記憶のメカニズムについて

人間の記憶の仕組み

brain

 学習効果を高めようとすると誰しもが自分の記憶力について悩んだのではないでしょうか。特に試験を控えた学生にとっては切実な問題です。

 英語は実技的側面が重要で、いわゆる「暗記もの」の科目ではないのですが、特に初歩段階では、どうしても白紙から英単語を覚えなければならないと感じる時期もあるでしょう。また学年・レベルが上がったあとも難しい単語を覚えたり、長い英文の暗唱をすることもあるでしょう。

 心理学的側面から冷静に「人間の記憶」というものについて考えておくことはきっと役に立つことがあるかと思います。

人はどのように覚え忘れるのか

 英語学習者、特に初歩の段階にある人ほど、英単語の暗記には悩まされることと思います。一定のレベルに達してしまえば、それまでに習得した基礎の上に新たな知識を積み重ねるのはどんどん楽になっていきますが、単語力がまだ白紙に近い段階では、どうしても根拠のない暗記をしなければならない時期もあります。
 それでもほんの200語程度まで単語の力がついてくると、その200語の知識を活用して新しい単語を覚えやすくする様々な工夫も可能になってきます。

 単語の力を飛躍的に伸ばすよい方法については、第4章の「語彙力強化法」の中で詳細に述べる予定ですが、ここでは「人間が何かを記憶する」というメカニズム全体についての基礎理解を得ていただきたいと思います。人はどうやって物を覚えるのか、覚えられないのか、忘れるのかなどについて、心理学的な観点から基本理解を持つことは英語の学習に限らず応用が利くことでしょう。

 私自身、中学のころから英語は好きであり、人一倍英語の学習には時間をかけていた方でしたが、それでも高校に入ると授業の進度も速く、授業のテキスト以外に与えられていた文法書や副読本を自主学習だけで定期試験以外のテストも行われ、どんなに日常的に予習や復習をまじめにやっていても、試験直前になって見ると「まだ習得していない単語」がリストにして300もあったりしました。
 その300語の単語リストを1日か2日で最終的に記憶して試験に臨まなければならず、「いかにして効率的、効果的に単語を覚えるか」で悩んだのは皆さんとまったく同じでした。
 そしてそのために心理学の本なども参考にして人間の記憶のメカニズムを学び、自らの単語記憶に活用しようとしました。

 高校生以上の方なら「エビングハウスの忘却曲線(あるいは把持曲線)」などというものを耳にしたことがあるでしょう。
 ドイツの心理学者であるヘルマン・エビングハウスヘルマン・エビングハウス(Hermann Ebbinghaus、1850年1月24日 - 1909年2月26日)の研究によって人間が一度覚えたことをどのように忘れていくかのメカニズムを表したものが「忘却曲線」のグラフです。

 エビングハウスは「意味のない単語(無作為な「子音・母音・子音」から成り立つrit, pek, tasなど)」を被験者に記憶させ、それが時間の経過とともにどのように忘れられていくかを実験により記録しました。

 この実験では被験者に無意味な単語を暗記させ、一定時間が経過したあと一度覚えた内容をもう一度記憶し直すまでどれくらいの時間がかかったかによって「節約率」というものを算出しました。
 たとえば1回目に10分かかって覚えたことを20分経ってから覚え直したとき4分で済んだとします。すると記憶に要する時間が「6割節約された」ことになりますので、節約率は60%です。

forgetting curve

 これをグラフにしたのが右の図です。(資料:Wikipedia)

 実験結果として、1時間後では半分程度まで下がり、1日経つと約4分の1(25%)まで、その後は1週間26経過で23%、1ヶ月経過しても21%と大きな変化はなくなり、極めてゆっくりとした減衰が観察されたそうです。

 この忘却が復習を繰り返すごとにカーブが緩やかになり、徐々に記憶が定着し忘れにくくなっていく様子がグラフから読み取れます。

 初歩段階の英語学習者が単語を覚えようとするのは、この実験のように「無意味な文字の羅列」を記憶しようとすることに似ています。記憶しようとするものがもっと意味を感じられるものである場合は、忘却ももっと緩やかになりますが、他にも人間の記憶を助ける要素がいくつかあります。

