しいベクトルを与えられたのだと感じます。

 その先生は次のようにも述べていました。

 「どんな文法事項でも決して暗記しようとするな。そこには常に理由がある。その理由をさぐろうとしなさい。すぐにわからなくてもいい。でも、疑問を持ちつづけていれば、いつか納得できる日が来る。ルールに従って英語を使おうとするのではなく、自分の感性の中に英文法がしみつくようになることが大事だ。自分自身の中に英語ネイティブと同じ言語感性が徐々に築き上げられていけば、自分の思うがままに言葉を口にするだけで正しい英文となるのだ」

 すなわち文法学習というのは「ルールを暗記」することではなく、英語文化の中で暮らす人たちの「物の感じ方、考え方」を言葉の傾向性を通じて知ることであり、文法事項はすべて「感覚の鍛え方の指針」を与えてくれるものなのです。そういう指針そのものを暗記しても実際に訓練を行わなければ感覚は身に付かないのです。

 英語は実技科目です。文法書はスポーツの技能解説書のようなものであり、そこに書かれている「ラケットの振り方、足の置き方、体重移動の要領」などの項目をいくら暗記しても実際にそれに従って自分の体を動かさなければそのスポーツの技能は身につきません。そして最初は理屈で覚えながら、やがて訓練を通じて感覚的にその動作が身に付いたとき、理屈は忘れて構いません。

 書店に並ぶ文法書はどれも分厚く、まるで膨大なルールをすべて覚えきらなければならないような印象を受けるかも知れませんが、これまで述べました通り、文法事項は「人為的に定められたルール」ではありません。その言語を使う人たちの自由な言語活動をあとから観察して見出された傾向性を統計的にまとめたものです。暗記すべきルールなどまったくないといっても過言ではありません。

 ただし決して動かせない本当のルールといえるものが1つだけあります。それは:
 「相手が口にした順番にしか聞き手の耳にその言葉は入ってこず、そこに書かれている順番にしかその言葉は目に入ってこない
 ということです。これは自然科学的な法則です。これだけは決して覆せまえん。考えてみれば当然ですね。相手がまだ口にしてもいない言葉は決して聞こえてきませんし、まだめくってもいないページの文字は目に入らないのですから。

 このあまりに当たり前の「法則」をしっかりと念頭に置いていただきたいのです。一切の文法事項の理解はここから始まります。この当然すぎる前提をちゃんと踏まえて英語を学んでいるかどうかが、学校英語、受験英語と実用英語を「まったく同じもの」とできるかどうかの分岐点となるのです。

 先に英語話者同士の情報伝達というものが「予測>納得>疑問」の小さな鎖の輪の連続から成り立っていることについて触れました。この大原則にさえ則っていればどんな複雑そうな構文も容易に理解できます。基本原則の語順から外れた特殊な言い回しでなぜそういうニュアンスが発生するのかなども納得されます。

 いかなる英文に接するときでも、常に「語順に従って状況を汲み取り続ける」ことを忘れないでください。英語話者がその順番で単語を口にすることには理由があるのです。最初はそれが理解できません。だから文法を学びますが、目指すのは自分自身が英語話者と同じ感覚によって、同じ語順で言葉が思い浮かび口にできるようになることです。そうなったとき、英語はもうあなたにとって「遠い国の言葉」ではなく「自分自身の言葉」の一部になっているのです。たとえ日本で生まれ育ち、日本国内で英語を学ぶとしても、英語話者たちに極めて近い「ネイティブ感覚」を後天的に習得することは十分可能なのです。

 多くの学習者は「文法」と「聞き取り」がまったく切り離されたものであるかのように誤解していますが、これまで述べました「英語の語順」のままに情報を汲み取り続ける感覚は緻密な文法理解を背景にして嫌えられるものであり、その感覚はそのまま「聞き取る能力」や「話す能力」に直結するものです。便宜上、「話す、聞き取る、読む、書く」という4つの側面から英語の技能は解説されますが、それらはもともと1つの総合的能力であり、別々に切り離して1つだけを伸ばしたりできるものではないのです。1つの英語 という立体物を様々な角度から見た個別の姿に過ぎません。

 ですから「文法」を学んでいる間にも「聞き取り」や「話す」能力なども同時に培われるものであり、そういう学び方となっていない文法学習は無意味です。さらに「発音」の練習の中にも文法は存在します。あらゆる知識・理解・技能は有機的につながっており、そのつながりが分かってくると「本を読みながら聞き取りの力が伸び」、「英語の音声に耳を傾けながら文法理解が伸びる」ということも起きてきます。

 そのように何を学んでいるときでも、総合的な技能の向上につながる英語学習法、そして技能訓練法を本サイトでは一貫して解説していきます。


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