 さて、初学者が英単語を覚えようとするとき、初めてその単語を覚えてから1時間で約半分は忘れてしまうものです。そのまま何もせず1日経過してしまうともう4分の3は忘れてしまいます。そうなってから覚え直しても初めて習うときと大きく変わらない時間を要するわけです。

 最初に記憶してから覚え直すまでの時間、つまり復習までの時間が短いほど再記憶は容易であり、復習したあとの忘却曲線は初めての学習時よりゆるやかになります。そして復習を4回も繰り返せば非常に忘れにくい状態になってきます。

 よく学校では「習ったことはその日のうちに復習しなさい」と指導されますが、これは心理学的にも有効性が認められた根拠あることなのです。今日のうちに復習すれば1時間の勉強でできることが明日になってから同じことをやっても3時間かかるというようなことだと理解してください。

 ちなみに人間の脳というのはすごいもので、本来一度でも見たものは「覚える」のだそうです。これを「 記銘」といいますが、記銘したものを「思い出せなくなる」のが「忘れる」ということであり、忘れるというのは「記憶がなくなる」のではなく、厳密に言うとその後あらたに加えられた別の記憶や刺激などが邪魔になり、先の記憶がうまく取り出せなくなるということなのです。

 ただし一度でも記銘したことのないものは当然思い出せません。まだ覚えてもいないのですからね。

 「無理せず少しずつ、毎日5個の単語を覚える」などという学習法を取ったことがある人もいるかと思いますが、実はこの方法、ほとんど効果がありません。先に述べた忘却曲線で言えば、今日5個覚えても明日覚えているのは1個あるかどうかなんです。だったら今日10個覚えて明日2個覚えていた方がよいですし、その倍の20覚えてあす16個忘れても4個は覚えています。

 つまり記憶についていうと、少しだけ覚えておけば忘れにくいというものではなく、忘れてしまう比率が一定であるため、沢山覚えて沢山忘れた方が、記憶に残るのも多くなると言えるわけです。覚えたいと思ったら忘れることを恐れてはいけません。人間は「忘れることを繰り返して記憶する」ものなのです。「絶対忘れてはいけない」と無理なプレッシャーはかえって記憶にふたをしてしまうことさえあります。

 目覚めている間は、何かを記憶したあとも次々と多くの情報が絶えず視覚・聴覚その他の感覚から飛び込み続けてきます。それらの情報は新たな記憶対象として古い記憶の上に覆いかぶさります。

 しかし、睡眠中はそういう余計な追加刺激がほとんどないため、記憶の減衰も緩やかだと言われています。つまり同じ6時間後であっても、昼間覚えてその6時間後の記憶と、眠りにつく直前に覚えて6時間後に目覚めた直後の記憶とでは、後者の方が減衰しにくいということです。私はこれを利用しました。

 ある範囲の勉強をしたとき、まだ覚えきれていない英単語をリストに抜き出し、読み(発音)と代表的な意味、品詞をリスト化し、それを眠る前に床に入った状態で覚えました。
 1つの単語の記憶確認は2秒以内とし、単語を見て2秒以内に正しい読みと意味が言えなければ「未記憶」、それができれば「記憶済み」としてチェックマークを入れ次からは記憶チェックの対象からはずします。それを繰り返して、リスト全部の単語がチェックされたら、間髪入れずに眠りにつくのです。もう何もしてはいけません。ラジオも聞かず、他の本も読まず、とにかく「余分な外部刺激」をできるだけ割り込ませない状態で速やかに眠りにつくように努めます。
 そして朝眠りから目覚めたらまず真っ先に枕元にある単語リストに手を伸ばし記憶の再確認をするわけです。時間としては現実に6時間が経過していても感覚的には「ついさっき」のように感じるためかなり効率よく記憶が残っており、再記憶も容易でした。このように記憶の再定着が図られたあとは、忘却曲線も緩やかとなり試験開始までリストの単語が記憶に残っていたのです。

 このやり方は特に初学者で英単語が「根拠のない無意味な文字の羅列」として記憶するしかない場合に有効といえるでしょう。なぜその単語がそういうスペルで、そう発音するのか、自分を納得させる手がかりがなにもなく、やむを得ず「丸暗記」で望むしかないときです。

 しかし、同じように無意味な文字や数字の羅列であるにも関わらず不思議と一度で記憶され、ずっとその後も忘れない場合があります。高校生なら気になる彼女の生年月日や電話番号など「心が積極的に記憶を受け入れたい」と感じている情報は、記憶の根拠がなくても定着度が高くなる傾向にあります。要するに「好きなこと、好きなもの」はそれだけで覚えやすいのです。逆に「心が消極的で、記憶することを拒絶する情報」は忘れやすく(思い出しにくく)なり勝ちです。不得意科目がなかなか得意に変わらない1つの要因です。

 誰にでも向くとは限りませんが、ちょっと強引な不得意科目の克服方として「その科目が好きだと決める」というものがあります。好き嫌いというのは決めてそうなるものではないのですが、そこをあえて「自分に対するルール」のように決めてしまうんです。それからはそのルールから自分の行動を導き出してそれに従います。たとえば学校から家に帰る。家に着いてまず何をするか?そのとき自分で自分に答えます。

 「自分は何よりも英語が好き。ということは家についたら真っ先に英語の勉強がしたくてしょうがないはず」というふうに理詰めで行動パターンを作り出してしまうのです。勉強に疲れてくる。いつもならここでテレビをつけてしまうとき自分に言います。「いや待て、テレビを見るより英単語の勉強の方が楽しくてしかたない」と。そしてそれに従った行動を取ります。

 非常に強引で無茶なやり方にも見えますが、「好きとは物の上手なれ」ということわざを逆に実践したもので、2ヶ月も実践していると本当にそれまで苦手だった科目が好きに感じてきますし、学習効果も上がっていることを実感します。(だってそれほど「大好き」な科目を沢山勉強したのですから、ある意味当然の結果ですね。)

 本書の読者は「英語が嫌い」という方はいないかも知れません。もしそうならそもそも本書に縁がなかったでしょうから。でも「好きだけど上達実感が物足りない」という方ならいらっしゃることでしょう。そんな方なら「英語が今よりもっと好き」というところから一切の行動パターンを決めてみるのも1つの手かも知れません。

覚えやすい情報と忘れやすい情報

 人間の心というのは「記憶を受け入れやすい状態」というものがあるようです。1つには「精神が緊張しておらずリラックスしているとき」、その典型が「笑いの中」にあるときです。ある情報が笑い話の中で語られると非常に強く記憶に残ります。それを授業のテクニックとするのが「計画的に用意されたジョーク」です。生徒の緊張をほぐして記憶が最も注ぎ込まれやすい精神状態を作っておき、そこに大切な情報を放り込むという、立派な指導テクニックの1つです。

 記憶は根拠のないものには困難ですが、「なぜ」という根拠があれば「思い出すきっかけ」があるため忘れにくくなります。根拠を伴った記憶は「知っている」というより「分かっている」という段階になるため、いつでも必要なときにその情報が取り出せます。

 指導的立場にある方は、学習者に情報のみを提示するのではなく、その情報が深く記憶に残るためのきっかけやヒントも同時に与えていただきたいと思います。
 特に文法事項では、根拠ないルールとしてではなく、生徒が手の回らない調査などにより、なぜそういう文法事項があるのかについて少しでも解説を加えられれば、学習者に納得をもたらせるでしょう。学習者側としては、丸暗記を避け、常に記憶のきっかけとなる根拠を求めるようにします。文法事項や単語の記憶について、どのようにしてそのきっかけ根拠を得ればよいのか、本サイトでは随所でのべるようにしますので、そこからヒントをつかんでください。

 根拠を伴った記憶が定着しやすいことに加え、整理された情報はその根拠をおのずから与えてくれます。1つのおもちゃ箱に無作為に放り込まれたものはどこに何があるのかわかりにくく、必要なときに必要なものが取り出せませんが、整理ダンスに計画的に収納されたものであれば、どこになにがあるのかが分かりやすいため、いつでも必要なときに必要なものをすばやく取り出せます。記憶も同様で、体系的に整理された知識は、学習効果が高く、記憶も容易で、さらに新たな情報の取込が格段に簡単になります。

 会話などの実用性に重きを置くあまり体系的な文法学習を敬遠する傾向も最近は見られますが、文法を学ぶことで頭の中に知識の整理ダンスが作られ、英文の語順や用いられている語形などに根拠を感じて覚えられますので、例文暗唱などもより簡単になります。


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